17. 安全機構
■ 6.17.1
ストラスブール市内を流れる国境の大河、ライン河畔に建つ「ライン河川航空運送」(Transport fluvial et aerien sur le Rhin)と看板の掲げられた、大型ではあるが少し古びたどこにでもある目立たない倉庫の中、外見からは想像が付かないほど機能的に作られたオフィスの一室で二人の男が話し込んでいる。
一人は、ヘンドリック・ケッセルリング。
今や対ファラゾア戦に於ける全地球的な戦略級のあらゆる活動に関して中心的役割を担う組織となった国際連合の情報機関として、ファラゾアに関するあらゆる情報を収集分析し集積する国連安全保障理事会情報分析センター対ファラゾア情報局、通称「倉庫」の局長である。
もともとドイツ連邦外務省官吏であったヘンドリックは、出世街道の主要ルートの一つであるEU(Euro Union;欧州連合)を命ぜられ、ブリュッセルに設置されているEU本部に勤務している時にファラゾアの来襲を経験することとなった。
元々はただの外務省官吏であり、EUへの出向を終えて数年の内勤を経験した後は、世界何ヶ国かのドイツ大使館での勤務実績を積んで本国の外務省に戻り、あとは中央官僚としての出世街道をひた走るだけの予定、或いは人生設計だった。
それが何の因果か、今や国連職員としてこの国境の街で、地球外から襲来した仇敵に関するありとあらゆる情報を集め分析し、場合によってはごく少数の国連トップのみに知らせ余人の閲覧を厳しく制限するいわゆるトップシークレット情報を一手に引き受ける立場に収まっている。
「倉庫」の活動は多岐にわたり、ファラゾアの母星を特定する為の情報収集から、ファラゾア戦闘機械を分解解析した情報の集積、果てはそれらトップシークレットを狙い物理的電子的に張り巡らされた防御を掻い潜って情報を得んとする不埒者への対処、ファラゾア関連情報を標的あるいは交渉手段とした国際的な諜報活動まで、今や国連安全保障理事会情報分析センター(UN INTCEN)内で最大の組織と化したこの対ファラゾア情報局、すなわち「倉庫」のトップに君臨するのが彼であった。
中には人に言えない、大きな声で言うことの出来ない、或いは少々後ろ暗い活動も配下の組織では行われており、「往時のアメリカ合衆国中央情報局(CIA)の局長は多分いつもこんな胃の痛い思いをしていたのだろうな」などと、仕事の合間にふと気を抜いた瞬間に溜息を吐き、独りオフィスの中で皮肉な笑いを浮かべることもしばしばであった。
もう一人はシルヴァン・ボルテール。
なんだかんだとEU INTCEN時代から、ヘンドリックが一番付き合いが長いのがこの男だった。
上司と部下の関係をもうすでに十年以上続けている。
ラテン系らしいどこか飄々として馴れ馴れしい雰囲気を漂わせている優男だが、実は荒事を担当するのが苦手なヘンドリックに対して、その飄々とした雰囲気に笑顔を纏ったままで、僅かな躊躇いも無く目標を「処分」する事を決定して指示を出す事が出来る男だった。
今の職場から思えばまるでぬるま湯のように穏やかだったEU INTCENに二人とも居た頃には知りもしなかったシルヴァンの一面だが、何の誇張もハッタリも無くヤバすぎて絶対に公表できない情報を、事務所に延々と泊まり込み続けても一向に捌ききることが出来ない量取り扱うこの組織で、各国のエージェントであったり、過激なジャーナリストであったり、或いはもっと過激なテロリスト達からそれらの情報を隠し通すために冷徹且つ明確に、そして瞬時に、判断を下す事が出来る男なのだという事を知った。
その場に直面するとどうしても躊躇ってしまう自分に較べて、必要と要求を満たすだけの能力を持つシルヴァンは、そんな自分がこの仕事を続けていく上で絶対に手放せない部下なのだ、とヘンドリックはそのどこか軽薄そうにも見える男に重く信頼を置いていた。
「量子CEPU(Central Electronic Processing Unit)の解析結果って、何か受け取ってたか?」
重厚なデスクの前に置かれた応接セットに座り、ローテーブルの上で乱雑に広げられた大量の紙資料に次々と眼を通しながらシルヴァンが言う。
CEPUとは、ファラゾア戦闘機械に搭載されている演算ユニット(Processing Unit)であり、地球人類の航空機で云えば統合機体管制システムに相当する。
CEPUはいわゆる量子コンピュータの類であると推測されていたが、データのインプット/アウトプットはおろか、そもそもどの様に動作させるのかさえ皆目見当が付かない代物だった。
2036年にコペンハーゲンで行われたG7+2首脳会議にて、ファラゾアが持つオーバーテクノロジーの解析に関する取り決めが行われ、その中で量子演算回路技術については中国が分担することとなっていた。
そのいわゆる「コペンハーゲン合意(Copenhagen Agreement)」が成立した後、各国でオーバーテクノロジーの解析が一斉にスタートしたのであるが、量子演算回路技術を担当する中国からはまともな報告書が提出されたことが一度も無かった。
そもそもどうやって動作させれば良いのかさえ皆目見当の付かない量子演算回路を解析する事が極めて困難であり、解析に非常に手こずっていると報告された。
多くの部分でそれは確かに事実ではあったが、EU連合が国連を私物化し操っていると糾弾して、未だ一切自国領内への他国軍受入れを認めていない中国と、全世界的な協力態勢に対して非協力的な中国の態度を強く非難する国連、或いはEU連合との間の政治的な駆け引きによる影響が大きいこともまた確かであった。
「いや。俺の知る限りでは、まともな報告書を受け取ったことは一度も無いな。」
「俺が知ってるのはほら、『お前等ホントにこっちを騙そうって気あんのか?』と逆に訊いてやりたくなるほどに酷い内容だったアレ位しか無いんだけど。」
「それで合っている。俺が見たのもその一通きりだ。」
ヘンドリックは思考の半分でシルヴァンとの会話に相槌を打ちながら、残りの半分でテーブルの上に積み上げられている書類の中から目的のものを探している。
一昔前なら、データベースを検索すれば目的の情報に瞬時に到達したものだが、電子的ネットワークが一切信用できなくなった今の世の中で、情報収集活動や諜報活動に電子的媒体を利用する危険を冒すわけにはいかなかった。
で、このテーブルの上の書類の山となるわけだが。
「調べじゃ、ホントに殆ど成果が上がってないらしいんだが、それならそれで、そう報告すりゃ良かろうにな。どうせお互いばれてるのを知ってるってのに、あんな茶番を打つ連中の気が知れねえよ。バカじゃねえの? 様式美、ってやつか? イラつくんだけど。」
「連中のいつものやり方だろう? とにかく自分達が被害者であると主張する事から始める、それこそ様式美だ。」
「それで今時同情票が集まるとか思ってんのかねえ? 頭の中が兵馬俑だな・・・と、あったぜ、ヘンドリック。こいつだ。やっと見つかったよお。じゃ、俺はこれで。」
「待て。そう慌てるな。コーヒーの一杯でも飲んでいけ。その間にざっと読む。」
「えー。俺もそんなに知ってる訳じゃ無いぜ? 質問されても、答えられることは少ないと思うけどな。」
そう言いながらシルヴァンは、壁際に置かれたポットに近付き、伏せて置いてあるコーヒーカップを二つ取り上げて、コーヒーを注いだ。
湯気を立てて注がれるコーヒーから、室内に香ばしい香りが広がる。
シルヴァンはソファに歩いて戻ると、右手のカップをヘンドリックの前に置き、ソファに身体を預けて左手に持っていたカップからコーヒーを啜った。
ヘンドリックは、眼の前に置かれたコーヒーには目もくれず、やっと見つけ出した報告書に目を走らせることに没頭している。
その報告書は、ファラゾア機の中に存在するもう一つの「演算回路」である、中央生体演算ユニット(Central Living Processing Unit)を生かしておくための機構について取り纏めたものであった。
中央生体演算ユニット、即ち生体の脳は、当然ながら呼吸し、そして養分を必要とする。
生体脳が思考した「演算結果」を出力する為のインターフェイスと共に、生体脳を生かしておくための機構もまた、CLPU附随の重要な機能である。
その基本的な構造は、これまで調査された全てのファラゾア機で共通しており、生体脳が必要とする養分をごく簡単な構造のカプセルパッケージで外部から供給する様になっていた。
生体脳は養分を消費していくため、その養分カプセルは定期的に補給する必要がある。
要するに、その養分カプセルがファラゾア機に搭載された生体脳の食事である。
ヘンドリック達が探していたその報告書は、養分カプセルの供給、リアクタ燃料の供給という、ファラゾア機が活動するために絶対的に必要である二種の「燃料」の補給を握ることで、強制的に徴用している他星の従族種族が反乱を起こすことを抑えている、と結論づけていた。
実際の所は、ファラゾア機に搭載されている生体脳の推定機能に関する別の報告書で報告されているが、脳機能の一部切除によってファラゾア機内の生体脳は自由意志の殆どを奪われているものと推測されていた。
ただ、人間の脳とは―――ファラゾア人とその従僕達の脳が地球人類のそれとほぼ同機能として、だが―――意外に強かで柔軟性があり、一部機能を切除したとしても何かの拍子に新たな「回路」を作り上げて失った機能を取り戻す事がある。
先の報告書で挙げられた、水と養分を用いた安全機構は、その様にしてごく稀に自由意志を取り戻す事がある従僕達が主人であるファラゾアに反逆したとしても、その反乱を速やかに鎮圧するためにひと役かっているものと推察された。
要するに、万が一奴隷達による反乱の炎がファラゾア軍内部に広がってしまったとしても、燃料と食事を与えなければ、器用な手足を持っているわけでは無いファラゾア戦闘機群は自分達で養分を手に入れることも出来ず、やがて燃料切れか或いは養分切れによる生体脳の衰弱で行動不能となってしまう訳だった。
それはほぼ完璧な反乱鎮圧のシステムであった。
即ちそれは、地球人類はどれ程苦しくとも、敵が絶対的に有利であっても、何がどうあっても絶対に今ファラゾアと戦い自由と生存権を勝ち取らなければならず、「いつかそのうちの未来に自由を取り戻す」などという悠長なことは言っていられない、という事実を人類に突き付けているのだった。
「ああ、ここだ。一カプセル当たりの推定養分量が載っているんだが、お前、人類の脳が単位時間当たりにどれ位の養分を消費するか知っているか?」
「俺は医者や生物学者じゃないぜ? 知るわけないだろ、そんな事。」
「・・・そうだな。突き合わせて調べされなければならんか。じゃ、こっちだ・・・」
昨日に続いて今日も、二人がこの少し古びた倉庫を出て帰宅するところを見かけた者はいなかった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
遅くなりました済みません。リアルの方が色々酷いことになってしまって。言い訳ですが。
本当はもう一つの話と一緒にするつもりだったのですが、そうするとやたら長くなってしまうのと、いい加減投稿が遅れているという事もあり、少し短いですがこれで一話切ることとしました。