21. 敦煌
■ 8.21.1
眼を開けて、ぼやけた焦点が定まる様になると、薄暗い中に天井を支える木製の梁が何本も見えた。
放射状に組み合わされた木製の梁と、その上に被せられている布、そして梁の集まる中央部に貫通している金属製の煙突。
昔、子供の頃に社会科の授業で連れて行かれた民族融和資料館で見た記憶がある。
遊牧民族が使う「包」と呼ばれるテントの構造にそっくりだった。
どこか遠くで鐘が鳴っている様な鈍い頭痛が断続的に襲ってくる。
自分がなぜ包の中で寝ているのか、その経緯を思い出そうとしながら身体を起こそうとした。
身体の上に掛けてあった重く分厚い毛布や、羊のものと思われる薄汚れた毛皮が身体の上からずり落ちる。
その重さに抗おうとして右手に力を込めた途端、骨が軋む様な激痛が右腕全体に走り、その痛みに呻き声を上げて寝台の上に再び仰向けに倒れ込んだ。
固い寝台で頭を打ち、遠かった頭痛が急接近してきて頭を揺らす。
重い毛布の下で痛む右手を動かして毛布の下から抜くと、簡単ではあるが添え木を当てられ、余り清潔そうではない少々黒ずんだ包帯でぐるぐる巻きにしてある右手が眼の前に現れた。
思い出した。
キャノピーを灼かれ、敵のレーザーが自分の身体のごく至近距離を通過した事実に呆けた隙を捉えられ、別の敵のレーザーが機体の右舷後部に直撃し、右主翼や右ジェットエンジンを丸ごと爆散させた。
その衝撃でキャノピに叩き付けられ、朦朧とする中緊急脱出を行ったが、キャノピが上手く吹き飛ばされなかったため意図せずキャノピを突き抜けての緊急脱出となってしまった。
多分その衝撃で気を失ってしまったのだろう。
そこから後の記憶が無かった。
多分、意識を失ったままどこかに着地し、付近の住民に拾われて保護されたのだろうか。
或いは、余りに負傷者を多く抱えてしまった国連軍基地が、急場しのぎのために遊牧民からテントを買い上げて野戦病院の代わりに使っている?
それは無いな、と思った。
それにしては、同じテントの中に自分以外に誰も兵士が寝ていない。
ジャッキーは痛む右手に負担を掛けない様にゆっくりと身体を起こす。
身体の上に乗っていた羊の毛皮が軽く乾いた音を立ててクタリと床に落ちた。
床には半ば擦り切れかけた絨毯が、重なり合う様にして何枚も敷いてある。
辺りを見回せば、包の内壁に沿って物入れや何かを入れた大きな袋など、生活感溢れる色々な品々が並べられているのが、薄暗い明かりの中でも確認できた。
包の中は暑くは無いが、隙間風であろう、砂の匂いを含んだ暖かい風がどこかから僅かに漏れてきて、今が昼間、それも多分午後である事を空気の匂いで彼女に知らせる。
寝台から降りようとして右足を動かし、毛布の重さだけではない違和感を感じる事に気付く。
その違和感が現実である事を否定したくて毛布の中から慌てて右足を外に出すと、彼女の儚い期待は見事裏切られ、これもまた添え木を当てられて包帯や長く切った布きれでぐるぐる巻きにされた右足が視野の中に現れた。
絶望が心を支配していく中、右足に触れると、向こう脛の真ん中辺りで脚がひどく腫れ上がっていて、強く触ると激痛を発することが分かった。
右手右足骨折。
重い毛布をはねのけて、他にどこか損傷はないかと確認するが、どうやら他には酷い損傷はないようだった。
相変わらず頭は鈍く脈打つように痛み、左肩はどうやらどこかに打ち付けたらしく大きな青あざとなっており、左の足首も着地の時に捻ったか、力を入れようとすると鋭い痛みを発するが、いずれも酷い損傷があるわけではなかった。
少なくとも、眼に見える範囲では。
「おう、目ぇ覚めたんかい。」
寝台とその脇の背の低い物入れに掴まり苦労して立ち上がろうとしていると、不意に包の中に光が差し込み、左手の入り口を開けて年老いた男と思われるシルエットが現れて酷い西の訛りのある汎語(北京語)を発した。
「あなたは?」
ジャッキーは突然現れた男を警戒して、無防備な体勢で立ち上がることを諦め、身体を反転させながら寝台の上に腰掛けた。
「わしゃぁこの家族の長で、名はデュマンじゃ。三番目の息子のハサドが、砂漠で倒れとった嬢ちゃんを見つけて連れて帰ってきたんじゃ。一応手当はしといたんじゃが、痛むかのう?」
かなりくたびれた白いシャツを着た老人は、白髪交じりの頭に防止を乗せ、長い顎髭を生やしていた。
日焼けした彫りの深い顔と、西域の人間らしい灰色の瞳の色から、ウイグル人なのだろうと想像する。
そのデュマンと名乗った老人の言と、寝かされていたテントから、気絶して脱出した後そのまま砂漠に転がっていたところを遊牧民に拾われたのだろうと、ジャッキーは自分の置かれた状況を理解した。
少人数の集団はファラゾアの攻撃対象にならないことは聞いていたが、それにしても自分が倒れていたのは戦場のど真ん中と言って良い場所だったはずだ。
そこを通りかかったということに違和感を感じる。
「手当は、完璧よ。ありがとう。でも、戦場になった場所を通りかかった? 随分勇気ある息子さんね。おかげで助かったのだけれど。」
「おうよ。潰した羊を基地に納品した帰りに見つけたんじゃと。儂ら遊牧民は狙われんけえの。上でドンパチやっとっても関係ないわい。」
ジャッキーは頷きながら軽く溜息を吐く。
原隊に復帰するにも、多分砂漠のど真ん中のこの場所で生き延びるためにも、いずれにしてもこの男の家族に世話にならねばならないことは間違いがなかった。
良好な関係を築いておくに越したことは無いだろうと思った。
「お礼を言うわ。助けてくれたことにも、手当てをしてくれたことにも。私はジャリー・ファ少尉。哈密基地のパイロット。出来れば早めに基地に帰りたいのだけれど。」
「おうおう、パイロットさんじゃったか。それはご苦労さんじゃのう。哈密はちぃと遠いのう。今、車は息子らが使うて街に行っとるけん、戻ってきたら送ってやろうかのう。」
「息子さんたちが戻ってくるのはいつ?」
「さあてのう。服や木材の買い付けじゃ。酒泉か、ことによると張掖まで行ったかも知れんけえのう。酒泉なら三・四日、張掖なら一週間は帰って来んかも知れん。偶に出る街じゃ。あやつらも羽を伸ばすじゃろうしのう。」
酒泉も張掖も、まだ多少住民が残っており、一応街としての機能は残っていると聞いていた。
それにしても、酒泉まで車を使って往復で三日以上とは、ここはどこだ?
「ここはどこ? 西蔵かどこかなの?」
「敦煌の西の農地のさらに西の端辺りじゃよ。この辺は水もあるし、羊らに喰わせる草も辛うじて生える。」
敦煌ならば、哈密基地から南東に約250km、敦煌から酒泉までは東に200km程度の筈だった。
そもそもハミ降下点に対する戦術マップの中に含まれる場所だった。敦煌はZone5-06のエリアに存在する。
RARのコースから少し東に外れるが、ジャッキーは敦煌と周辺基地の間の大体の位置関係を記憶していた。
しかし老人の言った時間的距離と、自分自身が記憶している距離が一致しなかった。
敦煌から酒泉ならば、日帰りは厳しくとも、翌日には帰ってくることが出来るはずだ。
車とは言っているが、馬車でも使っているのだろうか。
「酒泉までどうしてそんなに遠いの? 三日はかからないでしょう。」
「ん? おう、空を飛ぶパイロットさんは知らんかも知れんがのう。今はもう舗装された国道がまともに走れる状態じゃないんじゃよ。舗装はあちこち穴だらけで、盛り土は崩れて大穴が開いとる。昔のつもりで車を飛ばしとると、10kmも行かんうちに車はスクラップじゃ。下手に国道を走るよりも、砂利道の旧道を走る方が速いくらいじゃ。それにのう。たまに街に出たんじゃ。若いもんはちぃとばかし羽を伸ばしたくもなるもんじゃろう? 丸一日は遊んで帰って来るじゃろうて。」
最前線に近い酒泉や張掖に遊ぶような場所があるかどうか定かではないが、何もない草原や礫砂漠を住処とする遊牧民にとっては、街があるだけでも充分に楽しいのかも知れなかった。
「分かったわ。何か通信手段があれば借りたいのだけれど? 哈密基地に連絡を取って迎えを寄越してもらうわ。」
撃墜された普通の要救難者のように、屋外にずっといるのであれば哈密基地か酒泉基地から出撃する巡回の部隊が近付くのに合わせて発煙筒でも焚けば良いのだが。
テントがあるのにわざわざ折れた手足を引きずって炎天下で、いつ来るとも知れない味方機を延々と待ち続ける気にはなれなかった。
「通信手段、のう。宇宙人が来る前は携帯電話が使えたんじゃが、今は何も無いのう。敦煌の街の公衆電話も通じとらんしのう。」
「無線は?」
「無いのう。何年か前、兵隊がやってきて取り上げられたわい。無線を使うとあの宇宙人を呼び寄せる、言うてのう。」
「哈密まで車で送ってもらうことはできない? そんなに遠くない。300kmくらいなんだけれど。」
「車は息子らが乗って行ったしのう。」
「敦煌の街中に放棄された車は?」
「あるにはあるじゃろうが、動かんじゃろう。バッテリーも上がっとるし、燃料もみな蒸発しとるよ。」
折れた脚で、自転車を使って砂漠を300km横断することは考えたくなかった。
「駱駝とか馬は?」
「昔は飼うとったがのう。最近はみな車しか使わんで、随分昔に手放してしもうたわ。」
移動手段も連絡手段も無いようだった。
ふと思い出して尋ねる。
「あたしのサバイバルキットはある? あたしが倒れていた近くにバッグがあった筈なんだけど。」
サバイバルキットはバックパックに入れられ、射出座席からパイロットの身体が離れるときに、パラシュートに付属してパイロットと共に落下する様になっている。すぐ脇に落ちていたはずだ。
彼女を保護したそのハサドという三男が見落とすとは思えなかった。
「ん? おうおう、あの黒いバッグかい。もちろんあるぞ。じゃがの、息子が倉庫に入れてしもうてのう。倉庫は鍵がかかっとるんじゃ。息子らが居らん間、年寄りと女だけになるけん、不用心じゃゆうてのう。鍵は息子しか持っとらんのじゃ。すまんのう。」
大事なものを入れる倉庫に鍵を掛けて、その鍵がここに無い?
そんな馬鹿な。
それでは味方機が接近してきたときに使う発煙筒が使えない。
敵を呼び寄せてしまうリスクと引き換えで、最悪の場合には使用が許可されている、救難ビーコンも使うことが出来ない。
ジャッキーは目を眇めてデュマンと名乗ったその老人の顔を見た。
何も感情が読み取れない、年老いた灰色の瞳が彼女を見返した。
「あれが必要なの。あれがないと救助が呼べない。やってきた味方に気付いてもらえない。返して。」
「じゃから無理じゃと言うとろうがの。鍵が無いんじゃ。息子らが戻ってくるまで待ってくれい。」
「三日も帰ってこないんでしょ。下手すると一週間も。勘弁してよ。すぐに返して。」
たたみ掛けるようにバックパックの返却を要求する彼女に対して、デュマンは黙って彼女を見るだけだった。
彼女が口を閉じてしばらくしてから再び口を開いたデュマンの言葉は、ある意味では予想通りだった。
「そう焦りなさんな。手も足も骨が折れておってどうせ動けんのじゃ。ちぃとゆっくりしとるがええ。息子らが戻ってきたら、哈密まで送らせるわい。」
そう言ってデュマンはカーペットの上に胡座をかいていた腰を上げ、ジャッキーがその動きを目で追う中、包を出て行った。
デュマンが包を離れていく足音が小さくなり、後には静寂だけが残った。
右手の激痛は本物だった。右足の痛みも、嘘では無い。
手と足が折れているのは本当だろう。
しかしなぜデュマンは何のかんのと言って彼女をここへ引き留めようとする?
なぜ彼女の持ち物であるサバイバルキットが手の届かないところにあり、取り戻せない?
それともただ自分の考えすぎか?
ただ単に彼女を助けた代償として、あのサバイバルキットを寄越せと言っているだけか?
助けられ、手当をしてもらったことには感謝するが、しかしなんとも納得できない不信感が彼女の中に募った。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
遅くなり済みません。
完全に個人的趣味に走っている話です。済みません。
しかし、僅か数個の伏線のために丸々一話とか・・・
ジャッキー死亡期待していた人。済みません。死んでません。
これでは大量虐殺SF小説の返上しなければならない事態に。