24. 考察による理解
■ 6.24.1
ハバロフスキー・アエロポルトに北側から進入する場合、針路を23(西南西)に採り、アムール川に沿って南下する。
戦いが終わった後の少し弛緩した雰囲気の中、ゆっくりとアプローチに入る約30km手前でちょうどアムール川の上空を斜めに横切る。
前方にハバロフスクの街並みを眺めながら、HMDに表示されるグライドスロープバーにピッチラダーの0度を合わせ、のんびりと降下していけば、後は放っておいても滑走路の上にたどり着く。
横風が吹いていたり、冬場は滑走路が凍結していたりもするが、そんなのは些細なことだ。
シベリアの冬を経験した達也にはそう思える。
なにせ、この基地に到着した初日から、基地のパイロット達でさえ飛ぶのを嫌がるような吹雪の中、視界ゼロで強烈な横風を食らいながら着陸したのだ。
あれに比べれば、ただの横風や路面の凍結など、問題の内には入らない。
その初日にはこの基地が電波のビーコンを出しており、基地の管制が通信をしてくることに驚かされたものだが、今なら分かる。
電波を発する危険を冒してでもそうやって着陸機の補助をしなければ、ちょっとした吹雪で全ての着陸機が墜落してしまうだろう。
もっともハバロフスク基地が電波を出しているのは、ファラゾアが攻めてきた当初からずっと電波を出し続けており、基地の場所など敵にとうにバレている今更電波を止めても意味が無い、という理由もあるのだが。
どうせもう基地の場所は全部バレているのだから、少しでも安全に着陸機を下ろすためなら電波を使うのを躊躇う必要は無いだろう、というロシア人らしい少々大雑把な判断ではある。
しかしその判断にこの地方で戦っている兵士達は皆何度となく助けられている。
その為、兵士達は―――少なくとも戦闘のため実際に前線に赴くパイロット達は―――誰一人としてその大雑把な電波の管理状態に文句を付ける事は無かった。
戦いでボロボロになり疲れ果てて帰ってきた時、自分の家の玄関が分からずに家の前で野垂れ死に、等と云った結末は誰も望んでは居ないのだ。
「デーテルA2、KHVコントロール。滑走路23Lを使用しろ。23Rはウードットが離陸に使用中だ。ぶつけるなよ。」
基地へのアプローチコースに入ると、ハバロフスク航空基地の管制が利用する滑走路を通達してくる。
ハバロフスク空港には二本の滑走路があり、方位05(北東)から方位23(南西)に向けて二本の滑走路が平行に走っている。
ここ数ヶ月の爆発的とも言える配備機数の増加に伴い、市街地を避けて方位33(北北西)から方位14(南南東)向きの第三滑走路を増設すべきという話も持ち上がっているが、タタール海峡岸に急遽建造中の大規模軍港を併設したネリマ空軍基地に資材のみならず建造のための人工や輸送力といったパワーを大きく奪われているため、その拡張案は今のところ実現しそうにはない。
「KHVコントロール、こちらデーテルA2。ランウェイ23L諒解。ウードットにはグッドラックと伝えてくれ。」
前方眼下にハバロフスクの市街地が徐々に大きくなり、同時にその市街地の手前の端に張り付くようにして存在するハバロフスキー・アエロポルトが目立ち始める。
その頃には、滑走路灯や滑走路端から伸びる進入灯のギラつく明かりが目立ち始め、進入経路指示灯の赤い光がはっきりと見えるようになる。
横風で流される機体を修正しつつ、HMDに表示されるグライドスロープ線と進入経路指示灯の誘導に従いゆっくりと高度を落とし、着陸帯に進入したことを確認してジェットエンジンのパワーを落とし、ふわりと着陸する。
主脚が接地した衝撃を感じたところでさらに少しエンジンを絞り、浮力の減衰に任せて機首を下げ、そして前脚が接地する。
急激なブレーキを掛けずそのまま惰性でしばらく走行し、ウードット隊が離陸しているB滑走路を管制の誘導に従って横切り、エプロンに進入する。
元々民間の大型機が多数駐機し、行き交うことを想定して作られたエプロンは非常に広く、数部隊が駐機していても問題無く余裕を持って走行することが出来る。
地上の誘導に従い3345TFSに割り当てられているハンガー前まで移動したところで、駐機スポットに機体を停め、車輪にロックを掛ける。
ジェットエンジンの回転数をゼロにし、反応炉がアイドリング出力に戻ったことを確認して機体を降りる。
達也は隣の駐機スポットに駐まった機体から降りてきたカチェーシャを誘い、二人で優香里の機体に近付いた。
「ユカリ、さっきの続きだ。ちょっとデモンストレーションをしてくれないか?」
「デモンストレーション?」
達也は優香里にそのままシートに座っているように言い、近くにいた整備兵に声を掛けるとラダーをもう一つ持ってこさせた。
追加のラダーを優香里が座るコクピットの右側に掛けて登る。カチェーシャは左側のラダーによじ登っている。
優香里に機体のリアクタを停めさせ、フルサイレントの状態になったところで、優香里に操縦の操作をさせる。
「いつも通り操作してくれ。今お前は俺の後ろ三番機の位置に付いている。俺が目の前で加速して右バレルロールを始めた。追従する操作をしてみてくれないか?」
達也の求めに応じて、優香里が想像上の達也の機体を追いかける。
スロットルを開け、操縦桿を僅かに引いた後右に倒すと同時に左ラダーを踏み込む。
実際は圧力感応式の操縦桿が動くことはない。
しかしどのように力を加えられているかは、見れば分かる。
「ロールの頂点で俺が急に水平右旋回をし、その後MAXリヒートで急上昇を始めた。」
優香里は操縦桿を中央に戻した次の瞬間、スロットルを最大に押し込み、同時に操縦桿を手前に引いた。
しばらくその状態を保った後、優香里は操縦桿を左に倒したあと元の位置に戻し、間髪を入れず再び手前に引いた。
その後何通りかの操作を優香里に指示し、達也は優香里の機体の燃料消費量が少ないことに関する確証を得た。
「カチェーシャ、分かったか?」
「分かったわ。ユカリのスロットル操作は、私のよりもワンテンポずれて遅い。開け方もほんの少しだけゆっくりね。」
「え。だって、強引にスロットル開けてもエンジンの回転、完全には付いてこないでしょ? 回転数が上がる速度と合わせてスロットル開けた方が、効率も良いし、急に回転数を落とす事になってもオーバーシュートしないし、回転の落ちもすぐ付いて来るし。」
「成る程。それは日本空軍でそう教えているのか? それともお前独自で?」
「独自も何も。アンタの後ろに付くようになってから変えたのよ。やたら小刻みにスロットル開度変えるから、ガバガバ開けてたら微調整が多くなって面倒くさいのよ。突っ込みそうになるし。必要なだけ開けて、必要な分だけ落とす方が、多少機体の間隔が開くことになっても結果的に楽よ。」
要するに、自分やカチェーシャのスロットル操作に比べて、優香里の操作は繊細かつ効率的なのだということに達也は気付いた。
「ちょっと目から鱗だ。とにかくスロットル押し込んで、少しでも早く回転を上げる事しか考えていなかった。さっきの操作タイミングでちゃんと付いて来れるのだから、俺は無駄に開け過ぎてるって事になる。それの積み重ねが大きな差になってるのだろう。良い勉強になった。」
笑いながら右の拳を突き出す達也に、優香里は曖昧な笑いを浮かべて戸惑いつつ、自分の右の拳をぶつけてきた。
「疲れてるところ済まなかったな。解散だ。また明日な。」
そう言って達也は優香里の機体にかけられたラダーから飛び降りようとした。
「明日? 明日は非番よ?」
カチェーシャの言葉に、達也はラダーの上で固まる。
「・・・そうだったか?」
完全に忘れていた。
正確には、掲示板に張り出されたローテーション表の、自分達が出撃する時間帯は確実にチェックしていたが、いつが休みの日かという情報が完全に頭から抜け落ちていた。
いつでもロストホライズンを起こせるだけの大部隊が継続的に駐留するノーラ降下点を抑え込むため、周辺地域に存在するあらん限りの戦力をかき集め、そして出撃すれば毎日複数回の戦闘が確実に発生している、いわば今現在地球上で最もホットな激戦区であるこの極東地域においても、パイロット達には定期的に非番の日が与えられていた。
むしろそのような激戦区であるが故に、精神的肉体的な消耗が激しい兵士達のコンディションを少しでも整えるため、ローテーションを調整して兵士達が確実に休日を取れるように配慮されていた。
週休二日などと云う贅沢な休みは望むべくもなかったが、それでも平均して全ての兵士が十日に一日は確実に休みが取れるように管理部門は細心の注意を払ってローテーションを組んでいるのだった。
普通、ローテーション表が張り出されると、兵士達は三々五々に表を見るために掲示板の前に訪れ、出撃時間を確認すると共に次の休みの日がいつになるのかという情報も併せて確認する。
小隊や飛行隊全員でやってきて、キツい早朝の出撃が割り当てられたことの不運を呪い、それを他の兵士にいじり回されたり、次の非番の前日の夜に共に街に飲みに行く約束をしたりと、わいわいガヤガヤと賑やかにローテーション表を確認する様子は、戦いに明け暮れる日々の中における一種の息抜きであると言っても良かった。
皆、自分の命に直接関わる出撃のスケジュールと、僅かな息抜きと楽しみである休みの日は確実に頭の中に入っている、或いは毎日のように何度も確認するので、非番の日を忘れてしまうなど常識的にあり得ない事だった。
「アンタねえ・・・休みも取らせず私達をこき使う気だったの?」
カチェーシャが呆れた様な笑いを浮かべて達也を見た。
コクピットの中で優香里も苦笑いを浮かべながら、ハーネスを外している。
「済まない。そんなつもりはなかった。俺の確認不足だ。明日は非番だな。では明後日。」
そう言って達也は、ローテーション表を確認に行くためにラダーから降りようとした。
「待ちなさいよ。今日晩、飲みに行くわよ。明日出撃のつもりだったのなら、予定なんて入ってないでしょ?」
「は?」
突然思いも付かないことを言い始めたカチェーシャの顔を、眉根を寄せて達也は見た。
先ほどの苦笑いは消え、少し不機嫌そうな顔をしたカチェーシャが、見下ろすようにして自分を見ている視線とぶつかった。
「もともとユカリと街に出るつもりだったのよ。アンタも付き合いなさい。その調子じゃ、アンタ明日一日中ハンガーに詰めてそうだし。偶には戦いから離れないとダメよ。」
明日が非番であると云うことを知らなかった達也に、もちろん予定などあろう筈がなかった。
そうなればカチェーシャが言うように、一日中ハンガーで機体チェックに付き合っているか、或いはパイロット詰所か資料室でずっと資料あさりに耽るかして持て余した時間を潰すであろう事は、達也自身想像に難くなかった。
しかしそれで問題はなかった。
非番の日に行われる、毎日の機体整備よりもより多くのチェック項目を確認する第二種整備に付き合うことは、自分の機体の状態を把握するために必要で、その結果戦いの中で思いがけないトラブルに見舞われたりすることを防ぐ。
過去の戦術戦闘資料に目を通すことは、敵を知り、そして自分の戦闘技術を向上することに繋がる。
いずれも生き延びるために重要な事であり、手間を惜しまず可能な限り自ら実施すべき事だった。
当たり前のことだった。
達也にとってそれは、生き延びるため、そして敵を墜とすため、必要且つ重要な事柄だった。
たとえ非番の日を潰して丸々そのような時間に充てようとも、それを苦と思うことはなかった。
「アンタねえ・・・超エースなのは良いけれど、時々息抜いてないと、ホンキで壊れるわよ?」
カチェーシャは不機嫌そうな表情でそう言い放った。
最前線で心を病んでしまう兵士は多い。
いつ終わるとも知れない戦いの中、毎日の出撃による肉体的な疲労で身体を消耗し、自分の機体よりも遙かに性能の良い敵の戦闘機に突然狙撃され撃ち落とされる恐怖、自分達よりも遙かに数の多い敵から追い立てられて、心臓を握り潰されるような死の恐怖の連続。
そのような戦いが毎日毎日延々と繰り返される事による肉体的精神的な疲労は重く蓄積していき、しかし兵士でいる限りそこから解放されることは無い。
とりわけ戦いの中に身を投じたばかりの若年の新兵達は、その心休まる時なく続く死への恐怖に精神を蝕まれ、心を壊し、やがて発狂する。
幾多の戦いを生き抜き、死の恐怖と折り合いを付けたはずのヴェテランの兵士は、その長く続いた戦いの中で自分を見失い、人の心を失っていく。
特に、恋人や家族といった大切な者達を失った経験を持つ兵士は、その仇を討とうとして闘いに過剰にのめり込み、心に負った深い傷を知らず知らずのうちに自らさらに広げてしまい、そして自らそこに嵌まり込む。
いつしか偏執的に敵を墜とすことだけしか考えられず、他に何も見えなくなり、戦い敵を墜とすことだけにしか生きる意味を見出せなくなって、仕舞には壊れてしまった心さえも手放してしまう。
「それ」はもう人とは呼べない様なモノに変質しており、二度と人の心を取り戻すことは能わず、他者とまともな意思疎通をすることさえ難しく、命尽きる時までただ敵を破壊することのみしか考えられない歪な存在となって、敵に墜とされ死を迎える時にやっとその異常な存在であることをやめる事が出来る。
カチェーシャは、一見強靱な精神で闘いの中を生き抜いているかの様に見える達也の心のあり方が、そのような危うさを孕んでいることを無意識に敏感に嗅ぎ取っており、その「匂い」に嫌悪感を示していた。
「そう・・・だな。」
達也はそんなカチェーシャの眼を真っ直ぐに見ながら同意した。
しかし自分自身分かっていた。
多分、とっくの昔にどこか狂ってしまっている。
心が耐えられないほどに、次々と近しい者の死に触れ、その悲惨な死を沢山直接見てしまった。
明らかに精神に異常を来し、しかし共に暮らしていた女の死でさらに心を傷つけることによって、その異常を無理に捻じ曲げて再び戦えるようになった。
一見叩かれ鍛えられて獲得した強靱な精神に見えるが、実はその内部は歪みひずみねじ曲がって、いつ破断するのか自分でさえ分からない。
敵を破壊し続けることでどうにか安定を保っている心は、しがみ付いている存在意義か、永遠に到達できない遙かな目的の、どちらかを失うことで多分再び簡単に壊れてしまうだろう。
狂いたくなければ、敵を破壊するしかない。
死にたくなければ、敵を墜とすしかない。
達也は、まだ狂うつもりも、死ぬつもりもなかった。
だから、まだ足りない。
とりあえず、彼女が言うとおり心と体を休めるのは悪くない。
さらに効率良く敵を切り裂くため。
達也は彼女からの提案を受け入れた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
・・・ちょっと陰鬱としすぎましたかねえ・・・