9. 死神の悲哀
■ 5.9.1
アラビア海方面からオマーン湾を通り、ホルムズ海峡に向けて侵入しようとしたファラゾア機十五機を撃退し、達也達アラーイスA2小隊の三名は特に損害も無くバンダレ・アッバース基地に帰投した。
達也達に気付き突入してきた十五機の内七機を撃墜すると、今回もファラゾアは彼らのドクトリン通りに、敵(人類)機数の三倍の機数を割り込んだところで残る八機は一目散に引き上げていった。
ワイヴァーンという対ファラゾア戦に特化して開発された機体を得た達也はもとより、同じワイヴァーンを駆り、小隊長である達也の戦闘技術を目の前で見て習うことが出来るシェルヴィーンとファルナーズの二人もめきめきと空戦の腕を上げてきており、今や彼ら三機で五倍の数のファラゾアに対して一歩も引くこと無く、それどころか危なげなく敵の半数を撃墜し、人類側の制空圏深くに侵入を試みたファラゾアを撃退して見せるだけの安定した実力を見せるようになっていた。
達也の個人的な感覚ではあるが、昔「Empress and Guardians」あるいは「Delta Circus」などと異名をとり、南シナ海南部で暴れ回りその名を轟かせた4287TFS(チムン隊)のB2小隊、即ちパナウィーを小隊長としてアランと達也で構成された小隊に勝るとも劣らないだけのパフォーマンスを今の彼ら三機は見せているものと自負していた。
このバンダレ・アッバース基地に移動してくる直前に新しい機体に更新され、未だ素材の匂いが取れない自機には、今日の短くも激しい戦いによる損傷は特に見られず、何の不調も訴えること無く紺碧のホルムズ海峡上空から滑走路に進入してふわりと着地した。
海沿いにあるため、強い海風、或いは陸風のおかげで常に砂が浮いた状態の滑走路でスリップすることも無く、三機は減速を終えて誘導路へと移動した。
エプロンに進入して、駐機スポットで手に持った指示灯を振る誘導員の指示に従ってゆっくりと機体を進める。
機体が停止しキャノピーを開けたところで、待機していた整備員がコクピット脇にラダーを引っかけて登ってくる。
「よ。お疲れさん。どこかおかしいところは無かったか? 新品だからな。初期不良が出てもおかしくない。」
ラダーからコクピット内に身を乗り出した整備兵から声を掛けられる。
聞いた事のある声に、達也は視線を上げて整備兵の顔を見た。
「スライ。なんだお前もこっちに来てたのか?」
眼の前で人懐こい笑顔を達也に向けているのは、イスファハンのシャヒード・ベヘシュティー基地で世話になっていた整備兵のスライマーン・ナギーブ伍長だった。
特に達也専従と決まっていた訳では無かったのだが、何かと気に掛けてくれ、大概の場合達也の機体の整備を担当してくれていたのがスライマーンだった。
「お前等がこっちに移動になって、ここの基地の整備員の数が足りねえからって、駆り出された。良い迷惑だぜ、この野郎。」
と、スライマーンは笑いながら言った。
「いや、助かる。初めての基地で、整備してくれる奴が知った奴ってのは心強い。調子は悪くないぞ。今のところ、意味不明の警告灯が点いたりとかも、特に無いな。」
戦争が長く続けば、兵器の品質にもバラツキが大きくなるのは常だった。
MONECや高島重工などは、国内にファラゾアとの戦線を抱えていない欧州連合や日本の企業である分、比較的品質の安定性を保っているようだったが、国内二箇所のファラゾア降下点により国土を分断されているロシアや、壊滅的な打撃を受けた上でさらに実質的に二箇所の降下点を抱える米国など、部品や航空機本体にも不良品が相次ぎ、整備兵の仕事はまず入手した部品の良不良の選別から始まると揶揄されるほどだった。
「なら良い。機体ロット番号からすると、サーブの工場で作られた機体の様だ。色々経験のある工場な分だけ、信頼性も高いだろう。良い機体を引き当てたな。」
サーブの工場であるというなら多分この機体は、北欧で製造されたのだろう。
森と湖、或いは雪と氷の世界である北欧で製造された機体が、巡り巡って見渡す限り砂と岩しかないこの中東の空を飛んでいるという事に得も言われぬ感慨のようなものを感じ、達也は思わず自機のコクピットの中を見回した。
「ところで。」
スライマーンが、コクピットの縁に腰掛けている位置を僅かにずらし、達也の方に顔を寄せた。
内緒話でもするようなそのスライマーンの行動に、達也は僅かに訝しげな表情で目を眇める。
「お前さんのブツな。さっき港に着いたコンテナに載ってるって話だ。明日の夜にでも格納庫に顔を出せ。」
フュエルジェットほどでは無いが、モーターファンタービンの回る甲高い音に紛れて、スライマーンの声は周りの誰に聞かれることも無いだろう。
しかしそれよりも、無関係の人間と高をくくっていたスライマーンから突然重大な案件について告げられ、達也は驚くと共に、なぜその件にスライマーンが関わっているのかと、さらに目を眇める。
冗談で自分をからかっているのでは無いだろう事に達也は気付いた。スライマーンの眼は至って真面目だ。
そもそもこのタイミングでこんな事を言うのは、関係者としか思えない。
思わぬ身近な所に関係者がいたため、達也は戸惑っていた。
しかし良く考えれば、整備員がいなければ戦闘機は飛ばないのだ。
戦闘機を使って何かをやらかそうと思えば、当然整備員も抱き込まねばならないのは自明の理というものだった。
「分かった。明日の夜。格納庫に来る。」
そう達也が言うと、返答を聞いたスライマーンは大きく破顔し、達也の左肩を右手で大きく何度も叩きながら大声で言う。
要するに、ちょっとした秘密の話の後の誤魔化しだ。
「お前さん、疲れてんだよ。夜ちゃんと寝れてるか? 部屋のエアコン壊れたりしてねえか? 自分で直せるか?」
「ああ。問題無い。世話掛けるな。」
達也はそう言って曖昧な返事を返すと、HMDヘルメットをスライマーンに渡し、ヘルメットを受け取って達也を見上げるスライマーンの横を通ってラダーを下っていった。
振り返ることも無く、格納庫の中の飛行隊詰所に向けて歩いて行く達也の後ろ姿を、コクピットの縁に腰掛けたスライマーンは笑みの消えた鋭い眼で見送った。
そして翌日の夜。
前日と同じく、基地直援任務を数時間こなした達也達三名のアラーイスA2小隊は、午後早い時間には既に基地に戻ってきており、整備兵達との情報交換と簡単な報告書作成を終えた後に任務から解放された。
地上に居るときまで小隊の三人単位で行動しなければならない訳では無く、シェルヴィーンは友人達とビリヤードをするのだといって基地の娯楽室に向かい、ファルナーズは自室へと戻っていった。
何もすることが無く、また日没後に約束のある達也は、夕食の時間まで飛行隊詰め所で他の隊が提出した報告書を読むなどして適当に時間を潰し、日没後、夕食を取り終わるとそのまま再び飛行隊詰め所に戻ってきた。
電波の使用が厳しく制限されているこのご時世で、TVやラジオの放送があるわけでも無く、また人類の生存をかけた戦いで大量の化石燃料を消費することから、プラスチックの使用にも規制が掛かっているため音楽用CDなども簡単に手に入るわけでは無い。
ネットワークなどファラゾアの来襲と同時に完全に破壊されているため、ビデオや音楽の配信はおろかWEBサーフィンさえも出来るわけがない。
情報伝達や流通もズタズタな状態では、紙の新聞でさえ一部の地域を除いて発行することそのものが困難な状態だった。雑誌など言うに及ばず、と云ったところだ。
それでもまだ数年前までの状況に比べれば、各基地に必要なだけ核融合発電設備が設置され、電気だけは好きなように使用することが出来るようになった分、エアコンもろくに使えない暑い部屋で最低限の薄暗い明かりだけを灯して暇を持て余すと云った状態で無いだけまだマシだった。
2000時を回る頃、詰め所の扉が開く音で、座った椅子の背もたれにもたれ掛かって半ば居眠りをしていた達也は目を覚ました。
音のした詰め所の入り口の方を見ると、スライマーンが入り口の扉を半分開けて立っていた。
言葉を発すること無く顎をしゃくっただけで再び扉の向こうの薄暗闇に消えたスライマーンを見て、軽く溜息を吐き達也は椅子から立ち上がった。
どこに行くかは分かっている。達也は真っ直ぐ4番スポットに駐機中の自機に向かって歩いた。
果たしてスライマーンは、達也の機体のコクピット脇に寄せてある作業用足場の上で達也を見下ろすようにして待っていた。
「上がれよ。システムはもうインストールしておいたから、お前さんの機のコンソールを使って説明する。ワイヴァーンでカミカゼの経験は?」
「無いな。高島重工の凄風で一度やったことがあるだけだ。」
「ふむ・・・その時のシステムの名前覚えてるか?」
「ん、確か、『SHARK』だったか。」
「ああ、それはひとつ前のバージョンだな。コイツには最新の『SAPPHIRE』を載せてある。相当自動化されてるし、ミサイルも『綺麗な』のを使ってる。かなりの進歩だ。なに、基本的な操作は殆ど同じだ。」
「そいつは助かるな。」
「じゃ説明する。ま、乗れよ。」
スライマーンに促されて達也は足場の階段を上り、自機のコクピットに潜り込んだ。
機体のシステムは既にメンテナンスモードで立ちあがっていた。
「メンテナンスメニューから、戦技シミュレーションモードに入ってくれ。」
スライマーンの指示通りにコンソールを操作する。
索敵情報や火器管制、航法情報を統括する戦闘システムメニューには、従来見慣れた対空攻撃モード、対地攻撃モード、各種兵装搭載モードなどに並んで、見慣れない「LOSTHORIZONモード」なる項目が追加されていた。
スライマーンに言われるまでもなく、そのメニューを選択すべきである事は分かる。
メニューを選択すると、搭載武器管理メニュー、搭載武器情報表示、戦術空域表示などの幾つかの情報ウインドウがコンソール上に並んで開いた。
「で、搭載武器情報表示を。オーケイ。今回送られてきたブツは全部で六つ。うち四本がマジモンで、二本はダミーだ。迎撃してくる訳でもねえんだから、全部中身入りにすりゃいいのにな・・・っと。両翼のパイロンに三本ずつ載せるが、ダミーはパイロンBに、ホンマモンはパイロンAに取り付けておく。間違えるなよ。」
搭載武器情報表示ウインドウには、六本のミサイルが表示されており、内側の四本には赤色の帯が、外側の二本には黄色の帯が引かれていた。
「ミサイルのシーカーもかなり改良されてて、基本撃ちっ放しだ。撃った後は敵が沢山居るところを目掛けて自分で勝手に飛んでいく。お前さんがやることは、敵がいっぱい居そうな所に向けて全弾ぶっ放して、後は向き変えてケツまくりゃいいだけだ。な、楽になっただろう?」
「まあ、そうだな。クソみたいな数の敵の中を抜けなきゃならん事には変わりは無いがな。前回は酷い目に遭った。射程が100kmとかあるわけじゃ無いんだろう?」
「流石にそりゃ無理だ。射程は50km。敵を探してぐるぐる飛び回るのを考えに入れりゃ、30kmがせいぜいだ。だからお前さんみたいなエースにお鉢が回ってくるんだ。一般兵士じゃ絶対帰って来れねえ。ホンマモンのカミカゼになっちまう。」
達也は半ば溜息とも、鼻で嗤ったともつかない息を吐き、唇を僅かに歪めた。
個人的な怨恨を力として、人よりも少しばかり才能があった空戦技術を開花させた結果、因果な役どころを押しつけられてしまったものだ、と内心で苦笑いしていた。
「一般兵士達も薄々俺達の存在に気付き始めてる。知ってるか? 俺達がなんて呼ばれてるか。」
「まあ、あれだけ派手にカマしゃ、気付く奴も出てくるわな。なんて呼ばれてるって?」
「『死神』だとさ。酷え話だ、まったく。」
「そいつはまた、随分な徒名だな。」
スライマーンは大袈裟な表情で眉をしかめた。
その視線から、演技ではなくどうやら本当に知らなかったようだと達也は理解した。
「俺達がやってくると、その基地は近々壊滅するからだとさ。お陰で身バレしないように神経使う。バレりゃ、下手すりゃリンチだ。」
「そりゃまた、恩知らずな話だな。お前さん達が居るから大規模侵攻を止めることが出来てるのだろうに。」
「そんな事は関係ないのさ。地元出身のパイロットにしてみりゃ、ファラゾアを止めるためとは言え手段を選ばず自分の祖国を傷つけられるわけだからな。連中の気持ちも良く分かるよ。」
「・・・難儀な商売だな。気の毒に思うよ。」
達也が見るスライマーンの眼には偽りは無い様だった。
達也は口を歪めて苦笑する。
「まったくだ。」
その夜2687TFS格納庫では、消灯時間を過ぎる頃まで明かりが灯っていた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
スミマセン。ちょっとやり過ぎました。
話の中心をぼやかそうとする余り、あまりに思わせぶりで、何のことやら分からん会話が連続する話となってしまいました。ちょっとくどすぎるかも・・・
勿論、本章中でほぼ全て回収させて戴きます。
もうしばらくお待ちください。