6. 白銀の大地
■ 6.6.1
昨日までの酷いブリザードがまるで嘘であるかのように空は晴れ渡り、低層から高層まで見渡す限り一片の雲も存在しなかった。
頭上には、濃い青色の空が広がり、眼下には遙か彼方まで白一色のまるで大海原のような森が広がっていた。
よく見れば少し飛び出した木々の先端とその間の凹んだところがあり、不規則に波が存在するように細かな凹凸が続くところまでまるで海の表面そっくりだと、達也はその非常識な森の広大さに感動さえ覚えながら足下から地平線の彼方まで続く木々の群れを眺めていた。
海と異なるところと言えば、その波打つ表面が一切動かないこと。
時間までもが凍り付きそうな雪と氷とで閉ざされた世界は、まさにその通り大海原のさざ波さえ凍らせて時を止めたかのように、一切の動きなどなく地平線の彼方までその時を止めた領域を広げている。
「ポイントRJ07通過。GDD感無し。ベルクート02、AWACSリンク良好。AWACS情報も敵影無し。」
達也の後方でカチェーシャの隣、3345A2小隊三番機の位置を飛ぶ難波優香里少尉の機嫌の悪そうな声が、周辺空域に異常のないことを告げる。
彼女たちが乗っている高島重工製の戦闘機「蒼雷」は、現在の戦闘機の任務が半ばは格闘戦に勝利することであり、残りの半分がRAR(Routine Armed Reconnaissance)と呼ばれる、敵との交戦が発生することを前提とした武装巡回偵察行動であることをよく理解した設計となっていた。
蒼雷に搭載されたGDDやOPS(OPtical Seeker;光学索敵器)と云った受動索敵機器は、達也が乗っているMONEC製の戦闘機ワイヴァーンmk-2に搭載されているものよりもかなり性能が良く、ただ敵の存在を関知するだけであれば200km近い遠方の敵を見つけてしまうという、AWACSの探査能力に迫ろうかというほどのものであった。
これはMONECと高島重工の戦闘機設計の思想が如実に表れた結果であった。
MONEC社は前線兵士から汲み上げた意見を設計に反映させ、ファラゾアと渡り合えるだけの脚と運動性、そして確実に敵を墜とせる攻撃力、つまり敵を墜とすための能力を追求した設計となっている。
それに対して高島重工は、勿論同様に前線兵士からの意見は汲み上げつつも、より遠距離の探知性能、従来よりも遠距離から有効な射撃が可能である攻撃力を備えることで、生存率がパイロットの技量とダイレクトに比例する接近戦での乱戦を避け、敵とある程度の距離を取りつつも満足のいく成果を上げて帰還することを可能とする、兵士を生き残らせる事に重点を置いた設計となっている。
勿論それはどちらが優れている、或いは劣っているというものでは無い。
どれだけ格闘戦能力が高かろうとも、パイロットが能力的に捌ききれる以上の数の敵に包囲されてしまえば、袋叩きに遭い簡単に墜とされてしまう。
どれだけ遠距離から攻撃できる様になろうと、そもそも加速性能が比較にならないほどに高いファラゾア機に一瞬で距離を詰められてしまえば意味は無い。
そしてファラゾアは常に人類側の数倍から百倍もの戦闘機の数を揃えて侵攻し、それら進行してくる敵機全てが地球人類の戦闘機とは比較にならない超高加速が可能なのだ。
現時点では、攻撃に重点を置くか生存に重点を置くか、どちらがより有利な対ファラゾア格闘戦の設計思想であるのか、軍首脳部のみならず、航空機メーカーにも前線の戦闘機パイロット達にも結論は見えては居なかった。
その設計思想の異なる機体が混ざって運用されているのが、達也の3345A2小隊でありまた、武藤が指揮する3345B2小隊でもあった。
達也が二十時間も掛けて遙々ヨーロッパから持ってきた機体よりも自分達のものの方が優れているのだと、得意気にその高い性能を解説されて自慢されてから後は、自機の索敵能力を使用することを早々に放棄し、RAR中の索敵については彼女達に全て任せると達也は宣言した。
カチェーシャは、まあ仕方ないわねなどと言いながら苦笑いを浮かべていたが、一方の難波少尉はどうやら達也のその丸投げが気に入らなかったらしく、それ以来達也とは最低限以上の言葉を交わさなくなり、必要があってどうしても達也と会話しなければならない時など、明らかに機嫌悪そうに達也を睨み付けるようになった。
任務放棄をするつもりは無いらしく、それが必要である時にはまさに今行った様に口頭での報告を欠かすことは無く、不必要に反抗的な態度を取る訳でもないので、達也は彼女の態度については放置して気にしないことにした。
どうやら達也のその態度がまた気に入らなかったらしく、難波少尉の態度がさらに刺々しいものになり、カチェーシャはさらに苦笑いを深めることとなったのだが、難波少尉のご機嫌伺いをする事がファラゾア撃破数の向上に役立つこととは思えず、達也はやはりこれも放置することとした。
面倒臭いガキ。それが達也の彼女に対する評価の全てだった。
これだけ空が澄み渡っていれば、150kmも彼方に居るAWACSからのレーザー通信を受け取る事が出来る。
敵側に大きな動きがあった時や、緊急事態の時だけ無線を通じてAWACSからの警告が入るだけの普段に較べ、索敵データをそのまま受け取れるのは有り難かった。
もちろん冬のロシアでこれだけの晴天に恵まれる天候などひとシーズンに数えるほどしかなく、いつもこんなに甘い偵察が出来るとは思わない事ねと、期待通り難波少尉が達也に向けて余計な一言を言い、そしてカチェーシャが苦笑いする。
どうやらこれがお決まりのパターンになりつつある様だ、と、やはり同じく何も映っていない自機の戦術マップを確認しながら、意味の無いやりとりに達也は軽く溜息をついた。
ハバロフスクを出て国道沿いに西進すると、オブルチェの街でアムール川に接近する。
オブルチェからは中国との国境であるアムール川の北岸に沿って飛び、ノヴォブレイスキーからアムール川の支流に沿って北上する。ブレイスコエ貯水池を越えてノーラ降下点から450kmの円周に沿ってさらに600kmほど北上するとオホーツク海に行き当たる。ここで反転して、出発地であるハバロフスクに向けてほぼ一直線に帰投する。
大きく三角形を描くようなこのRAR(或いはほぼCRAR)のコースは全工程で約2000km、500km/h前後のモータージェット巡航で約四時間の行程となり、これはハバロフスク航空基地に所属する国連軍百二十機が担当するRARコースのうちの一つである。
この地方のこの季節にしては珍しい晴天の下、そのRARコースを達也達3345A2小隊は高度5000mで飛んでいる。
一時間分、約500km後方に武藤の指揮する3345B2小隊も同じコースを飛んでいる筈だった。
ノーラ降下点から、ハバロフスク-コムソモリスク・ナ・アムーレ間に引かれた防衛ラインまでが約700kmしかないという「過密」地域であるため、ハバロフスク航空基地、ツェントラリニ・エアロドロム航空基地およびコムソモリスク・ナ・アムーレの三基地からは、それぞれ二つずつ担当するRARまたはCRARコースに対してほぼ一時間おきに戦闘機小隊が送り出されていた。
その為、複雑に組み合わさったRARルート上を飛行する部隊も空中でそれなりに過密した状態となり、RAR行動中に他基地あるいは自基地が分担する他のRARルート上を飛ぶ友軍機と接近する事態は頻繁に発生し、時にはお互いを目視できる程の距離にまで近付くこともあった。
今まさに、高度差500mほどを保ったまま針路26で達也達の前を横切る様に飛ぶ三機の青い機体も、まさにその様な友軍機であった。
達也は、白銀の大地を背景に飛ぶその懐かしい色で塗られた三機の蒼雷を目で追った。
ツェントラリニ・アエロドロムに駐留している日本軍機だった。濃い青と紺色で施された海洋迷彩塗装は、その機体が日本海軍機であることを物語っている。
遠すぎてその国籍マークまでは肉眼で認識できないが、その主翼の中央部にはレッドサン、或いはミートボールと親しみを持って呼ばれる赤く塗りつぶされた円が描かれているはずだ
四〇式零改を駆って飛び回った南シナ海の柔らかな青色の空と、遠慮なく好きなことを言い合った賑やかな日々を思い出す。
機体の愛称の通りの色に塗装された三機の蒼雷は、達也達の前を横切ると翼を振りながら徐々に遠ざかっていった。
しばらく飛んだところでオブルチェの上空に達する。
「進路34に変更。高度速度そのまま。ユカリ、敵の動きはあるか?」
機体を僅かにバンクさせ、緩く右に旋回しながら自慢の索敵能力を持つ蒼雷に乗る難波優香里少尉に索敵情報を問う。
「ユカ・・・敵影無し。GDD感無し。」
達也は難波優香里少尉の反応から、どうやら彼女がユカリと呼ばれる事に驚いた事を察した。
カチェーシャを愛称で呼んでいるのだから、ユカリと呼んで何が悪いのかと思ったが、そう言えばカチェーシャからはそう呼べと言われたのに対して、ユカリからは何も言われていなかったな、と思い出した。
そして、どうでも良いか、と思い直した。
初対面から意味もなく敵愾心むき出しでぶつけてくるような女に気を遣う必要もないだろう。面倒だ。このままユカリで良い。
「ノーラ降下点に最接近するエリアを通過する。オホーツク海に出るまで警戒を最高レベルに引き上げろ。」
「12、諒解。」
「・・・13、諒解。」
アムール川の支流に沿って北上すると、巨大なブレイスコエ貯水池に出る。
もちろんこの時期湖面は完全に凍結しており、さらにその上に雪が積もっているため、上空から見ただけではそこが湖なのか平地なのか区別は付かない。
しかしそこに巨大な湖があることを知っていれば、平坦な地形が凍った水面だと云うことは判る。
索敵は全面的に任せるとは言ったものの、達也も西の方角を重点的に左右を見回しつつ、時折戦術マップを確認しながら辺りを警戒する。
三時の方向に黄色のターゲットマーカが三つ。
GDDに感が無い事から、ラジオOFFにしている友軍機だろう。先ほどすれ違った日本海軍機とはまた別の小隊の様だった。
無言の時間が過ぎていくと共に、達也達3345A2小隊は冬の太陽の光を浴びて白銀に輝いているなだらかな起伏の続くシベリア内陸部を北に向けて飛び続けた。
前後左右、見渡す限り真っ白く塗りつぶされた様な針葉樹林がどこまでも地平線の彼方まで続いている。
頭上に真っ青な空と澄み切った大気の中強烈な光を投げつけてくる太陽。
それに対して下方は全て白銀色に輝く大地。
荒涼として岩だらけの生き物の影もない赤茶けた砂漠の上を延々と飛び続けたり、点々と緑の島が連なるミントブルーの海とセルリアンブルーの空に挟まれて漂ったり、達也がこれまで経験してきた様々な地域での飛行に勝るとも劣らぬほどに、現実感の抜け落ちた様な無機的である意味シュールな景色がどこまでも続いており、そしてどこまで飛んでもそれは変わらなかった。
その間、小隊内で特に言葉を交わす訳でも無く沈黙の時間が続く。
広い範囲で快晴の天候が広がる今日は、広範囲の探知が自慢の蒼雷であっても、探知可能なレンジの外から狙撃される可能性もある。
達也としても新しく配属された基地での初日の出撃であり、ノーラ降下点のファラゾアの動き方や、それに対する地球人類側の防衛配備や対応など、出撃前に一通り話は聞いてはいたものの実地で自分の経験としての知識はなく、いつもよりは慎重に索敵を行っていた。
そして結局、何事も無いまま達也達は500kmの距離を飛行し、オホーツク海のウダ湾に到達する。
ウダ川が海に注ぎ込む河口に存在するチェミカンという小さな村の上空で反転し、針路18でほぼ真南に向けて帰投する。
オホーツク海も全面的に結氷しており、達也達が今反転したその先もまだ白い平原が延々と続いており、低い山並が青い空との間に連なるその境目だけが辺りを見回した時の目立った色の変化だった。
帰路はハバロフスク航空基地までほぼ一直線のコースを辿る。
勿論その航路上でも完全に気を抜くことは許されず、万が一警戒網をかいくぐって防衛ラインに近付く敵機を発見したならば迎撃行動を取らねばならない。
また、近くで味方の部隊が敵に接触した場合、敵が優勢であるならば救援要請が飛び、AWACSからの指示により全速で迎撃に向かわねばならないこともある。
達也達は警戒を完全に解いてしまうこと無く帰路の700kmを飛行し、眼下にハバロフスクの街並みが見えてきたところで市街地上空を反時計回りに半周して、基地へのアプローチに入った。
先日の猛吹雪の中での着陸とは打って変わって、クリアな視界の中、完全に除雪された滑走路に向けて部下が一機ずつアプローチしていくのを達也は上空から見守る。
二機とも問題無く着陸したことを確認し、達也自身も基地に向けてアプローチに入り、危なげなく地上に降りた。
たった二日前、ロールアウトしたばかりとはとても思えない程多量の被弾痕が機体のあちこちに目立ち、外観のみでは無く確実に内部までダメージを受けていると思われていた機体は、見た目だけでなく機体内部についても完全に整備されていたらしく、今日の出撃の間にエラーのひとつも発生する事はなく帰還することが出来た。
一昨日ある意味感動すら覚えたロシア人の大雑把さと手荒な合理性に驚かされた達也だったが、その体験からは想像出来ないほど完璧に整備された機体に達也はまた別の意味での感動を覚えつつ、誘導員の指示に従ってハンガーの駐機スポットに機体を止めた後にキャノピーを解放してHMDヘルメットを脱いだ。
達也は脱いだヘルメットを膝の上に置くと大きく息を吐いた。
ふと脇を見ると、整備兵へ自機の引き渡しを終えた優香里が、こちらを振り返ることもなくパイロット詰所に向けて歩いて行く後ろ姿が見えた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
一度ルーチン業務(RAR)を最初から最後まで書いてみるのも良いかと思いまして。
それならそれでもう少し景観や達也の内心についての描写を増やした方が良かったかもと思ったり。
作中に出てきますが、日本海軍機の塗装は、①現在の航空自衛隊F-15同様の明灰色、②同F2同様の海洋迷彩、の二種があるとしています。どちらを選ぶかは、部隊司令或いは飛行隊長の判断という事で。
ちなみに日本空軍機は基本上記①の塗装です。
よくご存じと思いますが、国連軍機はチャコールグレイとダークグレイの二色塗装です。ほぼ黒に近いです。シベリアでは悪目立ちし、南国では目玉焼きが出来そうですが。