11. 垂直ホバリング
■ 5.11.1
三機のワイヴァーンがデルタ編隊を組んだまま、陽炎立つ滑走路上で加速していく。
ジェット燃料を燃焼した排気は辺りに更なる陽炎を撒き散らし、砂漠地帯の熱い大気を切り裂く機首は、地上に澱む様に揺らめいていた陽炎を押しのける。
やがて離陸速度に達した黒灰色の先頭の機体が機首を上げると、ほぼ同時にその後方左右に控える様に追従していた二機も機首を上げる。
タイヤが地面を離れるとほぼ同時に畳み込まれた着陸脚が消え、後方左右に二機が僅かに外側に離れた。
次の瞬間、先頭の機体が急激な機首上げを行い、大パワーを誇るエンジンから青色のリヒート炎を長く引きながらほぼ垂直に近い角度で、濃紺の空に向けて突き上がっていく。
そのすぐ後を追う様にして二機のワイヴァーンが同じ様に天に向けて機首を突き立て、紺色の空の限界に向けて挑みかかるかの様に急激に加速しながら上昇していった。
後には、白波立つ紺碧のホルムズ海峡に隣接した、強い日差しに灼けた白い滑走路に天から降り注ぐ様に、海鳴りの様な腹の底に響く爆音だけが残った。
「タツヤ、あんまムチャやると後でまた少佐に小言言われるぜ? 面白えからいいけど。」
航空無線特有のノイズが全く混ざらないクリアな音声の編隊内レーザー通信に乗せて、笑いを含んだシェルヴィーンの楽しげな声が響く。
「敵の大攻勢がいつ起こるとも分からんこの非常時にチンタラ離陸なんざしてられるか。」
達也は高度5000mで機体を水平に戻しながら言った。
すぐに後方左右にファルナーズの12番機とシェルヴィーンの13番機が同高度に達して並んだ。
「アラーイスA2、こちらアルシャイン02。所定の高度に達したら、バンダレ・アッバース基地東方50kmのポイントBR05を中心にして高度50、半径50kmの直援旋回に入れ。」
三機が安定的な水平飛行に移るとすぐさま基地の周囲を管轄しているAWACSからの指示が飛ぶ。
「アラーイスA2、諒解。BR05、半径50、高度50。」
三機は翼を翻し、指定された直援周回に入る。
「アルシャイン02、ルードバールの動きはどうだ?」
直援周回コースに入ると間をおかず、達也がAWACSにファラゾアの動向を尋ねた。
バンダレ・アッバース基地の誰にとっても、今一番の関心事は当然敵の動きだろう。
「今のところ特に動きは無いな。時々うろちょろする奴はいるが、通常の活動の範囲内だ。」
「諒解。そのまま大人しくお家に帰ってくれると助かるんだがね。」
「なかなかそうもいかん様だ。遠すぎてお家の場所が分からんのかも知れん。」
「迷子か。警官でも呼んでやってくれ。ついでに不法侵入で現行犯逮捕してくれると助かる。」
「生憎、銀河パトロール隊に知り合いがいなくてな。すまんな。」
バンダレ・アッバース基地に来て一週間。
この辺りを管轄するAWACSであるアルシャイン02とは何度も通信を交わしてきた。
ホルムズ海峡より内陸にかなり入った、ジーロフト近郊の山の中に設営して監視任務に就いていると聞いたことがある。
三~四人で交代制を敷いているようだが、その全員が軽口を叩くのが好きな話し易い兵士達だった。
出撃する度に達也が二言三言余計な軽口を叩くので、向こうも達也のことを話し易い奴と認識しているのかも知れなかった。
いずれにしても、戦場とその周辺を監視下においているAWACS要員と仲良くしておいて損はなかった。
尤も向こうも達也のことを同様に考えているのかも知れなかったが。
敵さえ現れなければ、直援任務は単調な作業の繰り返しでしかない緊張感の薄い退屈な仕事だった。
指定された地点を中心に、所定の高度でぐるぐると円軌道を描くだけだ。
敵が現れれば遙か彼方からGDDがそれを探知し警告する。それ以前に、よく見える鷹の眼でAWACSが常に辺り一帯を監視している。
昔と違って有視界で敵を警戒する必要も無い。
直援周回にオートパイロットを設定することは禁止されているので居眠りをすることは出来ないが、そうだとしてもやることがない、あくびの出るような単調な作業だった。
達也は紺碧のホルムズ海峡と対比を成すような少し赤みの掛かった灰色の大地や、ゴツゴツとした岩山の連なりが地平線の彼方に霞と混ざり合って消えていく様や、紺碧と言う言葉通りの濃い青色をした砂漠地帯の空、上空から眺めるとまるで沢山の色の絵の具が入った容器をかき混ぜた様に見える地表の地形と地層が織りなす模様など、上空から見える様々な風景を眺めて時間を潰した。
達也達とは別の場所を周回の中心として、高度4000mを飛んでいる2675TFSの機体と希にすれ違う。
AWACSであるアルシャイン02は、交通整理の他にも、今まさにはち切れんばかりにファラゾア戦闘機で膨れあがっているルードバール降下地点の動向にも神経を尖らせておかねばならず、いつまでも達也の話し相手をしてくれる訳でも無い。
達也達三人は、小隊内で時々会話を交わしながら、結局三時間近くに及んだ直援周回任務を終了した。
「アラーイスA2、こちらアルシャイン02。引継のアラーイスB2が上がってきた。この周回でポイントBQ13に到達した後、方位40に転針、SRAR(Spot Routine Armed Reconnaissance)に移れ。」
「アラーイスA2、ポイントBQ13にて方位40。SRAR。諒解。」
「ファルナーズ、結構近いな?」
達也は通信を編隊内のレーザー通信のみに切り替えて言った。
「そうね。少しだけ脚を伸ばす必要がありそうだけど、すぐ近くよ。」
シェルヴィーンには今日の予定について、地上にいるうちに既に伝えてあった。
さすが家族を大切にするペルシャ人と云ったところか、実行する企みの内容とその理由を告げると、質問のひとつも無く笑いながら首を縦に振った。
「アルシャイン02、こちらアラーイスA2。ポイントBQ13に到達した。進路変更40、SRARに入る。」
「アルシャイン02、諒解。よろしく頼む。気をつけてな。」
「諒解。敵に動きは?」
「今のところ特に無し。何かあればすぐに知らせる。」
「頼む。」
直援周回の最後の一周をしばらく回ると、AWACSから指示されたポイントに到達し、達也達三機はまるで曲技飛行チームのように黒い翼を寄せ合って左にバンクし、大きな弧を描いて雲ひとつ無い高度5000mの上空を旋回していく。
三機はそのまま内陸に向けて音速を僅かに下まわる速度で真っ直ぐに進んでいく。
ルードバール降下地点から直線で700km。
この距離では、戦闘機に搭載された機載GDDでは敵の動きを探知する事は出来ない。
僚機と、少し南を飛んでいるこのエリアを管轄するAWACSのシンボルマークの他は、コンソールの戦術マッピングには何も表示されていない。
「アラーイスA2、こちらジョークト06。ナビゲーションポイントRBR18を設定した。そのまま直進せよ。」
短い電子音と共にHMD表示の中にRBR18と書かれた緑色のナビゲーションマーカが表示された。
「ジョークト06、こちらアラーイスA2。RBR18を確認。直進する。」
RBR18と表示された目標ポイントは、本来RARで巡廻されているコースと、それに直行する形で接近する達也達のSRARコースの交点に当たる。
このまま飛行してポイントRBR18に到達すればそこで、針路を180度変えて帰投できる。
自機のGDDに敵の反応は無く、AWACSからの緊急通信も入らない平穏な飛行が続く。
いつぞやのような、地上で待ち伏せしているヘッジホッグからの迎撃も無い。
しばらくそのまま直進し、RBR18まであと数十kmというところで達也は再び通信を開いた。
「ジョークト06、こちらアラーイスA2。地上に不審なものを見つけた。ヘッジホッグかも知れん。高度を下げて確認する。」
「アラーイスA2、何が見える?」
「岩でも無い、金属のようにも見える。よく分からない。確認する。ラジオOFF。」
有無を言わさずラジオOFFのボタンを押して無線を切る。
「ファルナーズ、先導しろ。次のRARが通過するまで四十分ほどしか無い。急げ。」
編隊内のレーザー通信は当然そのまま通信可能の状態にしてある。
定期のRAR編隊が上空を通過すれば、達也達が何をしているか当然ばれる。
RARが上空に到達する前にファルナーズの用を済まさねばならない。
「諒解。先導する。」
達也の左側に占位していたファルナーズ機が、一瞬で翼を翻して背面降下していく。
達也とシェルヴィーンがそれに続く。
ファルナーズを先頭にして、数百m程度の高さが続く山並の間を縫うように飛ぶ。
敵に追い立てられている訳では無いのでリヒートを使ったりはしていないが、味方のRAR機が来るまでに事を済ませねばならないため、のんびりと飛ぶ訳にも行かなかった。
「着いた。二人は周囲の警戒をよろしく。」
「諒解。」
幾つもの峰を飛び越え、RBR18とは離れているが、同心円を描いた場合僅かにルードバールに近い場所でファルナーズが到着を知らせた。
達也とシェルヴィーンは前方に見えてきた、谷底の僅かな部分に緑が生い茂り、そこがファルナーズの故郷であると思しき村の上を真っ直ぐフライパスした後に高度を上げ、周囲の尾根よりも百mほどだけ高い高度を維持して大きく旋回し始めた。
勿論、時々進路を変えたり、意味も無く谷間に潜り込んだりして、地上の何かを探しているというフリは欠かさない。
ファルナーズは谷底から300mほどの高度をとり、自らの生まれ故郷である村に向けて一直線に進んでいった。
速度を調整し、村の上空手前で失速手前まで速度を落とした後に、急激な機首上げを行いプガチョフ・コブラに似た動きをする。
機体はあっけなく空気の流れから剥がれ、機体下面全体で風を受け止めて急速に減速した。
スロットルをフュエルジェット最大近くまで開けることで、機首を上に向けた垂直の機体姿勢を維持しつつ、ジェット噴射で機体を支える、いわゆる垂直ホバリングの状態に入る。
ワイヴァーンはリヒートを点火せずとも、フュエルジェット推進最大で機体重量を上回る推力を得ることが出来る事に依る芸当だった。
谷間を低空で侵入してきた戦闘機三機による突然の爆音と、それに続く村上空での垂直ホバリングの為のフュエルジェット推進が発する連続的な鳴り止まない轟音に驚いた村人達が、ぱらぱらと転がるようにして家から飛び出してきて、上空に奇怪な姿勢で浮遊する轟音の源、ファルナーズの機体を指差している。
それを確認したファルナーズは、垂直ホバリングの状態で無謀にもキャノピーを開け、用意していた紙の束を何回かに分けて空中に投げた。
ファルナーズが機体の動作を微妙に調整したため、上手くインテイクに吸い込まれること無く全て空中にばら撒かれた紙束は、あるものは風に乗ってひらひらと、あるものはジェット排気に乗って地上に叩き付けられるように、村とその周辺に向けて落下していった。
村の中心から少し外れた場所にある生家から、遠く離れていて顔の判別は付かずとも体つきや歩き方で見間違えようのない母と妹が出てくるのを認めたファルナーズは、そのまま村の外れまでゆっくりと機体を移動させた。
母と妹が物珍しげに、自分の機体を見るために他の村人達同様に村の外れまで来たのを確認し、ジェット排気が涸川の段丘面で止まる位置に移動して高度を下げた。
高度20m。しばらくぶりに見る、記憶よりも年老いた母の顔と、またひとつ大人びた妹のそれぞれの表情までもがはっきりと確認できる距離となった。
既にキャノピーを開けているファルナーズは、さらに無謀な行いに移る。
酸素マスクとHMDヘルメットを外し、彼女たちから顔が完全に見える様にして、微笑みながら手を振る。
大迷惑なジェット排気の轟音を撒き散らしながら、ビラを撒き、村の外れで垂直ホバリングするという奇行を行った戦闘機のパイロットが、実は自分の娘であり、姉であったと理解した二人は、驚きの余り目を見開き、喜びの表情を浮かべてファルナーズを指差す。
何かを大声で話しているようだが、ジェット排気の轟音にかき消されてその内容がファルナーズに聞こえることは無い。
二人が自分を認識したことに確信を持ったファルナーズは、身振りでビラを読めと示し、そして二人が理解したという動作を示すと、機体姿勢を微妙に変えて涸れ川の上を移動し、村から離れた。
リヒートに点火しないように注意しながら、僅かずつ出力を上げる。
出力が上がることで、機体は高度を上げ、ゆっくりと加速していく。
対地高度300mに達したところでリヒートに点火し、一気に加速する。
高度800mで充分に速度に乗ったところで水平飛行に移り、500mまで再び降下してさらに増速し、周囲を警戒するように旋回していた達也とシェルヴィーンに合流した。
ファルナーズが合流し、再びデルタ編隊を取ったアラーイスA2小隊は、村のある峡谷の上流から進入し、高度200mで村の上空をフライパスした後、数km先の峡谷が開けた所で一気に3000mまで上昇した。
暗いグレイに塗装された三機のシャープな外観を持つ戦闘機が谷間を飛び去った後、しばらく谷間には轟音の余韻が響いていた。
高度を上げるGに耐えながら、ファルナーズは今度こそ母親達が避難してくれるものと信じていた。
任務の途中わざわざ寄り道をしてまで警告にやってきた意味を汲み取って欲しい。
母親達に説くだけでは無く、ビラを撒くことで多くの村人に危険を知らせた。村を出て行った者が、わざわざ危険を知らせにやってきたことの意味を、村の誰でも良いので理解して欲しい。
そして母親達にも、避難を促して欲しい。
彼女に今できる最大限の行動だった。
しかし、これで聞き届けてくれないようであればもう諦めるしかないのだろうかと、妙な迷いが心に残っていた。
高度を上げつつ本来のルートに戻りながら達也はラジオをONにした。
「ジョークト06、こちらアラーイスA2。ラジオイネーブル。低空から調査したが、敵は居なかった。疑心暗鬼になって見間違えたらしい。前に酷い目に遭ったからな。原ルートに復帰する。」
「こちらジョークト06・・・調査、ねえ。ま、そういうことにしておくか。それはそうとアラーイスA2、少し急ぎ足で戻ってくれ。ルードバール方面の敵機反応が少しだけいつもより賑やかだ。大攻勢の前触れと断言は出来ないが、早めに戻った方が良い。」
「アラーイスA2、諒解。RTB。」
高度5000mを維持し、達也はスロットルをさらに開けて、モータージェット推進最大とした。
可能であるなら、ジェット燃料はできる限り節約した方が良いのだ。
そして500km/h前後の対気速度で三十分も飛んだだろうか。
昔からの癖で僅かに緊張を残し、張り詰めては居ないものの油断なく周囲に目を配り続け巡航する達也達三人に緊急の通信が入った。
「緊急。緊急。緊急。カスピ海からペルシャ湾方面に展開する、飛行中の全機に告ぐ。ルードバール降下地点における敵の活性化が認められた。各機緊急対応シーケンスに沿って行動せよ。待機中の全スクランブル機は離陸を開始せよ。繰り返す。緊急。緊急。緊急。カスピ海からペルシャ湾方面に展開する・・・・」
(PAN, PAN, PAN. All wings in flight from Caspian Sea to Arabian Sea. Enemy vessels activation is detected at Rudbar Point. All wings shift to Emergency Sequences. All Scrambles start takeoff. Say it again. PAN, PAN, PAN. All wings in flight....)
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
書いていて、某風の妖精が日本海軍の空母の脇でやらかしたアレそのまんまの様な気がしてきました。
ホントは、youtubeに上がってるSu27のラジコンの曲芸飛行見てて思い付いたんですけどね。
リヒート点火してるとビラが燃えるので、リヒートは無しです。w




