13. 優香里
■ 6.13.1
「こいつぁ、もうダメだな。直して直せんこたあないが、時間がかかるぜ? そもそも最新型でまだ届いてない部品も多いんだ。部品が届くのを待ってから修理してたんじゃ、一月以上はかかる。悪いこたあ言わねえ、諦めな。」
達也は縦横ともに熊のようにごつい、いかにもロシア人と云った風采の中年の大男と並んで自分の機体を見上げていた。
大男は、3345TFS整備班の班長だ。セルゲイと名乗った。
吐く息から昨夜痛飲したらしいアルコールが残った匂いがする。
「確かブルーサンダーならまだ予備機があったはずだ。飛行隊長に泣きついて分けてもらいな。触ったことくらいあんだろ?」
「蒼雷は乗ったことが無いな。凄風ならあるが。」
「セイフーに乗ったこと有るなら大丈夫だ。基本的なところは変わらねえよ。あちこち尖ったトコが丸くなって扱い易くなって、全体的に性能二割増しになった、って感じだ。よく似てる、らしい。」
蒼雷はブルーサンダーと言い換えられてしまうのに、なぜ凄風はセイフーのままなのだろう、とどうでも良いことだが達也は妙な疑問を感じた。
「いずれにしても、早めに新しい機体を手に入れて慣れておいた方が良い。近々やるって話のでかい作戦の噂聞いたことあんだろ?」
「でかい作戦? なんだそれ?」
「知らねえのか? ああ、そういやここに来てまだ何日目かだったっけな。俺たちも正式に聞かされたわけじゃねえんだが、なんかほぼ全機出撃に近いでかい作戦やるって話さ。噂んなってるぜ。おかげで機体整備のローテーションが大変でよ。機体大破させてくるバカは居やがるしよ。」
そう言いながら整備班長は達也を横目で見下ろしてくる。
「さて、俺は高崎少佐のところに行ってくるか。」
くるりと後ろを向いたところを、後ろから頭を掴まれる。
セルゲイは達也よりも20cm近く長身だった。
「いいか小僧。機体もらうのは良いが、もう壊すんじゃねえぞ。戦闘機はトイレットペーパーとは違うんだ。一回使ったらポイじゃねえんだぞ。」
頭を掴まれたまま強引に振り返る。
「壊したくて壊してるわけじゃないさ。ドイツからわざわざここまで自分で運んできたんだぞ。」
「ふん。」
軽く睨み合いになるが、セルゲイはそれ以上何も言わなかった。
目の前にある悲惨な状態のワイヴァーンが、なぜそうなったかは聞いてはいるのだろう。
ロシア産の巨大なヒグマのような大男としばらくにらみ合った後、達也は機体を離れて格納庫端にある飛行隊詰め所に入った。
何人かのパイロットが、出撃待ちか或いは帰還後のリラックスか、銘々に椅子に座ってくつろいでいるのが見えた。
達也と視線が合うと、軽く手を上げて挨拶を寄越す。
その挨拶に対して、同様に軽く手を上げながら詰め所を通り抜け、階段を上がって二階の高崎少佐のオフィスのドアをノックした。
「おう、入れ。」
ドアの向こう側から聞こえた返事に従いドアを開けると、部屋の中には少佐と優香里が居て、こちらを振り向いた優香里が達也の姿を認めて大きく目を見開いた。
達也がそのまま部屋の中に進むと突然優香里が飛びつき抱きついてきた。
突然のことで蹈鞴を踏みながらも何とか優香里の体重を受け止めた達也は、何事かと少佐の顔を見る。
「おいおい、お前ら。そういうのは俺の部屋の外でやってくれるか。」
呆れ顔の少佐が達也と、達也の背中に腕を回し、胸に額を付けて何かを唸っている優香里を見ながら微妙に嫌そうな表情で云う。
日本語だった。
しかしその上官の苦言を聞いても優香里は何も言わず、達也から離れようともしなかった。
先ほどの発言から、どうやら優香里がこんなことをする理由について、少佐も心当たりは無い様だった。
「少佐。代わりの機体が欲しい。整備班長のセルゲイと話したが、俺のワイヴァーンはほぼスクラップで、直すとしても相当かかるらしい。蒼雷の予備機があると聞いた。」
張り付いている妙な奴を気にしていても仕方がないので、達也は纏わり付いている優香里を半ば無視してここに来た要件を口にした。
少佐も、達也に纏わり付いて離れない物体は無視することにしたようだ。
「お前な、他に先にすることがあるだろう。」
「水沢中尉、ただいま帰投いたしました。」
そう言って達也は直立不動の姿勢をとり敬礼した。優香里はまだ離れていない。
「おう、ご苦労。で?」
「で?」
「あのな。あれだけの大冒険をやっといて『ただいま』だけで済ませられるか。3877TCSの支援要請を受けたところから順を追って報告しろ。」
「優香里が報告したんじゃないのか?」
そのために彼女はこのオフィスにいたのだと達也は思っていた。どうやら違ったらしい。
「そんな状態になる奴から客観的で正しい報告が受けられると思うか? 口頭報告で済ましてもらえるだけありがたいと思え。」
そう言って少佐は憮然とした表情を浮かべ、未だ達也に抱きついて離れようとしない優香里を指差す。
「・・・成る程。」
先に飯を食ってから来れば良かった、と達也は思った。
■ 6.13.2
「分かった。新型機を僅か数日でスクラップに変えたのは褒められたことじゃないが、救難隊が拾った連中を含めて五人のパイロットの命を救ってくれたことは、俺からも礼を言おう。戦闘機は金さえ出せば手に入るが、経験を積んだパイロットはそんなに簡単には手に入らんからな。蒼雷の予備機の使用についてはすでに受理されている。明日の朝には整備が終わった機体がここに届いているはずだ。行って良いぞ。」
未だ達也に纏わり付いて一言も発していない優香里をそこはかとなく鬱陶しげに眺めながら、達也から口頭報告を受けた少佐は右手で追い払う仕草をして退室を促した。
「聞きたいことがある。」
「なんだ、まだ居たのか。」
続けて質問を発した達也に対して、少佐は白々しい台詞を吐きながら、纏わり付く優香里をやはり鬱陶しそうに見ている。
少佐は優香里の事が好きじゃないのか、この手の女が好きじゃないのか、或いは女そのものが好きじゃないのか、どれだろうか、と達也は少佐の表情を見ながら思った。
「近々大きな作戦があると聞いたんだが。」
「ん? プログラム『スクワリーチニク(Скворечник;巣箱)』の事か?」
「どういう作戦なんだ?」
「何だお前、説明聞いてないのか・・・そうか、お前達が来たのは説明会の次の日だったか。拙いな。いや、お前なら何とかなりそうか。」
「内容を教えてくれ。」
「ああ、もちろんだ、と言っても大枠は大したことじゃない。国連軍を中心に、ロシア航空宇宙軍、日本空軍、台湾空軍の戦力がこの極東地域に充実してきているので、大攻勢を掛けてノーラ降下点の敵を徹底的に叩こう、というのが骨子だ。よくある話だ。副次目標として、敵降下点周辺状況の確認、降下点付近に展開する敵地上施設の映像での確認、降下地点近傍でしか目撃されないとされる敵希少機種の確認、などだ。小作戦毎にブリーフィングが開かれるから、今はこの程度で十分だろう。直近の小作戦は三日後だ。新しい機体に早く慣れろ。」
無茶苦茶な話だった。
明日受けとる予定の初めて乗る機体で、その二日後には小隊を率いて大作戦に参加しろというのだ。
しかし幾らここで無理だと弱音を吐いたとしても何の意味も無い。
こちらが初めての機体に乗っていようが、コンディションが万全で無かろうが、そんな事は戦いの中で何も関係ない。
敵がこちらの事情を慮って攻撃の手を緩めてくれる訳では無い。
出来なければ、死ぬ。
ただそれだけの事だった。
「三日後の作戦のブリーフィングはいつだ?」
「前日、明後日だ。」
「分かった。」
実質一日半。やるしかないだろう、と達也は踵を返して少佐の部屋を後にした。
優香里を纏わり付かせたまま。
少佐の部屋を出て、未だにしがみついている優香里の頭を掴んで強引に引き剥がす。
「なんなんだ、お前は。」
引き剥がされたことで顔を見ることが出来る様になった優香里が、達也の台詞を聞いて頭を押さえている腕の下からキッと睨み上げてきた。
「か・・・」
優香里が顔を真っ赤にして達也を睨み付ける。
「か、勘違いしないでよね! ちょっと立ち眩みしただけなんだからっ!」
そう言って優香里はくるりと回れ右をし、階段を踏みしめながら素晴らしい勢いで下へ降りていった。
本当にこんな台詞を吐く奴が現実に居るとは思わなかった・・・というか、立ち眩みってのは誤魔化しの理由としてどうなんだ? と達也は呆れながらその後ろ姿を見送った。
■ 6.13.3
格納庫を出た達也は除雪された空港内通路を通り、民間空港であった頃に国内線ターミナルとして使われていた建物に向かった。
ターミナルの中でもともとフードコートとして使われていたスペースを、現在そのまま食堂として利用しているのだった。
配膳口で食事を受け取りホールを見回すと、今日も向かい合って座り、共に食事を摂っているカチェーシャと優香里が眼に入った。
もし優香里がまた真っ黒い呪詛をはき続けているようならば素通りしていこうと身構えつつ近付いたが、今日の二人は何やらコソコソと話をしているだけで、特に呪いの言葉などを吐いている訳ではないようだった。
「ここ、良いか?」
安全を確認した後、優香里の後ろから声を掛けて、テーブルの上に料理の乗ったトレイを置き、優香里の隣の椅子を引いた。
カチェーシャは優香里の向かい側に座っている。
「なななな、なんであんたここに居るのよ。」
優香里が何か慌てた風に、すぐ脇の席に座った達也を見てどもった。
「俺もメシくらい食うさ。カチェーシャ、無事に帰って来れたようだな。安心した。機体は大丈夫だったか?」
「お陰様でね。身体に怪我は無いのだけれど、機体は入院したわ。明日の朝、予備機を受け取ってそのまま交換。」
カチェーシャの機体が使用不能で予備機と交換というなら、優香里の機体も間違いなくそうだろう。
達也は、高崎少佐のオフィスに行った時点で自分が使う蒼雷の予備機がすでに手配されていた理由を理解した。
「うちの小隊は全員予備機に交換か。仕方ないとは言え、余りやり過ぎると調達部から嫌みを言われそうだ。」
「え。アンタも交換なの? ブルーサンダー乗ったこと無いんでしょ? ワイヴァーンはどうするの?」
カチェーシャが矢継ぎ早に質問を飛ばしてくる。
「帰ってきてみたら俺のも結構壊れててな。直すのに当分かかるんだと。蒼雷は初めてだが、凄風ならしばらく乗っていた。大丈夫だろ。」
「あ、あたし、部屋に戻るね。」
そう言って優香里が席を立ち、トレイを持って下膳口に向かって歩き去った。
その唐突な行動に違和感を感じて、達也は優香里の背中を見送る。
「あら。悪いことしたかしらね。」
「? 何の話だ?」
「アンタが来て、アタシばっかり話しかけてたからね。ま、自分から動かない方が悪いんだけど。」
「?」
「どうする? 今すぐ追いかけたら、イッパツで落ちるわよ、あの子。しかし、たった一日で変われば変わるものねえ。ふーん。」
カチェーシャがニヤニヤと笑いながら頬杖を突いて達也の顔を見る。
鈍感であることの自覚がある達也でも、流石に彼女が何を言っているか理解した。
「吊り橋効果、だろ。そのうち目が覚めるさ。」
そう言って達也はトレーに装われたカレーと思しきペーストにむしった丸バンを漬けて食べた。
チキンのダールだった。
よく食べていたものとは全然違う味付けなのだが、どことなく懐かしい風味が鼻腔を通り抜けた気がした。
今どうしているだろうか。
「クールねえ。ちょっとくらい照れるのかと思ったけど。」
少しおどけて話すカチェーシャの顔をしばらく見ていた達也は、困ったような、何かを諦めたような表情で視線を外した。
「興味が、持てないんだ。」
「えー勿体ない。あの子結構可愛いのに。・・・まさか男がいいとか?」
「そうじゃない・・・そうだな、ファラゾアどもをこの手で全部ぶっ殺したら、変われるかもな。」
そう言って達也は薄く笑った。
誰もが口にするその台詞が意味するところにカチェーシャは気付いた。
「墜とす」でも「ぶっ壊す」でもなく、達也は「ぶっ殺す」と言った。
カチェーシャは冷めきったような眼で達也を見た。
その達也は、民間空港のフードコートであった事の名残を残す巨大なガラス窓から外を眺めている。
外はまた雪がちらつく夕刻で、北の太陽は既に沈み始めているらしく、どんよりとした雪雲が暗さに拍車を掛けていた。
そこにはカリフォルニアの日差しもなければ、白い砂浜に打ち寄せる波も見えず、椰子の木の代わりに黒く鬱々として雪を被った針葉樹林が滑走路の向こうに寒々しく立っているだけだった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
ちょっと唐突な感じもしましたが、この手のをダラダラ引きずる鈍感主人公や難聴系主人公は書いてて自分がイライラするので、スパッといっちまいます。
ちなみに、コムソリスク・ナ・アムーレにスホーイの工場があるので(或いは日本の高島重工業でも良い)ワイヴァーンの部品を調達することは出来るのですが、ワイヴァーンMk-2は新型過ぎてまだ部品供給体制が整ってません。
良かれと思って最新型のワイヴァーンMk-2を渡した方も、まさか数日でぶっ壊すとは思っていなかったものと思われ。