7. 呪詛を吐く女
■ 6.7.1
「あー! ムカツクムカツクムカツクむかつく! あのクソ野郎!」
カチェーシャは自分の向かいに席に座り、力を込めて丸パンを千切りながら胸の内に淀んでいたのであろう感情を吐き出すように口にした日本人を、スープを掬っていた手を止めて半ば呆れた表情で眺めた。
彼女が聞いていた限りでは、日本人というのは感情の表現が少ない何を考えているかよく分からないという評価を一般的に与えられた、その言葉の限りでは僅かながらに不気味と言ってさえ良い印象を受ける物静かさでは定評のある民族だったはずだ。
だが今彼女と共に夕食を摂っている同じ小隊の僚機を操る、細い体の線に比例した小さな頭を飾る肩口で切りそろえた艶やかで見事な黒髪を逆立てそうな勢いで上官のことを罵る同僚を見る限りでは、人の口づてに聞いた噂や活字で印刷された情報として仕入れた知識は常に全ての日本人に当てはまるわけではないと彼女が納得するだけの実践的な事実として、思いつく限りの罵詈讒謗を音声に変換して放出する火炎放射器のように自分の前に置かれた夕食のトレイに向けて次々とどす黒く染まった言葉を叩き付ける様に吐き出し続けていた。
カチェーシャはここハバロフスクで生まれ育ったいわゆる地元出身兵士であるが、もともとハバロフスクには日本人居住者数があまり多くなく、軍に入ってここハバロフスク・アエロポルトを根城としている国連軍に配属されるまで直接的な日本人の知り合いというものを持ったことがなかった。
もちろん今彼女の目の前で黒魔術の呪詛の様な闇を垂れ流し続ける小柄な日本人が彼らの典型例であると信じ込むつもりもなかったが、これまで持っていたかの民族に対するイメージを根底から覆す大事件が今まさに目の前で発生していることだけは否定しようがなかった。
「あんなモンじゃないの? 変な無理難題押しつけてきたりセクハラしたりしないだけ、むしろまともな上官だと思うけど?」
そう言って、それでも同僚の気が晴れることなどないのだと理解している彼女は、自分のトレイに乗っているポテトサラダをフォークですくって口に運んだ。
「当たり前よ。そんな事されてたまるもんですか・・・いや、するならするで、あのクソ野郎を地獄に叩き墜とす良い口実にはなるか。おーし、カモンセクハラ。指一本でも触りやがったら、即座に国連軍セクハラ相談窓口にあることないこと書き連ねて報告書を送ってやる。」
「いや、無いこと書いちゃダメでしょ。っていうか、実際何がそんなに気に入らないのよ? 具体的に。」
今やカチェーシャは食事の手を完全に止めて、怒りを募らせ同じ様に手が止まっている優香里の吐き出す上官の悪口に付き合わされていた。
「自分の方の索敵が弱いからって、いきなり諦めてこっちに丸投げしたのがムカつく。こっちがムカついてんの分かっててそのまんま放置したのがもっとムカつく。スマンの一言も無いのがさらにムカつく。馴れ馴れしく名前で呼ぶのがムカつく。ヨーロッパからやってきたってお高くとまって、なんか横入りしてきたのもムカつく。得意げに英語喋ってんのがムカつく。英語上手いから余計にムカつく。Rの発音とか妙に上手いのがチョームカつく。大体まだ一回も戦ってないし、強いのか弱いのかさえ分かんないのに当たり前みたいに偉そうすんのがサイコーにムカつく。」
左手のフォークと右手のナイフを力一杯握り締め、優香里はまるで達也に呪いでも掛けようとするかの如く、据わった眼でテーブルの上を睨み付けながら呪詛を垂れ流す。
「・・・ガキか、アンタ。」
付き合いきれないとばかりにカチェーシャは食事を再開した。
偉そうにするも何も、そもそも相手は上官なのだ。偉そうにするのが仕事みたいなものだ。
右手に持ったフォークでトレイの上のチリビーンズを追いかける。
フォークによる刺突攻撃から逃げ回り続ける妙に防御力の高いチリビーンズを追いかけるトレイの向こうで、優香里が相変わらず真っ黒い呪いの言葉をブツブツと吐き出し続けている。
その障気の塊の様な日本人の向こう側に動きがあってカチェーシャはふと視線を上げた。
先ほどから優香里の呪詛の対象となっているまさにその新任の上官がトレイを持ち、呆れた様な表情で闇の毒を撒き散らし続ける優香里を眺めながら彼女のすぐ後ろを通り過ぎるのと眼が合った。
達也と眼が合ったカチェーシャは、疲れた様な呆れた様な表情で苦笑いを浮かべ、それを認めた達也は軽く眉を動かすともう一度優香里を見やってから、彼女の向こう側を通り過ぎていった。
元々民間空港であったハバロフスク空港のフードコート施設をそのまま流用して食堂としているため、基地に勤める職員を含めて、食堂のスペースには十分な余裕があった。
達也はその広い食堂の中央辺りに自分の部下である二人が向かい合って座っている姿を認め、まだ知り合って間もない彼女達と多少なりとも親睦を深める一助になればと共に食事を摂るつもりで近づいてきたのだが、近づくにつれて明確に聞こえてきた優香里が吐き出し続けるどす黒い呪詛の対象が自分であることに気づき、近くに座ることを躊躇われて当初の予定を急遽変更して優香里の後ろを素通りすることとしたのだった。
すぐ後ろを通過することでより明確に聞き取れるようになった自分をターゲットとした呪いの言葉の数々に半ば呆れ、丸まった優香里の背中に目をやったついでにその向こうに座るカチェーシャを見やると、彼女は困ったような諦めたような苦笑を自分に向けてきたことに気付いた。
どうやら自分を呪い殺そうとしているのは部下の内約一名のみで、残る一名は、背を丸め左手にフォークを、右手にナイフを逆さに立てて持ち、贄として捧げられるものと推察される調理した羊の肉片や香草類が盛られた金属のトレイを両腕の内側に抱え込んで、供物の上に呪詛を振り撒き吐き続けるこの冒涜的な儀式がまだ明るいうちから事もあろうに衆人環視の中で行われる事態に付き合わされることを喜んではいない様だという事を確認できただけで良しとするかと、達也は納得して別の場所で落ち着いて夕食を摂ることにした。
巻き込まれた約一名がその救い様の無い儀式から救い出して欲しそうにこちらにチラチラと視線を送って来ているのに気付かないでも無かったのだが、辺りにまき散らされる障気の発生源に近寄るのも躊躇われ、貴い犠牲のもと自分は安らかに夕食を終えようと決めて少しカレーに似た感じのする羊肉料理を手早く掻き込んでいった。
寒い中肉体労働の多い兵士達の欲求を満たすため、それなりに量がある食事を終えて下膳口に向かおうとする達也は、相変わらず濃厚な障気をはき出し続ける黒髪の女の後ろ姿と、障気に当てられて生命力と精神力のほとんどを使い果たしてしまったかのようにうんざりと肩を落とした向かい側の女の姿を再び認めた。
達也は女の冥福を祈りつつ、自分までがその被害を食らってしまうことだけは避けようと、足音を僅かに忍ばせながら足早に食堂を後にした。
翌日、出撃時間よりもかなり早くからハンガーに入り整備兵と共に機体の各所のチェックをしていた達也に、一時間ほど経ってからカチェーシャが後ろから話しかけた。
ロールアウトしてまだ数日、その間にかなり傷付く戦いを一度経験した機体にどれだけの初期不良が出ているかを確認していたのだ。
「酷いわね。助けてよ。あの後大変だったんだから。」
整備員と共にレーザー砲脇の点検パネルを覗き込んでいた達也は、その声に振り返った。
「済まんな。だからと言って、彼女がエキサイトしているところに俺が割り込んで、火に油を注ぐ訳にもいかんだろう。」
「とりあえず、アタシが逃げ出す切っ掛けにはなった。」
「お前も大概酷いこと言ってるぞ。」
「部下は大切にした方が良いわよ?」
「上官は敬った方が良いと思うぞ。」
一瞬の間の後、カチェーシャと達也は顔を見合わせて笑った。
もう一人の罵詈雑言発生器みたいな奴はともかく、コイツとは上手くやっていけそうだと思った。
カチェーシャは達也の元を離れ、自分の機体に近付いていき、チェックを行っている整備員に話しかけた。
二時間ほど整備員と共に機体周りの確認を行い、思っていたほどには不良が出ていないことと、そのほとんどに対処がなされていることを確認した後、達也はいったんハンガー内の詰め所に引き上げた。
詰め所の脇には小振りなロッカールームがあり、ハーネスや耐Gスーツなど、フライトスーツの上から着用する様々な装備品が置いてある。
達也は防寒のために羽織っていたジャンパーを脱ぐと装備品を身につけ、再び機体に向かう。
ロッカールームから直接ハンガーに出られるドアを開けたところで武藤に出会った。
武藤の3345B2小隊の出撃順は達也達3345A2小隊の一時間後であるのだが、どうやら武藤も達也同様、早めにやってきて時間を掛けて初期不良のチェックを行っていたようだった。
「よう。」
「うす。早いな。」
ちなみに二人は日本語で会話している。
「お前もな。思ったより少なかったな。」
「ああ。さすがMONEC直轄工場で作った機体ってとこか。もう乗るのか?」
MONEC社のワイヴァーン改良型(mk-2)の初期ロットということで、二人の乗る機体はMONEC社直轄の工場で製造されたものだった。
MONEC社が存在するヨーロッパ、特に高島重工業がある日本などは、ファラゾア来襲前はそれほど高い戦闘機量産能力を保持しているわけでは無かった。
MONEC社の名称(Machinary Organization Network of Earthwide Connection)に表されるように、MONEC社は多くの機械工業関連の会社を統合した、或いは協力関係にあるコングロマリット、或いはコンツェルンと言える企業集合体であり、その傘下にはファラゾア来襲前には大量の自動車を製造していた自動車会社が存在する。
化石燃料と電気の絶対的欠乏により、ファラゾア来襲後の約五年間は自動車の製造販売量がゼロに近い所まで落ち込み、このとき多くの自動車会社が対ファラゾア戦において大量に必要となる航空機製造業へと転身するか、或いは倒産した後にその大量生産能力を買われて航空機メーカーに買収された。
元々航空機製造に関する経験に富んでいた航空機メーカー直轄の工場で製造された機体に比べ、自動車産業から航空機製造業に転身した工場で製造された機体は比較的多くの初期不良を抱えているという事実は、この時代の前線兵士達の間では実際の経験に裏付けられた常識と言っても良かった。
もっとも、2045年現在、過去に自動車を大量に生産していた製造ラインを管理するノウハウを転用し、元自動車製造業の航空機工場はもともと航空機を製造していた工場の製品品質と十分に張り合えるだけの機体を製造できるようにはなっている。
達也と武藤の二人が言っているのは、彼らの過去の経験で積み重ねられた、なかなか拭い去ることの出来ない印象に基づく先入観と言ったところだ。
「ちょっと早いけれどな。一度きっちり前の型とのシステムの変更点を確認したかったんだ。」
「なるほど。俺もやっておくか。」
そう言って二人は、どちらともなく肩の高さまで上げた右手の拳を打ち付け合い、すれ違う。
達也はそのまま自分の機体に向かった。
達也の両脇は、右側がカチェーシャの機体だが、反対側はB1小隊の三番機が駐まっている。
達也が自分の機体の元にたどり着いたとき、B1小隊はちょうど今から出撃するためのエンジン起動や最終確認を行っているところだった。
ルーチン出撃のエンジン起動や最終確認は、通常であればエプロンで行うものだが、戦闘機の動力が核融合炉となりアイドリングでは化石燃料の燃焼排ガスが発生しないこともあって、この極寒の地では格納庫の中で行われるのが常識となっている。
複数の整備員が隣の機体の周りを走り回るのを尻目に、達也は装備品を身に付けいつでも出撃できる状態でラダーをよじ登り、コクピットに収まった。
シートの上に置いてあったHMDを取り上げ、HMDコネクタケーブルをシート脇から引っ張り出して接続してから被る。ネックストラップは締めない。
コンソール脇のシステム起動スイッチを入れ、外部電源供給状態でシステムを起動する。
コンソールが一瞬瞬き、システム起動画面が表示された。
パラパラといくつかのコマンドが表示されて画面上方に流れた後、通常のコンソール画面に切り替わる。
同時にHMDもインジケータを表示した。
コンソール表面をタッチし、メニュー画面を呼び出す。
達也は表示されるメニューを次々と押し、表示されるメニューや機能の変更点を確認する作業に没頭していった。
三十分ほどシステム確認作業に没頭していると、レシーバから出撃前確認作業に入るという声が聞こえた。
その声に我に返りコンソールの時計表示を見ると、いつの間にかウラジオストク時(VLAT)で出撃時間の三十分前となっていた。
周りを見回すと、L1、A1、B1各小隊の機体駐機スポットのある格納庫入り口側は完全にからになっており、反対側のA2小隊二番機にはすでにカチェーシャが乗り込み、ラダーから身を乗り出す整備員と何かを話していた。
その向こう三番機の機上にも同様に出撃前チェックを行っている優香里の姿が見える。
「精が出るな。ご苦労さん。エンジン起動と最終チェックに入る。」
反対側からコクピットに顔を出した中年のロシア人の整備員が言った。
「諒解。エンジン起動および出撃前最終チェック。」
幾つかのスイッチを入れ、核融合燃料が満タンであることを確認した後、右手で上を指しながら回してハンドサインを送りながら、エンジン起動のスイッチを押し込む。
融合炉燃料送液器が作動して核融合炉内に反応燃料を送り込み、同時に核融合炉点火シーケンスが起動して、リアクタイグニッションチャンバ内にイグニッションレーザーを打ち込む。
重水素による核融合反応を開始したチャンバ内温度は一気に数千万度に達し、イグニッションチャンバが解放されて核融合プラズマがリアクタ内に一気に流れ込み、リアクタフュエルで満たされたリアクタ内部で核融合反応を連鎖的に発生させることで、核融合炉に「点火」した。
核融合炉内の温度は反応熱により一瞬で一億度を超えて、所謂安定的核融合反応状態に達した。
リアクタで発生した高熱は、リアクタを覆う熱転換器を通じてジェットエンジン、或いは放熱器に到達する。
サーマルコンバータを通過する高熱は、コンバータ内部で数千もの層状に積み重ねられたベッテルハイム素子内を通過する際に電流を発生し、ベッテルハイム素子が直列或いは並列に複雑に連結されたサーマルコンバータは大電流を外部に放出する。
核融合炉からの安定的電力供給を確認した整備兵は別の整備兵に外部電源コネクタを外すように指示した後、ラダーから飛び降りて機首に回る。
整備兵が手にした機体整備用モニタの表示に基づいて、達也を含めて他の整備員に次々とチェック項目の実施を指示して出撃前最終チェックは進む。
整備兵の指示は、達也の機体内部ネットワークを通じて、パイロットである達也のレシーバにももちろん、外部コネクタにそれぞれのレシーバを接続している他の整備兵達に届く。
最終チェックを完了し、コンソールから顔を上げた達也は隣の二番機とその向こうの三番機を見た。
カチェーシャの二番機はすでに最終チェックを終え、整備兵とコクピットのカチェーシャがこちらを見ている。
その向こうにいる優香里の三番機は、ちょうど最終チェックを終えたところだった。
達也は整備兵に輪留めを外すように指示し、着陸脚に噛まされていた輪留めを取り除いた整備兵達は同時にレシーバのコネクタを抜いてパネルを閉じ、機体から離れた。
隣のカチェーシャに発進のハンドサインを送った達也は、格納庫の反対側の壁に張り付いた達也の機体担当整備兵長の指示に従って機体を動かしはじめ、格納庫内の狭い通路を入り口に向かって進む。
達也のハンドサインを受けたカチェーシャは同じハンドサインを反対側の優香里に送って、達也同様に整備兵の指示に従い格納庫入り口に向けて動き始めた。
達也達の機体が動き始めたのを見て開かれた格納庫の扉を抜け、暗灰色に塗装されたワイヴァーンに続き同じ色に塗られた蒼雷二機が、小雪のちらつく白い世界に、狩りに行く猛獣が寝場所から抜け出して狩り場を目指し歩き始めたかのように、ゆっくりと這い出てきた。
三機は頻繁な除雪も空しくうっすらと雪の積もったエプロンを横切り、誘導路に進入する。
滑走路北西端まで誘導路で機体を進めた達也達三機は、速度を緩めることなくそのまま滑走路に進入した。
滑走路に到達する直前に、すでに離陸許可を得ていた三機は、滑走路に進入した速度をそのまま、さらに増速して滑走を開始する。
雪で覆われた白い空港にフュエルジェット点火の爆音が鳴り響き、一気に回転数が上昇するジェットエンジンの甲高い金属音の後、リヒートが点火された轟音と共に三機は急激に増速していく。
滑走路の半分ほどで機体を浮き上がらせすぐに着陸脚を畳み込んだ3345A2小隊は、曇り空の明かりの下でも青く輝くリヒート炎を長く引きながら機首を上げ、急激に上昇しながら辺りに鳴り響く轟音を後に残し、低く垂れ込めた雪雲の中に矢のように突き刺さり消えていった。
いつも拙作お読みいただきありがとうございます。
済みません。後半調子に乗って書いていたら長くなってしまいました。ちょっとやり過ぎたかも。
空戦に至る手順とはいえ、出撃のシーケンスを余りだらだらと書くものではないですね。
ベッテルハイム素子とは、ユダヤ人科学者カール・ゴダード・ベッテルハイム博士が開発した、熱発電素子です。要は、ペルチェ素子の逆と思って下さい。
もちろん、架空のものです。
ここで「え? この素子があったらエントロピー機関出来るんじゃ?」とお気づきになった方もおられると思います。
その通りです。(冷汗
21世紀の地球人類にいきなりエントロピー機関なんぞ発明してもらっては困るので、起電力を発現するためには両極の温度差が数百度以上あること、という条件を設けます。(笑)
あと、お礼を申し上げるのが遅くなって申し訳ありませんが、誤字報告戴いている皆様、いつも大変お世話になっております。
とってもありがたいです。申し訳ありません。
アップロード前にある程度確認は行っているのですが、何分にも自転車操業の執筆になってしまっているもので、チェックが甘々のダダモレ状態になってしまっているようです。
拙作を読んでくださっている皆様には、読みにくい思いをさせてしまい申し訳ありません。
誤字脱字、少しでも減らそうと努力して参りますので、ご容赦下さい。