31. ヒドラ
■ 6.31.1
戦場は、酷い有様、と言って良い状態だった。
多少なりとも余裕のある戦いであれば、給油の為に戦線離脱する部隊や、僚機が撃破されてしまい再編成のために一時的に戦線を離脱しなければならなくなった隊のために、その様な部隊が抜けた穴を塞ぐためのバックアップ部隊が戦線のすぐ後ろに控えており、戦場の状態を把握しているAWACSの指示に従ってバックアップ部隊がすぐさま戦線に投入され、戦線に穴が出来る事を防ぐ手段とそれをコントロールする采配の両方が常に用意されており、戦線が崩壊しないように常に調整されているのが普通だった。
しかし今、給油を終えた達也達が舞い戻った戦場は、その様な統制された状態とはほど遠い、混沌と混乱が渦巻く酷い有様だった。
達也が撃ち込んだ反応弾で一万二千機程にまで数を減じたファラゾアのロストホライズン侵攻であったが、その最前線部を四発の反応弾で殴りつけられ出鼻を挫かれた形となったその津波のような侵攻部隊は、―――地球人達が期待している通りに―――もと来た方向に向きを変えてすごすごと引き上げていくという従来同様の行動を、今回に限っては取らなかった。
一万二千機のファラゾア機は、南北に長さ300km、幅100kmもの広大な戦闘空間を前線として戦場に留まり続け、いつもとは異なる反応に戸惑いつつも何とか敵の侵攻部隊を押し戻そうと、物量にして十倍、科学技術にして数万年か或いはそれ以上の隔たりのある絶望的に優勢な敵部隊に対して、付近に存在するありったけの戦力を前線に投入して死に物狂いで敵を押し留めようとする地球人類側の軍勢に対し、まるでホラー映画の中に登場する徐々に前進して来て止めることも戻すことも出来ない、いつかは必ず犠牲者達を密室の中で押し潰して命を奪う動く分厚い白壁のように、じりじりとその圧を上げ、僅かずつではあるが前線を押し上げ続けていた。
反応弾で横っ面を叩かれ、また決死の覚悟で前線に並ぶ地球軍部隊に迎え撃たれても、今回ばかりは前進を止めない敵ロストホライズンに対して、地球人類側はその流れを押し返すために、本来であればローテーションの為に備えておくべきZone6のBグループ二百五十八機、Zone7で待機するCグループ二百二十七機を全て最前線に投入した。
Bグループ、Cグループが前線に投入されてしまったため、その肩代わりをさせようと後方で編成された、ウラジオストク周辺のロシア軍と日本軍の各国軍を中心に編成されたDグループ二百四十八機、オホーツク海沿岸から日本列島に掛けての国連軍予備選力部隊で急遽編成されたEグループ百八十四機、まだ足りないと、極東地域に存在した国連軍、ロシア軍、日本軍、台湾軍までも含めて、とにかく戦える機体を強引に掻き集めて無理矢理編成したFグループ百九十四機もそれぞれシベリアに送り込まれ当初はローテーション用部隊として機能していたが、徐々に高まるファラゾアの侵攻圧力を押し留めるために前線を支える戦闘機の数が必要となり、結局はそれら全ての部隊が前線に投入され、それでやっとファラゾアの侵攻圧力をどうにか押し返しているような状態だった。
その様な敵味方入り乱れた混沌の前線に通信が流れる。
「戦闘領域の全機に告ぐ。戦線の広範囲に於いて敵性の攻撃電磁波を確認した。敵電子戦機ヒドラ、或いはゴーストが戦線投入されている模様。発見次第、優先的にこれを排除せよ。また、被弾などにより電磁シールドに不安のある機体は、敵の電子的攻撃によるシステムへの侵入に注意せよ。」
本来であれば、ロストホライズン侵攻部隊の中段から後段で存在が確認されることがある電子戦機が、前線に掛ける圧を高めるためロストホライズン部隊全体の前線から最後尾までの距離が圧縮され、その結果電子戦機までもが前線に近い位置に押し上げられて来たものと考えられた。
達也自身、敵の電子戦機と直接戦闘を行ったことはなかったが、ファラゾア来襲後初期に、地球側の戦闘機がその様な敵電子戦機に散々な目に遭わされた事は話に聞いていた。
ヒドラは、地球側戦闘機の電磁シールドの隙を突いて攻撃用の信号を、機体内の電子回路に送り込んでくる。
攻撃用信号に長くさらされた機体内の電子回路とその上で稼働するシステムはクラッキングされ、動作不良を起こし、最悪は停止する。
システムが動作不良を起こした機体は、性能を充分に発揮出来ない、或いは制御不能となり、そこを敵戦闘機に突かれて撃墜される。
システムを乗っ取られて停止に追い込まれた機体については、言うに及ばず。
動けなくなったところを射的の的にされるか、或いはそのまま墜落するか。
ファラゾア来襲初期、核戦争を想定して強固な電磁シールドを設定してあった機体はこのファラゾアによるハッキングを免れることが出来た。
しかし電磁シールドの設計が甘い、あるいは本来強固な設計であっても部品精度が設計精度に付いて来ていないような工業技術力の低い地域で組み立てられた戦闘機は、次々にシステムを乗っ取られて破壊され、バタバタと墜とされていった。
国力の関係で中途半端な電子化を行った第三世代の戦闘機しか配備できなかった多くの発展途上国や、部品精度に問題があった中国やロシアの戦闘機が、この電子攻撃にやられ一発の弾丸も撃つことなく、戦場に到達する前に大量に消えていったという逸話は、それ以降対ファラゾア用第七世代戦闘機を開発するに当たって、絶対に疎かにしてはならない苦い教訓として今も語り継がれている。
一方同じファラゾアの電子戦機であるゴーストは、未だにその存在がはっきりと確認されていない機体であった。
同じ「電子戦機」という括りに分けられてはいるが、ヒドラが手当たり次第に周囲の電子システムを破壊していくのに対して、ゴーストは電子システムを解析して侵入し、それを乗っ取る攻撃を行うと云われていた。
即ち、敵のシステムをとにかく破壊して短時間で使用不能にするヒドラ、比較的時間はかかるものの敵のシステムを解析してハッキングし、最も効果的な攻撃を行う事が出来るゴースト、という区分けである。
ファラゾア来襲時に、航空機や対空ミサイル、あるいは防空レーダーなどのシステムを瞬時に破壊したのがヒドラの攻撃であり、丸裸にされた軍事ネットワークや民間の全球ネットワークに侵入し、軍事ネットワークや政府機関のシステムはおろか、米国の原子力発電所のシステムを暴走させ、送電網の制御システムを破壊した、或いは同様に軍事・政治関連のネットワークを選択的に破壊しながらも、ロシアやヨーロッパ、アジアにおいては地球人類の生存に欠かせないライフラインに関わるシステムは、最低限必要な部分を対象から外したシステム攻撃を行ったのが、このゴーストによるものであると言われていた。
後の解析により、ただ手当たり次第システムを破壊していくだけの攻撃と、ワームに類似した攻撃型プログラムを使用してシステムを解析して侵入し、選択的かつ効果的にシステム破壊を行った、二種の攻撃方法をファラゾアが取っていたことが明らかになったために、その存在が囁かれるようになったのがこのゴーストと名付けられた電子戦機である。
そしてその存在が推測されつつ、しかし未だ一度も実際に姿を確認されたことが無い電子戦機は、ゴーストと命名された。
実体が確認できず、眼に見えない致命的な攻撃を行ってくる不気味な敵という意味であると公式には説明されているが、実は一昔前に世界的に流行ったサイバーパンクアニメに出てくるネットワーク上の攻撃的存在の名前を命名者が思い出したからだというのは、誰もが知るところである。
一方、ヒドラという名前は、電磁的なアンテナの役割を持っていると思われる長い突起が前後に四本ずつ、計八本突き出している特徴的な外見を持つことから、お伽噺に出てくる多頭竜の名前が付けられたものである。
余談であるが、発見当初はタランチュラ、或いはクラブ(蟹)とも呼ばれていたのだが、「食っても不味そう」という理由でクラブという名前は現場レベルで却下され、ファラゾアに関する初期の報告書をまとめた国連参謀本部勤務の担当官が大のクモ嫌いであった為、最終的にヒドラという名前が公式に採用されたのだった。
「タツヤ、10時の方向、距離40、高度75の群れの中にヒドラらしき反応がある。」
AWACSからの通信を受け取ってしばらくの後、またひとつ敵の群れを撃破して追い散らし、次の目標に向けて旋回している最中に優香里が言った。
「間違いないか?」
「多分間違いない。光学シーカー情報とGDD情報を重ねて処理してる。特徴的な外形と、クイッカーとは異なるGDD反応。電磁波の放射位置もほぼ一致する。」
「お前、戦闘しながらそんな事してたのか?」
達也は驚き、思わず声を上げる。
味方よりも圧倒的に数の多い敵に囲まれ、本来であれば戦闘どころか逃げ回るだけでも手一杯であるのが普通だ。
戦闘中自分に追従してくることが出来、さらには的確に自分が割り当てられている領域の敵を攻撃し撃墜できる事から、カチェーシャだけで無く優香里にも群を抜いた格闘戦能力がある事を達也は既に理解していた。
ハバロフスクに着任してしばらくした頃、飛行隊長の高崎少佐から、腕の良いパイロットの戦闘技術をより磨き上げるために、当時ハバロフスク基地に所属していた全てのパイロットの中から選抜された兵士を達也と武藤の下に付けたのだ、と聞いた事があった。
エース中のエースばかりを集めた特殊部隊のパイロットが二人、半ばその身分を隠して転属してくる。
その超エースの下に若手で有望なパイロットを付けて、技術を盗ませて鍛え上げる事が目的だと、少佐は言っていた。
他の飛行隊の有望な若手を根こそぎ引っ張ってきたんだ、他の隊長達に散々文句と嫌味を言われたよ、と少佐が苦笑いしていたのを達也は覚えている。
だから達也は、自分の部下であるカチェーシャと優香里が非常に腕の良い戦闘機パイロットである事を知っていたし、また実際の戦闘でそれを確認してもいた。
ただ実際の戦闘を重ねる中での二人に対する達也の評価は、優香里よりもカチェーシャの技量の方が僅かながらに上回る、というものだった。
反応速度や機体の操作技術、そして何よりもどうにかして敵を撃破しようとする闘争心と、逆に不味い状況ではそれをスッパリ諦めて退避に移れる判断力。
いずれもカチェーシャの方が僅かに優位と思っていたが、優香里には彼女なりの、混沌とした激しい戦闘の中でも冷静に敵を監視し分析するという特技があるのだと知った。
例え周囲の警戒と攻撃目標の確認の多くを隊長機である達也に任せていられる三番機の位置であるにしても、これは驚くべき特技と言えた。
「当然。本能だけで戦ってる隊長には、ものを考えられる頭脳が必要。」
「抜かせ。そのヒドラを叩くぞ。電磁シールドは大丈夫か?」
前述の通り、機体のシステムが走る電子回路を護る電磁シールドに少しでも綻びがあり、そして運悪く戦場にヒドラが存在する今のような場合、悲惨な結末を辿ってしまうことを予防するために、現代の戦闘機には通常簡単に電磁シールドの大まかな状況を確認できる電磁シールドモニタ表示がコンソールの隅の方に存在する。
今達也が乗っている蒼雷の場合、コンソール右下隅にある「EM SHIELD」という文字を囲むシグナル表示が緑色であれば問題無し、黄色であれば微弱であってもどこかにシールドの綻びが存在する、という意味になる。赤色であれば、クラッキングされて墜とされない内にさっさと帰投しろ、というサインだと理解して間違いなかった。
戦闘中、至近弾を受けたり、空中を漂い落下する色々なデブリに衝突したりする事で、機体は絶えず細かなダメージを受け続けている。
文字通り達也達パイロットの命綱と言って良い、システムと電子回路はもちろん何重にも防御され、物理的にダメージを受けにくい機体内部に格納されている。
しかしそれでも、物理的に損傷を受けることはある。戦闘中には何が起こるか分からない。
機体を管制するシステムを護る物理的な電磁シールドに受けたダメージを簡易的に知らせるのが、このシグナル表示だった。
ちなみにシグナルをタッチすれば、コンソール上にメニューが展開してより詳細な情報を得ることが出来るが、戦闘中にその様な悠長な事をしている暇はもちろん無い。
「電磁シールドグリーン。」
「こちらもシールドグリーン。」
「諒解。こっちもグリーンだ。少々古典的な攻撃法だが、下から突き上げるぞ。付いて来い。」
そう言うと、達也は操縦桿を右に倒した。
達也の機体は右にロールし、背面からパワーダイブでの急降下に移った。
垂直降下中にさらに180度ロールして針路をヒドラに向けた後、音速を超える速度を伴って地表ギリギリで引き起こし、そのまま地を這うような超低空飛行に移る。
カチェーシャと優香里の機体が全く同じ動きでその後を追い、黒灰色に塗られた三機の蒼雷が深緑に包まれる北の大地の上を起伏を舐めるようにして突き進む。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
予告通り、更新一回飛んでしまいました。済みませんでした。
ずーーっと遙か昔、名前だけ出てきた電子戦機がようやく登場です。
なんでなかなか戦場に姿を見せないか、についての理由は、ファラゾア側都合であり、非開示情報であるため黙秘です。すんません。
蟹だの蜘蛛だの蛇だの色々言われていますが、実際の形は脚が8本のゲジゲジです。
想像するだけで・・・あqzwxせcdrvftbgyんふじこ (`Д´) ←脚が8本以上の虫が苦手。
ちなみに脚は動きませんよ?
空中を飛びながら脚がワキワキ動いているとか、想像するだけで背筋が・・・