4. 白い闇の中へ
■ 6.4.1
ハバロフスク周辺は分厚い雪雲に覆われていた。
達也と武藤の二人は、ジェイン達四人と分かれた後、ノーラ降下点の勢力圏を避けて大きく東に迂回し、東シベリア海からオホーツク海を目指して南下した後、サハリンを横断して東側からハバロフスクに接近するコースを採った。
ブレーメンを発って北極海を越え約二十時間。達也達がオホーツク海を横断している内に高緯度地域の遅い朝がゆっくりと明けた。
北極海の晴天など嘘のようにシベリア上空は雪雲に覆われており、その天候はオホーツク海を横切ってサハリンを抜けてハバロフスクに到着するまで変わらなかった。
夜明けと共に達也達は、薄明の紫色の光の中眼下に広がる一面の雲の海を眺めることとなった。
それどころか、ハバロフスク周辺は大量の雪を含んだ強風が吹き荒れており、まさにこれぞ冬のシベリアのブリザードと云った天候がここ数日続いているとのことだった。
「ブルーシールド、こちらベルカレチヤーガ03。コースはハバロフスク中心部へ向けて進路23。ポイントA43で高度30。地上は方位33で風速20.5。視界は100m。運が悪かったな。悪いことは言わねえ、一度チトセに待避して、日を変えた方が良い。初めて降りる奴にお勧めできる天候じゃない。」
オホーツク海を渡りサハリンが迫ってきたところで、東部沿岸をカバーしているAWACSからの通信が入った。
どうやら地上は相当な吹雪のようだった。
「ベルカレチヤーガ03。忠告感謝する。だがこのままアプローチする。着任が遅れると、一時間につき空港一周のペナルティがあるって噂だ。怖い飛行隊長から折檻されるのも嫌だ。このまま降りる。」
もちろんそんな話など聞いたこともない。
ただ、ブリザードだろうが、風速20mだろうが、降りなければならないということに間違いは無い。
「おお、そいつは大変だ。ハバロフスキー・アエロポルト(空港)は結構でかいぞ。懲罰の途中で遭難しねえ様にしろよ。じゃ、幸運を祈る。」
「ありがとう、ベルカレチヤーガ。」
達也達二機は、雪雲の下になって見えない海岸線を越え、シベリア極東地域内陸部に進入する。
海岸線から真西に進みハバロフスクまで350km。
三十分ほどでベルカレチヤーガ03から伝えられたポイントA43を通過した事をナビゲーションが表示した。
「接近中の国連軍機に告ぐ。こちらは国連空軍極東方面軍所属AWACSベルクート05。IFFを有効にして所属を明らかにせよ。」
ハバロフスクまで150km、ポイントA43を越えたところで再びAWACSから呼びかけがあったことに達也は驚いた。
ハバロフスクは、ノーラ降下点から僅か800kmしか離れていない。
普通「最前線」と呼ばれる基地は、ファラゾアの降下点から1000~1500kmの距離を確保しているものだが、このハバロフスク基地はそれらの基地に較べて信じられないほどファラゾアの基地の近くに存在する。
ノーラ降下点がオホーツク海に対して僅か500km、日本海に対してもせいぜい1000kmしか離れていない場所であるため、地球人類側としてはその僅か1000kmの距離の中に防衛ラインを構築せざるを得なかったというやむにやまれぬ事情があった。
コムソモリスク・ナ・アムーレ、ハバロフスク、ウラジオストクといった旧来の軍事的重要拠点がそのまま防衛ラインの構築に用いられ、特にここハバロフスクと、その北方にあるコムソモリスク・ナ・アムーレを結ぶラインは、中国人民軍との連携が取れない中、ノーラ降下点のファラゾアが極東方面、即ち日本海に侵出することを阻止するための最終防衛ラインとして設定されているのだ。
この最終防衛ラインを抜かれると、その後方にはウラジオストクが存在するのみであるが、ウラジオストクの位置は中国の国境に近すぎる上に南方過ぎ、実質上防衛ラインのバックアップとして正しく機能できるものとは思われていなかった。
そのため、どれだけ敵の降下点に近く常にファラゾアの襲撃の危険に曝されて居ようとも、地球人類はこれらの都市或いは軍事拠点を放棄することが出来なかった。
ちなみに、最終防衛ラインの後方をバックアップする有効な軍事拠点が無いことは問題であると当然認識されており、国連軍はロシアと日本、台湾と云った周辺国の協力の下、シベリアの日本海沿岸に新たな軍事拠点を構築中であり、近々運用が開始される予定であった。
ネリマという、シベリアとサハリンに挟まれた日本海沿岸の寒村の近くに広がる森林を大きく切り倒して建造された、この大型の軍港を併設した最新鋭の拠点防衛装備を誇る航空基地は、それぞれネリマ港、ネリマ航空基地と名付けられ、一部日本軍兵士から特別な親しみをもって利用されることとなるのだが、それはまた別の話である。
いずれにしても、降下点至近と言って良い基地の周りでラジオ波を用いた通信が普通に行われている事に達也は驚かされた。
達也の常識では、敵降下点から1500km以内では、味方の活動を敵に知られてしまう原因となる電波の発信が厳しく制限されており、ましてやAWACSから誰何され返信を求められるなどあるはずが無いことだった。
「ベルクート05。こちらブルーシールド01、水沢中尉だ。3345TFSに配属予定の二機だ。現在方位06からハバロフスク航空基地に向けて接近中。」
達也は戸惑いながらも、ラジオイネーブルに切り替え、IFFをONにして認識信号を送信した。さらに音声で誰何に返答する。
「3345TFS・・・ああ、連絡は受けている。わざわざヨーロッパから北極海を越えてやってきたのか。ご苦労さんだ。シベリア地方の本日は大量の雪を伴った激しい風が吹き荒れていて、敵と戦うには最高の天候だが、着陸するには最低のコンディションだ。それでも降りるか?」
「降りるかも何も、遙々ここまでやって来て天気が悪いから僕ちゃん帰る、って訳にはいかんだろう。降りるさ。」
「そりゃそうだ。ま、こんな天気でも着陸は禁止されている訳じゃないし、たぶん不可能でも無い。そろそろビーコンが捕まるはずだ。頑張ってくれ。」
ベルクート05のその言葉に驚かされ、さらにその直後、ハバロフスク基地からのビーコンを捉えたという表示がコンソールに表示され、空港の位置を示すナビゲーションポイントがHMDに表示されたことでさらに驚いた。
「ベルクート05。基地からのビーコンを捉えた。というか、ビーコン出してるのかこの基地は。大丈夫なのか?」
達也が言っているのは、電波発信源としてファラゾアに認識されると、集中的に攻撃を受けてしまわないかと云う懸念だった。
実際、ファラゾアのステルス性能をパワーで打ち破ろうと建設された地上の大型レーダー基地が、運用開始後数日でファラゾアの大攻勢を受けて破壊されたなどと云う話はいくらでも転がっている。
ファラゾア機を探知しようとして発したレーダー波だけでは無く、ファラゾアに友好と平和を求める為にとある有名な平和活動団体が親愛のメッセージを載せて発した電波についても、その発信源位置を特定され、急襲してきたファラゾアに交信局もろとも吹き飛ばされた著名な活動家がホンモノのお花畑に向けて旅立っていった、という笑えるのか笑えないのかよく分からない逸話も残っている。
いずれにしてもファラゾア降下点の近くで電波を発することは、危険極まりない自殺行為の筈だった。
「ああ? 何言ってんだお前。このクソ酷えブリザードの中、ビーコンが無くちゃ基地が何処にあるかさえ判らんだろうが。」
誘導用のレーザーは猛吹雪や厚い雲を突き抜けることは出来ない。もちろん誘導灯も見えるはずもない。唯一、電波だけが雲を抜けて着陸機を誘導することが出来る。それは間違いなかった。
いや、そういうことを言っているんじゃないんだが、と達也が思ったところでAWACSがさらに言った。
「いいんだよ。ファラゾアとこれほど近けりゃ、お互い基地が何処にあるかなんてとっくの昔にバレバレなんだ。現実問題としてビーコン出さなきゃ、ブリザードで視界ゼロなんて日がザラのこの基地じゃ着陸さえままならねえ。今まで敵がチョロチョロやってきても全て追い返してきた。これからもそうすんだよ。なあに心配すんな。一応指向性の高いアンテナでかなり角度を絞ってビーコン出してるから、東側からのアプローチなら大丈夫だ。その代わりコースをちょっとでも外れたらビーコン取り逃がすからな。あんま気ぃ抜くんじゃねえぞ。」
ラジオ波の発信を厳しく取り締まり、あらゆる電波が漏れ出ることを神経質に嫌う他の前線基地の運用に比べ、ロシアらしい豪胆というか大雑把なやり方だと達也は呆れた。
だが、鷹揚なAWACSの発言はある意味正鵠を射ているのかも知れなかった。
どのみちファラゾアは上空遙か彼方、宇宙空間からの観察で人類側の航空基地が何処にあるかなどとっくに全て把握しているのだろう。
その基地がどれくらいの航空戦力を抱えて、どれくらい活発に活動しているかさえも把握済みかも知れない。
そんな中で、自分達の命を脅かすほどに安全を削り落とし、ともすると最重要目的であるファラゾア機の撃破にさえ障害をもたらすほどに汲々として自らの行動を縛り付けることにどれほどの意味と効果があるのだろうか。
お目こぼしなのか何かの縛りがあるのか、いずれにしてももしAWACSベルクート05が言う通りこの基地のように従来通り平時から電波を使っていても敵の攻勢に大きな影響を与えないというのであれば、無駄に自分達を縛り付けることはやめて使えるものは最大限使うべきではなかろうか、と達也は考え直し、ロシア人の豪胆さと手荒い合理性に感心した。
「オーケイ。納得した。ビーコンが使えるに越したことは無い。このまま降りる。」
「気合い入れて降りろよ。ハリケーン並みの風に、大雪のオマケ付きだ。地上風速23.2、風向29。グッドラック、ブルーシールド。」
「ブルーシールド01。こちらKHVコントロール。管制を引き継ぐ。方位そのまま。現在着陸待ち離陸待ち無し。地上天候暴風雪、風速23.5、風向30。こんな天候で離着陸しようなんて物好きは居ない。ファラゾアだってお家で寝てる。好きにやれ。」
「KHVコントロール。諒解した。ブルーシールド、ワイヴァーン二機。距離90、高度45。このまま進入する。」
ベルクート05が離れると同時に、ハバロフスク空港の管制から入電した。
他に離着陸待ちの機体がいないというのなら、本当に好きにやって良いのだろう、と達也は理解する。
他に気兼ねなく落ち着いて着陸できる。
ブリザードという酷いコンディションの中、それは有り難かった。
高度4000m辺りで雲の中に突入した。
周りが完全に白一色の世界となり、コクピット脇までせり出している前進翼の先端さえもしばしば霞んで見えなくなる。
HUDのグライドスロープ線と方向指示マーカーの表示だけを頼りに高度を下げていく。
空港まで10km、高度500m。相変わらず視界は完全にホワイトアウトしたままだった。
横殴りの風が強く、頻繁に針路を修正しなければならない。
幸いワイヴァーンは機首方向を変えることなく進路を変更する事が出来るので、風に流された事に依る針路修正はかなり楽だ。
キャノピーに叩き付けられる雪の音がカサカサと鳴る。
400km/h近い速度で飛んでいるので、雪そのものを全て視認できる訳では無いが、その音からすると相当な量の降雪の中を飛んでいるのだろうと、達也は雪か或いは雲で霞む主翼を見て思う。
HMDインジケータのグライドスロープ線をステアリングマーカーに合わせて降下を続けると同時に、風で流される機体の修正も継続する。
空港までの距離が5kmを切り、高度も200mまで落ちているが、未だ地上は見えない。
それはまるで、白い闇の中に機体ごと身体を沈めていくような感覚だった。
自機を信用していない訳では無いが、しかしそれでも計器だけで着陸するとなると不安を覚える。
北極海での戦闘でセンサー類が僅かに狂ったりしてはいないか? 表示が正しくなかったりしないか?
滑走路に着陸するつもりが、降りてみたら実は市街地だったりはしないか?
基地からのビーコンに合わせて着陸しようとしているのだからその様な事など無いと頭では分かっていても、真っ白で何も見えない世界の中、まるで深い未知の海の底に向けて猛スピードで沈下していくようなこの状況では、理屈はどうあれ本能的に不安を感じるのは仕方の無いことかと、どこか冷静な心の片隅で達也は自分自身を客観的に眺めている。
白いもやの中から突然足元に灰色の滑走路が現れた。
その僅か一瞬に達也は反応しラダーを蹴り込んで、横風に向かって機首を向けていた、つまり滑走路に対して斜めに向いた機体の向きを滑走路に合わせる。
次の瞬間、着陸脚が地面に乗る衝撃があり、そしてスロットルを戻す。
横風を受けてよろめきながら機体は減速する。
滑走路面が着雪して滑りやすいらしく、着陸脚のブレーキが上手く利いていない。
どころか風に煽られスリップして、ともすると滑走路からはみ出しそうになる。
着陸脚による急制動を諦め、エアブレーキを開いて、さらに尾翼四枚に大きく角度を付けて抵抗を高める。
どこまでも滑り続けるかと思われた機体だが、徐々に速度を落として、タキシングとして常識的な速度まで落ちたところでちょうど、白いライトの回っている誘導路が視界に入ったので、達也はその誘導路に向けて機体を右折させた。
誘導路を抜け、綺麗に除雪されたエプロンに出ると、赤色の誘導灯を振る誘導兵が雪煙の中から現れた。
赤色灯の誘導に沿って進むと、前方に大きく口を開けた格納庫が現れる。
格納庫の中に居る別の誘導兵の指示に従い、入口から入ってすぐ右のスポットに機体を止め、キャノピーを開いた。
達也の機体に続いて、武藤の機体も格納庫の中に入ってくる。
その反対側を見ると、ワイヴァーンでは無い、見かけない形状をした戦闘機がずらりと並ぶ。
達也と武藤の機体が格納庫内に入ったことで、整備兵が格納庫の扉を閉じた。
扉が閉まると同時に、吹き込んでくる雪と風がぴたりと収まる。
キャノピーの開いたコクピットの中、達也はHMDヘルメットを外して投げ出すように膝の上に置き、背中をシートに預けて大きく息を吐いた。
全く視界が効かない中、強風に煽られながら計器着陸するのは、ファラゾアと戦うよりも神経を削るかも知れない。
いや、実際二十時間も狭いコクピットの中でシートに括り付けられて北極圏を飛んで来たのだから、疲れたとしても当然のことかと頭上に跳ね上げられたキャノピーを通して天井を仰ぎ見る。
ガタリと音がしてコクピットの縁にラダーが掛けられ、ロシア人らしい整備兵がコクピットの中に顔を覗けた。
「お疲れさん。この世の果てにようこそ。」
そう言って若い整備兵は人の悪そうな笑みを浮かべた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
遅くなりました。済みません。リアルの仕事がオニな状態になって、全然書く時間が取れませんでした。
オニな量の仕事は未だ継続していますが、何とか時間を見つけて書き続けたいと思います。
しかし、猛吹雪の中とは言え、着陸するだけで一話使うとか。