10. 被弾
■ 6.10.1
「カチェーシャ!」
彼女の悲鳴を聞いてカチェーシャが居るはずの方向を達也が振り返るのと、彼女の機体が錐揉みになりつつ視野の中を横切り墜ちていくのはほぼ同時だった。
達也は反射的にスロットルを引き、同時に操縦桿を力任せに引いた。
一瞬の後スロットルを最大位置に力任せに押し込む。
機体は縦方向に急激に方向転換し、翼からは空気の流れが剥がれてプガチョフ・コブラ機動の様に進行方向に向けて機体の腹を向ける。
そしてすぐに大推力を与えられた機体は、反転しつつ弾かれたように飛び出す。
達也は操縦桿を引いたまま、機体を上方にさらに急旋回、つまりパワーダイブの状態へと変える。
「えっ!?」
突然の機動に優香里が付いてくることが出来ない。
彼女の機体は達也の横をオーバーシュートし、しかし蒼雷の機動性を駆使してすぐに達也の後を追う。
「カチェーシャ、立て直せ! 回転を止めろ!」
達也の目の前に、横回転しながら急速に高度を失っていくカチェーシャ機がいる。
右の尾翼を二枚とも失っている様だった。
彼女の生存を示すように、エルロンが大きく動いているのが見える。
見ると、主翼の長さも左右が異なっている様だった。
「ふっ、ぅぐ・・・」
回転を止めようと奮闘しているカチェーシャの呻き声が聞こえ、そして程なく上下を逆にして機体の回転が止まる。
残った左の尾翼が二枚、おかしな角度に大きく開いて機体の安定を維持している。
だが地面はもう目の前に迫っている。
「ぶつかるぞ! 下だ! 降下しろ! 操縦桿を押せ!」
意図せず発生した錐揉み状態の直後に彼女がまともな空間識を維持できているとは思えなかった。
達也はカチェーシャが自分の本能よりも呼びかけた声に従ってくれるのを祈りつつ叫ぶ。
果たして彼女の機体は上下反転したまま背面急上昇し、機首を空に向けた。
彼女の機体はほとんど森の上端と接触するほどだった。
一瞬遅ければ墜落していただろう。
しかしまだ危機を脱したわけではない。
「急げ。機体を正常姿勢に戻せ。すぐに離脱しろ。針路10。ケツ持ってやる。」
「諒解。針路10。離脱する。」
機動力も速度も遙か上を行くファラゾアに対して撤退戦を行うのは極めて困難だった。
ましてや傷ついた味方を守りながら逃がすなど、一歩間違えれば全滅する。
むしろ全滅する可能性の方が高い、と言って良い。
本来なら、生き延びられない者は見捨て、健常な機体を維持できている者の生存を優先するべきだった。
しかしもちろん、達也はそんな事をするつもりは無かった。
俺の目の前で、これ以上僚機を墜とさせない。
明確に言葉にすることも無く、本人も自覚できているか怪しいものだったが、その思いが今達也の意識の大半を占めていた。
抗えない強烈な力と破壊に僚機を全滅させられ、何度も一人生き残って来た達也の心に刻み込まれた無意識、と言って良かった。
「針路10。パワーMAX。」
機動力の低下した機体をどうにか制御しつつ、混戦の中離脱する方向を向いたカチェーシャが素直に達也の指示に従い戦闘空域を離脱しようとする。
最大推力を振り絞るエンジンから青い炎が吹き出し、右側の尾翼を両方とも失った機体は暴力的な加速に一瞬不安定になりながら、残る二枚の尾翼の角度を自動的に調整して安定を保つ。
「ユカリ、左側の敵を止めろ。俺がこっちをやる。引っかき回しながら、カチェーシャに近付こうとする奴は確実に墜とせ。絶対に近づけるな。カチェーシャはとにかく真っ直ぐ全速で飛べ。」
そう言って達也は増速しながらカチェーシャ機の右舷上方にループする。
「諒解。とにかく真っ直ぐ飛ぶ。」
「えっ、私、こっち? 一緒に離脱するんじゃ無いの?」
「馬鹿野郎。向こうにはまだフィエルヴィエルクが残ってるんだ。カチェーシャを脱出させたら戻るぞ。
「ソヴァ05、ソヴァ05、聞こえるか? こちらデーテルA2。」
会話しながらも達也機はカチェーシャ機の後方でループしながら、集まってくる敵を墜とす。
同時に達也は至近と思われる、最後に通信を行ったAWACSを呼び出す。
「デーテルA2、聞こえるぞ。こちらソヴァ05。」
「ソヴァ05、こちらデーテルA2。救援要請だ。デーテル12が被弾した。被弾したがまだ飛べる。デーテル12は離脱する。」
「デーテルA2、状況は理解した。エティルケン北方50km。敵数残200。デーテル12が被弾、離脱。フィエルヴィエルク03はどうした?」
「二人目まで救助した。三人目の場所も分かってる。フィエルヴィエルクは森の中に隠れている。今のところ無事な筈だが、ファラゾアに頭を押さえられていて離陸できない。」
「まずいな。」
「問題無い。五月蠅く飛び回ってるのを全部叩き墜とせば良い。」
「マジかお前。デーテルA2、救援は十分後だ。日本海軍のRARが行く。」
「何でも良い。腕の良い奴を頼む。」
「大丈夫だ。腕は折り紙付きだ。もう少しだけ持ちこたえろ。」
「諒解。恩に着る。」
ソヴァ05と会話している間にもカチェーシャは10kmほど東に進んでいる。
達也は自分達を追い越し、先を行くカチェーシャ機に接近しようとする動きをする敵機を中心に攻撃を加え続ける。
カチェーシャの左後ろは優香里が護っている形になっている。
時折気にして様子を見ているが、特に被弾はしていないようだった。
面倒を避けてすぐに逃げ出す発言を繰り返しているが、腕自体は悪くない様だった。
こちらに方向を向け、クイッカーが一機正面に降下してきた。
僅かに機体を跳ね上げて射線を外し、逆にこちらから一撃加える。
真正面から撃ち抜かれたクイッカーは、部品を撒き散らしながら吹き飛ぶ。
機首を右にスライドさせて、右に回り込んで攻撃してこようとしていたクイッカーを同じ眼に遭わせる。
機首を正面に戻し、機体が空気を掴んだところで急上昇。
頭上を抜けてカチェーシャを追おうとした五機を端から順に撃破する。
三機目まで破壊したところで、残りの二機が加速してカチェーシャ機に追い縋る。
達也はさらに機首を上げて背面となり、その二機をガンサイト内に捉える。
立て続けに二機を撃破。
カチェーシャ機の周囲を見回して安全を確認。
ロールして右側から大外を抜いて行こうとした六機に狙いを定める。
また三機撃破したところで残る三機が加速する。
ただ加速するだけなら問題無い。
180mmに大口径化されたワイヴァーンMk-2のレーザー砲は、射程も伸び、単位時間当たりに目標に与える熱量も増加している。
達也は追い縋るように機体の向きを変え、カチェーシャ機に狙いを定めようとしていた三機を次々と撃墜した。
周りを見回して、自分が担当する側にはとりあえずカチェーシャを追おうとする敵がいないのを一瞬で確認し、優香里の方を見る。
優香里の機体は十機ほどのクイッカーに囲まれ、被弾はしていないものの苦戦しているのが明らかだった。
達也はループの最中に操縦桿を戻し、ラダーを蹴り込みつつスロットルを戻した。
機体が縦になった状態でコークスクリューをを行い、横倒しになったところで再びスロットルを全開にする。
優香里を囲むクイッカーに対して、ガンサイトに入った端からレーザーを浴びせ掛けていく。
四機ほど墜として優香里の脇をすり抜ける。
そのまま上昇し、カチェーシャを追いかけようとした四機を次々に血祭りに上げた。
「ソヴァ05、救援はまだか?」
「現在急行中。あと五分待て。」
五分。M2.0であれば約200km。
あと数分で通信が出来る範囲に入ってくるだろう。
そろそろ自機のレーダーでも見える様になるはずだ、と達也は概算した。
カチェーシャ機はすでに達也達から30km近く離れていた。
一目散に東を目指して戦闘空域から退避している。
その時レーダーに反応があった。
戦術マップの外縁ギリギリに三つの緑色のマーカー。
表示される識別情報は「UNKNOWN」。
しかし達也はそれが日本海軍の救援機だろうと思った。
ファラゾア機であれば、こんな遠距離からレーダーに反応があるはずが無かった。
運の良いことに、方位07、北東の方角から突入してくる。
今のところカチェーシャを追うファラゾア機はいなくなった。
だが、連中にとって数十kmなど一瞬の距離だ。
全速を出されると絶対に追いつけない。
だからまだ安心は出来ない、と、優香里の周りに纏わり付く敵を始末しながら達也はなかなか近付いてこない友軍機のマーカーを睨む。
もちろん、全速で向かってくれていることは理解している。
しかしM3.0程度しか出せない人類の機体にとって、ぎりぎりレーダーレンジに映る距離である200kmは如何ともし難い。
「デーテルA2、こちらソヴァ05。もうすぐ救援が到着する。コードはマーレ01。」
「諒解。恩に着る。マーレ01、聞こえるか。こちらデーテルA2。」
戦術マップ上で「JNDF」と表示されるマーカーまでの距離は150km。
今日の天候であれば、そろそろレーザー通信が届いても良いはずだった。
相手の位置はレーダーでしっかりと把握できている。
「デーテルA2、聞こえる。こちら日本海軍312飛行隊マーレ01。」
「救援感謝する。デーテル12が被弾して離脱中だ。お姫様が送り狼に喰われない様、エスコートしてやってくれないか。」
「それはお安い御用だが、そっちは良いのか? まだ相当敵機が残っている様だが?」
「問題無い。こっちは何とかする。それより脚がやられた奴の方が心配だ。」
「諒解した。三機ともエスコートに回る。お姫様は確実にお家に送り届ける。」
「マーレ01、よろしく頼む。デーテルA2、以上。」
同じ部隊の部下二人との間でさえ、配属されて日が浅くまだ連携が取れていない状態で、中途半端に一・二機の応援に混ざり込まれても危険なだけだと判断した。
それならば、離脱するカチェーシャの安全を確実に確保出来て、手元の戦闘に集中できる方が余程ありがたかった。
通信を切り上げると、再び達也は戦闘に集中する。
通信中もこれだけは気を抜かず気を配っていたカチェーシャに対する敵の追撃だが、今のところは押さえ込めている。
このまま抑え込む事が出来れば大丈夫だ。
いかなファラゾアとて、数百kmを一瞬で飛ぶことは出来ない。
さらに、彼女が逃げれば逃げるほど周りの味方も多くなる。
味方の中に入り込んでしまえば、ファラゾアと言えども手を出しにくくなる。
ふと見やると、達也の傍で戦っている優香里も先ほどまでよりは余裕がある様だった。
「ユカリ、大丈夫か? 損害は?」
「やっとこっちを気にする気になったの? 致命的なのは無いわよ。お陰様で。小さな傷は無数にあるけど。」
と、皮肉たっぷりに返された。
達也はヘルメットとマスクの下で思わず苦笑する。
優香里はハバロフスク航空基地で二年近く任務に就いているのだと達也は聞いていた。
それだけの時間生き残っているだけの腕は持っているようだった。
「本来の仕事に戻るぞ。カチェーシャは日本海軍に任せる。」
「やっぱり戻るの。もう限界なんだけど。」
「大丈夫だ。限界と思ってからが本番だ。」
「ふざけんな。」
周りに纏わり付くファラゾア機を削りながら、少しずつフィエルヴィエルク03が待つ森の方へと移動する。
周りのファラゾアは全て達也達を追撃する動きを見せている。
離れてカチェーシャ達の方に動こうとするものは認められなかった。
優香里も何のかんのと言いながら、達也と共に救難機が待つ方角に戻っている。
「・・・こえてるのか!? デーテル04。応答しろ!」
フィエルヴィエルク03が着陸待機している筈の地点から40kmほどの場所まで戻ってくると、必死で呼びかけている口調の通信が入った。
救難機は木立に囲まれた森の中の空き地のような場所に着陸しているので、遠距離では木々に邪魔されて通信用のレーザーが通らなかったようだった。
敵に完全に認識されている達也達は既に電波使用制限を解除しているが、身を隠しているフィエルヴィエルク03は電波の使用を制限したままだった。
とは言え例え指向性が非常に高い通信用レーザーであっても、敵に囲まれた状態で戦闘している達也達に向けて放てば、そのうち探知されてしまうのは確率の問題でしかない。
「こちらデーテル04。どうした?」
「生きてるのか! 良かった。待ちくたびれた。まだ動いては駄目か?」
「まだ駄目だ。もう少し我慢しろ。敵の増援が来なければあと百機程度だ。」
「百機! 大丈夫なのか?」
「問題無い。安心して待て。」
フィエルヴィエルク03と会話しつつ、達也達二機は先ほどカチェーシャが被弾した辺りに到達した。
「良し決めた。離陸する。急いで三人目を救助して、とっととずらかるぞ。」
「待て。まだ動くな。」
「いや、さっさと切り上げる。お前達が無茶な戦いをしなきゃならんのも、俺達がここに居るからだ。お前達のことを信頼はしているが、無茶を続けりゃ墜とされるかも知れん。増援なんぞ来たら最悪だ。敵が全部そっちに引きつけられている間にさっさと救助を終わらす。」
「待てと言っている。そっちに敵が回ったら抑えきれない。」
「なあに、コイツはボーイングの重鈍な輸送機とは違う。アフターバーナーもある。エンジン全開。上昇する。」
「バカ、やめろ!」
距離がありすぎ肉眼では直接確認できなかったが、飛び上がった救難機が光学シーカーにて探知され、達也のHMDに表示された。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
Su-117ベルカリチヤーガは、四発のジェットエンジンを持っていますが、それぞれ手動で個別に角度と出力を制御可能とします。
勿論、エンジンの出力と方向を全て手動で動かして安定して飛行させるのは、ドローンの四枚の回転翼をそれぞれ手動で制御して飛ばす様なものですので、普通の人には出来ません。
なんでそんな手動モード付いてるんでしょうねえ。
それと、達也機のレーダーレンジが200kmもある事について。(達也機だけじゃないですが)
ほぼ2021年現在の偵察機並みのレーダー範囲です。
ファラゾアと交戦した初期、ステルスとジャミングに悩まされ、しかし他の探知方法を持たない(GDD開発前)地球人類は、レーダーをとにかくパワーアップさせる方向へと進みました。
当時AWACSの支援が受けられない状態で、前線の戦闘機は全て自分達で敵を発見しなければならなかったのです。
ミサイル搭載&誘導関連のモジュールが全て無用の長物となり、その代わりにGDDや高性能化して大型化したレーダーなどを積み込んでいます。
もっとも、相変わらずレーダーは敵を呼び寄せる闇夜の灯台の様な存在ですので、使用制限が厳しいのですが。