14. 曇天
■ 6.14.1
空軍基地の朝というものは、どこの基地に居てもあまり変わり映えのしないものだった。
朝起きて、身支度を調え、朝食を摂る。
朝からジムでひと汗流す者も居るが、達也にその様な習慣は無い。
どうせすぐに出撃して、交戦がある場合には体力を限界まで搾り取られることになる。
逆に朝から体力を消費していると、体力が万全でない状態でドッグファイトに突入せねばならない様な気がして不安になる。
数日に一度空に上がれば良いだけの余裕のあるスケジュールならばともかく、ほぼ毎日いつ戦闘が発生するとも知れない武装偵察を繰り返す今の日常では、朝からランニングやジムでのトレーニングを行おうという気にはとてもなれない。
例え体力的にはハードでも、墜とされる心配のない訓練兵がやることだ、と達也は思っている。
食堂は、かなり早朝、というよりも特に夏場はまだ深夜と言った方が良いような時間から開いている。
大きな作戦が行われる場合は、払暁と共に戦闘領域に突入する事も少なくない。
その為には夜明け前から出撃する必要があり、そしてその為にはまだ深夜と言って良い時間から格納庫入りして出撃準備を行う必要がある。
一度格納庫に入ってしまえば、出撃準備をしてそのまま出撃するのが普通なので、出撃前に食事をしたければさらにそれより前の時間に食事を摂ることとなり、当然それは真夜中の時間帯となる。
もっとも今日達也達にスケジュールされた離陸時間は、いわゆる遅番と言われる時間帯、昼過ぎに離陸した後に3345TFSに割り当てられたRARルートを巡廻し、夕刻日没後に基地に戻ってくるというものだった。
昨日見事全員が、予備機への乗り換えが決まってしまった達也達3345A2小隊の為の三機の蒼雷は、申し訳のないことに整備兵達がほぼ徹夜で整備して飛行可能な状態にするとのことだったが、流石に時間が足りず、朝イチでの離陸には到底間に合わせることは出来ないとの事だった。
問題がなければ流石に昼前には整備が終わるとの事だったので、それに合わせて達也達の出発予定が昼過ぎの離陸へとスケジュール変更された、という訳だった。
朝七時、やっと明るくなり始めた外に出て、夜の間に降り積もった雪を蹴散らしながら旧国内線ターミナルに向かう。
パンと山盛りの煮豆のスープで無理矢理腹を満たし、手早く食事を済ませた達也はターミナルビルを出て、歩いて格納庫に向かう。
格納庫内の環境―――主に気温であるが―――を快適に保つため、冬場には戦闘機や資材の出入りが無い時は格納庫の大扉は常に閉じられている。
その閉じられた大扉の脇に設けられた人間用のドアを開け、達也は格納庫の中に入った。
格納庫の中は外に較べれば大分暖かく、作業をしている整備兵の中には半袖のTシャツで歩き回っている者も居るほどだ。
格納庫の中に本来十五機駐機しているはずの3345TFSの機体は、現在の所九機しか居ない。六機は既にRARに出撃したのだろう。
整備兵達が忙しく走り回る格納庫の中を、達也は十番の駐機スポットに向けて歩く。
飛行隊の中での達也の機体番号は04番だが、RARには小隊毎で出撃するため、A2小隊が割り当てられている十番から十二番の駐機スポットに、十番が達也、十一番がカチェーシャ、十二番が優香里の機体に対して割り振られているのだった。
そして十番の駐機スポットの前に来た達也は、そこに駐まっている真新しい機体の前に立った。
そこには国連空軍機色である黒に近いダークグレー一色に塗られた、特徴的なシルエットの機体が羽を休めていた。
高島重工業製A2T2-E5、日本国内での正式名称と愛称をF9蒼雷と名付けられた、最新鋭機。
機体中央にある反応炉の格納部分を無理なくデザインの一部とするため、機体中央よりも少し後ろ側の部分が高くなっており、全体的に少し背中を丸めた様な印象を受ける。
その姿はまるで敏捷な肉食獣が今から獲物に飛びかからんと身構えているようにも見え、その獰猛そうな外見は力強く頼りになりそうで、今日からこの機体を相棒として命を預けることとなる達也は、機体から少し離れた所から全体を見回すと満足そうに息を吐いた。
その機体は鋭く伸びたノーズから後部のジェットノズルまでが流れるような美しいデザインにまとめられており、クリップドダブルデルタ前進翼とでも言うべき特徴的な主翼形状は、翼過重を軽減し、最近の新鋭機の流行とでも言うべき前進翼がいかにも高い機動力を持つであろう事を主張している。
操縦席の少し後ろの位置から下方に向けて突き出すカナード翼もまた前進翼形状を持っており、これも高い機動力を持つであろう事を想像させると同時に、機体全体に鋭利な刃物のような印象を与える事に一役買っている。
水平尾翼は三角形に近い比較的単純な形状をしているが、エレベータとしての通常の回転だけで無く、根元から角度を変える事が出来、機体管制システムのAIと共に働くことでたとえ垂直尾翼が二枚とも脱落しても、水平尾翼の迎え角を変えて機体安定性を維持することが出来ると言うことを達也はすでに知っている。
その垂直尾翼はと言えば、これもまた前進翼形状を持つ上に水平尾翼同様に根元から回転し、また角度も変えることが出来るため、高い機動性を与えると同時に、四枚ある尾翼のどれか二枚が残ってさえいれば安定した飛行が可能という呆れるような性能を持つ。
機体後部に大きく開いた二基のジェットノズルは大型の推力変更パドルをそれぞれ三枚ずつ持ち、一対のカナード翼と極めて自由度の高い動きをする四枚の尾翼との組み合わせで、従来の航空機とは一線を画した、空力航空機とはとても思えないような機動を可能としている。
左右インテイクのすぐ外側には一対の180mmレーザー砲を備えており、航法システム、索敵システムを含めた機体管制システムと連動する射撃管制システムによって制御されるそのレーザー砲は、上下に5度、左右に2度砲身を動かすことが出来、少々軸線から外れた位置の敵機であっても照準を合わせることが可能であり、また逆に一度狙った敵が回避行動を取ろうとも射線がそれを追尾して長時間レーザーを浴びせ確実に撃破することを可能としている。
また、重力関連技術開発の本家本元である日本において産まれた機体である特徴も備えており、耐ファラゾア戦において索敵の要となるGDD(Gravitational wave Displacement Detector)はAWACSに搭載されるものと同程度の精度を誇り、200km先のファラゾア機の存在を探知し、100km先のファラゾア機を個体識別できる。
「全くよお、ただでさえクソ忙しいところにさらに仕事増やしてくれやがってよお。一晩で三機ハンガーアウトさせろとか、ふざけんなよオメエ。」
新たに自分の愛機となった機体を眺めている達也に脇から乱暴な声がかかった。
声に釣られて見やれば、昨日達也のワイヴァーンに使用不可の引導を渡した整備班長のセルゲイが、胴体下の狭い空間からのっそりと這い出し身を起こすところだった。
「少佐に泣きついて予備機を手に入れて、早めに慣れておけとアドバイスしてくれたのはアンタだ。」
「オメエのためを思って言ってやったんだ。まさか三機も立ち上げろなんてえ、恩を仇で返してくるたあ思わなかったぜ。クソッタレめ。」
「悪いな。お言葉に甘えさせてもらったまでだ。」
「ケッ。悪いと思ってんなら、徹夜で作業した俺たちのために差し入れの一つでも持ってこいってんだ、チクショーめ。」
「ふむ。済まない、それは気付かなかった。朝飯まだ食ってなかったのか。」
「バカヤロウ。徹夜で頑張ってる整備兵に差し入れするモンと言やあウォッカに決まってんだろうが。何惚けてやがる。」
「オーケイ。次に無理を頼むときには、人数分腹一杯の朝飯に健康的にミルクを付けて持ってきてやる。覚えとくよ。」
ちなみに国連軍では、公式なパーティなどの特別な事情がある場合を除き、基地内での飲酒を禁じている。もちろん、任務中作業中の飲酒も禁止されている。
国連軍には様々な人種民族がおり、酒を飲めない者、酒の存在自体が許せない者、酒が入ると大概暴れ出す者など、酒に対するスタンスが異なる者達が入り交じって働いているという色々面倒な事情があるのだ。
もっともそんな事は関係無く、クマが人間の規則をどこまで理解できているかという点については何もかもが不明だが。
「ケッ。ミルクなんぞ飲んで力なんか出ねえよ。俺達ロシア人はな、血の代わりにウォッカが流れていて、食事の代わりにウォッカを嗜んで、風呂に入る代わりにウォッカを飲んでから寝るんだ。覚えとけ。ところで、初めて乗る機体の確認に来たんだろ。上がれや。」
そう言ってセルゲイは顎をしゃくってコクピットを示した。
達也は頷き、取り付けられたラダーを登り、コクピットの中に収まった。
跡を追ってセルゲイがラダーを登ってきて、コクピットの中に半身を乗りだして説明を始める。
達也はシステム起動スイッチを入れ、HMDヘルメットを被った。
「前にセイフーに乗ってたんなら、基本的なところの説明は要らねえな。HUDもHMDも基本的なところは引き継いでる。チョコチョコ表示位置が変わったりしてるが、見りゃ分かるだろ。
「HMDの正面に表示される縦長の長方形は、レーザー砲の可動レンジだ。5000m先で合わせてあるが、10km先でもちょっと広くなるくらいでそれ程変わらねえ。逆に500m以下だと表示より随分狭くなるから気をつけろ。
「HUDのこのボタンは、左右のレーザーを別々に動かすモードに切り替えられる。『FIX』で正面固定、つまり追尾機能無しだな、『SINGLE』で左右連動、『MULTI』で独立してターゲットする。左右独立させると処理量が倍んなって、システム負荷が増えて処理が重くなる。咄嗟の反応が鈍くなるし、そもそも出力が半減する。クイッカーで一秒近くぶち当てねえと撃破できねえ。あまりお勧めできるモードじゃねえな。使い方次第だろうけどナ。」
その後もセルゲイからシステムと機体の変更点について教わる。
昼が近づいて来て、夜明け前に飛び立っていったL1小隊が帰還してきた。
高崎少佐率いるL1小隊の三機は一機も欠けることなく、また三機とも目立った傷もないようだった。
やがて昼飯時が近づいて来て、その頃になるとカチェーシャと優香里が格納庫にやってきて、それぞれ機体チェックを始める。
二人とも、乗り慣れたとは言え新しい機体を受け取ったため、早めに格納庫にやってきたようだった。
そして昼時がやってきて、達也達A2小隊の出撃時間が近づいてくる。
パイロット詰所脇のロッカールームで耐Gスーツなどの装備品を身につけた達也達は、再びそれぞれの愛機の前に戻る。
達也は隣の機体に向けて歩き、まだ機体下にいてこちらを見ていたカチェーシャに近寄って、拳と拳を打ち付け合う。
そのままカチェーシャの機体の下をくぐれば、その向こうに優香里の機体が静かに駐まっている。
カチェーシャ同様まだ機体に乗っていなかった優香里は、珍しく自分に向かって近付いてくる達也を見ていた。
昨日ちょっとした醜態をさらしてから、僅かに気まずい。
しかし達也やそんな事を気にする節もなく優香里の元にやってきては、カチェーシャと交わしたのと同じ様に拳を打ち付け合うことで優香里に挨拶し、そして自分の機体の方に戻って行った。
達也が自分の機体のコクピットに収まる頃には、他の二人はすでにコクピットの中に収まりハーネスを固定し、システムの起動に入っていた。
達也も同様にシステムを再起動し、そしてエンジンを起動する。
出撃前のチェックが終わり、ラダーの上に立っていた整備兵が「Удачи(ウダーチ)」と言って拳を突き出す。
突き出された拳に同様に拳を合わせると、整備兵は真面目な顔になって敬礼をしてラダーを飛び降りた。
キャノピーを閉め、エンジンの回転数を僅かに上げる。
誘導員の指示により格納庫の中をゆっくりと移動していく三機の前で格納庫の大扉が開き、そして三機の蒼雷が今日もまた小雪のちらつく曇り空が広がる外に進み出た。
「聞こえるか。昨日は皆散々な目に遭ったが、生きて帰ってきた。今日も生きて帰るぞ。」
達也はそう言うと、自機をタクシーウェイに向かって進めた。
やがてタキシングを終えた三機は、薄らと雪に覆われた滑走路上を次々と滑るように増速し、急角度で上昇しては灰色の雪雲の中に消えていった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
話数稼ぎをしているつもりは無いのですが、今回は非戦闘話です。
そろそろただの新型機じゃなくて、もっと全体的に新しくなった機体を出さなきゃですね。