19. Nostalgia
■ 8.19.1
Same day, 19 August 2047, Jiuquan Airforce Base, Jiuquan, Gansu Shen, China Union
同日、a.d. 2047年08月19日、中華連邦甘粛省酒泉市、酒泉空軍基地
いわゆる河西回廊に属するこの街は、東西の交通の要衝、或いはゴビ砂漠を横切るシルクロード途上に点在するオアシスの一つとして、数千年も前から貿易、交通、或いは軍事の重要拠点として栄えてきた。
年間の降水量が僅か100mmに達するかどうかというこの乾ききった地域の中で、北の祁連山脈、或いは南の崑崙山脈からの雪解け水が湧き水或いは井戸水として利用できるこの土地は、砂と岩ばかりの死の世界に顕現した生者の国、あるいは乾いた大地を渡り行く人々の命綱として、街の規模が変わろうとも太古の時代から周辺の地域に強い存在感を放ち続けてきた。
この土地が古来悩まされ続けてきた西方からの侵略者でもなく、北方からの騎馬民族でもなく、事もあろうに想像だにしなかった空から降りてきた有史以来最強の侵略者が西方数百kmの崑崙山脈山中に根城を構えてから、数千年もの間絶えず多くの人々が居を構え生活してきたこの街からも未知の不気味な侵略者に怯えた人々が止まることもなく逃げ出し、この街の永い歴史にもとうとう終止符が打たれるものかと思われていた。
人が生きて行くには水が要る。
それは人類が生身の身体を持ち続ける限り絶対的に変えられない事実であり、そしてこの街が成立してきた最大の理由の一つでもあった。
人だけでなく、空を飛ぶ機械である航空機もまた活動するために水が必要となった。
従来地中から掘り出した化石燃料を精製した航空燃料のみを必要としていた航空機が、かの強大な侵略者からもたらされた技術を取り入れ開発された熱核融合炉を主要な動力源として搭載するようになり、人だけでなく航空機もまた生存するための燃料として水を必要とするようになったのだ。
地面に穴を掘りポンプを据え付けるだけで簡単に水を手に入れることができるこの街は、再び軍事的に重要な意味を持つようになった。
それはファラゾアが地上に集結するハミ降下点から約900kmの距離にあるという、近すぎずさりとて遠すぎないこの街の絶妙な位置によってさらにその重みを増すことになった。
常にナイフの刃の上を渡るような危うい存在の最前線基地ではない。
しかし敵から距離があり過ぎて間延びした後方基地でもない。
そして敵の拠点との間にはすでに人類は生息していない。
いやむしろ、荒涼たる不毛の大地が広がるばかりで人類など端から存在しなかった。
新たに開発された兵器の有効性を確認するための実践的な試験を行う場所として、これほど都合の良い場所は他になかった。
今まさに特殊仕様の大型機に搭載され、大地を離れて初めての実戦投入をされようとしている試作兵器も、その様な理由でここ酒泉空軍基地に持ち込まれたものであった。
「再確認。ミサイルの固定大丈夫か?」
パイロットから入った機内の有線通信の声が、レシーバから聞こえてきた。
「問題無い。専用のローダーラックに固定されてるんだ。そう簡単には外れんよ。」
試作品の試験担当主任兼オペレータとして戦地に派遣されてきた高島重工業ミサイル設計部の富士は、苦笑いしながら口許のマイクに応えつつ、一応画面に目を走らせた。
急ごしらえで据え付けられた操作盤のモニタ上で、ミサイルとそのローダーラックの全てが正常な状態にある事を示す緑色の表示が並んでいることを見て取る。
「乗っかってるブツがブツだからね。こっちも不安になるのさ。」
副パイロットが会話に割って入った。副パイロットはスーザンと云う英語名で呼ばれる中国人の若い女性だった。
ずっと日本国内の高島重工の設計部で仕事をしていた富士にとって、今回が戦場に出るのは初めてだったが、想像していたよりも遙かに女性兵士が多い事に驚かされていた。
決めつけるつもりはなかったが、やはり戦場に居るのは男、というイメージが心のどこかにあったのだろう。
全地球人の総力を突っ込まねばならないこの戦いに男も女も無いという大前提も然る事ながら、元々女性兵士率が高かった中国軍のお膝元である事、比較的女性兵士に割り当てられることが多い後方支援、輸送業務を主とする部隊に彼が世話になっているという事もあるだろう。
最前線の戦闘機隊ともなれば、また異なる男女比率となっていた。
それは男女差別ではなく、ヒトという生物の男と女のそれぞれの特性の差によるものだった。
いずれにしても、ここ酒泉基地で実用試験を始める前、蘭州で起動試験を行っていた頃からずっと行動を共にしている彼等3884輸送隊五番機の搭乗員とはもう完全に顔なじみになっており、女性兵士の多さにも驚くようなことももう無くなった。
「大丈夫だ。本体の方は何度も試験を重ねてきた。試作品とは言え、動作は保証する。弾頭の方はもう使い古された技術だ。間違っても暴発なんて事は無い。」
「分かってるよ。アタシらもそれにずっと付き合ってきたんだ。ただ、それとこれとは別モンだろう?」
「・・・分かっている。それは俺も同じだ。」
試験飛行でどれだけ設計通りの性能をマークしようとも、予想以上に試験計画が順調に進もうとも、実弾頭を載せて実戦に投入するために前線に向かうとなれば話は別だ。
富士にとって、このミサイルを実戦投入する事も当然初めてならば、彼自身前線のすぐ近くに接近する事自体初めてなのだ。
それでも、次の大規模戦闘にて実地試験を行うと予定され、何日も掛けて準備万端整えてきた自分達の仕事を信じるしかない。
「クリアランス、オーケイ。離陸する。」
パイロットの宣言と同時に、国連軍機色に塗られたSu-159イービスが重力推進器の出力を上げ、地面を離れる。
垂直離陸した後、高度50mに達したところで四発あるジェットエンジンをモータージェットで走らせ始めた。
この機体は、本来はAWACS母機として開発された機体だが、今富士が乗っている機体はミサイル発射試験用に改造された専用機だ。
AWACS子機を搭載し管制する構造が、今から試験に向かう新型のミサイルを搭載して試験するのにちょうど都合が良かったので流用された。
試作段階を終え、量産され始めたら専用のミサイル母機が用意される予定だ。
「トゥシン05、試製桜花、実戦投入試験に向かう。」
出撃目的を告げる副操縦士の声が富士の耳にも聞こえた。
「針路28、高度15、速度50をキープする。」
機長のブライアンが針路を宣言した後、続けて副操縦士のスーザンが作戦概要の再確認を行う。
「攻撃目標とする戦線はタクラマカン砂漠東端、ハミ降下点Zone5-02を中心に広がっている。現在ハミ降下点からの本日二回目の攻撃が行われており、戦線北方にある天山山脈周辺基地からの攻撃隊が敵の北上を抑えている。二回目の攻撃は現地戦闘機隊の戦力で撃退できる見込だが、もしハミ降下点から三回目の攻撃が行われた場合、消耗した現地戦闘機隊ではこれを支えきることが出来ないと見込まれている。
「我々トゥシン05は現在の針路で約20分直進した後、先農壇西東30kmの位置を維持する。三回目の攻撃が発生した場合、現地AWACSチャオリエの指示により、指定された空間に向けて試製桜花四発を発射する。」
「フジ、諒解。」
この出撃の作戦概要は、登場する前に何度も確認して頭に叩き込んである。
スーザンにわざわざ繰り返してもらう必要など無いのだが、色々な意味でこの作戦に失敗は許されない。
確認しすぎるほど確認を行った上でさらに、何かする度にまた確認するのだ。
「しかし日本人は兵器に随分感傷的な名前を付けるんだな。」
打って変わって砕けた口調になったスーザンが、僅かに揶揄するような口調で言った。
「昔からの伝統だ。日本の兵器には大概森羅万象から取った名前が付けられる。」
「桜の花なんて、咲いてる期間も短いし、一気に散ってしまって縁起が悪いんじゃないのか?」
「良く知ってるな。」
「アタシは生まれも育ちも重慶だ。南山公園だけじゃなく、市内あちこちに桜の花が咲く。」
「桜の花が日本人に取って特別な意味があることは知ってるか? それにこの名前には、もっと特別な意味がある。」
「ふうん? どんな?」
知らなくて当然だろうな。富士は思わず苦笑いを漏らす。
日本が先の大戦の末期、断末魔の叫びのようにして悲壮な覚悟の元に生み出した、絶望的な決戦兵器。
今手元にある試作機は、死を覚悟した若年兵が乗り込むような仕様にはなっていないが。
勿論その笑いはコクピットに居るスーザンからは見えない。
「長い話になる。基地に戻ってから教えてやるよ。」
■ 8.19.2
「先に行く。リフュエリング終わったらすぐに来てくれ。」
そう言って達也は操縦桿を倒し、機首を南に向けた。
「待て達也。ジェット燃料は残ってるのか?」
武藤の声がレシーバの中で追いかけてくる。
「残り30%。十五分は保たせる。その間にお前達はリフュエリングしろ。他の部隊でも良い。補給が終わった奴から前に出してくれ。」
無茶苦茶なことを言っているのは達也自身も自覚していた。
三千機もの敵を、たった一機で十五分も足止めできるわけがなかった。
敵を足止めできるように動けば、墜とされるだろう。
墜とされないように動けば、敵を足止めできないだろう。
しかし味方機がリフュエリングの間、敵を足止めできなければ、補給中の味方機もろとも全滅する。
ここのところ大活躍している基地の対空レーザーも、三千機などという大量の敵機に対処できるわけではない。
何がどうあっても味方機が補給を終えるまで敵の北上を止められなければ、自分だけで無く、基地も他の味方部隊も全滅してしまう。
自己犠牲のつもりは無かった。
地球防衛のためこの身を捧げるとか、人類を救うために犠牲になるとか、その様な高尚な考えなど持っていなかった。
ただ単に、今目の前に現れんとしている敵機三千機を押し止め、あわよくば撃退するためには、現在戦場に出ている味方の態勢を整えた上で総力を結集する必要があった。
それでも及ばないかも知れないが。
だがそのために自分に出来ることは何か。それを考えただけだった。
何千機何万機墜としても殺し足りない。
自分が奪われたものの代償を支払わせ、同じだけの絶望と失意と喪失感と虚無と苦しみと悲しみを叩き付けてやらねば気が済まない。
そのために生き延びて力の限り敵を叩き墜とす。
ただそれを突き詰めて、できる限り多くの敵を叩き墜とし、敵の目的を挫き、戦意をへし折るためならば。
それを可能とする友軍機を生かすために、ここで力及ばず力尽きるのならば、それも仕方ないことか、と妙に落ち着いた心で達也は思った。
「敵機群、Zone5-02前縁境界線到達まで60秒。フェニックス01、単機で突出するな。後退しろ。」
AWACSからの情報は耳に入ってきたが、後半の警告は聞いていなかった。
HMDに表示された、GDDによって探知された敵機群を示す紫色の円の中に、光学シーカーでも特定された敵の個体がマーカとなって次々に現れる。
最初パラパラと視野全体に現れていた敵マーカーは、急速にその数を増やし、今や前方視野の中央部を右から左に横断する巨大な帯状の雲となって達也の前に広がっていた。
これを全て相手にするなど無理だ。そんな事は百も承知だ。
だが、派手に引っかき回してしばらく足止めする程度なら、この傷ついた機体にも出来る。
ついでに十や二十の敵も墜としてみせよう。
孤独なコクピットの中、達也がHMDバイザーに隠された顔に凄惨な笑みを浮かべたまま左手のGPUスロットルを前に倒そうとした時。
左上方を一機の黒い雷火がオーバーシュートして前に出た。
右上方には、同じく黒いモッキングバード。
「おう、一人だけ格好付けてんじゃねえぞ。俺も混ぜろや。」
と、武藤。
「『青い盾』と共に戦うには、お誂え向きの舞台じゃない?」
と、笑いながらマリニー。
「馬鹿野郎。リフュエリングしろって言っただろうが。」
達也は両脇の機体を交互に見ながら言う。
どちらの機体も表面があちこちささくれ立って所々熔けており、明らかに満身創痍であることが見て取れる。
「タンカーの周りが大渋滞で、順番待ってんのも暇すぎてな。面白そうなことやり始めたイカレ野郎がいるんで、遊びに来たぜ。」
「ふん。料金は高く付くぞ。」
と、笑いながら達也が言った。
「そうか? 案外人気のゲームみたいだぜ?」
武藤の台詞に、達也は後ろを振り返った。
後方に追い付いてくるドラゴン小隊と表示されたマーカが見えた。
戦術マップに目を走らせれば、そのさらに後ろに八機。
「お前ら、救いようのない馬鹿揃いだな。」
「馬鹿筆頭の奴に言われたかねえよ。」
武藤と会話をしている内にも、沙美達のドラゴン小隊がすぐ後ろに追い付いた。
その後ろにテレーザ達の八機。
四機ほど欠けているが、基地に戻ったのか、墜とされたのか。それを確認している時間はなかった。
「オーケイ。命が惜しくないイカレたアホウども。付いて来い。奴等を殴り倒すぞ。」
達也の機体がGPU加速で弾かれた様に前方に加速した。
武藤とマリニーの機体がそれに続く。
一瞬遅れて、相変わらず見事なデルタ編隊を組んだ沙美達の三機が続き、さらにその後を一機欠けたダブルデルタが追い掛ける。
十四機の黒い戦闘機達は一瞬で音速の三倍もの速度に達し、減速もせずにそのままの速度で雲のような敵の集団に真っ直ぐ突っ込んでいった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
笑われるか、或いは引かれるような名前の兵器が出てきましたが。
作中で富士君が言っているとおり、彼ら高島重工(或いは日本人)にとってそれなりの思い入れのある命名となっています。
その辺についてはおいおい。
ちなみに、人は乗ってません。ちゃんとしたミサイルです。あしからず。