10. 解析
■ 7.10.1
21 December 2045, Transport fluvial et aerien sur le Rhin, Strasbourg, France
A.D.2045年12月21日、フランス、ストラスブール、ライン河川航空運送
開け放たれたオフィスのドアが三回ノックの音を立てる。
執務机に向かい、書類に目を通していたヘンドリックが顔を上げると、手に何枚かの紙を持ったシルヴァンが部屋の中に入って来るところだった。
ファラゾアに対抗するための情報機関という組織の役割に対して、意外なことにその長であるヘンドリックのオフィスは閉鎖的でなく、ドアはほぼ常に開け放たれ、いつでも誰でも気軽にオフィスに入ってくることが出来るようになっていた。
もちろん、ちょうど今部屋に入ってきたシルヴァンなどと機密性の高い情報に関して話し合うときなどは、ドアを閉めさらに施錠まで行うのであるが、そうでない時は努めて部屋のドアを開けっ放しにしておくようにしていた。
それは、どのような些細な情報でも、何かに気付いたら気軽に自分の元を訪れて報告して欲しい、というヘンドリックの意思表示である。
尤もまさに今部屋に入ってきたシルヴァンなど、この部屋を訪れることに慣れっこになってしまっており、ノックをしたは良いものの、部屋の主の返事を聞く前に遠慮無く部屋の中に入り込んでくるのもどうかと思うが、と、ヘンドリックは内心苦笑を漏らす。
「どうした? 何か面白いものでも見つかったか?」
シルヴァンとも長い付き合いだ。
多分今手に持っている書類に書かれている内容にであろう、この男が何かに強く興味を引かれ、周りに注意が向かない状態になっているのであろう事は、一目で気付いた。
「世界中あちこちに建設した大型の対宙GDDがあっただろう? なんか妙なものが網にかかったみたいだぜ? 早速期待通りのいい働きをしてやがる、というべきなのかな。」
書類から目を離さず、真っ直ぐに部屋の奥に置かれたヘンドリックの執務机に向かって歩きながら、シルヴァンが言った。
「対深宇宙重力波監視網(Gravitational wave Displacement Detector Network to Deep Space : GDDDS)の事か?」
「ああ、それそれ。ただなあ、あんまり嬉しい知らせじゃないのかも知れん。」
そう言いながら、執務机の向こう側にたどり着いたシルヴァンは、手に持った書類のページを入れ替えて順番を整えると、先ほどまでヘンドリックが目を通していた別の書類の上に置いた。
人が目を通している書類の上に自分が持ってきた書類を重ねて置くなど、非常に失礼な行動ではあるが、部屋に入ってきてからこっちの彼の行動からしてそれなりに緊急性が高く重要な情報なのだろうと想像したヘンドリックは、文句を言うわけでもなくその書類に視線を落とした、
その書類のタイトルは、「2045年12月19日に太陽系外縁付近にて観測された重力波」となっていた。
いかにも物騒な響きのあるタイトルに強く興味を引かれ、ヘンドリックは書類を手に取って目を通し始める。
書類は数日前にGDDSが探知した多数の未知の重力波について報告していた。
その内容は観測されたデータについて説明を加えているだけで、データからの考察は何も行われていなかった。
下手な考察を行って間違った先入観を植え付けてしまうことを避けたのであろうと思われた。
「ファラゾア艦隊の増援が到着したのか、これは?」
GDDDSは稼働開始当初から、太陽系内をあちこちうろつくファラゾア艦の動きを探知し報告するという成果を上げていた。
資源探索、或いは水や水素などの燃料の調達を行っていると思われるそれらの艦の動きは、主に土星軌道から内側で行われることが殆どだった。
しかし今回報告された重力波は、これまで探知されたどのようなファラゾア艦の動きとも異なっていた。
探知された推定宙域もさることながら、探知された重力波そのものが特異なものだった。
2045.12.19 22:02:38GMT: 獅子座方向黄道面近傍、推定距離約90億kmにて突然発生した多数の重力波を検知。但し、重力波形状は従来観察されたことの無い形状で、定常波が続いた後にスパイク状のピークを発生して途切れるもの。定常波部分はファラゾア艦が移動する際に発するものと類似。スパイクについては不明。定常波、スパイクピーク共に多数混ざり合っていて分離不可能であったが、スパイクピーク数は2000個以上であるものと推測。直ちに現場宙域の光学観察を行ったが、特筆すべきものは観察されなかった。
2045.12.19 22:08:03GMT: 射手座方向黄道面近傍、推定距離約80億kmにて多数の重力波を検知。重力波形状は先に獅子座方向にて観察されたものとは逆パターンで、スパイクピークの後に定常波が続くもの。定常波はその後継続して観察された。スパイク数は427個。こちらも約10%程度の数量誤差を見込む。当該宙域の光学観察を試みるも、太陽と同方向にて断念。
2045.12.19 22:15:19GMT: 射手座方向黄道面近傍、推定距離約80億kmにて多数の重力波を探知。重力波形状は同日22:08に同方向で観察されたものと同様に、スパイクピークに続く定常波。スパイク数推定2000以上。22:08に同方向で観察されたもの同様に、定常波は継続性のあるものであったが、その後続いて大きな重力波擾乱が発生し、波形が安定しなくなった。その後22:27:45から22:29:26にかけて再び射手座方向にて断続的にスパイクピークを観察。22:30:06以降重力波擾乱は収まった。定常波はその後約二十分程度、徐々に強度を弱めつつ消失。22:08のもの同様、太陽と同方向にて光学観察を断念。
2045.12.21 00:00:00GMT: その後深宇宙方面に重力波の異常は認められていない。
報告書は、異常を示した重力波プロファイルと合成波を波形分離した代表的な単一重力波、それに続く各プロファイルの簡単な説明で構成されていた。
「この『スパイクピーク』というのが何か分かっているか?」
ヘンドリックは書類から視線を上げると、シルヴァンの顔を見た。
「いんや? それを考えるのが俺達の仕事だろう?」
ヘンドリックはそのままシルヴァンの顔を見続けた。
相変わらず掴み所の無い笑いを浮かべて、シルヴァンはヘンドリックを見ている。
ヘンドリックは報告書に視線を落とし、ため息を一つ付いた。
「ああ・・・そうだな。」
仕事も何も、考えられる事はひとつしか無いだろうと、報告書に添えられた重力波の波形プロファイルを確認する。
未知のスパイクピークが発生し、その後にファラゾア艦が加速したときと同じ様な波形の重力波が続く。或いはその逆の順番。
スパイクピークから始まる場合は、スパイクピークが発生する毎に合成された加速波形の強度が増加している。
「この事象から考えられるのは、一つの可能性で、二つの場合分けだ。」
多分シルヴァンも同じ結論に辿り着いているに違いないと思った。
お互い答え合わせになるのだろう。
「何者かが、太陽系外からやってきて太陽系に進入しようとした。元々太陽系に居た別の誰かが、それを阻止しようとした。数に勝る防衛側が勝利し、進入しようとした者は追い返された・・・お前の想像もそうだろう? 違うか? 今まで見たことの無いスパイクピークというのは、どういうものかは分からんが、多分連中の超光速航行で発生するものだろう。」
シルヴァンの笑いが深くなる。
「で、問題はどっちが誰だ、ってこったよな?」
「そうだ。二パターン考えられる。ファラゾアが太陽系防衛に成功したのか、或いはやってきたファラゾアの増援が誰かに邪魔されて追い返されたのか、だ。常識的に考えれば前者だが・・・」
そう言ってヘンドリックは報告書の紙を何枚かめくる。
「80億kmというと、大体どの辺りだ?」
ヘンドリックは天文学者ではない。いきなり地球から80億kmと言われて「太陽系外縁部」とレポートに但し書きを付けられても、それが遙か彼方であるという事しか分からなかった。
普段常識的に利用する距離の大きさと余りにかけ離れすぎていて、それがどれ位のものなのか全く想像つかない。
「訊いてきたよ。冥王星軌道のちょっと外側。エッジワース・カイパーベルトだっけ? 聞いた事がある様な無い様な名前だが。」
ヘンドリックは自分の記憶の中を探る。
ファラゾア艦隊の動向を探るレポートの中で、希に見かける単語であったはずだ。
いずれにしても、太陽系の外側、遙か彼方、という程度の想像しか追い付かない。
「一つだけ気になる点は、侵攻側と防衛側の動きのタイムラグだ。私の想像では、実際は22:08の事象が最初に発生して、それから22:02、最後に22:15の順だ。重力波は光速で伝わると聞いている。逆の言い方をすれば、光速でしか伝わらない。遠い場所で起こった事象は伝わるのに時間がかかるので、順番が前後逆になる事もあるのだろう。
「問題にしているのは、22:02と22:08の事象がそれぞれ発生した本当の時刻と、その二点間の距離だ。調べてみてくれるか? 至急だ。」
「諒解。意味するところはよく分からないが、何か気になってるんだな?」
「ああ。結果が出たところで説明する。」
多分、結果はすぐに得られるだろうとヘンドリックは思った。
GDDDSの観測チームは、自分と同じ推測に基づいて、既に計算を行っているだろう。
もし自分の想像が正しいなら、今回防衛側に回った勢力は、太陽系全体を包むリアルタイムの監視網を持っている事になる。
それがどれだけ途方もない話であるかというのは、天文学者ではないヘンドリックにさえ容易に想像がついた。
侵入者に瞬時に気付ける程に太陽系全体を監視する監視網と、その情報をリアルタイムで伝える事の出来る超光速通信。
ヘンドリックは皺を寄せた眉間を右手の人差し指と親指で揉みほぐしながら、推測される事態を整理する。
ファラゾアがそれを持っているなら、納得は出来る。歓迎はしたくないが。
奴等は人類を刈り取ろうとしている。他人に収穫作業を邪魔されたくはないだろう。
しかしそれは詰まり、現在地球周辺で確認されているファラゾア艦隊の規模が各種合わせて百~二百隻と言われているのに加えて、今回のデータは太陽系外縁部に奴等はバックアップの艦隊を二千隻以上も有しているという意味に他ならない。
それが事実なら、連中を太陽系から叩き出すなど、夢のまた夢の様な話だ。
逆にそれを持っているのが第三者で、追い返されたのがファラゾアの増援艦隊であると云うなら、話は一気にややこしくなる。
その第三者は何者で、何を目的にしているのか。我々人類をどうしたいのか。
最早想像もつかなかった。
いずれにしても、酷く頭の痛い話だった。
「そろそろウチの局にも天文関係に強い奴を入れた方がいいのかねえ。多分今後増えるぜ? こういうの。」
シルヴァンが再びヘラヘラと軽薄そうな笑いを浮かべて言った。
「天文関係に強い情報部員か。都合良く居れば良いがな。」
「SFマニアでもOKかな。天文以外でも対ファラゾアで軍事や技術に色々重宝しそうだ。」
「やめておけ。あんな頭のイカレた連中、まともにコミュニケーションが取れるかさえ怪しい。」
「ひでえ言い草だ・・・そう言えば、人と言えば。あれ、あの後どうなった?」
「ハミ降下点から脱出してきた三人の事か? これがそうだ。」
そう言ってヘンドリックは、シルヴァンが部屋を訪れるまで読んでいた、デスクの上に置かれた分厚い報告書を顎と目線で示した。
「例の、ファラゾアに埋め込まれたって受信機は?」
「連中の身体がオリジナルのものであることから、外科的手段か、或いは内部生成的に構築されたものだと思われる。蛋白質で構成されていて、脳細胞と非常に似通っている。一部は脳細胞と完全に融合していて、外科的手段で完全分離は不可能だそうだ。いずれにしても、ウチ(ライン河川航空運送)のチンタオ倉庫に保護された後、受信は無いそうだ。油断は出来ないがな。」
「地下100mじゃ電波は届かないだろ、普通。」
シルヴァンが苦笑いする。
この時点で唯一生き残っているベルトラン・サルディネロ中尉は、体内に危険なものを抱えている可能性が未だ否定しきれないこと、ファラゾアによって脳に埋め込まれた生体受信機に突然敵側から指示が降り、いきなり破壊活動を始めないとも限らない事、何よりもファラゾア戦闘機械から回収された生体脳に関する研究解析を行っている最新鋭の研究所の一つが、生物的汚染を恐れて中国・青島の地下深くに隔離されており、ベルトラン達三人も成り行き上その研究所に直行して収容された事から、地下100mでの監禁生活を余儀なくされた。
「媒体が電波とは限らんさ。」
「電波に反応したんだろう?」
「人体そのものをアンテナにして、電磁波信号に反応した。一種の生体プロセッサと考えられるが、プロトコルが全く解析できていない。何の役割をするものか、全く不明だ。だから、交信媒体が電波だけと限れない。」
ヘンドリックは椅子に深く座り直し、背もたれに身体を預けた。
肘掛けに肘を突いた両手が、顎の下で組み合わされる。
「ファラゾアからの信号が受信できていないのか、或いはそもそも発信していないのか、ってトコだな。」
「そうだな。いずれにしても、これは初めての連中の意思表示だ。この程度の工作で騙されると思われたなら我々人類も随分舐められたもんだ。あるいは最初から成功するなどと思っていなくて、上手く行けば儲けもの、位のつもりで送り込んできたのかも知れんが。」
ヘンドリックが鼻を鳴らして不機嫌そうに息を吐いた。
ファラゾアに特化した情報機関のトップとしては、敵が打ってきた手の余りの稚拙さに少々苛立っているのだった。
「奴等のこれまでの行動からしても、案外計略謀略の類は不得手で、とにかく力技で叩き潰すタイプの奴等なのかもしれんなあ。ファラゾア、案外アホなのか? 脳筋?」
「今までのところ確認されたCLPU(中央演算生体ユニット)が筋肉で出来ていたことはなかったな。
「ま、冗談はさておき、先ほども言った様に、これは連中が初めて示した意思表示だ。正確には『問答無用で収穫を継続する』という来襲当初から示されていたもの以外で、という事になるが。しかしそれにしては稚拙すぎる。舐められているのか、やる気がないのか、或いは本当にこの手の謀略が得意ではないのか。ファラゾア人と話をしてみたことが無いので、さっぱり分からん。」
ヘンドリックは冗談めかして言っているが、実際のところこれまで一切の意思表示が無かったファラゾアの戦略的思考パターンというものが全く読めないのだった。
背もたれに深く身体を預けたまま、たっぷり十五秒ほど間を開けてヘンドリックはシルヴァンの眼を見て低くゆっくりと言った。
「いずれにしても、だ。一度攫った人類を外見上の変化無くスパイとして戻す方法が奴等にある事がこれで分かった。現在までにどれだけ紛れ込んだか分からん。いちいち全員頭を開いて中を見るわけにもいかん。見分ける方法を見つけなければならん。今回のやり口はバカにしてるのかと文句を言いたくなる様な稚拙な方法だったが、しかし実際にこれを今までに攫った人間の数でやられたら効果覿面も良いところだ。これは喫緊の課題だぞ。
「・・・ああ、そうなのかも知れんな。とにかく数で押してくるのが奴等のやり口だ。脳筋も何も、戦いの王道だ。数で押すから細かいところなどどうでも良いというのが連中の思考かも知れん・・・全く、頭の痛いことばかりだ。」
ヘンドリックの声は途中から急速に疲れた様な色を帯び、言葉を切って溜息を吐いた。
対してシルヴァンは、軽薄そうな笑みを浮かべたままヘンドリックの言葉に頷き同意した。
つまり、最後に残ったサンプルであるベルトランを使って、ということだった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
・・・また長くなってしまった。orz
訊かれると思いますので先に答えておきます。
防衛した奴、追い払われた奴。どっちが誰だと明かす気はありませんので、あしからず。
そのうち明らかになります。相当先の話ですが。
ベルトラン君達、せっかく生き延びたのに結局地球人類に殺される羽目になりました。
まだ数十億人残っている地球人類を生かすために、数人の命が犠牲になるのは仕方ないというのは、情報機関として当然の判断と思っています。
誰も犠牲になることのない世の中を! とか、脳ミソお花畑異世界勇者みたいなことを言わせる気も無いです。
そもそも戦争している時点で、戦場の兵士達の生命を磨り潰しながら民間人は生き延びている訳ですし。
ということで、ブラック回でした。
20230118; 距離を五箇所修正。