3. 幻想曲(ファンタジア)
■ 6.3.1
「敵距離120。高度00。推定数200。敵は地上に居るな。何やってんだ? 高度をさらに下げる。高度02。墜ちるなよ。」
オーロラの柔らかな光がたなびく空の幻想的な飛行から一転、臨戦態勢で高度を下げた達也は、GDDが検知した敵の高度を読み取って目を眇めた。
索敵情報は敵が地上に降りていると云っていた。
敵の行動の意図が全く不明だった。
北極圏に深く入り込んだこの地域で、人類が居住する最北限のスバールバル諸島よりもさらに北であるこの氷の世界に、連中の捕獲対象となる人類など存在しない。
その様なところに二百機もの敵機が存在し、地上に着陸している。
ファラゾアが何のためにこんな所にいるのか、何をしたいのか、全く想像がつかなかった。
しかし本当はそんな事はどうでも良かった。
重要な事は、敵が眼の前に居る。
敵がいるなら墜とす。
ただそれだけだった。
「敵は二百機も居るんだけど? やる気なの? たった六機で。」
レシーバから、半ば呆れた様なジェインの声が聞こえた。
「このメンツならイケる。どのみち逃げられない。敵の方が脚が速い。バックアップもいない。敵が引き返すラインも判らない。北極海に障害物も無い。」
「お手並み拝見、ってトコね。」
「俺だけじゃない。全員だ。この程度で墜とされるなよ。敵距離110。高度100に上昇。ブレイク。各機攻撃開始。ラジオアクティブ。地面に激突するなよ。」
運の悪いことに、今北極周辺には晴れの空が広がっていた。
夜間戦闘である上に、晴れ。身を隠す雲も無い。
かなり近くに近づくまで敵が行動を開始しなかったのがせめてもの救いだった。
おかげで敵を発見してものの数分で敵はこちらの射程内に入った。
もちろん100kmも彼方から敵を撃っても命中するものではない。
どれほど優秀な照準のシステムがあろうと、機体の振動による僅かな射線のズレや、100kmもの距離の間にある僅かな空気の密度差でレーザーの狙いはそれてしまう。
それでもあとは確率の問題であり、撃ち続ければいつかは当たる。そしてレーザーなら弾切れを気にすることなくいつまでも撃ち続けることが出来る。
それに、敵にただ一方的に攻撃されているのではなく、当たり難くともこちらからも反撃できているという心理的な効果も大きい。
ファラゾアの足は速い。
達也達が攻撃を始めてすぐに高度を15000mまで上げたファラゾアの戦闘機群は、ほんの一瞬で水平方向に音速の六倍もの速度に増速し、僅か三十秒ほどで達也達から30kmほど離れた場所の上空に達した。
紫色で示された敵のマーカーは頭上から覆い被さるように接近して来る。
緑色に渦巻く光の空を背景にして、それはどこか非現実的な、まるでファンタジー映画のおとぎの国から妖精が一斉に羽ばたいてくるような、そんな優しげな錯覚を生み出させる。
だがあれは、敵だ。
明確な殺戮の意志を持って近付いてくる敵だ。
達也はHMDのスクリーンバイザ越しに緑色の空に散る敵を睨み付ける。
こうしている間にも達也達の周りを、眼には見えなくとも数十条のレーザー光線が常に通過しており、北極海を覆う巨大な氷の表面を削り、爆散させているのだ。
雲が無いため、敵の真下に潜り込んで距離を縮めてから一気に突き上げるという地球人類側戦闘機部隊お得意の戦法は取れない。
敵の群れが頭上に到達するに従い、それを攻撃する達也達も機首を上げ上昇する。
武装がレーザー砲である為、距離がある状態での撃ち合いは昔ほどには不利では無い。
そしてワイヴァーンのエンジン出力は機体重量を軽く上回る為、昔のように連続上昇中に機動力が大きく低下するようなことも無い。
敵が接近してくるに従い上昇する角度を急激に大きく変えた達也達六機は、音速を遙かに超えた速度で敵とすれ違う。
すれ違いざまに何機もの敵が撃墜され、真っ暗な氷の世界に向けて落下していく。
敵残数172。
味方6機。
達也達はオーロラで輝く空を背景に急旋回反転し、乱戦に突入していった。
戦闘機パイロットなら誰でも、夜間の激しい格闘戦は避けたいと思っているものだ。
真っ暗な中、旋回や宙返りを織り交ぜた急激な機動を繰り返すと、視覚的に上下が判別出来ない空間の中で簡単に上下を見失ってしまう、いわゆる空間識失調に陥るためだ。
激突警告音に反応して自身は急上昇したつもりが実際は急降下してしまい、そのまま地面に激突した、等という話は笑い話で無く実際に存在する。
ミサイルを殆ど使用しない、固定武装を用いた原初的な格闘戦が殆どを占めるファラゾアとの闘いで、従来夜間戦闘が殆ど行われなかった大きな理由の一つでもある。
夜間であろうがなかろうが、敵に遭遇したならば戦うしか無い、という現実的な理由も存在したが、オーロラが妖しく光る空を見て達也は戦闘に突入することを決断した。
明るい方が空。暗い方が地上。
ある意味、曇り空の昼間よりも遙かに上下の判別がやりやすい状況にあった。
あとは真っ暗な地上との間の高度にさえ気をつければ、この面子ならばそうそう墜落するようなことは無いだろうと達也は考えていた。
反転しつつ、達也はガンサイトに敵のマーカーが入るたびにトリガーを引く。
MONEC社の機体に搭載されている統合索敵システム(Unified Object Searching System: UOSS)は、統合機体管制システム(Integrated Total Aircraft Management System: ITAMS)の下、航法管制システム(Flight Navigation System: FNS)や操縦制御システム(Aircraft Steering and Control System: ASCS)、兵器管制システム(Upper Weapon Control System: UWCS)、反応炉制御システム(Reactor Management and Control System: RMCS)、ジェットエンジン制御システム(Engine Management System: EMS)と云った各システムモジュールと並列連動する仕様となっている。
戦闘中に激しい機動を繰り返しても、リアルタイムで常に敵の空間位置を更新・把握しつつ、精確にそれらをHMDスクリーンに表示し、機体の挙動に伴いガンサイト内に捕捉される、或いは捕捉されるであろう未来位置を持つ敵の位置と挙動を把握している。
たとえガンサイト内に捕捉される時間が僅か一瞬でも、敵のマーカーがガンサイトに入り込むより前に照準システム(Object Targetting System: OTS)はそれをすでに認識しており、固定武装であるレーザー砲の制御モジュール(LASER Turret Control System: LTCS)やそのさらに下位プログラムであるレーザー砲身制御プログラム(Light Barrel Control Program: LBC)を直接制御して、攻撃対象として適当なターゲットがガンサイトに入った瞬間にはレーザー砲の照準が敵に合う様になっている。
達也がトリガーを引いた瞬間、すでに敵を捕らえているレーザー砲からレーザーが放たれ、敵が砲身可動域内にある間それを追尾して最大限の時間敵にレーザー光を浴びせかけて破壊する。
砲身が敵を追尾するなどと云う器用な機能を持たないガトリングガンを用いていた時代にさえ、旋回中に敵をガンサイトに捕らえて20mm砲弾を浴びせかけて敵を撃墜するという芸当をこなしてのけた達也にとって、適当に狙いをつけてトリガーを引けば、あり得ないほど高い確率で命中を出せるこのレーザー砲で敵を撃つならば、非常識な数の撃墜数を叩き出すなどまさに朝飯前の芸当であった。
次々と命中弾を出し旋回する達也は、敵の集団をその進路に捕らえ、まるで魚群を捕食する鯱の様にその集団の中に躍り込む。
推力変更パドルを持つエンジンに加え、カナード翼と四枚の尾翼の操作により進行方向を変えることなく大きく機首を振れるワイヴァーンの特性を最大限に利用し、敵の集団の中を突き抜けつつも、次々と周囲の敵に狙いを付けて撃墜していく。
大推力エンジンと鋭く突き出した前進翼にものを云わせ、半ば失速しつつも強引に急旋回し、敵の集団の中で複雑な機動を行いつつも、次々と敵に狙いを付けて叩き墜とす。
僚機が全て一定以上の水準の戦闘技術を持っている事は分かっており、僚機の生存にほとんど気を配らなくて良い事は、達也の集中力を全て目の前の戦闘に注ぎ込むことを可能とした。
敵の集団の中で好き放題暴れ回り、集団を突き抜けてしまうと反転して再び集団に食らいつくように突入するという動きを繰り返す。
暗闇の中緑色のまだらに光る空の下、ジェットノズルから噴出する青色の炎が踊る。
眼には見えないレーザーが敵を捕らえ、こればかりは明るく光る炎を発して敵の機体を撃破する。
破壊された敵機は、僅かに残光を引きながら、明かりのない暗黒の氷原に向けて墜落していく。
いつしかその達也のすぐ後ろに武藤の機体が追従する。
闇に溶ける黒灰色の二機の進路は絡み合うように縺れ合うように、あるときは離れあるときは交差し、まるで糸で絡め取るかの如く周囲に存在する敵を次々と撃破してただ落下するだけの物体へと変えていく。
小さな爆発炎を吹き、緑の光渦巻く空に舞う二機の周りで赤い炎を散らす白銀のファラゾア機は、さながら曲芸飛行を彩る様に咲き乱れる赤い華のよう。
さらに一機、妖しく光を放つオーロラの空の下で繰り広げられる美しくも暴力的な演武に加わる闇色の機体。
それはまるで、南シナ海にその名を刻み憧れ追い付かんとしたまさにその格闘戦が目の前で繰り広げられ、見蕩れて吸い寄せられるかのように追従するマリニーの機体。
オーロラの光をほとんど反射することのない暗い色の機体を、闇の中ぼんやりと光る白緑色の編隊内標識灯を頼りに、昼間よりは少し余裕を持って組まれたデルタ編隊が敵を見つけ食らいつき、緑色の闇の中を翻り、辺りに破壊をまき散らし、ファラゾアの群れの中を駆け抜ける。
それはまさに、生物の生存を許さない極北の氷の世界で暗闇の中、空に垂れ込め渦巻くオーロラの光の下で繰り広げられる、極限の技量を持ったパイロット達の手による、氷原の暗闇と緑の淡光の狭間で繰り広げられる幻想的な舞踏。
示し合わせたわけでもなく、長年共に戦ってきた相棒でもない。
ただこの世界でほぼ頂点の技術を持つ者達が、それぞれ瞬間ごとに最良の判断を積み上げ続けていくことで編み出し続けられる究極の即興演武。
味方の機数の四十倍にも達しようかという勢力であったファラゾア機の集団は、時を追うごとにその数を減らしていき、戦闘開始後三十分も経過する頃にはすでにその数を半数近くにまで減じていた。
ふと達也は、HMDに黄色のマーカーが表示されていることに気付く。
主にレーダー波による探知で緑色に表示される味方機。
紫色に表示されるのは、GDDによって重力波を探知特定されたファラゾア機。
それに対して黄色く表示されるのは、光学センサーによって同定されながらも、レーダー波を吸収し、重力波も発していない何らかの物体。
通常であれば、地上に存在する様々な物体の一つとして気にも留めない様な情報であるが、ここはそのような地上物が全く存在しないはずの北極海だった。
「地上目標を発見。接近して確認する。」
その地上目標と推定される物体までの距離は約70km。
今交戦しているファラゾア機群が着陸していたと推定される辺りに存在していた。
新たなファラゾアの拠点が北極海に存在するのか?
その時、未確認目標に向けて進路を変更した達也達の周りで、ファラゾアが異常な動きをとった。
辺りに散って達也達と交戦していたファラゾア機の大部分が、瞬時の高加速で達也達を追い抜き、まるで未確認目標と達也達六機の間に立ち塞がるように集合した。
このような敵の動きは初めて見た。
怪しい、と達也は思った。
あきらかに自分達を未確認目標に近づけまいとしていると感じた。
「続け。突破する。遅れるな。」
達也は敢えて敵の守りの中心部分、七十機ほどが集まっている空域に向けて突っ込む。
集中攻撃を受けて、さすがに機体のあちこちを至近弾がかすめ、暗闇の中ストロボライトのような一瞬の光を発する。
が、同様に達也達六機の正面突破による集中攻撃を受け、七十機の防御陣は見る間にその数を減じていく。’
頭上で緑色に揺らめくオーロラの光と、前方に集まり自分達を通すまいと防御陣を作り上げたファラゾア機を示すマーカーの紫色の集団とが、幻想と現実の奇妙なコントラストを描き出す。
達也達を通すまいと、六機の飛行速度に合わせて後退しながら迎撃を試みたファラゾア機群だったが、時に離散しまた再び集合するを繰り返しつつランダムな動きを続ける達也達熟練のパイロット六人を押し返す事は能わず、次々と撃墜され、その数が半数を切った後は加速度的に消滅していき、最後の一機までが逃げ出す事無く達也達の前方に居座り続け、そして全て消え去った。
防衛陣に加わらず、まるで見守るかの様に周辺の空域に散っていた十機ほどのファラゾア機は、防衛陣が消滅すると同時に急激に高度を上げ、オーロラの光に紛れる様にしてカナダ方面に向けて高速で飛び去った。
地上目標は対空攻撃を行ってこない様だった。
行わないのか、行う能力が無いのか。
達也を先頭に六機のワイヴァーンが10000mの高度で地上目標上空を通過する。
「暗い上に、白い氷に白い機体じゃ良く判らないな。」
光学画像をコンソール上に拡大した達也が、光量を増幅したノイズだらけの画像を見ながら独り言ちる。
クイッカーなどの戦闘機よりもかなり大きく見える、球形に近い何かが地上にある様だが、画像が粗くて細部がよく分からない。
とは言え70kmの遠距離から光学的に認識していたという事は、自分の眼には上手く見えなくても、この近距離であればシステムは問題無く認識しているのだろうと推測する。
この距離に於いても、高いステルス性を持つらしいその地上構造物からのレーダー波反射は弱く、そして重力波も検知していない。
しかしその全体的な形状のイメージと外装の色から、それはファラゾア製の何らかの機械か施設だろうと、達也は結論づけた。
「ファラゾアと断定する。破壊する。」
達也の知る限り他に発見事例の無いファラゾアの地上機、或いは地上構造物だが、かといって捕獲して持っていく訳にもいかない。その手段も無い。
自分達の役に立てられないのであれば、破壊しておくに越したことは無いだろうと、通り過ぎ反転した達也は、地上目標を軸線上に乗せる。
レーザーによる地上攻撃は、基本的に対空攻撃と変わらない。
目標を軸線上に乗せ、ガンサイトに入れ、そしてトリガーを引く。
暗い地上に赤い花が咲いたかの様に小さな爆発炎が立ちのぼった。
地上への掃射を終えた達也達は、再度反転して高度を上げる。
辺りを見回して、HMDに敵マーカーが表示されない事を確認する。
コンソールの戦術マップにも敵性のマーカーは無い。
こんな所にAWACSが居る筈も無いので、これ以上の索敵は望めない。
「交戦終了。原航路に戻る。モータージェット。高度50。針路80。」
他に動くものも無い暗闇に閉ざされた氷の平原に僅かに燻る未確認地上物を残し、六機のワイヴァーンが空に揺らめく緑色のカーテンの下を東の空に向けて飛び去っていった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
遅くなりました。申し訳ないッス。
なんか、無理矢理舞台を設定した感がありますが、極光の下での戦いです。
国連軍特殊部隊な達也君は、砂漠からジャングル、リゾート、極地まで、あらゆる環境で戦う事を求められています。
冬場の極地で、100kmも先まで晴れ渡っているなんて事起こるのだろうか・・・まいっか。