26. 国連宇宙軍軌道監視艇OSV-8「HANOVER」
■ 8.26.1
04 September 2047, Earth Orbit, Altitude 500 km, OSV(Orbital Surveillance Vessel)-8 "HANOVER"
A.D.2047年09月04日、地球周回軌道、高度500km、軌道監視艇OSV-8「ハノーファー」
暗く静かなコクピットに空調機のモーター音と、時折響くCOSDAR(COmplexed Sensor Detecting And Ranging:複合探知システム)の電子音が耳障りだった。
もう既に三時間以上も一人で睨み続けているCOSDARのモニタは、照度を最低に落としてあるので、まだそれほど目がちらつくようなことは無い。
モニタの照度を最低に落としてあるのは、十二時間という長い勤務時間の間、極力目の疲労を抑える為でもあるが、艇内の消費エネルギー量を少しでも落として発生する熱量を減らし、赤外線探知によって敵に発見されてしまう可能性を少しでも下げる、という涙ぐましい努力の意味合いの方が大きい。
地表からの高度500kmの地球周回軌道上、対地速度7.6km/sで飛行し、約一時間半ほどで地球を一周する、全長32.5mのこの「船」の主任務は、地球周回軌道上と、地球周辺宙域を中心とした、宇宙空間でのファラゾア艦隊および戦闘機械群の活動を監視することである。
宇宙空間の監視業務など、監視用の無人衛星を周回させておけば事は足りるだろうと思われがちだが、実はそういう訳には行かない理由がある。
何もかもを機械的にクールに判断する無人監視衛星は、周辺状況を鑑みて行動に手心を加えるという事が出来ない。
例えば定時連絡の時間になったが、ラグランジュポイント辺りの敵艦隊に動きがあるので、己の被発見率を下げるためにしばらく待って、敵艦隊の動きが静かになってから通信用レーザーを撃とうとか、艇内温度がすでに緊急放熱レベルにまで達しているが、こちら側の空間に敵艦が居て艦首をこっちに向けているので、汗だくになりつつ限界を超えてしまっても、もう少しだけ放熱システムを展開するのを待とうとか、その様な柔軟性溢れる判断を下すことが出来ない。
その為地球人類が苦労して打ち上げた監視衛星の被発見率は高く、大概の監視衛星は一月と保たずに敵に特定され、撃墜されてしまうことになる。
勿論、有人宇宙艇であるOSVなら撃墜されることはないかと云えばそんな事は無く、月に何隻かは必ず撃墜される艇が発生するのであるが、それでも軌道を回っている数十隻の監視艇全体に較べれば少ない数であり、衛星の場合の被撃墜率に較べれば遙かに低いものであった。
そしてまたOSVの被撃墜率は、地上の最前線で闘っている戦闘機の被撃墜率に較べてもかなり低く、息を潜め不自由な思いをしながら一月という長い間狭いコクピットに詰め込まれて過ごす、心身共に異常にストレスの溜まるこの任務に対して、搭乗員達の不満が比較的少ない理由でもあった。
その様な軌道監視艇(Orbital Surveillance Vessel)OSV-8「ハノーファー」の艇長であるハインリヒ・ヴィルデンブルッホ国連宇宙軍大尉は、十二時間続く当番時間の約2/3を越えたところで、徐々に疲れが溜まってきてショボつき始める両眼に気合いを入れながら引き続きCOSDARの暗いモニタを凝視して、周りに何か異常な動きが無いか監視する任務を継続していた。
不意に左手のモニタが白く輝いた。
ハインリヒはちらりと横目を走らせてそのモニタを確認する。
左舷前方の船外光学カメラの映像が、今まさに地球の向こう側から昇ってこようとしている太陽の画像を捉えたのだった。
その白い輝きは徐々に薄れ、それと同時にその隣のモニタが輝き始める。
衛星軌道上を回る大型のデブリのフリをして身を隠すため、今船体には43秒で一回転する縦方向の回転が加えられていた。
その為最初左舷前方カメラで捉えられた太陽の映像が、時間を追うにつれ左舷後方カメラの視野に移っていったものだった。
そのモニタの輝きに依るものか、背中の向こうで軽い呻き声と、寝袋の中でもぞもぞと身体を動かす衣擦れの音がした。
そのまま衣擦れと断続的な呻き声がしばらく続いていたかと思うと、ややあってジッパーを開ける音がして、金色のひげ面の男がハインリヒのすぐ左側、副操縦士席の上に顔を覗けた。
「うっす。なんか変わった事あったか?」
その男、この軌道監視艇ハノーファーの副船長兼副操縦士でもあるトレイシー・ファッブリ国連宇宙軍中尉は、まだ完全に覚醒していなさそうな眼を瞬かせて、横目でハインリヒの方を見た。
「特にねえな。さっきモルディブのロデヴァレハビーチで乳のデカいトップレスの女がいたくらいだ。」
500kmもの距離があるのだが、間に存在する空気が少ないおかげで、宇宙空間から地上を見ると驚くほど細かい所までが視認できる。
もちろん、ビーチに寝そべる人間を特定することなど出来ないし、どれほど眼が良かろうとも美人かトップレスかなど判別することなど出来はしない。
そもそもOSVには、直接外を視認できる窓など無かった。外が見たければ全て船外光学カメラの画像となる。
約一ヶ月という長い期間、男ばかりで狭いキャビンに押し込まれる事のせめてもの気晴らし、或いは男所帯の気楽さによるくだらないジョークと言ったところだった。
トップレスどころか生物さえ存在しないこの宇宙空間で、その程度の妄想くらいしていなければ正気を保ってなぞ居られない。
ちなみに、OSVのコクピットには直接外を見ることの出来る窓など無く、当たり前のことだが索敵用の光学シーカーは地表のビーチが視野に収まる方向には向いていない。
「そいつぁ耳寄りなニュースだ。俺の好みはモルディブよりセイシェルに居そうな女だ。今日も頑張って探すか。」
そう言ってトレイシーは首を引っ込めて後部に向かって消えた。
キャビン後部でしばらくゴソゴソ、ガタゴトとトレイシーが身支度をする音が聞こえていた。
水と酸素が文字通り致命的に貴重で、さらに熱を発生することがもはや神との契約並みにタブー視されるこの小型軌道周回艇ではあるが、任務遂行に必要な健康維持のため、水を使って歯磨きをすることは出来た。
ただしトイレは水洗では無かった。
体内から排出されたものは真空によって移送されてタンクに押し込まれ、低圧乾燥されて地上に戻るときのお土産となる。
「おっと。放熱システムを開かんとな。」
船内で発生する熱は、どこかで船外に逃がさねばならない。そうしなければ船内は蒸し風呂のようになってしまう。
OSVはデブリのふりをして周回軌道を回っているので、夜の側でその様な船内熱量を船外に放出するわけにはいかなかった。
周りを飛んでいるデブリが皆、昼の側で溜め込んだ熱量を一気に放出して急速に冷えていくのに対して、OSVだけがいつまでも船内熱量を放出するため赤外線を放射し続けては、まるで闇夜の灯台のように目立ってしまう。
勢い夜の側では放熱システムを閉じて、できるだけ船外に熱が漏れ出ないように息を潜めておき、周りのデブリが皆温まる昼の側で放熱システムを展開して熱を放出、夜の側に回ればまた放熱システムを閉じる、という涙ぐましい努力が必要となる。
この為、当然の事ながら反応炉を搭載しているOSVではあっても、反応炉を運転するのは条件が整ったごく限られた時間のみとなる。
連続運転する反応炉から発生する凄まじい熱量を船外に放出すれば、これもまた被発見率を跳ね上げる致命的な問題となるためだった。
その為OSVでは、敵の目を盗んでごく短時間反応炉を運転し、創り出したエネルギーを極力電気へと転換してバッテリーに蓄える。
別途、昼間であれば船外に展開した太陽電池パネルから供給される電力も、同様にバッテリーに蓄えられる。
この蓄えられた電気を消費することで反応炉の連続運転による熱の発生と放出を極力抑え、息を潜めるようにして周回軌道を回りながら敵の監視業務を行っているのだ。
この船はまるで潜水艦の様だと、放熱システム展開のボタンを押しながらハインリヒは思う。
海中深く暗闇に潜み、音を立てないように神経を尖らせて被発見率を極小にする。
媒体が音波か赤外線かという違いがあるだけで、やっていることはほぼ同じだった。
船内が非常に狭いところや、敵に見つからないようにバッテリーに蓄えた電気を消費して活動するところまで潜水艦そっくりだった。
一度宇宙に出ると、一ヶ月もの間シャワーを浴びることも出来ず、まともな食事を摂ることも出来ないという劣悪な環境を考えると、まるで第二次世界大戦中のUボートの様だ、とハインリヒは皮肉な笑みを浮かべた。
放熱システムの展開作業も、タイマーやカメラ映像と連動させて放熱を自動化してしまえば楽なのだが、放熱のタイミングを見誤ると被発見率を上昇させ生死に関わる問題だとなれば、これもまた周囲の状況を見て人間が微妙な判断を下す必要がある案件であり、不器用な機械の手に全て任せておく訳には行かなかった。
今日は満月だ。
L1、L2、L4、L5の各ラグランジュポイントが夜の側に有り、夜の間の赤外線放射に凄まじく気を遣う反面、昼の側にはL3ポイントしか無いため、放熱システムを最大に開いて溜め込んでいた熱を一気に盛大に放出することが出来る。
ハインリヒは放熱システムの開度を最大に設定し、ふたたび監視業務に戻った。
キャビン後方から聞こえていた音が静かになってすぐに、トレイシーが空中を漂ってきて、空中で器用に前方宙返りをしながら副操縦士席にストンと収まった。
「まだちょっと早いぞ。0725GMTだ。あと30分ある。」
ハノーファーの船内では、他の多くのOSV同様に三人のクルーで各十二時間の交代シフトを取っている。
ハインリヒの勤務時間は0000GMTに始まり、1200GMTで終わる。
トレイシーは0800GMTから2000GMTで、数時間前に当直を終えて寝袋に入り、今はキャビン後方に吊り下げられた寝袋の中で夢の国の住人となっているジェラルドの当直時間が1600GMTから0400GMTだ。
十二時間の当直時間の内、前半四時間と後半四時間は二人態勢での監視業務だが、真ん中の四時間はたった一人で眠気と戦いながらどんな小さな事も見逃すまいとモニタを睨み付けるハードな時間だった。
その孤独な四時間が終わり、少し早めに今トレイシーが勤務に入ったのだった。
「構わねえよ。どうせ他にやることも無いんだ。のんびりトップレスでも探すさ。」
そう言いながらトレイシーはこの半月で伸びたひげ面で笑い、シートベルトを身体に回して固定した。
副操縦士席のコンソールモニタのスイッチを入れ、COSDARの画面を呼び出す。
トラックボールを操作し、画面を全球表示に切り替えた。
ほんの僅かでも消費電力量を抑えるため、最近では空軍の戦闘機にさえ採用されているタッチパネル式のモニタは、OSVでは使用されていない。
モニタには、GDDで探知された地球と月、そして太陽の方向が表示されている。
その任務の性格上、非常に高い精度での探知能力が要求されており、OSVには地上設置型並の高精度GDDが装備されている。
精度の高いGDDは大気圏内で活動しているファラゾア機らしき重力波放射を検知し、GDDのみで検知した索敵情報であることを示す紫色のマーカーでそれを示している。
「確かL4に二十隻位の敵艦隊が居たと思うが、どうなった?」
トレイシーは画面を操作して表示モードを切り替え、今現在表示されているアクティブな敵のマーカーが地球上のものであることを確認しながら言った。
「動いていない。まだ全部L4に居るはずだ。」
ハインリヒからの返事を聞き、トレイシーはさらに画面を操作してL4方向にズームする。
COSDARはGDDからの探知情報と、光学探知の情報を統合して解析し、L4ポイントに戦艦四、空母八、護衛艦十、その他一からなるファラゾア艦隊が停泊中であることを示した。
ファラゾア艦は重力推進を使用しているため、移動すれば当然重力波を周囲に放射することとなり、GDDで探知可能である。
しかしそれだけでは無く、ファラゾア艦はどうやら重力による反発力を利用したシールドのようなものを利用しているらしく、例え停泊中でも一定の重力波を放射しており、GDDで探知する事が可能である。
さらに今現在、L4ポイントはハノーファーから直接視認することが出来る位置にあり、光学観察情報がそこに追加されることで、COSDARは艦種の識別情報も併せて表示している。
このように一旦COSDARで存在が特定されると、新たな別の情報によって上書きされない限り、そこに敵が居ると「推察される」という情報をCOSDARは示し続ける。
即ち、例えL4ポイントが地球の陰に入り光学的に探知できず、地球重力や地球上で激しく活動する敵味方の戦闘機による重力波ノイズでL4ポイントの探知精度が大きく低下したとしても、敵艦隊が移動したと推測される新たな探知情報が無い限りは「そこに敵がいるはず」という参考情報を表示し続けるのがこのCOSDARというシステムだった。
「L4に二十隻か。微妙だな。L1なら当たりなんだが。」
トレイシーが画面から目を離さずにぼそりと呟く。
「ああ。ちなみに、L1はさっき見たときはカラだった。」
彼等が言っている「当たり」とは、ロストホライズンを指している。
従来の観測から、地球上のどこかの拠点に対してロストホライズンを行うとき、ファラゾア艦隊は前もってL1ポイントに移動して艦隊を整えることが多かった。
ロストホライズンは必ずL1から、という訳では無かったが、L1に小規模艦隊が移動した時は数日から数週間以内に必ずロストホライズンが発生していた。
短い言葉による会話が終わり、コクピットの中にふたたび静寂が降りる。
偶に軽い電子警告音が鳴り、画面に表示された警告メッセージを辿ってCOSDARに表示されたマーカーを追跡するが、全て地球上のファラゾア機の活動であった。
ハノーファーの高度は約500kmであり、搭載した高感度GDDは800km以上離れたクイッカー数機の編隊の活動による重力波を検知することが出来るため、ハノーファーが飛行するちょうど真下辺りに敵が存在すると、GDDによって敵を検知したと警告音が鳴る。
ちなみに重力波のパターンや波形には、ファラゾア側、人類側ともに機種ごとに特徴的なパターンや波形が存在する。
この重力波放射パターンはライブラリに登録されており、システムはGDDで重力波を検知するとライブラリを参照して機種とその大まかな数を特定して表示する。
同じ理由で、最近では殆どの機体がAGG/GPUを搭載している人類側の戦闘機の動きを検知したとしても瞬時に特定され、ファラゾア機の時とは異なる、もう少し緊急性が低い印象を受ける警告音が鳴るようになっている。
時々短い会話を交わしながら、トレイシーと二人横並びでの監視業務を続け、1200GMT、ロンドン市民が昼食を摂り始める頃にハインリヒの勤務時間が終わった。
疲れた眼のこめかみを揉みほぐしながら、シートの背もたれに身体を投げだし上を向いて呻き声を上げる。
暗い場所で目を皿のようにして輝度を落としたモニタを凝視し続けているのだ。十二時間任務を終えた後の眼の疲れは相当なものになる。
冷たく冷やした濡れタオルか、或いは逆に熱く湯気の立っているタオルが欲しいところだが、エネルギー使用制限の厳しい地上500kmのこの狭いキャビンの中ではその様な贅沢品は望みようも無かった。
「お疲れさん。ゆっくり休んでくれ。」
昼食のカロリーブロックを囓りながら、トレイシーがねぎらいの言葉を寄越す。
この船内での食事は、今トレイシーが食べているカロリーブロックのパッケージを一日三袋。
無重力で肉体のエネルギー消費が低いここでは、それ以上のエネルギー摂取は過剰になるからと制限されていた。
コクピット内の空気中の水分を含め、彼等の排泄物、ありとあらゆる場所から水を掻き集めて浄化する水リサイクル設備を搭載しているので、飲み水が欠乏することはまずあり得ないが、そのリサイクル設備を稼働させる電力が制限されるため、一日の飲料水も1.5リットルまでと上限が決められている。
シートベルトのバックルを外したハインリヒは、押さえを失って空中に漂い始めた身体を、シートの背もたれの肩部分にある取っ手を掴んで向きを変え、コクピット後方に向けて押し出した。
保管庫からカロリーブロックの包みをひとつ抜き取り、ボトルストッカーから充填済みの水ボトルを一本取り出す。
カロリーブロックのパッケージを開け、空中を漂いながら口の中に放り込み、咀嚼しながらボトルの中の純水を煽る。
「食事」のあと歯を磨くと、もう他にする事も無くなった。
発生熱量を少しでも抑える為、個人的なビデオの再生や、ゲームプログラムの実行も厳しく制限されている。
多分、中世の修行僧でももう少しはマシな暮らしをしていただろうな、と思いながらハインリヒは天井から吊り下げられた自分の寝袋の中に身体を滑り込ませ、ジッパーを引き上げた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
またいきなり新兵器です。
Operation「MOONBREAK」の時の「軌道空母」とかとちがって、今度はちゃんと宇宙船の形をしています。
それどころか、コクピット(キャビン)の中では宇宙服を脱いで、Tシャツ短パン(要するに、今のISSクルーと同じ格好)姿になることさえ出来ます。
環境劣悪も良いとこですが。
任務終わって帰ってきたOSVのコクピットとか、絶対誰も入りたがらないだろうな・・・w