5. 高島 F9 (A2T2-E5) 蒼雷
■ 6.5.1
「北極回りで来たんだって? 遠路はるばるご苦労さん。お互い日本人だ。日本語で良いか? 未だに英語はちょっと得意じゃなくてな。」
そう言って国連空軍ハバロフスク航空基地所属3345戦術飛行隊長の高崎俊彦少佐は、自室に備え付けられた少しくたびれた感のあるソファに腰を下ろし、達也と武藤にも向かい側のソファに座るように促した。
達也達二人は指し示されたソファに並んで座る。
ちょうどその時、まるでドアの外に控えていたかのようなタイミングで女性兵士が一人室内に入ってきて、三人の前に湯気の立つ紅茶が入ったマグカップを置いて退室していった。
その女性兵士は礼を言う高崎少佐の言葉に何の反応も示していなかったが、二人の前にマグカップを置いた後に、まるで品定めするかのように達也と武藤をちらりと見た。
「紅茶党でね。最近はインドの紅茶がなかなか入って来ないから手に入りにくいんだ。幸い同期に台湾に居る奴が居て、大量に送ってもらって何とか繋いでるところだ。」
そう言って高崎少佐は幸せそうな表情でマグカップから立ちのぼる湯気の香りをひと嗅ぎすると、カップに口を付けて一口啜った。
「さて。報告を聞こうか。簡単な概要で良い。細かいところは後で報告書にして出してもらう。北極海でやり合ったって?」
マグカップをテーブルに戻して、足を組みながら背もたれに背中を預けた少佐が言った。
「ファラゾアとの交戦記録の正確な座標とログはフライトレコーダを参照して下さい。概要を口頭で報告します。水沢中尉と小官は、他にイルクーツクとカザフスタンに配属されたそれぞれ二名ずつの四名、計六名の二小隊で昨日1000時過ぎにブレーメンを発ちました。」
遠慮なく紅茶のマグカップに手を伸ばし、格納庫の寒さに冷えた身体を温めようと紅茶を啜る達也を横目で見て、武藤が口を開いた。
「モータージェット巡航にてブレーメンから方位00で北上、スバールバル諸島を越えて北極点近傍500km、東経110度辺りを飛行していた時に約二百機からなる敵部隊が北極海氷原地表に着陸しているのを発見しました。」
「ちょっと待て。着陸している敵をどうやって見つけた? GDDが反応したという事か?」
「はい。120kmほど離れた場所からGDDにて探知しました。或いは、着陸していた敵部隊が、接近する我々に気付いて活動を開始したのかも知れません。いずれにしても、敵に認識されたことは確実であったので、接近し、交戦しました。」
「六機で? 二百機を相手に? よくやる気になったな。あ、いや、いい。お前達については聞いている。これでも飛行隊長だからな。」
そう言って呆れたような表情で高崎少佐は肩を竦めた。
「交戦中、敵機残数が百機を切った頃、光学シーカーが70kmほど先の地表に着陸している敵を探知しました。GDD感無し、レーダー感無しのため、地上に着陸しているファラゾア機あるいは連中の地上構造物であると判断し、確認のため接近しようとしました。我々がその着陸機に向かおうとすると、残敵の大部分が我々の進路上に集結しました。我々をその着陸機の方に向かわせまいとする動きに見えました。結局、我々の針路上に集結した約七十機全てを撃破すると、周りに散っていた残り十機ほどはそれ以上交戦すること無く、カナダ方面へと引いていきました。」
「着陸機を残して、か?」
「はい。着陸機からの攻撃はなく、我々は着陸機上空まで接近、光学画像で着陸機の形状を確認しようとしましたが、夜間である上、白い氷の上に白い機体が着陸しているため、結局その場では精確な形状を確認することは出来ませんでした。しかし、ノイズの酷い画像ではありましたが、これまで見たことのない形状の機体であったと思います。これについてはカメラ画像の記録を確認していただければと思います。結局着陸機はこちらを攻撃してくることはありませんでしたが、明らかにファラゾアのものであり、その場にそのまま残すよりはと思い、着陸機に対してレーザーで対地攻撃を加え撃破しました。これで当該空域に敵影は無くなり、味方機の損害無く戦闘を終えました。その後、原航路に戻り、我々二人はハバロフスクに向かいました。以上です。」
「どんな形だった? 大体で良い。」
「小官には球状、或いは半球状の概形に見えました。」
「球状、か。ふむ。確かに俺も聞いたことがないな。奴らまだ新種の機体を持っていやがったか。或いは橋頭堡か前進基地の地上構造物か。」
「奴らの地上構造物にも球状のものはなかったはずだ。あれは新型機だ。」
紅茶を半分ほど飲み終えた達也が口を挟んだ。
「おい、達也。」
「構わんよ。どうせ英語で喋っているときは皆そんな口調だ。俺もそうだ。それにここは日本軍の基地じゃない。俺たちは国連軍で、国連軍の公用語は英語だ。」
一瞬少佐が何を言っているのか判らなかった達也だが、少し考えて理解した。
達也は今、英語の時と同じように、日本語でも上官である少佐に対してかなり砕けた乱暴な口調で話をした。
英語と同じように日本語を操ることのできる達也にとっては、それはただ単に言語を切り替えただけのことだった。
だが、日本語を母国語とし、それに比べて英語を苦手とする少佐や武藤にとって、乱暴な口調で喋るのはただ言語能力的にそれがやりやすいからであって、母国語に戻ったときは上官に対する正しい言葉遣いをする事が普通なのだろう。
面倒な奴らだと思った。
「そうだ。お前達、故郷はどこだ? 俺よりもずっと長い間日本を出ているんだろう? 偶には故郷に帰ってるか?」
湯気の立つマグカップを右手に持ったまま、少佐は柔らかな表情になって言った。
少佐なりの気配りなのか、微妙な雰囲気になった場の話題を変えようとしているのだろう。
勿論人にも依るが、長く日本を離れて明日をも知れない戦いを続けていると、ふと故郷が無性に懐かしくなることがある。
ましてやこんな雪と氷に閉ざされた極限のような環境に置かれれば、その思いもひとしおというものだろう。
達也達がこれまでどの様な戦場を渡り歩いて来たのか知る筈も無いが、それは少佐なりの気配りか、或いは場を和ませようとした発言だったのは確かだろう。
「俺は岩手の山奥ですよ。山の斜面に張り付くようにして生活している村でね。その村のど真ん中に建ってる寺が実家です。しばらく帰ってないな。いや、日本を出てから帰ってないから、もう六年になるか。」
「そうか、岩手か。子供の頃に何度か雫石にスキーに行ったことがある。若い頃に旅行もした。八幡平の紅葉は、それは美しかった。三陸は海の幸も美味いしな。良いところだ。羨ましいな。水沢、お前は?」
少佐は朗らかな笑顔を浮かべたまま、達也の方を向いて話を振ってきた。
達也は無表情に答えた。もう慣れた話だった。
「故郷は・・・もう無い。無くなったよ。」
「無くなった?」
達也には、少佐が考えていることが手に取るように分かった。
日本国内でファラゾアの侵略により被害を受けたところは無い。
それでもどこか何らかの被害を受けたところがあっただろうかと、記憶を引き寄せ確かめているのだろう、と思った。
「俺は、国籍は日本人だが、生まれも育ちもシンガポールだ。今だって、公式な記録での現住所は昔のままシンガポールになっている筈だ。軍籍もシンガポール軍からの出向だ。俺の故郷は『始まりの十日間』の初日に壊滅したよ。沢山の人間が死んだ。酷いものだった。その後、軍に入って自分も参加した作戦で一度故郷を奪い返したが、そのあとでさらにファラゾアに再占領されて、その時に完全に焦土となったと聞いている。」
勿論、生まれ育った故郷の惨状に辛い思いをしない訳は無い。
だが、もう慣れた。
場に重い空気が流れた。
だが、似たような生い立ちを持つ者は幾らでもいる筈だった。
「それは・・・済まなかったな。」
「気にしないでくれ。もう慣れた。それに、そんな経験をしてる奴など世界中に幾らでも居る。ありふれた話だ。」
そう言って顔を上げ、顔の表情だけで笑う達也を少佐はばつの悪そうな顔で見ていた。
しばらくの沈黙の後、しかし再び口を開いたのも少佐だった。
「さて。ここに来る途中の偶発的接触の話は大体分かった。長時間長距離の移動の後だ。明日は休みにしていい。その間に今の話を報告書にして上げてくれ。それと部下への面通しも済ませておけよ・・・そうだ、カチェーシャ!」
報告書をまとめるならばそれは休みとは言わないんじゃないか、という達也の思考を他所に、少佐は大声で部屋の外にいるらしい誰かに呼びかけた。
少し経ってからノックの音の後に先ほど紅茶を持ってきた女性兵士が再び部屋に入ってきた。
「呼びましたか?」
鈍い色のブロンドを顎の線辺りで切りそろえたその女性兵士は、部屋に入るなり再び達也達二人を見て、その後で少佐を見て口を開いた。
「ああ、済まんな。A2小隊長の水沢中尉と、B2小隊長の武藤中尉だ。着任したばかりだ。済まんが面通しと、営舎への案内を頼めるか。ついでに飯も食わせてやってくれ。A2小隊のカチェリーナ・セスラヴィンスカヤ少尉だ。彼女を案内に付ける。済まんが後は彼女に頼む。俺はすぐに基地司令の所に行かなきゃならん。」
「諒解。」
承諾の返事を口にしたのは三人同時だった。
すぐに少佐のオフィスを出て、一階のパイロット詰め所に移動する。
「で? どっちがアタシの上官? ミズサワ中尉って?」
格納庫内に作られた詰め所の構造はどこも同じようなものだな、と辺りを見回す達也の意識を、セスラヴィンスカヤ少尉の少し棘の立ったような声が引き戻した。
「俺が水沢だ。堅苦しいのは無しだ。達也で良い。」
「アタシもカチェーシャでいいわ。よろしく、タツヤ。じゃ、アンタがムトー中尉?」
達也が砕けた口調で話しかけると、それが気に入ったのか、彼女の声から棘が消えた。
「ああ。こっちも豊成でいいぞ。」
「トヨナ・・・言い難い。ムトーでいい。」
武藤が地味に落ち込む。
「あのワイヴァーンがアンタ達の?」
そう言いながらカチェーシャが、パイロット詰所の窓の外に駐まっている二機のワイヴァーンを見る。
極光と氷原に挟まれた極寒の地で、常識ではあり得ない戦力比の戦いを経た機体は、昨日ロールアウトしたばかりの新品だというのに既に機体のあちこちがささくれ立ち、融け落ちていた。
「そうだ。ブレーメンから引っ張ってきたんだが、途中で一悶着あってな。いきなりズタズタになっちまった。部品が手に入りゃいいが。」
「大丈夫。タカシマもスホーイもMONECの機体も作ってる。大概のものは手に入る。」
「そうか。助かったよ。お前達のは? 凄風じゃないな。俺は高島の戦闘機に余り詳しくないんだ。」
達也の視線の先には、自分が駆るワイヴァーンの向こう側にずらりと並んだ馴染みの無いシルエットの機体があった。
薄暗い格納庫の中でLED光を反射して青黒く光るその機体は、すらりと鋭く伸びたノーズに、先端部分が前進翼となったいかにも運動性の良さそうなダブルデルタ翼、ナイフのようにも見えるカナード翼と、まるで妖精の羽のように突き出した四枚の尾翼を持っていた。
特徴的なのは全体的に緩く湾曲したようなシルエットで、それは機体中央部に置かねばならない核融合炉を上手く覆い隠して空気抵抗を減らすための工夫であるように見えた。
全体的によくまとまった美しいデザインであり、達也の眼にはワイヴァーンに勝るとも劣らぬ性能を秘めた機体に見えた。
「日本人なのに? あれはブルーサンダー。タカシマの最新鋭機。」
「ブルーサンダー?」
高島重工はそういう命名をしないはずだが、と達也は訝しげな表情をカチェーシャに向ける。
「『蒼雷』だ。凄風からの派生型だが、相当色々手が入っていて、最早別の機体らしい。180mmレーザーを二門備えている。俺は乗ったことがないが、なかなかの機体だと聞いた事がある。」
異なる機体であっても、同様の性能を持つのであれば編隊を組んで戦う事に特に問題は無かった。
明日は一日休日という名の報告書作成業務だとしても、嫌でも明後日には共に飛ぶことになる。RAR任務であれば、重点警戒空域に接近する前に運動性の摺り合わせなどの確認を軽く行っておけば良いだけの話だった。
「うーん。誰も居ないねえ。今日は余りの悪天候で離着陸が危険だからってRARさえ中止になったんだけど。外かな。ああ、珍しくて見物してんのか。付いて来て。」
窓の外を見ながらカチェーシャが言った。
その視線を辿ると、いつの間にか武藤と自分の機体の近くに何人かのフライトスーツ姿が立って居るのが見えた。
カチェーシャがドアを開けてハンガーの中に出ていくのに続いて、達也達も少し薄暗いハンガーに足を踏み入れた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
我慢できなくてやっちまった・・・
スンマセン。字が違うんで許して下さい。




