22. 哈密基地へ帰還
■ 8.22.1
ジャッキーが包の中で気付いた翌々日、酒泉に行っていたという四人の男達が帰ってきた。
男達はそれぞれ、デュマンの長男のモハメド、三男のハサド、四男のサッダーム、甥のマスウードと名乗った。
次男は遊牧の暮らしを嫌って、街に出て軍に入ったのだと、デュマンから聞いていた。
彼等四人は二台のトラックに分乗して、潰した羊を酒泉の基地に納品し、その帰りに酒泉の街で日用生活品や資材などを調達してきたのだと言った。
家長のデュマンは息子達が戻ってくるまで三日はかかると言っていたが、用事を手早く済まして彼等は二日で帰ってきた様だった。
ジャッキーは痛む脚に顔を顰めながら、自分の身長と同じくらいの木材を杖にして包から出て、戻って来た彼等と女達が交わす会話を聞いていた。
二日経ち、捻挫していた左足首の痛みは殆ど取れていた。
「調子はどうだ? 痛むか?」
砂漠に倒れていた彼女を保護したという、三男のハサドが彼女に近づいて来て尋ねた。
短く刈り揃えた口髭を湛えた痩身の男だった。
「大分良くなったわ。折れたところは仕方がない。あなたがあたしを拾ってくれたのね。ありがとう。」
「偶々通りかかっただけだ。運が良かった。砂漠に人が倒れていれば、普通は助ける。何か特別なことをしたわけじゃない。」
「そう。それでも拾って貰えなければあたしは死んでいた。感謝するわ。着いてすぐで悪いんだけれど、あたしのバックパックを返してくれない? 基地に連絡を取って迎えを呼びたいの。」
「ダメだ。電波を使うと例の宇宙人の戦闘機がやって来るんだろう? それで俺達が使っていた無線機も解放軍の兵士に取り上げられた。家族を危険にさらすわけにはいかない。哈密だったか? 明日送って行ってやる。燃料だけ貰える様に話を付けてくれ。」
「・・・分かったわ。燃料は多分大丈夫。」
「怪我でどうせしばらくは動けないだろう。なぜそんなに急ぐ?」
ハサドの言うとおりだった。なぜか気が焦る理由は、彼女自身にも分からなかった。
早く原隊復帰しなければ、という思いが強くある。
或いは、ここから出て行きたい、か。
「分かってるわよ。落ち着かないのよ。」
「そうか。仕事熱心で何よりだ。明日の朝早く出る。日暮れ前には着けるだろう。」
「300kmよ? そんなにかかるの? 道が悪いんだっけ?」
「いや、それだけじゃない。四日前の戦いで軍は核爆弾を使った。ここからも見えた。放射能が怖いから大回りしていく。」
「なんですって? 反応弾を使った?」
ジャッキーを強烈な違和感が襲う。
四日前の戦いと言えば、当然自分が墜とされることになった戦いだ。
自分が墜とされた後、敵を追い返すために切り札を切ったのだろう。
墜とされたのは、当然戦場のど真ん中、反応弾の爆心地からそれ程距離が無かった筈だ。
今現在、彼女の身体は発熱もしていなければ、下痢あるいは嘔吐などの、重度の放射線障害に特徴的な症状を示していなかった。
だから国連軍が反応弾を使用したことなど、ハサドから聞かされるまで知りもしなかったのだ。
ジャッキーはハサドの顔を見たまま考えを巡らせた。
運良く大きな砂丘の陰になって、自分の放射線被曝が比較的少なかった可能性はある。
しかし民間人である遊牧民が、トラックを運転してそんな所を通るか?
事実今、ハサドは放射能が怖いから大回りすると言った。
何もかもがおかしい。話が整合していない。
「あなた、一体どこであたしを拾った・・・」
「ハサド! 若い姉ちゃんが来たいうて、油売っとらんでこっち手伝えや!」
この場所、あるいはこの遊牧民家族に対する違和感というよりもむしろ今や不信感へと変わりつつあるジャッキーの発言を遮るように、荷下ろしをしていた長男のモハメドがハサドに声を掛けた。
声のした方を見ると、三人の男たちがトラックから何か木枠で守られた機械を降ろそうとしているところだった。
呼ばれたハサドはジャッキーを振り返り、一瞬苦笑いのような表情を浮かべた後に踵を返して兄弟達が作業しているところに向かって行った。
質問を途中で遮られ、不満の残るジャッキーは腰掛けていた木箱から立ち上がり、杖を頼りに足を引きずりながらゆっくりと彼らが作業している所に向かった。
彼らがトラックの荷台から下ろそうとしている機械は、円筒型の銀色をしており、保護のための木枠で囲まれていた。
四人は重そうにその装置を荷台の上で引きずり、丸太や板を使って、トラックの荷台から地面に向けて斜めに渡されたスロープに乗せようと悪戦苦闘していた。
「あれはなに?」
ジャッキーは、女達と共にその作業を見守るように取り巻いて立っているデュマンに尋ねた。
少し腰が曲がったデュマンの顔は、立ったジャッキーと余り変わらない高さにある。
「発電機じゃ。街からも電気が来んようになって、発電機の燃料も手に入らん様になって、電気が無うて大弱りじゃったんじゃ。基地に羊をようけ売った金で、ようやっと新しい発電機が手に入ったんじゃ。」
「燃料は手に入らないって言わなかった?」
「儂ゃよう知らんのじゃが、あれは燃料が要らんらしいんじゃ。水を入れただけで電気が出てくるんじゃと。エライ世の中になったもんじゃ。」
水を入れただけで電気が出てくる発電機。
核融合炉に違いなかった。
民間の家庭用反応炉が発売されたと聞いたことは無かったが、大きさとしては戦闘機に搭載されているものとそれほどの差は無い様に思えた。
ファラゾアが来襲してすぐ、一時は殆ど電気を使えない時期もあった。
今ではあちこちに設置された、トレーラーの荷台に載せられた移動式発電所から都市部の各家庭にふんだんに電気が供給されている。
それに取り残された形であったのだろう、このような田舎の遊牧民家族が再び電気を手に入れられるようになったことは、単純に喜ばしいことだと、相変わらず顔を真っ赤にして悪戦苦闘を続ける四人の男達を眺めながらジャッキーは思った。
結局その後、荷下ろしした発電機を包脇に設置し、試運転だなんだと男達は忙しく働いていたので、ハサドともう一度話をする機会が巡ってくることは無かった。
陽が落ちて、電灯の灯った包の中で皆で皿を囲んで食事をする際にその話題に話を振るのは、自分が彼らに不信感を抱いていると云うことを悟られる気がして、憚られた。
ここに居るにしろ、基地まで送ってもらうにしろ、彼らの厚意にすがるほか無いのだ。
その様な相手に悪感情を持たれる事は避けたかった。
食事の後、男達四人は皆長距離の移動で疲れたという理由で早々に寝床に入り、ジャッキーが昼間の話しの続きを蒸し返すチャンスは得られなかった。
食事が終わった後しばらく経って、フラートと名乗ったハサドの妻が、色々な不満を抱えつつも寝床に入って忘れてしまおうとしているジャッキーの元に、サバイバルキットの入った黒いバックパックを届けにやってきた。
フラートが立ち去った後、バックパックの中身を確認してみたが、特になくなっているものは無い様だった。
小型のトランシーバのような形をした救難ビーコン発振器もちゃんと存在した。
翌日基地に送ってもらえるという話であったので、発振器の電源を入れて確認する事まではしなかった。
そして翌朝、急遽隣の遊牧民家族の元に子羊の取引のために向かわされたというハサドに替わって、デュマンの甥であると紹介されたマスウードがやってきて、彼女を哈密まで送ると言った。
彼女を助けてくれたハサドに最後に直接礼を言いたいと言ってみたが、隣の家族の元で昼食を共にしてから戻ってくる筈だと言われ、途中で打ち切られてしまった質問を彼に直接ぶつける機会は失われてしまった。
世話になった皆に礼を言い、彼女はトラックの助手席に乗り込んだ。
マスウードの運転するそのトラックは、まだ分解せずに走っているのが不思議なほどに軋みを上げて走り始め、路面の凹凸がある度に尻が座席から浮き、折れた手足に痛みが走るほどの衝撃を伝えてきた。
彼女が助けられた時のことを知っているかと思い、運転するマスウードに尋ねてみたが、帰ってきた答えは、ハサドが一人で出かけて行って彼女を連れて帰ってきた事以外は良く知らない、とのことだった。
ある意味、予想通りの答えであると言えた。
不信感は募るものの、しかし今現在、マスウードは約束通り彼女を乗せて哈密に向けて走っている最中であり、そしてバックパックも中身を損なうこと無く無事昨夜手元に戻ってきた。
状況だけ見れば、何も問題は無かった。
撃墜され緊急脱出した彼女は、運悪く負傷したものの親切な遊牧民家族に助けられ、負傷した手足の手当てをしてもらった上に、手に入りにくい燃料を消費してまでわざわざトラックで原隊まで送り届けてもらっている。
だが何か心の中にモヤモヤとしたものが残った。
あちこちで辻褄の合わない説明。
不自然に話を打ち切る男達。
そして逃げるように姿を消した、彼女を助けたときの詳細を知っているはずのハサド。
どれも彼女の疑い過ぎ、或いは疑心暗鬼と言ってしまえるような些細な事だった。
しかしその些細なことが連なり、どうにも全体的にすっきりとしない状況にしていることもまた事実だった。
しかし思いの外、マスウードは寄り道さえすること無く砂漠の国道をひた走り、夕方には彼女を哈密基地へと送り届けた。
負傷して移動が困難な彼女の代わりに基地への入門手続きも行い、連絡を受けた警備兵の指示に従って彼女を基地内の医療センターに送り届けた。
彼女を通して、彼女を基地まで送り届けたことの経費と謝礼を併せて燃料の配給を受けられることを確認した後、マスウードは簡単に別れの挨拶をして、くたびれたトラックに乗って去って行った。
彼らの居留地で募った不信感と不安感を思い返せば、余りにあっけない帰還に拍子抜けする思いだった。
墜とされた状況と場所から、放射線被曝の可能性ありとして、骨折した手足とはまた別に放射線関連の精密検査と治療を受けることとなった。
とは言え現実的に今何らかの症状が出ているわけでも無く、対応する医師の態度も気軽なもので、反応弾が使用された戦場に脱出した兵士に対する一般的な検査であることが窺えた。
自分で立って歩き回るのも困難で、検査と治療のためにほぼ一日中ベッドに寝ているならヒマだろうと、飛行隊本部から詳細な報告書の提出を指示され、本格的なギプスに取り替えられたことで動かしにくくなった右手に四苦八苦しながら、彼女はベッドの上でのんびりとキーボードを叩いた。
報告書を提出し、本格的に暇になった翌日、彼女を取り巻く状況は一変した。
やってきた医師は医療用のフルフェイスマスクを着用しており、彼女に重度の放射線被曝の可能性と、高レベル放射能への長時間曝露および体内への摂取による汚染の可能性があると、透明なアクリル越しに顰め面で言い放った。
彼女は防護服を着た看護師達によって移動用のベッドに移され、放射能拡散対策と説明された防護シートにベッドごと包まれた状態で別室へと移された。
そこは外を見る窓さえ無い狭いICUの様な部屋であり、医師達は皆ガラス窓の向こう側の別室から彼女の様子をモニタしており、室内に入ってくるときには白い防護服を着用していた。
以前、ハミ降下点から脱出してきたという三人組を救助し、青島に向かわされたときのことを思い出した。
あのときは、救助した兵士達から間接的に、地球外生命体による生物的汚染を受けた可能性があるとの理由で二週間も拘束されたものだったが、今回は自分自身が直接放射能汚染を受けた可能性があると言われて隔離されたのだった。
窓の無い狭い部屋で、医療機器の動作音を聞きながらのっぺりとした白い天井を見上げていると、徐々に心細さが募り、自分は一体これからどうなるのかと不安に押し潰されそうになった。
夜になり、部屋のドアが突然開け放たれると、防護服を着た男が四人室内に入ってきた。
防護服のマスクに包まれた男達の顔は見えなかったが、その身体の動かし方や、連携の取れた全体の動きから、四人は医師では無く兵士であることが分かった。
男達は互いに声を交わすことさえなく、勿論これからどうするのかと不安げに問う彼女の質問になど答えるはずも無く、彼女の首筋に無造作に注射器を刺すと、その中身を彼女の中に押し込んだ。
すぐに全身が怠くなって、眼球も含めて全身の動きが緩慢になった。どれだけ力を込めようとしても無駄だった。
息は出来るのだが、声を出そうと思っても意味のある音声が出てこない。声の大きさも、日常会話よりも遙かに小さな音にしかならない。
携行してきたまるで白い棺桶のような箱の中にほぼ無抵抗の彼女の身体を押し込むと、蓋を厳重に閉じた後手際よくボンベや様々な機器を接続して、箱を乗せた移動式ベッドごと彼女を室外に連れ出した。
彼女が外を覗くためというよりも、外から彼女の生死を確認するために空いていると思しき小さな窓越しに、天井の景色が流れていくのが見える。
ゴトゴトと、箱を伝って聞こえてくる移動式ベッドが床の上を移動する振動音以外は、外の音は何も聞こえてこない。
つまり、例えこの箱の中でどれだけ泣き叫ぼうとも、彼女の声が外に漏れ聞こえることは無いということだろう。
高レベルの放射線被曝や放射能暴露程度で、これほど厳重な方法で患者の輸送をするものなのかと、彼女の心は時間と共に急速に不安と疑いに塗り潰されていく。
防護服を着た四人の男に護送される様に引き回された、白い箱を載せた移動用ベッドはやがて医療センターの裏口を出て、眼の前に止めてあった黒い高機動車に載せられた。
高機動車はエンジン音も無く滑る様に走り出し、明かりの無い構内道路を滑走路に向かう。
管制棟の脇を抜け、この時間では殆ど人通りもなくなった正面エプロンに出た高機動車は、エプロンに止められた闇に溶ける様な黒塗りの輸送機の後部カーゴハッチのスロープを上り、輸送機の胴体の中に消えていった。
スロープになっていたカーゴハッチの扉が上がり、輸送機の胴体と隙間無く密着して閉じられ、カーゴルームから漏れていた僅かな明かりさえも見えなくなり、辺りは完全な闇に包まれた。
程なく輸送機は音も無く浮き上がり、暗闇の中識別灯を点灯することも無く上昇して行き、東の空の闇の中に溶けて消えた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
遊牧民の一家は何者だったのか?
ジャッキーがこの後どうなるか?
全てノーコメントです。