11. 救出
■ 6.11.1
Su-117ベルカリチヤーガが盛大に雪煙を巻き、隠れ場所であった森の中の広場から針葉樹林の大木を掠める様にして、木立を越えて飛び出した。
戦闘機に比べるとかなり大柄なその機体はしかしその受ける印象を完全に裏切って、機首を下げて機体上面を進行方向に向けた輸送機としては明らかに非常識な姿勢で、まるで軽やかに宙を舞う戦闘ヘリか何かであるかのように白く雪化粧された森の上ギリギリのところを猛烈な速度で突進していく。
斜め後ろに向けられたジェットエンジンからはアフターバーナーの赤い炎を引き、熱く大量のジェット排気が針葉樹林の上に降り積もった銀色の雪を激しく吹き飛ばして、まるで針葉樹林の海の上に航跡を残しているかのように後方に白い煙幕を巻き上げる。
「フィエルヴィエルク、戻れ! 敵に見つかる!」
武装はともかく、機動性や格闘戦能力で戦闘機には大きく劣る輸送機が、まさかこのような暴挙に出るとは思っていなかった達也が信じられないといった口調で叫ぶ。
「悪ぃな、もう飛んじまったわ。さっさと次の奴を迎えに行くぜ。敵さんの面倒は見てやってくれな。」
「馬鹿野郎、手間ぁ増やしやがって。」
罵りながらも達也はあらん限りの速度で救難機に接近し、その上空に飛ぶファラゾアを次々に墜としていく。
いい加減呆れ果てた行動をする自分の上官のさらに上を行く強者の出現に、開いた口が塞がらないと言うかすでに言葉も無い優香里がそれに続く。
達也の後に追従するフォーメーションを採れる様になった優香里は、余裕も出てきたらしく、先ほどまでよりも精度良く敵を墜とす様になっていた。
「大丈夫。すぐに終わる。きっついのは一瞬だけだって。」
「手前ぇが言うか、このクソ馬鹿野郎!」
音速を超える速度でフィエルヴィエルク03の上空に突入してきた達也は、機首を引き起こしながら回転させると、機体は上を向いたまま速度を落とさず横滑りする。
達也達を追い、上空から被せるように迫ってきた敵を三機墜とすと、エンジンを全開にしてそのままの姿勢で上昇する。
上昇しながら空気を掴み、ロールし機首を上げて追撃してくる後続を血祭りに上げる。
「待たせたな、助けに来たぞ! 信号弾でも何でも良い、目印になるものを上げろ!」
相変わらず木立の上すれすれのところをヘリコプターの様な姿勢で突進するSu-117が外部スピーカーで地上のパイロットに呼びかける。
異常な姿勢で飛んでいる割には針路を左右に小刻みに振って敵の狙いを外しているのは、進行方向を変えるためにエルロンやラダーでは無く、エンジンの回転数や噴射の向きを調整するという異常に高度な操縦を行っている結果の様だった。
その操縦の難易度が人間離れしたものであることは、四発ジェットの垂直離着陸輸送機を操縦した経験の無い達也でも容易に想像できた。
その様子を横目で睨み付けながら、確かにバカをやるだけのそれなりの腕は持っているのかと達也は頭の一部で納得しつつ、しかしそのおかげで曲芸飛行チームでもやらないような無茶な機動を連続させられる羽目になった事に腹を立てていた。
「フィエルヴィエルク03、手前え絶対生きて帰れよ。帰ったら一発殴らせろ。」
「勿論だ。その為にはしっかり護ってくれよ、騎士さんよ。」
「抜かせ、この野郎。」
その時、フィエルヴィエルク03の前方に、赤い煙を引きながら光る信号弾が一発上がる。
これだけ上空を敵機に囲まれているなら、信号弾だろうと発煙筒だろうと目立つことに変わりは無かった。
「目標確認。救助に向かう。上は頼んだぞ。
「信号弾確認した。着陸する。東に200m走れ! 敵がいる、急げ!」
拡声器の声が、雪に閉ざされた静寂の森に木霊する。
そのすぐ後を追って、ジェットエンジンの金属音が響き木々に積もった雪を巻き上げる。
Su-117ベルカリチヤーガはまるで小型ドローンの様に機体を横に大きく傾け、ジェット噴射を推力として機体の背の方に向けてさらに加速し、光を失い煙だけになった信号弾の痕跡に向けて突進する。
斜めに下がった主翼の先端が今にも森の木の先端を削りそうな高さを掠めていく。
突然機体が姿勢を変えたかと思うと、今までの進行方向に腹を向け、ひときわ大きな轟音と共にエンジンの出力を上げて一気に制動を行うと、スポッと嵌まった、という形容が最も適切であると思えるほどに、木立に囲まれた森の中にまるであつらえて作ったかのように存在した、輸送機一機を隠すに大き過ぎもせず小さ過ぎもしないちょうど良い大きさの空き地に着陸した。
ジェット噴射で巻き上げられた雪煙が辺り一面を霞ませて、フィエルヴィエルク03の姿を覆い隠した。
やがて雪煙がその軽やかな重さを伴って静かに収まるが、背の高い木立の中にすっぽりとはまり込む様に隠れた冬季迷彩を施された救難機の姿は、ほぼ真上からでなければそこに居ることさえ分からない程に森の中に完全に隠れきっていた。
「イカレてるな。」
達也はフィエルヴィエルクの常識外れという言葉でさえ生温い、頭がイカレているとしか思えない機動と着陸を見て、思わず笑いながら呟いた。
「オメエも大概だがな。ヴィーチャズィ(ロシア空軍アクロバットチーム)に入れるぜ?」
達也の呟きが聞こえたか、フィエルヴィエルク03のパイロットが笑いながら言い返す。
「あんな墜ちまくる奴等と一緒にすんな。」
そう言いながら達也も、人のことは言えない様な失速寸前の高速急旋回に入り、フィエルヴィエルク03が潜む森の上空に集まるファラゾア機を次々と血祭りに上げていく。
達也の機動の癖を掴んだか、優香里も僅かに遅れながらも追従し、同様に次々と敵機を狙い撃つ。
地上では、大きく開け放たれたベルカリチヤーガの後部ハッチから救難隊員が身を乗り出す様にして森の奥を伺う。
「走れ! 急げ! 装備なんて捨てちまえ!」
腰の高さ程まで深く積もった雪の中、走りにくそうにしながら全身を使って雪をかき分けて進むパイロットの姿が木々の間に見え始めた。
パイロットは命綱とも言える救難装備品を入れたバックパックを投げ捨て、両手も使って深い雪の中を必死に移動する。
脱出時に脚を痛めたか或いは骨折したのか、パイロットは痛みに顔を歪めながらも右足を引きずり、それでもあらん限りの速さで雪をかき分け進む。
濃いフィールドグレイ色のロシア空軍のフライトスーツと、その上に羽織った黒いフライトジャケットは、既に雪に塗れて真っ白になっている。
救難機まであと数十mというところで、パイロットが何かに躓き盛大に転んだ。
脚を痛めているパイロットは、深い雪の中でもがきなかなか立ち上がる事が出来ない。
思わず、と云った風に救難隊員がハッチを駆け下り、エンジンの排気で雪が吹き飛ばされた広場を突っ切って、森の中に深く積もる雪の中に突入する。
すぐ近くで重く激しい衝突音と、木が引き裂かれる様な破壊音が沸き起こったのが聞こえる。
撃墜されたファラゾア機か。
救難隊員は泳ぐ様に深雪をかき分け、痛みに呻き声を上げながら雪の中で藻掻き続けるパイロットの元に辿り着くと、半ば右肩に担ぎ上げる様にしてその身体を支えて立たせた。
今雪を掻き分けたばかりで幾分移動しやすくなった自分の移動跡を、まるで吠える様な声を出して荒い息を吐くパイロットを担ぎ、雪に足を取られながらも救難隊員は走る。
救難機のハッチ脇にいたもう一人の救難隊員も走り出してきて、雪に足を取られ思う様に前に進めない二人に駆け寄り、パイロットの反対側の肩を担いだ。
三人の男が雪を撒き散らしながら、森の中に着地していつでも飛び立てる様にエンジンを回し続けている救難機に向けて走る。
三人の吐く真っ白い息が、エンジン排気で巻き起こされる風に乗りたなびく。
雪が吹き飛ばされて歩きやすくなった広場に三人は到達し、走る速度が上がるが、足を引きずられているパイロットが激痛に叫び声を上げる。
救難隊員二人はその叫び声に耳を貸すことも無く、排熱で雪が溶けかけて半ばぬかるんだ地面を蹴り、倒れ込む様にして後部ハッチに転がり込んだ。
三人を飲み込む様にしてすぐさま後部ハッチが閉じられ、機内に向けて斜路となったハッチの上を滑り落ちて、三人共が機内の床に転がる。
しかし救難隊員はすぐに跳ね起きて助け出したパイロットの身体を引きずり、床に固定されたタンカにその身体をベルトで縛り付け始めた。
「発進するぞ!」
ベルカリチヤーガの機内をパイロットの声が飛ぶ。
例え機内であっても電波を使用する無線による通信は出来ないため、こういう時は有線のレシーバよりも大声で直接会話した方が効率が良い。
「待ってくれ! 収容者をタンカに固定中だ!」
「早くしろ!」
「固定完了! ・・・全員着席完了! 出してくれ!」
収容したパイロットをタンカに固定し終わった救難隊員二人は、すぐさまクルー用の座席に座り、シートベルトを締めた。
「離陸する。離陸後はハバロフスクに真っ直ぐ戻る。護衛よろしく。」
「諒解した。大丈夫か? 周りの木をかなり吸い込みそうだが。」
フィエルヴィエルク03が選択した森の中の小さな空き地は、ベルカリチヤーガの機体がちょうどすっぽり収まる程度の大きさしか無いため、エンジン出力を上げると周りの木の葉などを相当量吸い込みそうな状況だった。
「問題無い。戦闘機のヤワなエンジンと一緒にすんな。こういう事も想定して、コイツのタービンはかなりゴツめに作ってある。デカい枝を丸ごと吸い込んだりしねえ限り、ヘタる様なエンジンじゃねえ。そうじゃなきゃ救難機なんてやってられるか。出るぞ。」
ベルカリチヤーガがエンジン出力を急速に上げる。
達也が指摘した通り、周りの木の葉をかなり吸い込んでいる様だが、エンジンに異常は発生していない。
機体はすぐに充分な推力を得て、木々の間を抜けて森の上に飛び出した。
再びヘリコプターの様な姿勢で、東に向けて森の上を掠める様にして加速していく。
やがて速度が充分に乗った機体は、エンジン角度を水平に戻し、アフターバーナーに点火して赤い炎を引きながらさらに増速していく。
「機体異常なし。フィエルヴィエルク03、任務完了。RTB。デーテルA2、帰り道もエスコートしてくれるのか?」
「フィエルヴィエルク03、残念だが、帰りは独りだ。デーテルA2はここでもう少しファラゾアと遊んでから帰る。先に帰って俺達の分の昼飯を確保しておいてくれ。」
「諒解。お先に上がらせてもらう。悪いな。」
「フィエルヴィエルク03、こちらソヴァ05。一旦針路06に向かえ。50km先に低層雲が発生している。」
「ソヴァ05、こちらフィエルヴィエルク03。針路06、諒解。」
そう言うと、既に視野の中で小さくなっているSu-117ベルカリチヤーガがまともな固定翼航空機と同じ様に機体をバンクさせ、針路を北西にとってさらに小さくなっていく。
機体構造も含めて、やることなすこと全てがタフで豪快なフィエルヴィエルク03を見送りつつ、達也は苦笑いする。
「しばらくここで敵を足止めする。ユカリ、付き合え。」
「諒解。」
そう言って、達也は急速に遠ざかっていくフィエルヴィエルク03の後ろ姿を眺めながらも愛機を操り、照準の合った敵を撃墜していく。
既にここに居ないカチェーシャと、今も達也の後ろを追従して、達也ほどでは無いにしても敵を次々に撃墜していく優香里との連携で既に相当数のファラゾアを撃墜している。
付近を飛行しているファラゾア機の残数は、いまや百機を割らんとしていた。
救難機が離脱したことで無理な機動を継続する必要が無くなり、達也は「比較的」余裕のある機動で次々と敵に狙いを付ける。
追従する優香里もここ数十分の共闘で、達也の機動の癖をかなり掴んだ様だった。
最初の頃の様に旋回に反応できずに孤立してしまったり、減速や加速に付いて来る事が出来ずに取り残されてしまったりという事もかなり少なくなってきた。
僅かな時間であったにも関わらず、その順応性の高さには達也も少々驚かされていた。
何か言う度にブツブツと文句を言ってはいるが、実はかなり高い実力を持っているのだろうと思った。
「あっ!」
その優香里が突然声を上げる。
その声につられて、達也は後ろを振り返る。
優香里の機体が錐揉み状態で墜落していくのと、彼女の機体から脱落したと思われる主翼と思しき大きな破片がブーメランの様に回りながら別の方向に落ちていくのが眼に入った。
「ユカリ!」
達也は優香里の名前を呼ぶと、瞬時に目標としていた敵機の撃墜を諦める判断をし、機体を回転させると背面急降下で墜ちていく彼女の機体を追いかけた。
優香里の機体は機体を回転させながら急速に高度を下げつつ、しかしその回転が徐々に緩くなっていくのが分かる。
まだかなり余裕のある高度で、数回反対側に回転して、最終的に正常な向きで機体が安定する。
「な、なんとか立て直した、わよ、畜生め。」
優香里が日本語で毒づいているのがレシーバから聞こえた。
「針路06だ! 離脱しろ!」
つい先ほどフィエルヴィエルク03の脱出針路をソヴァ05が指示していたのを思い出し、同じ方向に脱出することを指示する。
同時に、優香里の方に移動しようとしていたクイッカーを目敏く見つけ、撃墜する。
「針路06、諒解。」
「俺はここで敵を食い止める。飛べるか? 右主翼が根本から脱落している。無理なら脱出しろ。」
「多分、大丈、夫。何とか飛べる。」
優香里の機体がいかにも不安定そうにゆらゆらと旋回して進路を変え、リヒートに点火して青い炎を吹くと、数回再び錐揉み寸前の状態となりつつもどうにか立て直して増速しながら北西の方角に向けて飛び去っていった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
フィエルヴィエルク03ですが、乗員は四名です。機長=パイロット、副操縦士、救難隊員①と②の4名です。
救出の後、素直に帰しすぎたかなあ・・・もう少しハラハラドキドキあっても良かったかも知れませんねえ。