8. 輸送潜水艦入港
■ 5.8.1
2109 hrs, 15 December 2044, Shahid Beheshti U.N. Airbase, Esfahan, Iran
A.D. 2044年12月15日、2109時、イラン、イスファハン、シャヒード・ベヘシュティー国連軍航空基地
消灯時間が過ぎ、すでに明かりの落ちた格納庫の中を小型の懐中電灯の明かりを頼りに達也は自機に向かって歩いていた。
赤い常夜灯の暗い明かりが所々に灯るだけで、あとは整備用機器の小さなLEDランプと、所々に張られた夜光テープの明かりくらいしかないほぼ真っ暗な格納庫の中で、小さいとは言えども唯一の真っ白く鋭い明かりはいかにも目立ちすぎ、誰かに見咎められるのではないかと必要以上に辺りを警戒しながら壁際を隠れるようにして進む。
これではまるで泥棒か破壊工作員だな、と見る者もない暗闇の中で達也は苦笑いする。
達也の機体は格納庫内の4番機のスポットに静かに佇んでいる。
電源供給車からのケーブルが接続されていることを確認し、電力の供給を開始する。
機体前部に周り、ラダーをよじ登ってコクピットの中に身体を収めた。
機体のシステムを起動し、メンテナンスモードに移行する。
コンソール下からキーボードを引き出し、操縦桿下にあるメンテナンスパネルを開けた。
パネルの中には幾つかのスイッチと共に、キャップされたコネクタが幾つか並ぶ。
達也は外部デバイスのコネクタのスクリューキャップを外した。
戦闘中にファラゾア攻撃機からの電磁干渉によるハッキングを防止するために、コネクタには金属製のスクリューキャップが設けられており、電磁干渉からのシールドとなっているのだ。
ポケットの中をごそごそと掻き回し、掌程度の大きさのメモリカードリーダを取り出した達也は、リーダからケーブルを引き出してコネクタに接続した。
外部デバイスを認識した機体のシステムは、デバイスをアクティブ化し、リーダに既に差し込んであるメモリカードも同時に認識する。
メモリカードの中には、平文テキストのファイルがひとつ格納されているだけだった。
このファイルを平文テキストとして認識出来るのは、達也が持っていたリーダの中にハードウエアとして組み込まれたデコーダが働いているからであって、一般の端末のリーダで中を覗いたのでは、そもそもファイルの存在を認識すら出来ないどころか、ただのフォーマットの破壊されたメモリカードとして認識してしまうはずだった。
キーボードを操作して、コンソール上でファイルを呼び出す。
他に音の無い暗闇の中、キーボードを打ち込む音だけが妙に反響する。
コンソールにファイルが表示されたところで、キーボードからファイル名を打ち込んでファイルを開いた。
「666th TFW order to Lieutenant Tatsuya Mizusawa / Expectation of LOSTHORIZON situation at Bandar-e Abbas UN Airbase」
(水沢達也中尉への第666戦術飛行隊指示 / バンダレ・アッバース国連軍航空基地におけるLOSTHORIZON状態発生について)
冒頭に記された指令内容のタイトルを見て、達也はため息を一つ吐いた。
■ 5.8.1
眼下にハームード・ミナン・ダムと、ダムに堰き止められた水が溜まり形成した巨大な湖が見える。
岩と砂の大地のど真ん中に人口的に作られたその湖は、エメラルドグリーンの水を静かに湛え、荒涼とした世界の中に本来あり得ないみずみずしさを与えている。
視線を右に移せば、緑さえ無い赤みがかったグレイの大地が続く彼方にホルムズ海峡の濃い青色が広がり、さらにその向こうにムサンダム半島の山々の連なりが霞む。
連なる灰色の山並と、青く美しいホルムズ海峡のコントラストに目を奪われていると、AWACSからの指示通信の音がした。
「アラーイスA2、こちらアルシャイン02。シャヒッド・バホナー港に潜輸が到着する。直援周回を少し西にずらして港上空にして、半径50kmで周回してくれ。」
シャヒッド・バホナー港は、バンダレ・アッバース市街の西の外れにある工業団地と一体化した港である。
ファラゾア来襲前であれば、ホルムズ海峡に面した街と、その近郊にある工業団地に接続した大型の港という事でそれなりに寄港する船の数もあったものだが、大型の船舶は軒並みファラゾアの攻撃対象となる現在、港に停泊する水上船舶は一切存在しなかった。
今港に寄港する船は全て、バンダレ・アッバース基地に燃料を含め様々な物資を補給するための潜輸のみであった。
そして、現在人類に残された唯一の大量輸送手段である潜輸は、その極めて高い重要性から、常に最重要防衛目標のひとつであった。
そうでなくとも、最前線に近接している上に、ヨーロッパ圏やアジア圏から遠く離れているため陸路での輸送に大きな困難を伴うバンダレ・アッバース基地にとって、潜輸での物資供給は文字通り生命線となっており、到着した潜輸を手厚く保護しないなどあり得ない判断だった。
「アルシャイン02、こちらアラーイスA2。諒解した。巡廻航路を変更する。」
「アラーイス02、助かる。よろしく。」
「聞こえたか。全機続け。」
「12、コピー。」
「13、コピー。」
ちょうどオマーン湾の東側海岸とほぼ並行になる様な進路で内陸を南進していた達也達2687A2小隊であったが、達也が大きく右に旋回するのに続いて、シェルヴィーン機とファルナーズ機もそのすぐ後を追って機体を傾けた。
三機は程なくオマーン湾の海上に出て、海沿いに北上する。
ムサンダム半島先端のオマーン領上空を抜け、ケシュム島を北に向けて横切れば眼の前にシャヒッド・バホナー港が見える。
「アルシャイン02、こちらアラーイスA2。現在ケシュム島上空。シャヒッド・バホナー港を中心として時計回り半径50kmの直援に入る。」
「アルシャイン02、諒解。俺達のメシが無くならねえようにしっかり見張っておいてくれ。」
達也達三機は再び進路を変更し、シャヒッド・バホナー港を中心にしてバンダレ・アッバースを内側に含んだ半径50kmの円を描くようにして時計回りに大きく旋回し始めた。
円形のコースを数回周回したところで、シャヒッド・バホナー港沖に全長200m近くに達すると思われる大型の潜水艦がその黒光りする船体を浮上させ、航跡を引きながらゆっくりと港に接近していく姿が上空からでも確認できた。
ここ十年での潜水艦技術の進歩には目覚ましいものがあった。
ファラゾア来襲以前は、潜水艦と云えば海の忍者、所在が分からぬように静かに深く潜航して息を潜め、ここぞという時に敵の致命傷となる一撃を繰り出しては再びまた暗い海の底に紛れていくという、隠遁性と静粛性においてしのぎを削る存在であった。
しかしファラゾア来襲以降、潜水艦の存在意義がまるで一変した。
ソナーや聴音機等というものを持たないファラゾアに対して、静粛性を追求する必要は無くなった。それは地球上に存在するほぼ全ての軍用潜水艦の設計コンセプトを根底からひっくり返す大事件であった。
その大パラダイムシフトに遅れること数年、遙か未来を行くファラゾア技術を取り込んで人類は核融合によるエネルギー供給を手に入れた。
海上交通を奪われ、大量輸送の手段を無くしていた人類はこの新しい動力源にすぐさま飛びつき、間を置かずして潜水艦の動力として実戦配備を果たした。
ほぼ無尽蔵と言える燃料を手に入れ、静粛性という楔から解き放たれた潜水艦開発は、輸送容積と水中航行速度の追求という従来とは全く異なる方向性に向けて突き進んでいった。
航空機の世界では、航空用核融合炉を搭載して巡航速度での飛行を核融合炉からのパワーのみに頼るモータージェット、格闘戦中の推進力として化石燃料を燃焼するフュエルジェットと使い分けることで、航続距離を劇的に伸ばし、飛行時間あるいは飛行距離辺りの化石燃料消費量をこれまた劇的に低下させた上で、単位時間当たりの出力も向上させるという、噴式エンジンが実用化されて以来最大の大変革が起こっていた。
この新型ジェットエンジンの技術が、静粛性という足枷を外された潜水艦にそのまま適用できることに誰かが気付いた。
低速時や浅瀬、湾内などで精密且つ微妙な操船を強いられるときは、核融合炉から供給されるパワーを利用したスラスター推進で、そして外洋や大洋で長く直線航路を確保することが出来、高い速度を求められるときには、熱核融合炉から無尽蔵に供給される廃熱を利用したハイドロジェット推進(HH-JET;Heat Hydro Jet)を利用することで、従来の潜水艦では考えられない超高速水中航行速度を達成した。
いまや潜水艦の水中航行速度は通常で50ktにも達し、小型で高機動型のものであれば水中で100kt近い速度を叩き出すものもあった。
それら要求性能の根本的な変更と、新たな要求性能を達成することの出来る新技術投入により、潜水艦は数万トンから十万トン以上もの貨物を積載し、時速100km/hもの速度で海中を突き進む事の出来る、新たな大量海洋輸送を担う存在となっていた。
その潜輸が今、シャヒッド・バホナー港に入港する。
積み荷はバンダレ・アッバース基地に納品されるであろう各種補給物資。
その中には、航空機の交換部品もあれば、兵士達の毎日の食事となる食材もあるだろう。
達也が必要としているものも含まれているかも知れない。
バンダレ・アッバース基地としても、そこに所属する達也個人としても、その潜輸からの荷降ろしをファラゾアに邪魔させる訳にはいかなかった。
電子警告音。
達也は反射的にコンソールを見て、辺りを見回す。
「アラーイスA2、敵機接近中。オマーン湾出口辺りを少し前からうろついていた奴等がこっちに向けて進路変更した。針路このままなら、ホルムズ海峡に到達する。念のため迎撃態勢に入れ。敵、数15、方位11、距離75、針路30、高度150、速度M2.5。8分後に防衛ラインに到達。」
すぐにAWACSからの通信が入った。
「15機か。『はぐれ』か?」
達也はAWACSの情報に基づき、迎撃コースに乗るように進路を変えながら管制官に尋ねた。
旋回する達也機の後ろを二機がぴったりと付いて来る。
はぐれとは、人類側との大規模交戦を行った敵戦闘機の一部が、撤退する本体から離れて人類側制空圏に向けて突入してくる行動の事を指す。
はぐれ行動をするのはいつも決まって数機から十機程度の少数ではあるが、人類側制空圏の奥深く、大概の場合重要拠点目掛けて真っ直ぐ突入してくるので、大規模戦闘直後で殆どの機体が出払った状態の基地では迎撃に苦慮することとなる。
昔、新兵の頃の達也が配属先のバクリウ基地に移動する際に襲われたのが、まさにこのはぐれと今では呼ばれる小部隊であった。
「違うな。ルードバールから真っ直ぐ南下してアラビア海に出た後、オマーン湾入口付近でしばらくうろうろしてた所まで全てこちらでモニタしている。最初から15機だった。」
「最近多くないか? 15機ってのは、こっちの戦術飛行隊の機数を真似してるのか?」
「知らんよ。奴等に聞いてくれ。ああ、最近多いのは確かだな。こっちの武装巡廻偵察の合間を縫って結構ウロチョロしてやがる。昔は奴等、拠点に引き籠もってなかなか出てこなかったもんだがね。」
「何の心境の変化かね。」
「さあね。ペプシとピザでも買いに出たんじゃねえか。」
「成る程な。じゃ熱い焼きたてを届けてやらなきゃな。アルシャイン02、進路変更した。針路16、高度50、速度M0.9。約10分後に接触予定。」
達也達三機は、ホルムズ海峡からオマーン湾の東岸をアラビア海に向けて真っ直ぐ飛ぶ進路を取った。
その為現在の針路は、敵と真正面から向かい合う形になっていた。
特に恐怖感を感じる訳では無い。
それよりも何よりも、港の潜輸とその荷揚げ作業を邪魔させる訳にはいかなかった。
「アラーイスA2、敵がそっちに気付いたようだ。敵の動きが変わった。針路高度そのまま、速度M4.0に増速。接触まで7分。」
「アラーイスA2、諒解。戦闘機動を開始する。高度15に降下。遅れるな。」
「12、コピー。」
「13、コピー。」
達也は一瞬で左にバンクすると、背面となる少し手前で内陸に移動しつつ背面降下した。
シェルヴィーンとファルナーズがその直後を追う。
内陸に数km入り込んだところで降下を止め、順面に戻った。
「アラーイス04、敵機群を捉えた。ヘッドオン。アルシャイン02、距離20で警告をくれ。増速する。続け。リヒートオン。」
「12、コピー。」
「13、コピー。」
紺碧の海とコントラストをなす灰茶色の大地の上を、鏃のようなデルタ編隊を組んだ三機のワイヴァーンが、青い炎を引いて一気に増速していく。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
HH-Jetというのは、船体外からHH-Jetチャンバーに取り入れた海水を、原子炉からの排熱で熱して一部蒸発させ、気体/液体混じりの海水を後方に噴射してその反動で推進力を得ます。
水は気体になる事で約1700倍の体積を持ち、さらに加熱されることでボイル・シャルルの法則に従い体積を増加します。
体積当たりの質量が1700倍の水を気体に混ぜて後方に噴射することで、より強い反作用を得ることが出来、HH-Jetの推進力は化石燃料を燃焼する航空機用ジェットエンジンよりも遙かに効率よく推進力を得ることが出来ます。
もっとも、100℃以下の水と接触することで気体の水は液体に戻るため、与えた熱量そのままを気体の水とする事が出来ないので、その分ちょっと効率が落ちますが、それにしても潜水艦を50ktで走らせるには充分な推力を得ます。(という設定にします)
50ktとか、クジラさんとかイルカさんとかと激しく交通事故起こしそうな気がしますが。
某ワンコの名前が付いたクジラ萌え団体に後ろから刺されそうな設定です。w
そ言えば最近あいつらの名前聞きませんね。商業捕鯨再開したのに。クジラネタじゃカネ稼げなくなってやめたのかな。