7. 母からの手紙
■ 5.7.1
ファルナーズは翌日イスファハンに戻ってきた。
それはちょうど、修復不可能までに機体を破壊された達也とシェルヴィーンが、RARと基地直援のローテーションから外されたために、普段よりも随分遅めの朝食を取り終え、呼び出された飛行隊本部に向かおうとしていた時だった。
ヤズド郊外に国連軍が建築したヤズド国連空軍基地は、イスファハンよりもより前線に近い戦術航空基地としてRAR(武装巡回偵察)任務をこなしつつ、より前線に近くよりスピーディな救出活動を行えるという立地条件から、独立した戦術救難航空隊(Tactical Rescue Scuadron)を擁しており、緊急脱出したファルナーズを回収したのがその救難航空隊であった。
今では垂直離着陸機専用の離着床となっている、エプロン脇のヘリポートに爆音を撒き散らして着陸したボーイング社製のジャボアは非常に目立ち、そしてその胴体中央に描かれた白地に赤い三日月のマークがさらに注目を集めていた。
ボーイング社のジャボアは、本来中距離用垂直離着陸中型輸送機である。
ずんぐりとした胴体内に航空用熱核融合炉を一基搭載し、胴体両脇に張り出した両主翼の根元近くと、ヘリコプターのように長く後方に突き出た尾部に取り付けられた三基のモータージェットエンジンを用い、両翼のエンジンはその取り付けられた主翼と共にエンジン本体ごと向きを変えることで、尾部のエンジンは三次元推力偏向パドルを用いて、ジェット噴射の方向を変えることで垂直離着陸性を獲得している。
同時に、必要に応じてエンジンにジェット燃料を導入することで、強力な推進力を持つフュエルジェットエンジンを三基備えた超音速固定翼中型輸送機として、従来の大型ヘリ輸送機では絶対に達成し得なかった飛行速度をもって敵機の追撃をかわすことが出来るという特性を併せ持っていた。
緊急脱出者が発生すると言えばまず確実に前線に近い場所であり、敵に発見追撃されぬよう迅速且つ密やかに救出活動を行う必要がある。
即ち、高速で現地に到達し、速やかに要救助者を収容して再び高速で離脱する。これら一連の行動を敵に見つかることの無い様、出来れば単機で目立たず遂行する必要があった。
いざというときには強力な推進力を得て音速を超える速度を得ることが出来、垂直離着陸が可能であるため着陸地形を選ばず、大量の物資や人員を格納できるジャボアは、まさに前線に近い領域での救出活動にうってつけの機体であると言えた。
大国であったが故に地球上で真っ先に集中的ににファラゾアに攻撃され、経済、流通、通信、地理、政治、ありとあらゆる意味で広大な国土をズタズタに寸断され、いまや発展途上国並みの国力しか持たなくなったアメリカ合衆国という国に存在した、航空産業界の巨人であったボーイング社も、その所属する国と同様に大きく力を失った。
しかし、ステルス性や電子戦能力と言った新世代機を特徴付ける先進的技術が全く意味を成さなくなってしまった対ファラゾア戦において、高度な電子戦能力やステルス性能では数歩劣るものの、純粋に航空格闘戦能力を追求した末に生み出され、そして今や安価に量産が可能となった所謂4.5世代機の設計の多くを有していたのは同社にとって幸運と言うしかなかった。
対ファラゾア戦において爆発的に需要が高まった安価且つ高性能の4.5世代機に関するありとあらゆる権利を取引の材料として、同社は世界中の多くの国や企業から巨額の金を引きずり出すことに成功した。
あらゆる国や企業が慢性的且つ絶望的な金欠に喘いでおり、また人類の勝利と生存に貢献するためという耳障りの良い建前が大きな足枷となりはしたものの、手段を選ばず世界中からかき集めた金は、同社が再び航空産業界の巨人へと返り咲く礎となるに足るものであった。
しかし同社はここで、従来の方向性とは異なる選択をした。
操業を再開するに当たっては、自らが必要とする電力や流通と云った基本的なインフラを自力で再整備するしかなく、その為に資金的にもタイミング的にも、他の航空産業各社に対して完全に数歩出遅れてしまったボーイング社は、従来通りに最新の技術を用いた最新鋭の戦闘機を開発するため同業他社と凌ぎを削っていくという方針を大きく転換し、従来とは全く異なる方向に進み始めた戦いのスタイルと、これまで夢想だにしなかった周辺環境に適応した新しいタイプの航空機を、これまで同社が長年蓄積してきた航空機開発に関する様々な知見を元にして開発していく、という方向に大きく舵を切った。
汎用性に優れ、また各種性能においても他社製の同クラスの機体よりも頭ひとつふたつ抜きん出た能力を誇る中距離中型垂直離着陸輸送機ジャボアは、その方針転換後の彼らの方向性を具現化した機体として、そしてまた一度叩きのめされ地を這った同社の復活の足掻きが結実したものとして存在感を放つだけでは無く、その高い汎用性と基本性能から多数が国連軍にて採用され、実際の最前線に近い多くの航空基地においても取り回しが良く信頼性の高い機体として多くの兵士達からも高い評価を得ることとなった。
「怪我は?」
人員搭乗用ハッチから地上に飛び降り、達也の姿を認めると、地上に叩き付けられるモータージェット排気に巻き上げられる砂塵に眼を細めながら、ファルナーズは黒い髪を風になびかせ真っ直ぐに達也の元に歩いてきた。
「着地した時に石にぶつけて膝を擦り剥いたくらいよ。あとは全身あちこちが痛むけれど、骨折は無いわ。」
「それは幸運だった。良かったな。」
「ええ。全く。」
それは、ミサイルを誘爆させて始末したはいいが、結果的に巨大爆発に巻き込まれてパイロット機体共に大きな負荷を受ける事となった達也の采配に対して皮肉を言っているのか、或いは文字通りの意味なのか、僅かに微笑み真っ直ぐに達也の眼を見る彼女の表情からは読み取れなかった。
気にしても仕方の無いことであり、達也は字面そのままの意味であると解釈することにした。
達也達三人ともが身体に大きな損傷が無い事は幸運だった。
そもそも機体が空中分解する程の衝撃を受けていたのだ。
搭乗しているパイロットが臓器損傷や骨折などの負傷を負っていても全くおかしくない。
さらに云うなら、緊急脱出時の衝撃や、着地の時などもまた思いがけないトラブルで案外に大きな負傷をする兵が後を絶たない。
膝を擦り剥いたなど、負傷の内に入らないような傷だった。
「朝飯は?」
「ヤズドで食べてきたわ。」
「そうか。俺とシェルヴィーンは飛行隊本部(WHQ)に呼び出されている。多分新しい機体の話だろう。お前も行くか? 無理にとは言わない。自室に戻って休んでいても構わない。」
「行くわ。充分休んだもの。」
ファラゾア来襲以前の常識では絶対にあり得ない、連日の武装偵察行動と基地上空直援任務のローテーションは、彼等パイロットの肉体と精神を非常にタフなものへと変えていた。
休日では無くとも、任務でフライトが無いならそれは休みと同じ、任務で飛んだとしても、敵襲が無いなら休憩しているのと大差ない、というのが明らかに異常ではあっても今や彼等前線兵士の本音だった。
勿論先ほどのファルナーズの言葉には、達也達2687A2小隊が超エース級パイロットである達也を隊長として、他の二人もエース級の腕を持つようになっている為、本来なら例え接敵せずとも死を意識して神経を磨り減らし消耗する筈の任務の中で、他のパイロットに較べれば消耗の度合いが軽い、という補正も含まれている。
「分かった。じゃ、付いて来い。」
後ろでファルナーズとシェルヴィーンの二人が、互いの無事を確認した後にいつも通りじゃれ合い始めるのを聞きながら、達也は二人を先導して飛行隊本部事務所のある事務棟へと歩いて行った。
■ 5.7.2
二日後、達也達2687A2小隊の三名は輸送機仕様のジャボアに乗り、トルコの首都アンカラに向かっていた。
中央アジアから中東に掛けては、アフガニスタンのルードバール、トルクメニスタンのカスピ海岸にあるアクタウ、リビアの地中海沿岸アジュダービヤーの三点のファラゾア降下地点に挟まれた、ファラゾアと人類との間の勢力圏境界線が複雑に入り組む地域となっている。
特にトルコ・アナトリア半島から達也達が配属されているイランにかけてのエリアは、前述の三つの降下地点に挟まれた、アラビア海方面へと延びる狭い隘路のような形で人類の勢力圏が延びており、いずれの降下地点に対してでもファラゾアが戦力を追加し圧力を増加することで簡単に押し潰される、或いは敵勢力圏の中に突出し袋小路の様に取り残された地域となってしまう、極めて不安定なエリアであった。
勢力圏が複雑に入り組み、まるで大航海時代の航行の難所のような状態になってしまっている空域を、物資であれ人員であれどうにか空輸を可能としているのは、脚の速いジャボアあってこそであった。
特に今達也達が乗っている機体は、機首に旋回式の120mmレーザー砲、機体背面に同じく120mmレーザー砲の回転銃座が取り付けられており、偶発的な接敵にある程度耐えることの出来る仕様となっていた。
勿論幾ら脚が速く機動性能が高いとは言えどもそれは従来のヘリや輸送機に比べて、という話であり、しかし所詮は輸送機でしかないジャボアがファラゾア戦闘機と正面切って殴り合う格闘戦に耐えられるという意味では無い。
しかしこれまで敵戦闘機の襲撃に怯え、前線近くの基地に対しては航空輸送を控えて、遙か手前の空港で荷降ろしした資材を地上のトラックを使って輸送していた事に較べれば、それは大きな改善であると云えた。
アンカラ市街地北方にある、元々民間空港であったエセンボーア空港で各自新しい機体を受けとり、とんぼ返りで帰路に着いた。
幾つか装備が新しいものに変わっているようだったが、つい数日前まで乗っていたと同じワイヴァーンであるので、機種転換に伴う戸惑いや諸々の煩わしさを感じさせられることも無い。
折角最前線基地を離れ、未だ多くの人々が暮らしている大都市アンカラで羽を伸ばすでも無く機体を受けとってすぐに帰路に着いたのは、イスファハンでは自分達A2小隊を抜いたローテーションを組んでおり、同じ飛行隊の他の兵士達に負担をかけている事が気になるのが半分、残り半分は、いつ大攻勢に転じるか分からないファラゾアに対して、不在の間に攻め込まれないかという心配と焦りからであった。
命のかかった非常に危険な最前線で戦っているというのに、僅か一日戦場から離れただけで落ち着かず戦場が気になって仕方が無いというのは、これもまた一つの立派なワーカホリックなのだろうな、と新しい機体のコクピットに収まった達也は自嘲する。
夜になってイスファハンに戻った達也達三人を待っていたのは、2687TFS全体でのブリーフィングだった。
例によって格納庫入り口脇の飛行隊詰め所に集められた達也達兵士の前に立ち、飛行隊長のマメドフ少佐は感情の読めない厳めしい顔で言った。
「明日付にて我ら2687TFSはバンダレ・アッバース基地へと転属することとなった。喜べ。今度は海沿いの都市のすぐ近くにある基地だ。岩と砂だらけの場所とはおさらばだ。尤も、バンダレ・アッバースの街にはもう民間人は誰も住んではいないがな。」
この地域の地理に余り明るくない達也は、街の名前を言われてもそれが何所にあるのかすぐにはピンと来なかったのだが、シェルヴィーンやファルナーズ達、地元出身のペルシャ人パイロット達が顔を顰め、明らかに絶望的な表情をすぐに浮かべたのを見て、ああまた碌でもない場所に動かされたのだな、と思った。
出発の時刻や、バンダレ・アッバース基地での任務、受け入れ先の態勢などの一連の説明を終えてマメドフ少佐が詰め所を去った後に、すぐ脇に座っていたシェルヴィーンにその街の場所を尋ねた。
「最悪だよ。今度こそホンマモンの地獄の一丁目だぜ。ホルムズ海峡に面した街だ。要するに、ファラゾアがオマーン湾方面に打って出るなら、バッチリその針路上にある街だ。マジ最悪だぜ。」
どうやらイスファハンに移動して数週間の間に、シェルヴィーンの精神は相当に鍛えられたらしく、イスファハンよりもさらに危険な最前線基地に移動する事になっても今度は泣きべそをかいていないようだった。
「今度こそ本当に遺書が要るかしらねえ。」
肝が据わっているのかまだ実感が湧かないのか、ファルナーズがまるで他人事のような口調で笑う。
何か気の効いたことを言った方がいいのだろうかと、二人の方を向いて口を開きかけたところで、脇に誰かが立つ気配を感じて達也は振り向いた。
すぐ脇に、ブリーフィングの時の仏頂面を崩さないままのマメドフ少佐が立っていた。
「タツヤ。忘れるところだった。お前宛に私信が届いていた。私宛の書類の中に混ざり込んでいた。確かに渡したぞ。」
そう言って少佐は一通の封筒を達也に向けて差し出した。
差し出された封筒を達也が受け取ると、少佐は一瞬眼を眇めて達也を見た後、再び踵を返して詰め所から出て行った。
何の変哲も無い白い郵便封筒の表書きは、手書きのボールペンの字だった。
差出人を確認すると、Marie Mizusawa (水沢 真理江)とあり、住所はカリフォルニア州サンディエゴ市のノースアイランド基地内のとあるコテージになっている。
どちらも見慣れた住所と、差出人の名前だった。ただその住所と名前が一致しないというだけで。
達也は流麗な筆記体の差出人の名前を僅かに眉を顰めて不機嫌そうに眺め、「あのクソ女」と腹の中で毒づいた。
「誰からだ? 彼女? 恋人? 婚約者? チキショー、良いよなクソッタレめ。」
つい先ほどまで絶望的な表情をしていたシェルヴィーンがへらへらと笑いながら達也をからかい、その脇に座るファルナーズもニヤニヤとした笑顔を浮かべて達也を見ていた。
「期待しているところ悪いが、母親だ。久しぶりの手紙だ。」
達也の答えを聞いてなーんだとつまらなそうな顔をする二人の顔を眺めて苦笑いしながら、封筒の中に紙以外の硬いものが入っていることに達也は気付いていた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
章タイトルを変更しました。
元々のストーリーだと、ちょっと泣ける話系ではありつつもいまいちパンチが効いていないのと、そろそろこの辺で書いておかなければならない事について、後回しにすると色々違和感を感じる事になると気付いたためです。
ちなみに。
ジャボアは、イメージ的にジェット化したオスプレイです。核融合炉付いてますが。
機体構造に余裕があるので、ガンシップ型とか、空中砲台型とか、AWACS管制機とか、いろいろと夢が広がりんぐ。
バリエーション出来る分、戦闘機いじってるより面白いかも?