1. 緑の海の遙か上
■ 2.1.1
緑一面の原野が広がる世界の上を、赤色の真円を翼端に刻まれ、上面を深い青色、下面を白に近い灰色の新日本海軍機色で塗装された機体が、見事なデルタ編隊を形作って、高度10000mの空を白い飛行機雲を引きながら真っ直ぐに飛ぶ。
三機は時速1000kmを超える速度で飛行しているのだが、10kmも離れた地上の、どこまでも続く緑色の海のような広大な針葉樹林という変わり映えのしない地表の風景に、まるで自分達が空中に浮かんで漂っているかのような錯覚に陥る。
「しかし意外でした。」
デルタ編隊の二番機の位置に着いた若林中尉が落ち着いた明るい声で言った。
「シベリアというと、どこまでも広がる針葉樹林と永久凍土というイメージしか無かったのですが。実際には結構山が多いですよね。」
彼等がこのシベリアの空を毎日の様に飛び始めて早二ヶ月が経とうとしている。
日本軍とロシア軍の合同軍事演習であった「ブラーツトワ」の突然の中断と、それに続いてシベリアへ降下したファラゾアに対抗するために出されたロシアからの緊急応援への対応。
当初は日帰りか、或いは長くとも数日後には帰れる筈の予定だったものが、彼等が日本を離れて既に二ヶ月。
その間、日本からの定期的な補給を受け取る事は出来ていても、彼等自身が日本に帰る事は出来ていない。
シベリア内陸深くに入り込んだ彼等空母「きい」の艦載機乗りと、主に北海道東北方面の部隊から掻き集めて作った空軍とで構成された「緊急支援部隊」に対して、空軍の空中給油機を回す余裕が無いので、一旦ハバロフスキー・アエロポルト(ハバロフスク空港)に着陸して給油しろとの指示が出た時点で嫌な予感はしていた。
翌日になっても遅れに遅れる給油作業を待っている間に、次々と日本空軍のC2輸送機が到着し始めた所でその懸念は決定的なものとなった。
到着した六機のC2には、五十名を超える整備員と、武器弾薬の類が満載されていたのみならず、空軍司令部と海軍司令部からの書面指令書を携えた伝令が同乗していた。
その指令書を受け取った時点で彼等の所属は、日本海軍シベリア方面特別支援部隊へと転属となり、ロシア航空宇宙軍第十一航空防空軍第303親衛混成航空師団指揮下に入る事となった。
組織上はロシア航空宇宙軍の指揮下に入った彼等であったが、言葉の問題と、機体特性や兵装の差異などの問題から、第十一航空防空軍が直接彼等を指揮するには困難が伴った。
その為、日本海軍および日本空軍シベリア派遣特別支援部隊は、303親衛混成航空師団と連動しつつも独立して行動する外人部隊扱いとなった。
同時に彼等の本拠地も、ロシア航空宇宙軍第十一航空防空軍が拠点とするコムソモリスク・ナ・アムーレ近郊のフルバ航空基地では無く、もはや民間航空機が離発着する事など無くなった、ハバロフスク市中心部にほど近いツェントラリニ・アエロドロム(中央空港)があてがわれた。
その差別待遇とも言える対応に当初は腹が立ちもしたが、内地から続々と送り込まれてくる整備兵や工作兵、果ては衛生兵、教育訓練兵、売店の売り子達によってツェントラリニ・アエロドロムが日本人街の様相を呈してきた上に、果ては彼等日本軍兵士のハバロフスク市内への外出許可や、ハバロフスク市内在住の民間人に基地内での商店等の開設許可などが出る頃には、「住めば都」という言葉の意味が理解出来る様になった彼等シベリア派遣特別支援部隊のパイロット達であった。
そうやって瞬く間に地上に於けるサポート態勢や、生活基盤が構築されていき、僅か数週間後、月が変わって八月になる頃にはツェントラリニ・アエロドロムは日本軍の前線基地として本格的に稼働していた。
もちろん、最前線基地特有の慢性的な弾薬不足や燃料不足には常に悩まされ続けた。
基本的に、整備或いは修理用の資材は殆どが日本本国内地から輸送してくる以外に調達の手は無かった。
それに対して、弾薬も消耗部品も、従来ではあり得ない出撃頻度と交戦の頻度から、消費されていく速度が想定に対して段違いに速かった。
緊急のものは空輸で、長期的に計画立てて供給できるものは船と列車で輸送されるが、どの輸送経路においても化石燃料の欠乏によって、いつでも好きなだけ輸送便を出せるという状態では無くなっていたのだ。
例えば、日本軍が航空機用として採用している20x102mm機関砲弾は、米軍が採用したかの有名なM61バルカン砲との互換性を考慮した規格となっている。
この規格が出向先のロシア航空宇宙軍のものと互換性などあるわけがなかった。
そもそもがロシア軍の航空機の機関砲は、まるで約百年ほど前のどこぞの帝国海軍の主力戦闘機の如く一発の破壊力を重視しており、殆どの航空機が30mm口径の機関砲を搭載しているのだ。
ファラゾアとの戦いの中で有用性が見直され、格闘戦時の主要武器となる機関砲の弾薬供給の問題は切実かつ絶対条件だった。
しかしここで、自衛隊という世にも希な不遇で日陰者の軍隊の時代を経験した事がある日本軍は、旧日本軍や世界の他の軍隊とは全く異なる驚くべき行動を見せた。
百万には達しないものの、それなりの人口を抱え、ハバロフスク地方の中心都市であるハバロフスク市至近という立地の優位性を生かし、自分達にあてがわれた拠点の周りで、機関砲弾を含めた自分達に必要な資材を要求通りに生産できる生産者を探したのだ。
生産者を探した後は、内地から民間の技術者を軍属扱いで現地に招聘した。
ここ数十年来、あらゆる分野での海外への技術移管業務を無数にこなしてきた民間企業は、軍からのこの要求に迅速且つ完璧に対応して見せた。
現地ですぐさま不足する原料だけは内地から運んできて日本軍から供給し、金属原料やその工作機械と加工を行う職人或いは作業員を現地で調達し、分かり易くマニュアル化された作業手順通りに作業を行わせる事で、機関砲弾に限って言えば僅か一週間で試作品を作り上げ、翌週には量産初品を納品させ、さらに翌週には生産ラインの増強に取りかかっていた。
そうやって現地生産された機関砲弾が、今日初めて彼等の機体に搭載されている。
もちろん何度も試射を行い、不発弾やジャミングなどの問題に対する信頼性が日本製の砲弾と同等に低い事は確認してある。
しかしそれでも、膨大な数の部品とシステムが複雑に組み合わさって、まるで緻密な芸術品の様な調和と美しさを形作る戦闘機という名のこの機械に於いて、ただ一つの主要部品であっても新しいものに置き換わるというのは、それに命を乗せて飛ぶ者の心を不安定にさせるに充分な変化点だった。
普段落ち着いた雰囲気を纏う事で知られる若林中尉が、口数多く喋っているのはそういう理由もあるのだろうと思いながら、実田はレシーバから聞こえてくる部下の声を聞いていた。
若林中尉が言うとおり、彼等が拠点とするハバロフスクの周辺は、アムール川沿いに平野が広がっている。
しかしツェントラリニ・アエロドロム基地から離陸し、ファラゾアの拠点が存在するノルスキー・ザポヴェドニクに向けて北西に進路と取ると、僅か数分でなだらかな山並の続く山岳地帯に突入し、そのままノルスキー・サポヴェドニクまで延々と森に覆われた山岳地帯が続く。
実は実田もシベリアという地方の地形については、うんざりするほどどこまでも続く雪の平原、というイメージしか持っていなかったため、派遣初日に初めてシベリアの空を飛んだときには、今の若林中尉と似た様な事を考えていたものだった。
「・・・不安か?」
実田は、楽しげに色々と風景にコメントし続ける若林に言った。
基地からは既に200km以上離れている。ファラゾアが常時発信し続けるバラージジャミングで、編隊内通信の微弱な電波はもう基地には届かない。
「ふふ。バレてしまいますね。敵わないな。
「ええ。不安です。某帝国軍の様に、弾頭形状が非対称になってて弾が直進しないとか、薬莢形状が狂っててジャミングしたままガトリングガンが撃てなくなるとか、チャンバー内で暴発して破片が自分に当たったらとか、馬鹿にされそうなくらい不安ですよ。」
不安になりつつもその不安をさらりと口に出来るならば問題無いだろうと実田は思った。
本当に危ない奴は、明らかにうわずった震える声でたった一言「大丈夫です」などと強がるものだ。
戦闘と呼べる様な戦闘は行わなかったが、西アジアや南アジアで長く一緒に実戦に出ていた、信頼の置ける部下達だった。
「緊張して不安なときには、掌に『人』と書いて飲み込むと効果覿面と言うぞ?」
「それって、子供のピアノの発表会とかの時に言う奴っすよね? そもそも相手がファラゾアで、それ効くんすか?」
若林とは対照的に、いつも明るく前向きな、この小隊内のムードメーカー役の長谷川中尉が会話に割り込んで来た。
もちろん実田も、「人」と書いて飲み込むというまじないに効果があると思ってなどいなかった。
ただ、皆が黙っていれば不必要に緊張が高まり、いざというときに慌てて思いも寄らないミスをする。
何か喋って、過剰な緊張状態をほぐす必要があったので、適当に思い付いた事を言ってみただけだった。
要は、BGMの様なものだ。
・・・ふむ。それも考慮してみても良いかもしれない。
今現在彼等が付いている任務は、定期巡回偵察だった。
毎日決められたコースを定期的に飛行し、敵情を偵察する。
地上施設が増えていないか、大規模な増援が行われていないか、他に何でも良いから変わった事は無いか。
目を凝らし、カメラの望遠を上げ、機体に取り付けられているあらゆるセンサーを最大感度にして、目を皿の様にして敵本拠地の方角を覗き込む。
そして最前線で偵察を強行する以上、頻繁に敵との接触が発生し、「偵察」とは名ばかりで毎回確実に交戦が見込まれているのがこの任務だった。
当然だった。
こっちも向こうを覗き込んでいるが、向こうもこっちを覗いているのだ。
従来行われていた、衛星や高高度偵察機による偵察がほぼ一切使えない現在、機関砲もミサイルも実包を装填した即応態勢の戦闘機による半威力偵察が、敵側の詳細を知る唯一の手段と言って良かった。
ロシア軍がコムソモリスク・ナ・アムーレ郊外に、敵のジャミングを出力で打ち破るタイプの超大パワーのレーダーサイトを複数建造しているのは知っていた。
そのレーダー群が完成すれば、索敵状況が大幅に改善されるという話だった。
しかしその一方で、日本軍内部で確からしい情報として聞こえてきた話は、例えその巨大レーダー群が完成したとしても、「そこに敵がいる」という事は判ったとしても、何がどれだけいるのか正確なところは相変わらず判らない、という噂だった。
どちらも話半分として聞いておくとしても、従来の様に数千kmも彼方から敵の詳細な情報をリアルタイムで取得できる様な状態に改善される事は無さそうだった。
つまり、今の半威力偵察は今後も続き、さらに新たに巨大レーダーサイト群を防衛するという新たな心配事が増える訳だった。
彼等としてはその新たなレーダーが、増える仕事に見合った分の性能を発揮してくれる事を祈る以外に出来る事は無かった。
「何でも良いんだよ。何か喋っている方が落ち着く。お前はいつも肩の力が抜けてていいな。」
「俺は最強っすよ。なんたって勝利の女神が付いてるっすから。今朝も彼女お手製のピロシキとホットドッグ食って、御利益全開っす。」
「マリーナちゃんだっけ? ライバル多いな。201飛行隊の小野も熱を上げてるらしいぞ。」
「あんなイガグリ坊主には負けねえっすよ。この戦争が終わったら、なんて言わずに明日にでも告白するっす。マリーナちゃんは俺のもんだ。」
「・・・今のフラグじゃないですか?」
「・・・そうかも知れんな。」
日本軍の兵士の間では、妙な験担ぎが流行っていた。
特定の種類の言葉を口にすると次の戦闘で確実に死ぬ、或いは思いも寄らない所で敵に遭遇する、など。
もちろんそれはただのジョークの一つであり、いつ命を落とすか判らない最前線で、毎日死と隣り合わせの緊張感に精神を削られていく彼等のささやかな息抜きであり、じゃれ合いでもあったのだが。
その時、実田のレシーバに長く鋭い電子音が響いた。
「・・・踏んだな、お前。」
「踏みましたね。確実に。」
「えーマジすか!? イヤ、俺は生き延びるっすよ。勝利の女神が付いてるっす。」
「長谷川、もう黙っとけ。それ以上踏むな。IFFネガティブ。コードE。エコー。ターゲットマージ。敵を光学で探知。距離22、方位28、ベクター08、速度M2.1、高度18。アーマメントモードレッド。」
「マーレ05、コピー。アーマメントモードレッド。」
「06、コピー。」
「ターゲットはベクター12に転針。来るぞ。エンゲージ。」
「05、コピー。」
「06。」
緑の大海の上、三機の濃紺に塗られた翼が陽光を反射して淡い青色の空にキラリと輝いた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
お休み中は逆に執筆の時間が取れません。はふー。