8. 支援要請
■ 6.8.1
もこもことした柔らかそうな雪雲の上、高度4000mを三機の黒い機体が針路を南に採って進む。
雪雲は所々に強い上昇気流を伴ったまるで積乱雲のように立ち上がる巨大な雲の塊が存在し、その上端は5000mを超え、10000m近くにも達する事がある。
三機は進路上にそのような大型の雲海がある場合、あるものはそのまま突き抜ける針路をとり、内部で頻繁に雷が発生していると認められた別の時には大きく迂回した航路をとりながら、全体的には南にある基地に帰投するコースをモータージェット巡航速度である500km/hのゆっくりとした速度で進んでいく。
モータージェット推進で飛行している間は、反応炉燃料である重水を消費するだけであり、またその消費量も数cc/min前後という少量である。
もちろん反応炉出力を上げれば重水の消費量もそれに従って増大するのだが、元々戦闘機で使用する電力量に対して過剰な発電力を持つ反応炉の出力を上げることなど、大電力を喰うレーザーを撃ちまくる戦闘時でなければ、滅多にあることではない。
過剰な発電力を持つ反応炉のエネルギー、つまり反応熱は、モータージェット駆動時にはその多くがジェットエンジンに供給され、大量の熱を発生し続ける反応炉の冷却と、インテイクから吸い込まれ圧縮された空気を熱して推進力を増大させる用途に用いられる、いわば一石二鳥の構造を有しているのが核融合炉を搭載した現在の戦闘機の構造だった。
ノーラ降下点から僅か400km前後の距離であり、いつ敵が現れるか、或いは攻撃を受けるかと長く緊張を強いられる往路に比べ、全ての緊張を解くという訳にはいかずとも、最前線の内側を移動するにとどまる復路はかなり気楽な飛行が続く。
もちろん救援要請を受けた場合には、一転気を引き締めて交戦空域に向けて急行せねばならないが。
未だ達也を目の敵にして嫌う優香里との直接的な会話はなくとも、話しやすい性格をしたカチェーシャと適度に雑談を交わしながら、コンソールに表示されている戦術マップに時々目を走らせ、穏やかな気分で達也は足下を流れていく雪雲を眺めていた。
「デーテル(キツツキ:Дятел)A2、聞こえるか。こちらソヴァ(フクロウ:Сова)05。」
そのような微妙に弛緩した雰囲気の中、空域を管轄するAWACSからの通信が入った。
冬期は雪と氷に閉ざされ、トレーラーの移動や簡易滑走路の確保が困難になるこの地方では、核融合炉とモータージェットを備えたスホーイ製の大型ジェット機をトレーラーの代わりにして、翼下パイロンと胴体内に子機となるメイフライ、ダムセルフライを搭載し、空中で分離して運用するという方法が採られている。
地上が雲に覆われた状態でも上空の晴天域を確保すれば問題無く運用できるこのAWACSシステムは、今後急速に広まっていくこととなるのであるが、それはまた別の話である。
「ソヴァ05、こちらデーテルA2。よく聞こえる。どうした。敵か?」
時ならぬAWACSからの通信によって、小隊内に緊張が走る。
復路でAWACSから入電するのは、大概の場合が前線で発生した戦闘に対する緊急支援要請であることがほとんどだった。
その場合には、劣勢に陥った味方を助けるため一秒の間を惜しんで全速で最前線に駆けつけた上で、泥沼化した戦闘空域にそのまま全速で突撃することとなる。
「いや、敵じゃない。敵じゃないが、疲れてるとこ悪いが、支援要請だ。」
「敵じゃないが、支援要請? なんだそれは。」
「3877TCS(第3877戦術救難機隊)からの要請で、護衛が欲しいんだと。昨日の午後、コムソモリスクから出たロシア軍機が三機墜とされてな。ローテーションの関係でコムソモリスクからエスコートが出せないんだ。暇な機体の中で現地に一番近いのがお前達だった、ってわけだ。」
ハバロフスク-コムソモリスク・ナ・アムーレを結ぶ通称アムール川防衛ラインを構成する四基地、主に日本空軍と日本海軍が駐留するツェントラリニ・アエロドロム (ハバロフスク)、国連軍とロシア軍が共同使用するハバロフスク航空基地、ロシア軍を中心に運用されているフルバ空軍基地 (コムソモリスク)と、コムソモリスク航空基地は全て、ハバロフスク航空基地に駐留する3877TCSに救難活動を全面的に頼っていた。
これは、元々民間の空港であったハバロフスク航空基地が大型であり戦闘機隊を含めて多数の部隊が駐留できるという理由の他に、最前線至近の都市である割にはハバロフスクには未だ民間人が数多く残留しており、医療体制や物資の供給体制がコムソモリスクに比べて遙かに良く整っているという、バックアップ体勢の理由もあった。
空軍の軍人と、スホーイおよびその関連企業の社員が残留民間人のほとんどを占めるコムソモリスクでは、空軍施設内の医務室や、スホーイ社内の医療室程度の医療機関しかもはや存在せず、集中治療室などを利用する本格的な医療体制がほとんど機能していないという現実的な理由もあった。
その地域唯一の救難部隊である3877TCSが出撃、即ち救難活動を行う際には、通常当日朝までに割り振られた護衛が共に出撃するのが通常である。
敵との交戦がなかったとは云え、RAR任務を終えて帰投中の小隊を護衛に振るのは、少々異常な事態と言えた。
「一応任務中で、暇な訳じゃないんだがな。まあ、いつ世話になるとも知れない救難隊が、困ってるんなら対応しよう。指示をくれ。」
「助かるよ。墜ちた奴らはこの寒い中で一晩越してるんだ。そろそろヤバい。エスコートの交渉に時間を掛けるとまずかったんだ。針路25、約300km。コールサインはフィエルヴィエルク03。ブレイスコエ・ヴォドフラニリシェの下流でリカ・ブレヤ(ブレヤ川)の幅が広くなってる所を知ってるか?」
ハバロフスクに着任してまだ数日の達也には全く土地勘など無く、地名や地形を言われても殆ど分からない。
「カチェーシャ、分かるか?」
「分かるわ。ブレインスキー・ザポヴェドニクの西側ね。雪解け時には湖になる。」
「そう、そこだ。話が早くて助かる。そこの川幅が広くなるところで3877TCSと待ち合わせだ。その後の行動は3877の指示に従ってくれ。」
「デーテルA2、諒解。こっちには地元っ子の道案内が居る。何とかなりそうだ。」
「頼む。恩に着る。凍えてる小僧どもをお家に連れて帰ってやってくれ。」
「オーケイ。針路25。フュエルジェット。」
ソヴァ05との通信を終え、達也はスロットルを開くと機体を右にバンクさせて旋回を始めた。
カチェーシャと優香里がそれに続く。
ジェット燃料を消費して増速したので、二十分もあれば集合地点に到着するはずだった。
「カチェーシャ、助かった。良く知ってたな。」
針路を変更した後に安定させ、後続の二機が所定の位置に納まっていることを確認した後に達也は再び口を開いた。
「ブレインスキー・ザポヴェドニクは、夏になったら皆キャンプに行く所よ。私も父親に連れられて、子供の頃に何回か行ったことがある。」
「そうか。子供思いの良い親父さんだ。お陰で俺まで助かった。」
達也はカチェーシャ機がいる左後ろを見た。
お互いHMDスクリーンバイザの付いたヘルメットを被っているので、相手の表情を見ることは出来ない。
だがなぜか、カチェーシャが僅かに笑った顔と視線が合った様な気がした。
周囲に敵も無く、集合地点に到着するまでの間、索敵以外に特にすることもない。
達也は軽い気持ちでそのまま会話を続けた。
「その親父さんは元気なのか。今でも地元に?」
一瞬の間があってカチェーシャが答えた。
「死んだわ。もう十年も前に。」
一瞬の間が開き、機体を伝わってくるフュエルジェットの轟音が妙に大きく感じる。
「・・・そうか。悪いことを訊いた。済まん。」
「空軍のパイロットだったのよ。戦闘機の。奴等がやって来た初日に出撃して、そのまま帰って来なかった。今もこの下の森のどこかで眠ってるわ。気にしないで。よくある話だし、もう慣れた。出撃する度に父さんの墓参りに来てるんだって思うことにしてる。」
心なしか、カチェーシャの声が明るく聞こえる。
勿論それは、達也に気を遣わせまいとしているのだろうという事くらい、達也にも分かる。
「そうか。親父さんが安らかに眠れるように、さっさとこの戦いを終わらせないとな。」
「そうね。」
終わらせるどころか、勝てるかどうかさえ見通しが付かない戦いだという事はよく分かっている。
例えそれでも、全ての死んでいった者達に対して、出来るだけ早く戦いを終わらせるので安らかに眠ってくれと言う以外、彼等の死に報いる事など出来はしなかった。
その後は誰が口を開くという事も無く、沈黙の時間が流れた。
「デーテルA2、聞こえるか。こちらフィエルヴィエルク03。」
集合地点まであと数分という所で、救難隊からの通信が入ってきた。
集合地点に指定された地域は、低層の雪雲も無く、地表の様子が良く見えた。
雲が無いので通信用のレーザーが通ったのだろう。
「フィエルヴィエルク03。よく聞こえる。こちらデーテルA2。どこに居る?」
「チェグドミン駅のすぐ北隣、町の小さな滑走路に降りている。あんた達が来てくれるのを待ってた。」
「そうか。待たせたようで済まない。カチェーシャ、チェグドミン駅は分かるか。」
「11時の方向。露天掘り鉱山の間に紛れて市街地があるのが見える? そのすぐ向こう側のはず。」
「ああ、それで大体合ってる。こっちからはそっちが良く見えるぞ。」
通信が通っているなら位置が特定出来ているはずだと思った。
カチェーシャから言われた方角にHMD越しに視線を走らせれば、ちょうどその時友軍機を示す青色のマーカが戦術マップに表示され、友軍目標を光学シーカーでのみ捉えていることを示す青に黄文字のマーカーがHMDに表示されている。
雪で白一色に塗りつぶされていて分かりにくいが、前方にゴツゴツとした地形が見えるのはカチェーシャが言った露天掘り鉱山だろう。
その間に、市街地らしい家並みも見える。
青色のターゲットマーカが示している所にフィエルヴィエルクが居るのだろうが、しかし幾ら目を凝らしてみてもマーカーの中に実際の機体が見えない。
モータージェットに切り替え速度を落としながら近付いていくと、殆どすぐ真上に近付いたところでやっと、森を切り開いて作った滑走路の様な地形の真ん中に、白と明るいグレイで冬季迷彩塗装された機体が駐まっているのが肉眼でも確認できた。
「フィエルヴィエルク03、到着したぞ。上空で旋回待機する。」
そう言って達也は、滑走路に降りている機体を中心に高度1500mで半径数kmの旋回を時計回りに始めた。
「デーテルA2、手間取らせてすまんな。すぐに上がる。」
その言葉とほぼ同時に、地上に停止していたフィエルヴィエルク03の周りで白い雪煙が盛大に巻き上がり、しばらくして雪煙を抜けて白い機体が垂直上昇してきた。
その白い機体は高度500m程度に達すると、主翼の付け根に二発、尾翼両脇にも二発設けられた方向可変型のジェットエンジンをゆっくりと回転させて水平位置にし、西の方角に向けて飛び始めた。
その機体はスホーイ社が開発した垂直離着陸輸送機Su-117「ベルカリチヤーガ」と云い、ボーイング社のジャボア同様の機体であった。
胴体内に格納された核融合炉からパワー供給され、フュエルジェットを併用した四発あるエンジン合計推力がジャボアよりも大きく、その為ジャボアよりも大柄の機体により多くの貨物を搭載できる。
余裕のある離陸重量を生かして、救難機として用いられる兵員輸送タイプの機体でも180mmの回転式レーザー砲を機体上面と下面に一門ずつ計二門備える。
「デーテルA2、付いて来てくれ。針路31。フェヴラリスク手前の森の中辺りに墜ちたらしいんだ。」
「諒解。こちらデーテル04。エスコートを開始する。僚機はデーテル12と13。」
達也達三機もフィエルヴィエルク03と同じ高度まで下がり、横に並んだ。
「来てくれて助かったよ。救出ポイントがノーラ降下点までギリギリ300km切ってやがんだ。ここまでは地表を這うようにして何とかやってきたが、この先は正直単機じゃおっかねえ。早く行ってやりてえがエスコートは来ねえで、ビビりながら困り果ててたんだ。」
「なんだってそんな内側まで入り込んだんだ。CRARか? それにしても随分過激だな。」
ファラゾアの降下点防衛は、降下点までの距離が約300kmを切った辺りから急激に激しくなる事が知られている。
明確に300kmのラインでは無く、250~300kmの間、としか分かっていないが、その「ブレ」は状況によってファラゾアがスクランブルに動く距離が異なったためだと推察されていた。
いずれにしてもその様なファラゾア側の「防衛ライン」が存在するために、RARよりもさらに敵降下点に接近する過酷な武装偵察であるCRAR(Closed Routine Armed Reconnaissance)であっても、降下点から300~350kmの距離を維持するのが常識であった。
「フルバの第22親衛戦闘機航空連隊の連中さ。祖国は自分達の手で守る、って随分気合い入ってるんだ。ま、それで墜とされてちゃ世話ねえんだが。」
3877TCSのSu-117を加えた四機は、ファラゾアに発見されることを出来るだけ避けるために高度500m以下を維持して、なだらかな地形の起伏に沿って地表を舐めるようにして北西の方向に進む。
そのまま十分ほど飛行していると、フィエルヴィエルク03から再び通信が飛んだ。
「ようし、アムール地方との州境を越えた。あと50kmほどだ。」
そこで達也は、ふと疑問に思ったことを口にした。
「そう言えば、ここまで来たのは良いが、どうやってパイロットを見つけ出す? こんなところでビーコン電波なんて出せないだろう。携行レーザーでも使うのか?」
地上に居る人間を空から見つけるのは中々に骨の折れる作業だ。ましてや目標は、辺り一面森で埋め尽くされているこの地形の中で、ファラゾアに見つかることを避けるため目立たない様に物陰に隠れている筈だ。
しかも救出作業はファラゾアに迎撃されないよう、一秒を惜しんで迅速に行う必要があるので、ゆっくりじっくり探して回る訳にはいかない。
もたもたしていれば、救難機がファラゾアに撃墜される。
しかしファラゾア降下点まで500kmを切っているこの辺りで、救難ビーコンの電波など出そうものなら、一瞬でファラゾアに探知されて大量の敵をおびき寄せる事となるのは間違いなかった。
かといって、お互いどこに居るか分からないパイロットと救難機の間で、何か有効な方法があるとも思えなかった。
この地方に来てまだ日が浅い達也は、彼等なりの何か有効な位置特定方法があるのだろうと思った。
「なに、難しい話じゃ無い。大凡のポイントに近づいて来たら、拡声器使ってがなり立てるんだ。ママが迎えに来たぞ、ってな。辺りが静かだから、案外遠くまで聞こえるもんだ。聞こえたらパイロットは発煙筒を焚くことになってる。真っ白な世界で赤い煙は結構目立つ。かといって信号弾じゃ目立ちすぎて、ファラゾアに見つかっちまう。」
案外単純な話だった。
確かに音声であるなら、300kmも彼方のファラゾアに聞こえることは無さそうだ、と達也は納得した。
「さてそろそろ推定墜落地点だ。赤い狼煙が上がるのを見つけたら教えてくれ。
「こちら3877TCS、フィエルヴィエルク03。救助に来た。聞こえたら発煙筒で知らせろ。こちらフィエルヴィエルク03。助けに来た。聞こえたら・・・」
対地高度500mでフィエルヴィエルク03が外部拡声器を使って呼びかけ始めて数分、右前方10kmほど先の森から赤い煙が立ち上るのが見えた。
「確認した。待ってろ、すぐに行く。」
少しでも安心させるためであろう、遭難者に対してさらに拡声器で発煙筒の煙を確認した旨を告げ、Su-117はフュエルジェットに点火して、白い森の中に立ちのぼる赤い煙に向けてまっしぐらに加速していった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
最近気になること。
変な日本語を使う人が多いこと。
「~させて戴きます」・・・いや勝手にやりゃいいじゃん。てかそれまともな謙譲語じゃ無いからね?
「~をお聞きして下さい」・・・すでに日本語でないw
まあ、NHKが「天皇陛下は飛行機で移動されました」とか言っちゃう時代なので仕方ないのかな、と思いつつも、せめてNHKのニュースキャスターはまともな日本語使えよ、と。
そのうちNHKのニュースで「天皇ご一家は那須の御用邸に行かれました」と言ってしまう日がいつくるかとニヤニヤしながら待ってます。
天皇陛下が「イカレる」とは何事だあ! と、右翼から総攻撃食らうのではなかろうかと。
ニュースキャスターならせめて最高敬語は正しく使って欲しいなあと思うのですよ。
まあ、私自身完璧な日本語が使える訳では無いのですが。
でもここ「なろう」でも沢山見かけて、結構気になります。気になり始めたらもうジジイですかねえ・・・
ファミレス店員の「宜しかったですか?」と同じで、気になり始めるとむっちゃ気になるんですわ。
すみません。どうでも良い雑談でした。