10. クリスマス・プレゼント
■ 5.10.1
達也達2687TFS、アラーイス隊がバンダレ・アッバース基地に移動してきて一週間近くが経った。
もともとさほど大きくはない地方の民間空港であったこの基地に、今や五部隊七十五機もの戦闘機が集結している。
文字通り最前線のこの基地が二十四時間眠ることは無く、急遽拡張されたエプロンや、その周りに急ぎ設置された格納庫の周りを常に多くの兵士達が忙しなく動き回っている。
ファラゾア来襲からしばらくの間、人類はその突然の襲撃者達を遠距離から索敵する手段を持たず、それに対して敵は索敵の範囲外から人類の航空機を攻撃する能力を持っているという、極めて不利な戦いを強いられた時期があった。
人類が索敵に用いていた手段、超短波の電磁波反射による敵機の特定という方法は、電磁波の大部分を吸収するいわゆるステルス能力を与えられた機体外殻を持つファラゾア戦闘機に対して全く有効では無く、さほど出力が高くない機載のレーダーでは50kmも離れると全く敵機を探知する事が出来なかったのだ。
索敵手段を持たない人類は、時代を百年も遡ったかの様にパイロットの肉眼による索敵を行うほか無く、その為当時は夜間の作戦行動が殆ど不可能な状態にあった。
戦闘機という唯一且つ最大の攻撃手段を封じられた航空基地は、夜間照明を落とし敵の襲撃に怯えながら息を潜め、ただの地上車のヘッドライトでさえ点灯を禁止し、夜明けを待って一斉に作戦行動を開始するという、まるで剣を手にして己の肉体のみを頼りにして戦っていた大昔の地上戦もかくやと云わんばかりの戦い方を強いられていた時期が長く続いた。
不思議なことに人類が手も足も出せなかったこの時期の夜間、人類側の戦闘機が皆基地に引き籠もっているところを襲撃し、一網打尽にするというような攻撃をファラゾアは殆ど行わなかった。
まるで中世の騎士や武士の正々堂々とした一騎打ちの様な交戦のルールがあった訳でも無く、かといって宇宙空間を自由に飛び回るファラゾアの戦闘機が夜間飛行が出来ない筈も無く、なぜファラゾアが人類側の都合に合わせて夜間戦闘を控えていたのかは、未だもって解明されていない謎である。
いずれにしても今や人類は、仇敵に依ってもたらされた、いや正しくは死に物狂いで戦い叩き落とした敵機を回収しバラバラに分解して解析したことで敵から奪い取った、新たなファラゾア機探知技術である重力波探知を手に入れ、精度はともかく数百km離れていようとも敵の存在を感知できる手段を得ていた。
戦闘機に搭載されている小型のものであっても、100km以遠の敵の存在を探知でき、100km以内であれば敵機を個体識別出来る。
地上に設置された大型のものであれば、500km彼方の個体を識別出来、1000km離れていても大まかな敵機数を把握できる程の精度を持っていた。
重力波による索敵は、ファラゾアが推進力として使用している重力推進によって作り出され空間を伝播する空間の歪み、即ち重力波を探知するものである。
その為、レーダー波のように地平線や水平線に遮られることは無く1000km彼方の敵をも探知することが可能であるが、その代わり山や海等と云った密度や質量の異なる地上の地形の変化によって大きく探知精度が低下する。
地上に設置されたGDD(Gravitational wave Displacement Detector)はその様な「ノイズ」を積算ベースラインとして取り除く事が出来るが、空中を自ら移動する航空機は同様の方法にてノイズを除去することが難しいため、探知精度が極端に低下する。
AWACSの様に大容量の演算能力を持っているものは、空間マッピングを作成してそこにGDD情報を重ね合わせる事で探知精度を引き上げているのだった。
バンダレ・アッバース基地にも当然、大型の地上設置GDDは配備されており、常に北東方向のルードバール降下地点方面を警戒している。
ルードバール降下地点には既に一万機を超えるファラゾア戦闘機が集結していることが分かっており、ホルムズ海峡、カスピ海、或いはインド方面への大規模侵攻が予想され、人類側の周辺各基地は厳戒態勢を採って備えている。
達也達2687TFSがバンダレ・アッバース基地に移動したのも、その厳戒配備の一環である。
ルードバール降下地点に敵が大規模な戦力を集結しているという事実は既に公表されており、末端の一兵士までが知り得る情報であった。
地上のGDD、AWACSによる探知、RAR(武装巡廻偵察)を行う飛行隊と、多くの方法でファラゾアの集結は探知されており、それらに関わる数多くの兵士達全てが既に知るところである情報を今更秘密にしたところで意味が無い、という現状追認の判断ではあったのだが。
いつ行われるとも知れないファラゾアの大攻勢を前にして、バンダレ・アッバース基地全体を包む雰囲気は、最前線基地が持つ特有の緊張感をさらに上回る、大量の敵との総力を振り絞ったぶつかり合いを前にしたピリピリと張り詰めたものであった。
その緊張は、出撃し帰還する戦闘機隊のみではなく、彼等を支える整備兵達、さらには直接戦闘機隊と接触する機会の少ないいわゆる地上勤務兵達の間にも伝播していた。
基地全体が張り詰めた糸の様な、或いは鋭利な刃を上向きに立てたナイフをなぞるかの様な緊張感に包まれ、そしてその緊張感はまるで祭の前日の熱く浮かされた様な独特な高揚感を伴って、行き交う全ての兵士達の心と身体に突き立っていた。
海が近い事に依る独特の湿り気を帯びた熱い風が夕暮れの滑走路を吹き渡る中、達也は夕食を摂るために皆がどことなく急ぎ足で行き交うエプロンの端を歩き、食堂に入ったところで、物憂げな顔で独り夕食を摂るファルナーズを見つけた。
「どうした。浮かない顔だな。」
列に並び、自分の夕食が載ったトレイを手に入れたところでまだファルナーズが席を立っていないのを見て、少し混み合う通路の兵士達の間をすり抜け、ファルナーズの正面に立った。
達也の声に反応して視線を上げた彼女の眼は、普段見かけているクールでいてどこかいつも何かを面白がっている様な、彼女の魅力でもある黒く大きな瞳の光を失っているように見えた。
この基地でもトップグループに入るだけの実力を持つ彼女をしても、敵の大規模攻勢を前に精神的に弱ってしまっているのだろうかと、テーブルを挟んで彼女の向かいの席にトレイを置き椅子を引きながら達也は思った。
「ええ、まあ。」
再び視線を落とし、鶏肉のケバブをフォークの先でつついて転がしながら、彼女は気のない返事を返してきた。
「俺で良ければ、話を聞こうか? 出来る事と出来ない事があるが。」
本当に話す気が無いのであればそんな仕草はしないだろうと、銀色のステンレストレイの上で突き回され転がされる、焼き色の付いた鶏肉の塊と沈んだ彼女の表情を見比べながら、彼女のものと同じメニューの載った自分のトレイの上で突き刺した鶏肉を口に運びながら達也は言った。
彼女はそのまましばらく鶏肉と戯れていたが、やがて意を決した様にフォークを肉に突き刺し、視線を達也に向けた。
「母親がね、まだ村に残ってるのよ。」
彼女の眼の力はまだ戻ってこなかった。
肉親の身を案じて困り果てて、泣きそうでもありどことなく苛立ちを表した様な表情で、溜息と共にファルナーズはぽつりと言った。
口の中にある肉を咀嚼して時間を稼ぎながら、達也は彼女が以前家族について語っていた事を思い出していた。
確かビールジャンドの南方、ファラゾアの制空圏下にある小さな村にまだ残っているという話だった。
手紙で彼女が何度避難を促しても、一向にまともに取り合ってくれないと愚痴っていたのを記憶していた。
多分彼女の故郷の村は、ルードバールのファラゾアがホルムズ海峡方面に進出する際、ちょうどその進路上に当たる様な位置にあるのではないかと達也は推測する。
「手紙でも来たのか?」
彼女の確定的な口調から達也はそう思った。
その手紙にまた、避難する気は無いという様なことが書いてあったのではなかろうか。
大規模攻勢を前にして皆ナーバスになっているところで、タイミング悪くその様な手紙を受け取れば、それは確かに物憂げな顔で独り鶏のケバブを転がしたくもなるだろう。
「ええ。『ここの村はまだまだ大丈夫』とか何とか。こっちは気が気じゃ無いって云うのに。」
そう言ってファルナーズはまたひとつ、大きな溜息を吐いた。
「出来る事と出来ない事がある」と言った。
出来る事は案外ありそうだと達也は僅かに微笑む。
「行ってみるか? 村に。」
予想もしないことを言われて、ファルナーズが再び視線を上げて達也を見た。
その視線には、懐疑的ながらも僅かに希望の光が宿ったようにも見える。
「無理よ。この厳戒態勢の中、長期の休みを取って基地を離れるなんて。」
ファルナーズは達也を真っ直ぐに見ながら言った。
「空から行けば良い。ファラゾアの大攻勢が近付いているので、それを警戒するために明日から俺達にもスポット的なショートRARが回ってくるらしい。その途中で抜けられるだろう。」
小隊長として達也はその情報を得ていたが、全ての兵士達には展開されていなかった。
各隊長の指示に従って動くことが求められる一般の兵士達には、任務内容が多少変更になったところで全てが前もって知らされる訳ではない。
これまでバンダレ・アッバース基地は、基地とホルムズ海峡周辺空域の直援任務だけを与えられてきた。
これは大量の戦力を溜め込んでいるルードバール降下地点のファラゾアが、数十機という単位の戦闘機を小出しにして、各方面に威力偵察を行う事を警戒した措置である。
バンダレ・アッバース基地は、ここ最近オマーン湾、或いはペルシャ湾方面に進出圧力を強めていたルードバール降下地点と、それら圧力の強まっている方面を結んだ直線上にある、というよりもそもそもバンダレ・アッバース基地自体がペルシャ湾とオマーン湾を区切っているホルムズ海峡に存在する。
これら方面に対してルードバール降下地点からの大攻勢が発生した場合、中心的戦力となって敵の大攻勢を食い止めねばならないバンダレ・アッバース基地の戦闘機隊を消耗してしまわないため、彼等はRARのローテーションから外され、こればかりは自前で行わなければならない基地周辺の直援任務のみを与えられていたのだ。
500kmを最短僅か数分で移動できるファラゾア戦闘機に対して、従来のいわゆるスクランブル待機はほぼ意味をなさない。
敵機の接近を探知した後スクランブル機が離陸する頃、敵はとっくの昔に基地上空に達してしまっているのだ。
その為かつて空母を中心とした機動艦隊を敵襲から守る為に行われていたような、基地上空を常に複数の戦闘機隊が旋回して警戒するという上空直援が採用されたのだった。
今日までは、その直援任務を行っているだけで良かった。
しかしルードバール降下地点にさらに増援が降下し、一万五千機を超える敵機がひしめき合っている中、大攻勢はまさに目前に迫っているものとの見方が強くなり、敵の動きを探るためのRARの頻度が増加した。
それに伴いバンダレ・アッバース基地に対しても新たにRARを分担するよう要請があったため、上空直援任務が終了した小隊がバンダレ・アッバース基地から直近のRAR巡廻経路までを直線的に往復してスポット的な武装偵察を行う事となった。
上空直援は、敵が現れさえしなければ、基地上空を円を描くようにして延々と数時間飛び続けるだけの退屈な任務だった。
殆ど消耗のない上空直援の最後に、往復1000kmほど内陸部に向けて飛行することでRARの隙間を埋める程度の飛行であればパイロット達の負担はさほど大きくないと見積もられたためだ。
本来のRARにて得られた索敵情報に、バンダレ・アッバース基地からのスポット武装偵察情報を追加して解析する事で、RAR索敵情報の精度向上を図ることが目的であった。
「空から、って。そんな事出来ないでしょう。」
ファルナーズは、達也が何を言っているのか理解できない、という顔をした。
「明日から、上空直援の終わりに内陸に向けて直線的に飛んで帰ってくるショートRARが組み込まれる。ここの基地からルードバールに向けて飛べば、お前の生まれ故郷のすぐ近くを通らないか?」
「それは通るけど・・・車で親戚の家に遊びに行く様な訳にはいかないでしょう。飛行場がある訳でも無いし。第一コースを外れればAWACSに確実にバレるわ。」
眉間に僅かに皺を寄せ、難しい顔をしてファルナーズは達也に言う。
「コース逸脱はどうとでもなる。滑走路など要らない。お前、垂直ホバリングくらい出来るだろう?」
「あなたに色々やらされたからね・・・成る程。当てにして良い訳ね?」
「そっちは任せろ。お前は家族が村を確実に出る気になるだけの説得力のある文章でも考えろ。」
「分かったわ。ビラでも投げようかしら。」
「丁度良いクリスマスプレゼントじゃないか。娘の里帰りと、命を繋ぐための情報。」
「残念ながら異教の預言者の誕生を祝う習慣はないわ。」
「じゃ、新年のプレゼントでもいい。」
「まだファルヴァルディーン月じゃないわ。」
「お前。分かってて言ってるだろう。」
「ふふふ。」
形の良い唇を楽しそうに曲げたファルナーズの顔には、もう先ほどの陰は残っていなかった。
達也は内心安堵の溜息を吐いた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
奇しくも作中の季節と現実の季節が重なることとなりました。
まあ、作中ではホントにクリスマス数日前位なんですが。
某2000年ほど前に生まれた新興宗教の教祖サマの誕生日ですが。
なんで日本人が異教の教祖サマの誕生日祝わにゃならんねん! と憤っていた時代もありましたが、最近はケーキ食ってご馳走食べてみんなと楽しく過ごすいい切っ掛けじゃないか、と思えるようになりました。
人間と河原の石は年が経つと丸くなるものです。(ジジイかよ)