25. 加速する狂気
■ 6.25.1
10 июня 2045, Бар Лемур, ул. Муравьева-Амурского, 13, Хабаровск, Хабаровский край, Россия)
(10 June 2045, Bar 'Lemur', Ulitsa Murav'yeva-Amurskogo, 13, Khabarovsk, Khabarovsk Krai, Russia)
2045年06月10日、ロシア、ハバロフスク地方、ハバロフスク、ウーリツァ・ムラヴィエヴァ・アムルスコヴォ13番地、バー「レムル」
市内の目抜き通りに面したアパートメントの一階を占領しているそのバーは、地元ハバロフスク市内かその近郊に住むであろう若者達と、制服か或いは明らかに軍の支給品であると分かるTシャツなどの上下に身を包んだ国連軍の兵士達で席の殆どが埋まっていた。
バーとは言いつつも、なかなかのボリュームのある食事が客で埋まったテーブルの上に載っている所を見ると、夕食を摂ったままその流れで酒を楽しむ事が出来る少しお洒落で便利な店として、地元の若者達にも人気の場所である様だった。
国連軍の兵士達は、多分全てがハバロフスク航空基地に勤める者達であろうと思われた。
明日が非番の飛行隊は達也が所属する3345TFSだけである筈だが、ハバロフスク航空基地にはパイロットの他にも整備兵、地上勤務の兵士達全てを合わせると三千人以上が勤務している。
地上勤務の兵士で、特に市内のアパートメントに住居を構える者であれば、例え明日が勤務日であろうとも仕事帰りに一杯引っかけて帰る事に問題があろう筈も無かった。
同じハバロフスク市内には、この店からもほど近いツェントラリニ・アエロドロムに日本の空軍と海軍航空隊が駐留しているが、彼等の姿を店内に見つける事は出来なかった。
通りに面した木製のドアを開けて、混み合った店内に慣れた様子で進んでいくカチェーシャは、バーカウンターの中に居る店員に歩きながらハンドサインで三人連れである事を伝え、空き席を見つけて椅子を引いた。
店員がそれを見咎めないところを見ると、それがこの店のやり方なのか、或いはカチェーシャは我が儘の言える馴染みの客なのかも知れなかった。
優香里と達也がその後に続いて席に着いた。
「この店に来たら、ペリメニとキシュカは絶対外せないわよ。シャシュリクもいっとく?」
地元出身のカチェーシャは、テーブルの上に投げ出してあった角の丸まったメニューを開くと、機嫌の良さそうな声で達也の知らない料理の名前を並べた。
「任せるよ。今言われた料理がどんな物かサッパリ想像がつかない。お勧めを適当に頼む。」
「タツヤ、あんた基地の外で食事をした事無いの?」
カチェーシャに言われて達也は自分の記憶を辿ったが、ハバロフスクに配属されてもう半年近く、基地の外に出た事が一度もない事に気付いた。
毎日の出撃と、それに伴う戦いと、そして基地に戻ってからは次の戦いに備える為の準備でこの五ヶ月の全てが埋まっていた事に、自分の事ながら少し驚いてしまった。
食事は基地のキャンティーンで提供される物で不都合を感じていなかった。
味はともかく、量だけは満足するだけのものが常にトレーの上に盛られており、明らかに傷んだ食材などが使われていない、安心して食べる事が出来るものが提供されているのは、さすが国連軍と言うべきか。
ハンガーから兵舎に帰る途中で立ち寄り、手早く腹を満たしたら翌日の出撃に備えてすぐに寝る、或いは機体のチェック中に手が空いたところで整備兵と交替でさっと夕食を済ませてすぐにまたハンガーに戻る。
この五ヶ月間その様な、食事というよりも栄養素の補充と言った方が正しい様なスタイルで夕食をとり続けており、そしてそれには手軽さや距離の近さ、食事に必要な時間の短さなどから、基地のキャンティーンで摂る食事が最も都合が良かったのだ。
「どういう意味だ?」
なぜバレた? と思いつつ達也は訊き返す。
「自慢じゃないけど、ここはシベリアなのよ。たいした名物料理なんて無い。肉の味付けだってたかが知れてるし、魚の調理法だってたいした種類があるわけじゃない。半年も居て、ペリメニとキシュカに当たらない筈がない。」
「恥ずかしながら。その通りだ。今日初めて基地の外に出た。」
「は? 初めて? マジで? アンタ、ちょっとどころじゃないおかしいわよ?」
達也の答えを聞いて、余りに予想を上回る異常さにカチェーシャが目を丸くする。
優香里も驚いた顔で達也を見ている。
「必要が無かったんだ。基地でも飯は食える。機体の整備を手伝って、飯を食って、シャワーを浴びたら、翌日の出撃に備えてさっさと寝る。これの繰り返しだった。」
「休みの日は? どこにも行かなかったの? こんなにすぐ近くに街があるのに。」
次の質問を発したのは優香里だった。
優香里の言うとおり、元々民間空港であったハバロフスク航空基地は、ハバロフスク市街地の外縁に存在する。
街は近い。というよりも、空港は市街地に隣接している。
基地を出て、車で十分も走ればハバロフスク市のど真ん中だ。
闘いの合間を縫って、最後に休みの日に街に繰り出したのはいつだっただろう。
ふと、シャーリーの運転する高機動車の窓から眺めた、フロリダの地平線に沈んでいく夕日を思い出した。
食材の仕入れという建前で街に出て、仕入れなどさっさと終わらせてパトリシアと共に街を歩き、彼女と向かい合って食べたパンケーキの味を思い出した。
今と同じように最前線で戦っていようと、或いはPTSDで飛べなくなっていようと、あの頃は休みの日を楽しみに待ち、街に繰り出して遊ぶ事を知っていた。
強い日差しが降り注ぐ黒いアスファルトのビーチロードの上、自転車に乗ったパトリシアが椰子の木陰を抜けて店に近付いてくる様子を、カウンターの向こうの広いガラス窓の中に見た映像がフラッシュバックした。
「休みの日は、機体のチェックと、過去の空戦資料の確認をしていた。或いは寝て過ごすか。生き延びるために、必要なことをしていた。」
何もかも失って、何も手元に残らなかったが、な。
唯一残されたものは、眼に付く限り奴らを全て殺すことへの執着。
そんな事をしても何も戻ってこないことは解っている。
だが、この手の中に他に何も残らなかったのだ。
「ねえ。アンタホントに大丈夫? こうして話してる分にはおかしい感じしないけれど。どうしようもなく壊れちゃった人を今まで何人も見てきたけど、アンタ、連中と同じ事言ってるわよ?」
分かっている。
まともに振る舞えているのは表面だけの取り繕いで、実はもうどうしようもなく壊れてしまっているのかも知れない。
それとも、そう自覚できるだけまだ戻れるのか。
カチェーシャの言葉に達也は、愛想笑いのような苦笑いを返すことしか出来なかった。
「ユカリ。次から休みの日は絶対この戦闘PTSD野郎を引きずり出すわよ。狂ってもらっちゃ、こっちが困るわ。」
斜め向かいの席に座る優香里の黒い瞳が、暗い店の明かりの中でより黒くまるで夜の闇の中に棲む生き物であるかのように、少し険しげな色合いを帯びてこちらを見ているのと眼が合う。
カチェーシャの冷たい感じのするブルーグレイの眼が、僅かに怒気を帯びて自分を見据えているのを、達也は少しばかり嬉しく感じた。
■ 6.25.2
19 June 2045, United Nations Forces Headquaters, Strasbourg, France
2045年06月19日、フランス、ストラスブール、国連軍本部ビル
「Chief of General Staff of UN Forces (国連軍参謀総長)」と金属製の表札のかかった分厚い木製のドアは、廊下に音が漏れることはない。
もちろん室内に盗聴器の類いが存在しないことは確認済みである。
防諜という意味では、今現在の地球上でのトップクラスの部屋であると言って良い部屋の中、落ち着いた雰囲気でソファに腰を下ろし、傍目にはまるで昨日のサッカーの試合結果について語っているかのような気軽さで会話をする四人の男の声が、落ち着いた雰囲気の調度品に囲まれた室内に響く。
一人はこの部屋の主である国連軍参謀総長フェリシアン・デルヴァンクール。その横に国連軍参謀本部長ロードリック・ムーアヘッド。
向かいに座るのは国連軍参謀本部作戦部長のエドゥアルト・クルピチュカ、そしてその横に座るいま一人は国連軍情報部長フォルクマー・デーゼナー。
「なかなか思うようにはいかないものですな。」
と、作戦部長のエドゥアルト。
「我々の遙か先を行く敵を手玉に取ろうという試みです。『倉庫』の話では、彼らも他で大規模な戦争を続けているとか。当然向こうも馬鹿ではない。なかなかに思い通りにはいかんでしょう。そもそもかなり博打の色の濃い作戦でした。上手く行っている方では?」
少し神経質そうな丁寧な口調で喋るのは情報部長のフォルクマー。
「実際上手く行っている方だよ。概算ではあるが、すでに黒竜江省から数十万を超える民間人が逃げ出して南部に流れた。政府は公安や、果ては軍まで投入して何とか歯止めを掛けようとしている。たまたまだが、ノーラの戦線が危ないという噂が高まりを見せた時に、絶妙なタイミングでロストホライズンが発生して、ハバロフスクに置いておいた始末屋が反応弾を使ってくれたのが良かった。あれが人口流出を大きく加速した。」
低い声で落ち着いて話すのは、参謀本部長のロードリック。
「ある程度時間が必要だろう。反政府活動の方はどうなっている?」
当然のことながら、四人の中で最も重く威厳を感じる声を出すのが、参謀総長のフェリシアンであった。
「状況は徐々に深刻化しております。元々独立運動の芽があった雲南と新疆については、以前にも増して活動が活発になっています。ファラゾアの占領による混乱に依るものか、どこかから流入した武器で武装した独立勢力の活動は先鋭化を増しております。共産党政府は武装警察に加えて、かなりの規模の人民軍を投入して鎮圧に当たっていますが、組織化の進んだ独立運動勢力を上手く捉えることが出来ないようです。武装警察や人民軍の兵士達の横暴な態度が非漢民族住民の反感を相当強く買っており、中小規模の都市がまるごと消極的な独立運動組織の根城と化しているところも出てきている模様です。人民軍部隊へのRPG攻撃や、テロ攻撃なども発生しており、政府は躍起になって消火に走っていますが、ほぼ制御できていない、というのが実際です。」
「あそこの国で起こる独立運動は、従来簡単に潰されてきたものだが。今回は?」
「たとえ民間人であっても、疑わしきはその場で射殺するなどの相当強硬な手段を取っていますが、それでも抑え切れていません。逆に火に油を注ぐ結果になっている模様です。独立派勢力が従来に無く高い武装度を有しており、街中に潜んだゲリラ攻撃に徹していることから、鎮圧は相当に困難なものと思われます。まさかかの政府も、数十万の街をまるごと焼き払う訳にもいかんでしょう。」
「それは大変なことだ。共産党主席閣下も胃の痛い思いをしておられることだろう。心中お察し申し上げるところだ。」
「加えて、香港、福建を中心とした民主化或いは独立運動もかなり先鋭化してきております。一昨日も深圳の工業地帯で同時爆破テロが発生した後、武装勢力と人民軍との間で武力衝突に発展しました。武装勢力側も数百人の死傷者を出しましたが、人民軍側もほぼ同数の死傷者を出した模様です。武装勢力側はRPGや迫撃砲を装備していたとのことです。辺りを囲むビルやアパートメントからいきなり集中攻撃を受けて、戦闘車両の被害も馬鹿にならないとか。」
「高層ビル群はある意味山岳地帯の様なものだ。建物の中どこにでも隠れられるというのは、山岳地帯よりもよほど質が悪い。周り中敵に囲まれた谷間に居る様なものだ。かといって、反撃して高層アパートメントに戦車砲を打ち込むわけにもいかんだろうからな。そこの人民軍の現場指揮官にはなりたくないものだ。」
「度重なるテロリズムによる治安の悪化から、周辺地域も併せて工場の稼働率が相当に下がっている模様です。」
「周辺国の反応は?」
「ベトナム、ミャンマー、ロシア、インド、タジキスタン、キルギスと、多くの国が国境線に航空部隊を含む陸軍部隊を展開しております。テロリズムが多発し横行している中国国内から、テロ組織が国境を越えて自国内に逃げ込むことを懸念しての行動です。各国とも、テロ組織が国境を越えて自国内に逃げ込むようなことがあれば、捕縛し、中国に引き渡すことを明言しております。いずれの国も持て余し気味の陸軍部隊をかなり大規模に国境地域に展開し、逃げ込んで来るであろうテロ組織が現れる方角に重火器を向けて警戒しております。それなりの武装度と機動力が見込まれるテロ組織に対抗するため、各国とも相当数の戦闘車両を持ち込んでいる模様です。」
「実際にテロ組織が捕縛された事例は?」
「今のところありません。対する中国軍も、テロ組織などの武装勢力が他国に逃げ出すことを防止するため、相当数の人民陸軍をそれぞれの国境線にほど近い地域に展開しております。建前はともかく、実質上国境線を挟んで人民陸軍と周辺国の陸軍が睨み合っている状態となっています。元々紛争地域であったインド国境においては、数回の軽度な武力衝突も発生している模様です。共産党政府としては、国内が不安定である現在、それに乗じて旧来の国境問題を武力的に解決する動きを強く懸念している、といったところです。」
「ふむ。こちらは想定通り、と云ったところか。しかし、中央アジアの国々までが、良く動いたものだな。」
「基本的に金以外での繋がりが無い国ですので。」
「金の切れ目が縁の切れ目、か。さて、現時点での問題点は?」
フェリシアンの問いに、フォルクマーが答える。
気軽な雰囲気はそのままに。
「三つあります。一つ目。反政府組織に手渡す火器類の輸送が厳しくなってきました。公安と人民軍の監視がかなりきつくなっています。長い時間を掛けて中国国内に持ち込んでいたストック分は使い切りました。新規ルートの開拓も試みていますが、思うような成果は上がっていない状態です。
「二つ目。反政府組織の人的資源の消耗が予想を上回っています。潤沢とは言えない火器の供給の中、ある程度の武装度と練度に達した者を実働部隊とするつもりでしたが、若者を中心とした血気盛んな構成員を抑え切れていません。武装、訓練共に整わないまま勝手に戦いを仕掛けて、返り討ちにされる者が後を絶ちません。軍隊のように完全に統率された組織ではないので、現地でカリスマ的指導者を立てるしかないのですが、現在までにそのような人材の発掘に成功していません。色々手を尽くしてはいますが、このままだと人的資源が枯渇して組織を維持できなくなります。本件は現在のところ短期的な改善策がありません。
「三つ目。以上の理由から、出来れば早めに『とどめの一撃』をお願いしたいと思います。」
「ふむ。そこで初めの問題に戻るわけだな。エドゥアルト、どうだ?」
「何分にも相手のあることですからなあ。やはり一度ヘンドリックを呼んで最新の情報を織り込んだ上で、少々計画の見直しを行った方が良さそうですな。」
ヘンドリック・ケッセルリング。国連安全保障理事会情報分析センター対ファラゾア情報局長。
すなわち、通称「倉庫」の長である。
「確かに奴ももともと『こちらの思い通りに操れると保証できるものではない』と言っていたからなあ。いずれにしても他に手は無い。来週の会合には奴にも来てもらおうか。」
「そうするか。後で趣旨を説明して、来週の会合への招待状を送っておこう。さて、他に課題はあったかな。」
「潜水空母機動艦隊の件を忘れるなよ。」
「ああ、そうだった。いや、潜水空母機動艦隊の話をするなら、その前に重力推進戦闘機の話をしておく必要があるだろう。最近、技術的ブレークスルーがあったと聞いているが、ロードリック、詳しく知っているか?」
「ああ、あの話か。明るいニュースだ。実はな・・・」
余人がその内容を知る事が能わない、四人の会談はなおも続く。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
前話に続いて壊れかけ達也君のお話ですが、ちょっとしつこかったですかね。
後半は、ドライフオホータの進捗報告となっております。
ちなみに、戦略級の作戦は国連安保理事会の承認が必要ですが、戦術級の作戦は国連軍参謀本部で立案可能としています。
ドライフオホータは、極東地域限定でのノーラ降下点封じ込め作戦なので、ギリギリ戦術級の作戦扱いとなります。
その実、中身はどう考えても戦略級の作戦なのですが、真の目的は作戦計画書には記載されていません。書くと戦略級と判断されるので。
戦略級になる事を嫌っているのは、安保理事会を通すと必ず中国が反対し、作戦承認が得られないためです。
・・・こういう状態を「軍部の暴走」と言います。(笑)
でも多分、中国以外の安保理事会常任理事国には根回しが済んでいて、地球連邦化の為の必要悪、として見て見ぬ振りされてるんでしょうね。きっと。