17. 未来の形
■ 5.17.1
運河沿いの小さな林に囲まれた田舎作りの家と云った外見の小さなレストランで昼食を摂り、達也と武藤は再び国連軍司令部に戻ってきた。
ストラスブールの旧市街地は、内燃機関か電気駆動かの区別無く、全ての一般車両の通行が禁止されており、車両通行可能な道路の脇に所々に設けてある駐車スペースに車を置いて、そこから数百メートルほど旧市街地の石畳を歩くと辿り着くレストランだった。
流石フランスと云うべきなのか、食事は満足できるだけに充分美味しく、前線基地で提供されるとにかく量とカロリー優先、余裕があれば味もついでに調える、といった風な食事ばかりを続けてきた達也にとって、久しぶりに文明に触れた気がする食事だった。
しかしこの昼食時に、食事の内容よりももっと達也の心に印象深かったことがある。
旧市街の街並みを行き交う人々の表情は皆穏やかであり、皆日常の暮らしをごく普通に続けている様に見えた。
それは、自分達が最前線で命を掛けて戦っているから、この人々の日々の暮らしを護っているのだと、自負や矜持の様なものを感じることが出来る光景でもあった。
しかし裏を返せば、戦場では毎日多くの兵士達の命が失われており、戦場に近い場所では兵士達だけでは無く一般の市民でさえ、不気味な敵の影に怯え、家を捨て故郷を捨てて逃げ出し、人と呼べる最低限の生活レベルさえまともに保てない様なキャンプでの生活を強いられている現実がある中、前線から遠く離れたこの街ではまるでそんな戦禍など夢の国か遙か異世界の出来事の様に現実感が無く、誰もが等しく悲惨な運命を受け入れるしかない前線近くの状況になど無関心で、人々はただ自分達自身の日々の暮らしを謳歌している様にも見えた。
ずっと戦いの場に身を置いてきた達也にとって、それは酷く歪で無関心な姿にも見えて、その彼等の日常の姿を見てどう受け止めれば良いのか困惑し、路上に足を止めて暫しこの街を包む静かで平和な風景を複雑な想いを胸に眺めた。
突然立ち止まった達也を振り返り、その表情と、そして達也の視線の先にあるものから達也の内心を読み取ったのであろうか、武藤は少し困った様な苦笑いの様な笑みを浮かべて達也の肩を叩いた。
我に返った達也は、武藤の表情を見て、そしてため息を一つ吐くと駐車スペースに置いてある車に向けて歩き始めた。
駐車スペースは片側三車線ほどの広い道の脇に設けてあったが、達也達二人が乗ってきた車を探して駐車スペースの中を歩き回っている時、遠くから沢山の人々が何かを叫ぶ声が聞こえてきた。
それは数百人か、或いは千人近い老若男女の集まったデモ隊が、横断幕を掲げ、プラカードを振りかざして国道沿いの歩道を連なって行進する声だった。
「戦いは悲しみしか生まない」
「戦争は要らない」
「各国政府と国連は、即刻戦いを止めよ」
「息子を、夫を、恋人を、家族を返せ」
「ファラゾアと対話を。地球に平和を」
「高度な文明の異星人と、文明人の対話を」
「国連はファラゾアに関する情報を開示せよ」
口々にシュプレヒコールを叫ぶ彼等は、警官隊に護衛されながら車道に半ばはみ出して達也達の前を通り過ぎていった。
歩道と駐車場の出入り口を完全に占領され車を出すことも出来ず、ため息を一つ吐いて達也はポケットから煙草を一本引き抜き、マッチで火を点けた。
その様を見て、武藤もそれに倣う。
国連空軍の制服を着て道路脇に立つ達也達二人に向けられる彼等の視線には、明確な敵意と嫌悪感が混ざっており、警備と護衛のためにデモ隊の外側を歩く警官達の監視の眼がなければ、今にも二人を取り囲んで余り平和的とは思えない議論と糾弾の渦の中に引きずり込みたいと考えている様にも見えた。
平和と対話を標榜しているだけに、或いは周りを固めている警官達の監視が行き届いていたからか、幸い達也達がその様な眼に遭うことはなかったが、デモ隊の人々の長い列が通り過ぎるまで車を出すことも出来ず彼等の主張を聞かされ続ける羽目になった。
「ファラゾアと対話、だとさ。」
皮肉な嗤いを浮かべ、遠ざかるシュプレヒコールと共に小さくなっていくデモ隊の後ろ姿を目を眇めて眺めながら、達也が言った。
「できるもんならとっくにやってるさ。ああ、拳で語り合う直接的な対話なら毎日の様に親密な関係の構築を繰り返してるな。」
煙草をくわえたまま車のルーフに寄りかかる様にしてデモ隊の後ろ姿を追い、武藤も呆れた様な声で言う。
「戦場から遠く離れると、ああいう現実の見えない奴等が増えるのか。」
達也達は、ファラゾアとのコンタクトの試みが何度も繰り返されたことを知っている。
光、電波、音声、その他あらゆる手段を用いてどれだけ話しかけようと、ファラゾアからの応答は一切無く、言語或いは情報による返答の代わりに返ってくるのは全て武力による破壊だけだった。
その程度の事はデモに参加している彼等だって知っているはずだった。
ファラゾアとの対話を試みた試行錯誤の歴史は秘匿情報では無い。
簡単なさわりの部分は学校でも習う。少し突っ込んで調べようと思えば、国連軍の事務所でも各国政府の出先機関にでも行けば良い。
「その様だ。ああいうのをお花畑、と云うんだろう。一度戦場に出てみれば現実も見えるんだろうが。ああいう奴等に限って、絶対に戦場に行くことは無いのだろう。」
「見なかったことにしよう。アレを守る為に戦っている等と考えると、何もかもが虚しくなる。」
達也達にとってファラゾアとその脅威は現実だった。
何よりも大きい、毎日直面している現実だった。
目を逸らすことは出来ず、抗い続ける事を止めれば簡単に命を落としてしまう、冷徹且つ厳然たる現実だった。
戦場からの距離が認識の大きな差を生むのか、現実から目を背けるだけの余裕を作るのか、それともただ単に灼熱の戦場から遠く離れたぬるま湯となっているだけなのか、達也には判らなかった。
ため息を一つ吐くと、まるで薄くヴェールがかかった薄曇りの空の様に、未だ晴れきらない気分を抱えつつ達也はドアを開けて車に乗り込んだ。
■ 5.17.2
誰かが間違って部屋の扉を開け覗き込んで中を見回したならば、誰も居らず使用されていない部屋だと認識するほどにその部屋の照明は暗く落とされていた。
暗さに眼が慣れてくると、部屋の四隅でごく僅かに明かりを供給している間接照明の存在と、床に雑然と並べられたいくつもの椅子、そして十人ほどの人間がめいめいにその椅子に腰掛けて特に言葉を交わす訳でも無く何かを待っている様に部屋の一方向を向いているのが見て取れる。
達也のすぐ脇には武藤が座っていた。
この部屋に入ってからは、そこに横たわる雰囲気に同調したか二人とも言葉を交わしては居なかった。
静粛にしなければならない重圧というよりも、達観した兵士が逃れることの出来ない次の任務を静かに待っている、という雰囲気に近かった。
暗さに慣れた眼で周りを見回しても、何人もの人間が自分と同じ様に黙って椅子に腰掛けていると言うことが分かるだけで、そこに居る者それぞれの特徴などを細かく観察できるほどの光量ではない。
昼前の出来事を思い出し、あの文字通り姦しかった三人の女性兵士達もこの中に居るのだろうか、あの様子では静かに指示を待っているこの兵士達の雰囲気とは随分そぐわないが、などと考えて達也は暇な時間を持て余していた。
突然ドアが開き、廊下の光が差し込んでくる。
室内よりも、きちんと照明が点灯している廊下の方が遙かに明るい。
差し込んだ一瞬の明かりから、ダークグレイの上着を着たまるで民間人の様な格好をした一人の男と、その副官らしい空軍の制服に大尉の階級章を付けた女性兵士が一人、室内に入ってきた事が判った。
その男はドアから直進すると、達也達が座っている床よりも一段高くなっている演壇の上に上がり、演台脇の椅子に腰を下ろした。
女性兵士の方は扉脇に控えている。
そして男は唐突に口を開いた。
「遠いところ皆ご苦労だった。今日は都合の付く者だけ集まってもらった。大規模作戦のブリーフィングでは無く、情報共有の会合と思って欲しい。」
達也はその男に以前一度会った事があった。
666th TFWへの異動が決まり、サンディエゴで高島重工業のテストに散々付き合わされた後、再び潜輸で太平洋を渡って台湾に渡った際に、666th TFW(戦術航空団)の航空団長であると紹介された。
男はMr. Aと名乗った。
常にワンレンズシールド型のミラー加工されたサングラスを外さず、口許にも眉にも感情が殆ど現れない男だった。
男は今回も一緒に部屋に入ってきた副官と共に現れ、666th TFWの主要任務を達也に説明した。
666th TFWにはその時点で十二人が在籍しているという話だったが、戦死や補充で常に人数は変動しているのだと言った。
部隊に関する概略が説明された後、サンディ・フィラレンシア大尉と名乗った副官から当面の任務について説明を受けた。
それが2042年の秋のこと。
2043年はロシアで過ごし、モンゴルの北方にある国連軍航空基地を、反応弾を使って吹っ飛ばして終わった。
2044年は中東の基地を転々とし、ホルムズ海峡に面した基地をまた反応弾で吹っ飛ばして終わった。
そして今、年が明けて2045年。達也はヨーロッパに居る。
人生何が起こるか分からないものだな、と、印僑の少女と共に小さな売店の脇の鳳凰樹の木陰の下で南国の日差しを避けながら、冷たく冷えた水を飲んだ事を思い出して達也は暗闇の中少し笑った。
あの瞬間が、最後の日常だったのだ。
「・・・それでは新たに諸君らに開示可能となった情報を伝える。サンディ、頼む。」
そう言って「A」が導入の話を終えるところで達也の意識は現実に戻った。
「A」の話を殆ど聞いていなかったが、導入部分なので問題は無いだろう。
そして「A」に代わってフィラレンシア大尉が話し始めた。
「A」が立つ演壇脇のスクリーンに、世界地図の画像が投影される。
前線基地ではこの様なネットワーク設備など全く縁の無いものだが、流石国連軍司令部は違うものだと感心する。
「まずは現在の情勢から。現時点でのファラゾア制圧圏は、全地球面積の約38%に及びます。これは陸地と海洋を合わせたまさに全地球表面積に対しての数字であって、陸地のみに限れば、全陸地面積の56%が我々が認識しているファラゾア制圧圏下となります。」
大尉が説明を進める従い、各降下地点を中心に世界地図に赤色の領域が重なった。
「南米大陸はごく一部を除いてほぼ完全に敵の制圧下にあります。アフリカ大陸についてはザンベジ川ライン以北が敵の制圧下、ユーラシア大陸も四つの降下地点とその周辺に広がる敵制圧領域で大きく切り取られた形になります。オーストラリア大陸はほぼ無傷、北米大陸も、陸地面積としては約20%程度の占領に抑えられています。」
フィラレンシア大尉の説明に沿って、各エリアがズームされ、面積の比率が表示される。
「2035年7月にファラゾアが一斉降下を終えた直後の、全陸地面積に対する敵制圧圏面積の比率が推定で29%であった事から、この十年弱で敵の制圧圏面積は全陸地面積に対して約25%の増加、当時の面積に対して約2倍に広がっています。」
地図にファラゾア来襲直後の占領域であろう紫色の着色が重なる。
紫に較べて赤色の領域は、確かに大幅に増えていることが一目瞭然だった。
「先ほど『全地球面積の38%が敵の制圧下』と申しましたが、これは太平洋、大西洋などの海洋面積が、人類側の勢力圏下にあるとは言えないが、かといって敵制圧圏下にあるとも言えない、という理由で除かれた数字です。現時点で軍事的、或いは生存圏として人類に活用出来る陸地を中心とした部分のみで考えるならば、すでに地球の半分は敵に奪われている、と言っても過言ではありません。」
スクリーンの明かりを眼鏡に反射し、いかにもクールそうに見えるフィラレンシア大尉が、その印象通りに衝撃的な数字を冷徹に言い放った。
「人類はファラゾアのオーバーテクノロジー(OT)を吸収し、現在歴史上類を見ない程に技術的に急速に進歩しています。小型核融合炉や人工重力発生装置の実用化と兵器への搭載などがその最たる成果ですが、彼我の技術力の差には未だ絶望的に隔絶した隔たりがあります。我々の技術の進歩による兵器類の性能の向上を考慮しても、ファラゾアの勢力圏の拡大速度をある程度緩めることは可能であれども、最終的に地球全体がファラゾアに占領されることを妨げる事は出来ないと、国連軍情報部、および国連情報センター(UN INTCen)による解析結果から予想されています。」
大尉が説明を終えた瞬間から、投影画像の世界地図に重ねられた赤色の領域が広がっていく。
右上に表示された西暦のカウントが進むにつれて、燃え広がる炎の様に赤色の領域は徐々に広がっていき、2050年から2060年に掛けてその速度は遅くなりはしたものの進行を止めることはなく、人類の領域が小さくなるに従って再び加速度的に広がって、そして西暦2070年のマップで地球全体が赤色に染まった。
「ご覧の様に、保ってあと二十五年。2070年には、人類は滅亡します。これは現在実行可能であると予想しうる全ての技術開発と軍事的作戦に成功した場合の、かなり希望的な数字である事を申し添えます。」
光る眼鏡の向こうで、射貫く様な冷たく鋭い目付きのフィラレンシア大尉の視線が、スクリーンからの光でかなり明るくなった広い会議室に座る面々を全て薙ぎ払うかの様に見回した。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
やっと666th TFWの形が見えてきた感じがしますね。
これはネタバレ的な情報になりますが。
(なので、登場人物の心の動き等を読み取る様にして楽しんで居られる方は以下読まないで下さい)
達也は当初、シヴァンシカを含めて、自分と自分の身内や周りの人々を不幸にした敵に対する怒りで戦っていました。
それが、軍に入った後に、当然の如く「地球防衛」だとか「人類の戦い」だとか、余計なことを沢山吹き込まれて(教育されて? 洗脳されて?)、雑念が増えてしまい、当初の戦いの目的を見失うことで妙な迷いを持ってしまっています。
前話で武藤に指摘されてその雑念に気付き、今回イロイロと現実を見て、再び原点にたちもどります。多分。
・・・立ち戻るよね? 戻ってくれないと、戦いの意義だとか、正義だとか、ガキの様な心の葛藤を延々書かなくちゃいけなくなって面倒いんだけど。
戦いはシンプルなのが良いです。
自分を滅ぼそうとする敵が眼前に立ち塞がっている。だから、殺られる前に殺る。
超シンプル。