16. ストラスブール
■ 5.16.1
10 January 2045, UNFGHQ (United Nations Forces General HeadQuaers), Strasbourg, France, EU
AD.2045年01月10日、EU連合フランス、ストラスブール、国連軍司令部
ホルムズ海峡でのロストホライズンを阻止した約二週間後、達也の姿はライン川沿いの街ストラスブールにあった。
この二週間の間に達也の身に起こった事と言えば、満身創痍の愛機をアル・ジャジラ近郊のラス・アル・カイマ空港に強制的に着陸させられ、一小隊の小銃を携行した兵士に厳重に警備されつつ陸路をドバイまで護送され、ドバイ市内の大病院でしばらくカンヅメにされて色々と検査に掛けられた挙げ句、再び厳重な護送の元ドバイ空港から輸送機でここストラスブールに送り込まれた程度の事だった。
もう誰も住んでいないであろうと推察された(確認はされていない)人口十万人弱の都市に向けて反応弾頭のミサイルを四発撃ち込むことに較べれば、たいした事でも無かった。
カリブ海で米国が撃ち込んだ反応弾によって自分自身被曝し、同じ反応弾の爆発で最後の肉親であった父親を失い、その後しばらくの間PTSDで戦闘不能に陥った自分が、まさかその反応弾を撃つ側に回ろうとは思いもしなかった。
日本人とは言え達也は日本で育ったわけでもないので、先の大戦以来日本国民のほぼ全員が罹患している核アレルギーを発症してはいないものの、例えそれでも大量の放射線を撒き散らす、人類の最終兵器である反応弾を同じ人類が造り育て上げてきた都市に向けて撃ち込むのは、心安らかにとはとても云う事は出来ず、ましてやもしかするとまだそこで生きていた人間がいたかも知れない事を考えると、一発数百万ユーロのミサイルたった四発で数千機のファラゾアを叩き落としたと云えども、誇らしい気分になどとてもなれるものでは無かった。
もう既に名前も覚えていないが、ドバイ空港で次の達也の行き先を告げに現れた皺一つ無い国連空軍の制服を着た准将が、ただ一人で行った攻撃の戦果としては史上最大のものであったと、達也が実施したロストホライズン抑止攻撃の成果を褒めそやし、これは人類の生存をかけた戦争なのだ、例え都市が一つ消滅したとしても正しく命令を実行しただけの貴官が気に病む必要は無いのだと、両肩に力強い手を置き真摯な表情でにこやかに自信に満ち満ちた口調で慰めを口にしようと、達也の気分が晴れることは無かった。
そう、これは戦争なのだ。
人類が行ってきた過去の戦争の歴史をひもとけば、同じ人類同士戦場で百人千人の敵を殺すのは当たり前のことで、所謂大量殺戮兵器を無辜の市民が数十万と暮らしている都市の上からばら撒くなど、ごく普通に行われてきた戦略的戦闘行為であるのだ。
今回の戦争がこれまでの人類史上に記されてきた全ての戦争とは少々毛色が異なり、敵が人類でないこと、人類の兵士が殺す相手が同じ人類でないことに多少の差があるだけであって、基本的にはありとあらゆるものを破壊し、命を奪い、死体を量産し山積みにする、公的集団活動であるという事に変わりは無いのだった。
と考えたところで気分が晴れるはずも無かった。
「なんだお前、シケた面してやがんな。」
突然後ろから声をかけられたのは、国連軍司令部のエントランスホール脇に店子として営業している、司令部の職員達の憩いの場、或いは来客を少しばかり堅苦しくない雰囲気でもてなすための打ち合わせスペースとして利用されるであろうコーヒーショップの店先で、自分で淹れたものよりも薄く香りも弱いコーヒーを啜りながらマグカップから立ち昇る湯気越しに窓の外に見えるいかにも寒々とした冬のヨーロッパの森林を眺め、遠く陽光溢れるカリフォルニアのビーチに面したココナツの木に囲まれた小さなカフェテラスと、その店に通い詰めた常連客の女の面影に思いをはせている時だった。
振り返るとそこには、達也が今着ているものと同じ明るめの紺色の国連空軍の制服に身を包んだ武藤が笑いながら立っていた。
「聞いたぜ。大活躍だったそうじゃねえか。」
武藤はそう言いながら、何の反応も返さなかった達也と同じテーブルの向かい側の椅子を引き、手に持ったマグカップをテーブルに置くと遠慮無くどっかりと椅子に座った。
足を組み、背もたれに深くもたれ掛かって座った武藤は、湯気を立てるマグカップを持ち上げると、達也の顔を眺めながらゆっくりと一口コーヒーを啜り、同じ姿勢のままマグカップを口から離すと言った。
「そのシケたツラぁ、どうせお前のこったから、爆発に巻き込まれたかも知れない住人や、母なる地球の大気圏内で反応弾を使ったことをグダグダと悩んでるんだろう?」
殆ど図星だった。
達也は何も返す事無く武藤の顔を見続けた。
作戦の指示であり、また都合上仕方なかったとは言え、護るべき者の命を奪ってしまったのではないか。
割り切ろうとして納得しきれない、それが今の達也の葛藤だった。
「やめとけ。考えても仕方の無いことだ。それが必要だった。だからお前は遂行した。それだけだ。」
達也はひとつ溜息を吐くと武藤から視線を外して、自分のマグカップを取り上げて冷め始めたコーヒーを一口啜った。
オフホワイトの柔らかな色合いの肉厚のマグカップには、淡い青色で国連のシンボルマークがプリントされていた。
地球をオリーブの葉で囲んだ、世界平和の象徴となるべくして生み出された国連のシンボルだった。
いまや地球防衛の戦いの要であり、市街地に反応弾を叩き込む決定をする組織でもあったが。
「ファラゾアのクソッタレどもには、まあ、ひとん家に勝手に上がり込んで好き放題暴れ回ってる報いを受けさせるとしてだ。お前、俺達の戦いに巻き込まれる他の生物のことを考えたことあるか?」
そう言って武藤は言葉を切ってコーヒーをまた一口啜った。
「撃墜された機体にへし折られる木や、爆発に巻き込まれる動物や、レーザーで水蒸気爆発した海にいた魚とかだ。」
勿論そんなものについて考えたことも無かった。
自分が護るべきは、顔を見知った者達、そして名を知らずとも自ら身を守る手段を持たない一般市民。
一般市民の中に野生動物は含まれていない。ましてや植物など。
しかし言われてみれば、武藤の言う通りだった。
地球上の生命対地球外生命体、と考えるならば。
「・・・成る程。」
少し納得がいった眼の色をして、達也は武藤を見た。
「実家が寺でな。ガキの頃からそんなことばっか親父に言われて育ってきたよ。人の命も畜生の命も、同じ命だ、とな。ガキの頃は鬱陶しいばっかりの説法だったが、まさか今ンなってこんな風に役立つとは思わなかった。どうだ? お前さんが今悩んでる事の解決の糸口にはなるだろ? 俺はそうやって納得した。」
普段は寡黙な印象があるが、実は直情的な面の多い武藤がその様な事を考えているとは少々意外だった。
達也は少しばかり苦笑交じりの笑いを浮かべ、自分のマグカップに再び手を伸ばした。
「ま、すぐに答えが出るモンじゃねえさ。メシでも食いに行かねえか? 腹一杯になりゃ、大概の悩みは軽くなるってモンだ。」
そう言って武藤は笑いながら席を立った。
腕時計を見ると、確かにそろそろ昼食にしても良い時間になっていた。
「旧市街地に行こうぜ。良い雰囲気の田舎料理を出す店がある、って聞いたんだ。」
そう言って武藤は建物の奥に向かって歩いて行く。
「おい。トラムはこっちだろう?」
国連軍司令部脇には、旧市街に通じる路面電車の電停があり、そこから市街地中心部まで約二十分ほどで着くと聞いていた。
「車、借りといた。車庫はこっちだ。トラムの乗り換えなんて面倒臭え。」
そう言って武藤はポケットから取り出したキーを肩越しに振り回して見せた。
達也は武藤を追いかけ、しばらく歩いて追い付く。
「旧市街は車乗り入れ禁止だろう?」
「おう。乗り入れ可能な場所から近いらしい。俺もよく知らねえんだよな。今朝航空団事務所のおネーさんに聞いたばっかりなんだ。どストライクの金髪美人のフランス人でよお。昼飯に誘ったら、結婚してるって断られた。仕方ねえから、美味い店だけ聞き出した、ってわけだ。」
「相変わらずだな、お前も。それが俺を誘った理由か。」
サンディエゴでしばらく共に居た間に、武藤の性格は良く分かっていた。
美人を見かけるととりあえず声を掛ける。
外見上どこからどう見ても純血種の日本人で、いかにも軍人然とした寡黙な印象を受けるのだが、その実行動はまるでイタリア人の様だった。
「いやいや、俺は何か思い悩んでいるお前を元気づけようとしてだな・・・」
「ああ、分かった。そういう事で良い。」
バカな話をしている内に、建物の中を抜けて、裏手にある車庫に出た。
達也達の前には二組ほど出庫の順番待ちをしているグループがいた。
先頭に並んでいる女三人のグループの前に、出庫してきた電動車がのそのそと自動で動いてきて、スライド式のドアを開けて止まる。
肩の辺りで黒髪を切りそろえた女が運転席に乗り込もうとしたところを、金髪の女が肩を掴み止めて抗議した。
「ちょっとあんた、なにサラリと運転席乗ろうとしてんのよ。嫌だからね、あんたの運転に乗るの。」
「キーを持っているのは私。今更遅いわ。」
「ダメ! ちょっとサミ、あんたも何か言いなさいよ!」
「・・・? 良いんじゃ無いの? あたしは構わないけど?」
「あたしは嫌なの! この間だってサンクトペテルブルクで信号待ちの時に・・・」
「よお、姉ちゃん達、後ろつかえてんだ。早くしてくれや。」
「あ。御免なさいねえ。ほほほ。」
すぐ後ろに並ぶスーツを着た四人組の男に注意され、少しおっとりした雰囲気の背中辺りまで黒髪を伸ばした女が、にこやかに笑いながら金髪を無理矢理後部座席に蹴り込んだ。
勢いよく後部座席とぶつかった金髪が、ギャアギャアと騒ぎながら後部座席で向きを変えている隙に、肩までの黒髪の方が運転席に乗り込み、システムを起動して走り始める。
「ごめんなさーい。」
車が動き始めると同時に飛び乗った筈の長い黒髪の方が、ドアから顔を出して男達に謝り、容赦なく車が加速していく中で何事もなかったかの様にドアを閉めた。
車内で金髪が大騒ぎしている声が遠ざかっていく。
呆気にとられた四人のスーツ姿はしばし呆然と女三人が乗った車が走り去る後ろ姿を眺め、微妙な雰囲気がその場に残る。
その空気を押しのける様に、男達が乗るはずの次の車がやってきて、男達の前にゆっくりと止まってドアを開けた。
「なんだありゃ。」
呆気にとられつつもやっと再起動して、自分達の割り当てられた車に乗り込み始めた四人組のスーツ姿同様、達也も先ほどの三人の女の余りに奔放な行動に呆れ果て、いまだ彼女たちの車の後ろ姿を眼で追っていた。
「あー。」
横で武藤が妙な声を上げる。
達也が武藤の方を見ると、皺を寄せたこめかみに人差し指を当てて武藤が唸っていた。
「知ってるのか?」
「ああ、まあ、な。俺達の同僚だ。」
「は?」
達也は思わず武藤の顔を見直した。
「俺達の? 同じ航空団の?」
第666戦術航空団の名称はみだりに口にしないようにと言われていた。
当然だろうと達也は納得していた。
自分が撃ったミサイルで実家を焼き払われた奴がどこに居るか分からないのだ。
逆恨みされて刺されるのは御免被る話だった。
「まあ、後で顔を合わせることになるさ。」
そう言って武藤は、達也達の前でドアを開けて待機状態に入った小型の電気自動車の運転席に回っていった。
助手席に座り、ドアを閉めてシートベルトを締める。
運転席に座った武藤が、動力が電気に変わった今でも変わらず「イグニッションキー」と呼ばれているハンドル付け根の鍵穴に金属製の物理キーを差し込み、キーを捻って車のシステムを起動した。
自動運転で待機状態だったコンソールにメーター類が表示される。
武藤がハンドルを取り、アクセルを踏むと車は特有のモーター音を静かに響かせながら発進した。
ジェット燃料に最優先で回される化石燃料が相変わらず供給不安である中、核融合発電によって電力が必要充分なだけ供給される様になり、世の中の動力はほぼ全てが電力に置き換えられつつあった。
航空機に乗せられるまでに核融合炉を小型化した技術は、融合炉本体と発電と冷却に関するシステムをひとまとめにして大型トレーラのコンテナ一個分ほどの大きさに組み上げられて、核融合発電機としてまさにトレーラに牽引されて必要に応じて陸路で各地に送り込まれ、人類のエネルギー事情を急速に回復しつつあった。
核分裂を用いた原子炉の様に大量の放射性同位体を用いる必要が無く、爆発やメルトダウンの危険性がほぼ存在しない融合炉発電機は、一昔前の大袈裟な原子炉の建築など必要無く、放熱に対する安全を考慮したある一定の広さのある場所であれば、例えそれが市街地のど真ん中であったとしてもコンテナ化した融合炉発電機をシステムごと輸送してきて設置し、敵からの攻撃に対する幾つかの対策を講じた後に、コンテナ発電所を設置した後数日で大型の火力発電所一基分の電力を供給できる様になる。
敷地内に発電所を設置された工場は息を吹き返し、あちこちに発電所を設置された市街地には電気の明かりと温もりが戻り、同様に軍事拠点も十全の機能を取り戻した。
ヨーロッパの様にファラゾアの攻撃を受けていない地域は、通信の面を除けばほぼ昔通りの生活を取り戻し、戦線に近い場所であっても生活の質を向上させ、住民の脱出を容易にし、前線基地の機能を向上させて、また新たな防衛システムを構築する一助となった。
人類の持つ技術はまだファラゾアのそれに遙か遠く及びはしないが、それでも少しずつ、地球人類は力を取り戻しそして新たな力を手に入れつつあった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
年内はこれが最後、と言いましたが、ちょっと頑張ってしまいました。
ホントにこれが最後です。