6. ベイルアウト(緊急脱出)
■ 5.6.1
目前に小さな山が迫る。
衝突警告音がレシーバの中でうるさく鳴り続けるが無視する。
あわや衝突、というところで僅かに引き起こし小山の表面を舐めるようにしてやり過ごす。
達也の後ろに続く二機も同様の機動で小山を避けて、向こう側の谷間に姿を消した。
次の瞬間、十発を超えるミサイルが小山に着弾し、核爆発かと見まごうほどの火球を発生して小山を半分ほど消し飛ばす。
先に谷間に入りこんだ達也は、すぐ目の前に着陸していたヘッジホッグにレーザーを一閃切り刻む。
ミサイルランチャーのカバーを開いて発射態勢に入っていたそのヘッジホッグは、数十発のミサイルごと本体を破壊されて沈黙する。
左ロールして谷間のそこから僅か50m程の高度を取った達也は、山間の谷になった涸れ川の上流に次の目標を見つける。
そのすぐ後ろを追従するファルナーズが、機体を水平に180度回転させて後方を向く。
今だ彼らを追っていたミサイルが、遙か10kmも先で撃破されて空中で爆発する。
何発かのミサイルが巻き込まれてさらに爆発する。
その戦果を確認するまでもなくファルナーズはさらに機体を回転させて元の針路に向き直り、編隊から遅れた分を加速する。
たった二枚しか尾翼の残っていない、あちこちが歪んで悲鳴を上げているはずの機体で、多少ふらつきながらもこの狭い谷間でコークスクリューをやってのける腕と度胸は感嘆に値する。
その様を見るともなく視野の端で確認した達也は、酸素マスクの下で唇を歪め笑う。
良い腕だ。
同時に達也は操縦桿のトリガーを引き、発射されたレーザーは数km先の谷底に潜むヘッジホッグを貫いた。
今だその必殺のミサイルの発射態勢にさえ入っていなかったヘッジホッグは、小さな爆発と共に活動を停止した。
「上だ。被せて来やがった。」
シェルヴィーンの声と、システムが警告を発するのが同時に聞こえた。
見上げれば、山並みのさらに上方、高度1500mほどに数十機のファラゾア戦闘機が新たに出現していた。
動きから、クイッカーだと思われた。
大量のヘッジホッグを使って敷いた待ち伏せ罠に達也達三人が引っかかった割には、いつまで経っても獲物を墜とすことが出来ず、ヘッジホッグの被害が広がる一方なので、増援が送られてきたのだろうと達也は思った。
「面倒な。クソッタレが。」
目標とした達也達三機に着弾寸前で避けられ、そのまま達也達を追い越して遙か前方の地面に突っ込んだミサイルの爆発が巻き上げる石や砂が機体に当たって立てる硬い音がうるさく無数に響く中、達也が吐いた悪態が他の二人の耳にも届く。
次の瞬間達也は行動に移っていた。
機体を横滑りさせて右側に連なる山並みの山腹に寄せると、山腹を駆け上がるように急上昇。
機首が上を向いている僅かな間に二機のクイッカーを破壊し、そのままの動きで機体を上下反転させてロールしながら山並みを越え、バレルロールしながら尾根の向こうに消える。
シェルヴィーンが同じ動きを真似てやはり二機のクイッカーを破壊する。
ファルナーズはいきなり機体をホップさせて三機のクイッカーを叩き落とし、尾翼を失い応答の渋くなった機体を器用に操り、二人の後を追ってやはり山並みの向こう側に消えた。
その突然の機動に追従できず、彼らを追尾していた数発のミサイルが山腹の斜面に真っ直ぐ突っ込み、大量の土砂を辺りに撒き散らしながら爆発した。
機体をロールさせながら隣の谷の底近くまで舞い降りた達也は、同じ谷間に移動したことでレーダーに映り始めた岩陰に隠れるヘッジホッグにレーザーを叩き込む。
反対側の斜面に潜んでいた敵は、達也に数秒遅れてやはり谷底近くまで高度を下げたシェルヴィーンが撃破する。
ファルナーズが編隊の所定位置に戻ってくる前に達也機は突然垂直に上昇を始めた。
右のレーザー砲が使えなくとも、スコーピオンとは違いもともと単目標を追跡する照準システム能力しか無いワイヴァーンであれば、それはさほどの火力低下では無い。
120mmレーザー砲は、それ一門だけでファラゾア戦闘機を撃墜できるだけの火力を持つ。
達也の急上昇に続いてシェルヴィーン機もその後を追う。
尾翼を半数失って機動力と安定性が低下しているファルナーズ機は僅かに遅れた。
高度1000mまで上昇する僅かな時間に、達也が四機のクイッカーを撃ち墜とす。
その後ろを追従するシェルヴィーンが二機、ファルナーズが同じく二機。
達也達が高度を上げた事に呼応するように、クイッカーの群れも高度を上げる。
地上付近に新たなミサイル群が発生する。
三機のデルタ編隊は、クイッカーの群れの中を駆け回り、さらに数機を撃墜する。
その間も達也は常に帰るべき方角と、敵の密度が薄い方向を探り続ける。
レシーバーの中、耳元でけたたましく鳴り続けるミサイル警告。
限界以上に歪みゲージが振り切っている機体にさらに無理をさせて反転、背面降下しつつ、眼下の山並に進路を合わせて谷間に突入する。
増速しながらのスプリットS機動でさらに歪みゲージが悪化し、鳴り続ける警告音がまるで機体の発する悲鳴にも聞こえる。
「二人とも、機体はまだ行けるか?」
広いV字型の谷間の底に張り付くように隠れていたヘッジホッグを撃破しながら、達也はシェルヴィーンとファルナーズに機体の状況を訊いた。
「右のリヒートが死んだ。歪みは限界。尾翼が一枚動かねえ。」
「無理。多分もうすぐ分解する。融合燃料が漏れてる。あと20分。」
ファルナーズ機の状態が想像以上に悪い。
達也は方針を変更することとした。
「ファル、針路29、対地高度02で地形に沿って全速。敵の撃破は考えるな。限界まで飛べ。とにかく逃げろ。限界が来たところでベイルアウト。シェル、ファルをカバーする。限界が来たら言え。」
「12コピー。」
「13コピー。」
返信と同時にファルナーズの機体が翼を翻して旋回し、リヒート加速を行う。
一瞬で音速を突破し、灌木もまばらな荒涼とした大地の谷間を駆け抜け、山並をバレルロールで乗り越え、山肌を激突寸前でかすめてやり過ごし、稜線の僅かな切れ目をすり抜けるように乗り越える。
達也とシェルヴィーンは高度を上げ、上空でたむろするように三機に追い縋るクイッカーを叩き、また時にはファルナーズの前方に潜むヘッジホッグをミサイル発射前に撃破した。
達也とシェルヴィーンは高度を上げているため、比較的遠くまでを見通すことが出来る。
大気が乾燥しきっていて雲のないこの地域では、レーザーは数十km先の目標を撃ち抜く力を充分に持っていた。
既に敵と交戦しており位置を完全に特定されている今、二人はアクティブパッシブの区別無く、長距離レーダーやルックダウンレーダーなども含めてありとあらゆる手段を用いて索敵を行い、撃破可能である敵は片っ端から撃破しつつ、全体的に見ればファルナーズ機と同調してあらん限りの速度で北方に向けて飛行するという、通常の武装巡廻偵察(RAR)から完全に逸脱した行動を行っていた。
幾らファラゾアの降下地点からのバラージジャミングに妨害されるとは言え、他にレーダー波を使う者の無いこの空域で、まるで闇夜の灯台のように遠慮なく強力なレーダー波を盛大に放出しつつ、予定されていたコースを大きく逸脱して高速移動すれば流石に目立つ。
互いの索敵範囲が重なり合うようにしてこの空域を監視していたAWACSチュオープト03から06のうち、150km先で最近接の位置にいたチュオープト04がその異常事態に反応した。
激しくレーダー波を放出する国連軍機の周りに多数の重力推進反応がGDDにより検知されていれば、盛大なレーダー波発信源位置の近くを本来RAR任務によって飛行予定であった筈の2687A2小隊が現在交戦中である事は明らかだった。
「アラーイスA2、こちらチュオープト04。派手なレーダー波を探知している。交戦中か? 状況を知らせろ。」
まさに今敵と対峙して、壊れかけの機体を抱えて死に物狂いで戦っている達也達が聞けば、高みの見物しやがってと怒鳴りつけられそうな程に落ち着いた口調でチュオープト04のオペレータが言った。
しかし彼等は高みの見物で良いのだ。
戦闘空域全体を俯瞰して眺め、冷静に事態を把握し、そして的確な指示を出すためには常にそれくらい冷めていなければならない。
一方、その通信を受け取る側の達也達であったが、ラジオアンテナが脱落している達也は、ファラゾアの強いジャミングの中、チュオープト04からの通信を受け取る事が出来なかった。
達也と翼を並べてファルナーズをカバーしているシェルヴィーンが、掠れ途絶えながらもどうにか聞き取れるその通信を捉えた。
「タツヤ、AWACSから通信だ。状況、知らせろって、言ってる。中継するか?」
ワイヴァーンだけでなく最近開発された機体の多くには、ラジオ波による広域通信と部隊内のレーザー通信を中継する機能が与えられていた。
双方向通信のやりとりでラジオ波を発せねばならない場合に、ラジオ波を発する機体の数を最小限にして少しでも目立たなくするための機能だった。
敵の注目がラジオ波を発した機体に集中すると云う意味で、一般兵士達からは「生け贄中継」と云う身も蓋もない名で呼ばれていたが。
「構わん。お前の方でやっていい。」
離れた所からこちらを狙っていたクイッカーを血祭りに上げながら、達也が答えた。
「諒解。チュオープト04、こちらアラーイス13。A2隊長機、は無線、不調。現在交戦中。クイッカー三十機と、ヘッジホッグ多数。小隊、は、全機損傷。針路、29で全機離脱、中。増援、および救助機、の派遣を、要請。」
高機動のGによる荒い息で途切れがちのシェルヴィーンの声がAWACSに飛ぶ。
「ファル、まだ行けるか?」
達也が遙か眼下、地上を舐めるように飛ぶファルナーズを気遣う。
レーザーによる極所通信とは言え、光学シーカーが僚機を認識している限り、部隊内通信は最大で数十kmは届く。
「まだなんとか。融合燃料あと10分。それまで保たせてみせる。」
歯を食いしばったようなファルナーズの声が届く。
実際彼女の機体は常に異常な振動を発しており、無理をさせている尾翼は脱落寸前であった。
いついきなり空中分解するとも知れない機体を、騙し宥め賺しながらも出せる全速で飛んでいるのだった。
音速を超える速度で地上の起伏を乗り越える急激な機動は、傷付いた機体にさらにダメージを与えるものだと知りつつも、止める訳にはいかなかった。
「アラーイスA2、状況確認した。残念ながら付近を飛行中の部隊が無い。RAR後続のアラーイスB1を急行させる。10分かかる。ヤズドの救助部隊が待機中。継続してモニタする。状況変化したら知らせろ。」
「アラーイス13、諒解。」
返答と同時にシェルヴィーンはトリガーを引き、また一機クイッカーが薄い煙を引きながら地上に向けて放物線を描く。
達也とシェルヴィーン二人による必死の格闘により、クイッカーの数は当初に比べて明らかに少なくなっていた。
数に任せた包囲攻撃を警戒して神経を削られるという状況は脱していたものの、未だ敵の数は多く、自分達が墜とされないよう、ファルナーズに攻撃が向かわないよう気を抜く瞬間さえ無い状況が続いていることに変わりは無かった。
「ダメ。もう無理。機体が分解する。飛行を維持できない。」
僅か数分後、警告音をBGMの様に盛大に鳴らせたファルナーズの声が飛び込んできた。
「水平尾翼脱落。ダメ。もう抑えられない。」
すぐに悲鳴のような声が続く。
「ファル、無理するな。ベイルアウトしろ。」
達也の声が応える。
「緊急脱出する!
少しでも高度を稼ごうとしたのか、エアブレーキを開いて速度を殺しつつ僅かに機首を上げたファルナーズのワイヴァーンから火薬ボルトでキャノピーが吹き飛ばされ、陽光を反射して煌めきながら後方に流れていく。
一瞬後、上半身を亜音速の風から守るプロテクタが展開した後、ガイドレールに沿って射出座席が打ち出され、座席下部のロケットモータが点火してファルナーズが乗る射出座席は機体の上方に大きく飛び上がった。
座席を射出した反動で機首が下がったファルナーズ機は、そのまま高度を下げ地上に激突して砂煙を撒き散らし、最後はジェット燃料が燃える黒い煙と炎を上げて爆発した。
高度400mほどでパラシュートが開いたファルナーズが、風に流されながらもゆっくりと地上に向けて降下していくのが見えた。
彼女が砂と岩だらけの地上に到達し、自分の足で立ち上がってパラシュートを回収し始めるのを確認するまで、二人とも戦闘を行いつつ上空に留まっていた。
「チュオープト04、アラーイス12がベイルアウト。こちらの現在位置をマーク。」
「アラーイス13。チュオープト04、マークした。ヤズドのレスキューに出動を要請する。増援の2687B1到着まで4分。もう少しだ。踏ん張れ。」
低空を高速で離脱するファルナーズ機を援護する必要が無くなり、敵機を墜とすことのみに集中出来る様になった達也とシェルヴィーンの動きが俄然良くなる。
二機は不調を抱えつつも、北西方向へ離脱しながら追い縋る敵機の数を削っていく。
突然、残機数二十一機となった敵の動きが変わった。
「アラーイスA2、こちらアラーイスB1。到着した。手伝うぜ。」
北方から音速を遙かに超える速度で急接近してきたB1小隊のワイヴァーン三機が、さながら獲物に襲いかかる猛禽類のようにクイッカーの集団に向けて突っ込み、数機を撃墜して集団を蹴散らした。
機体に障害のない三機が加わったことで形勢が大きく変わり、敵機を撃墜する効率が上がる。
程なくしてクイッカーの残機数が十四機となり、三倍の勢力を割ったファラゾアは突然戦闘を止め、南東の方角に向けて凄まじい勢いで引き上げていった。
まるで冗談のように一瞬で戦闘空域から消えていった、遙か彼方の重力推進を示すマーカーを見送り、一度周囲を見回してそれ以上の敵機が存在しないことを確認してから、達也は全身の力を抜いてずり落ちるようにシートの背もたれに身体を預け、大きく息を吐いた。
ルックダウンレーダーは未だフルパワーでスキャンを続けているが、地上には何の反応も表示されていなかった。
地上の遮蔽物に身を隠しているヘッジホッグはいつの間にか居なくなり、ファルナーズがベイルアウトする頃には敵は空中のクイッカーのみとなっていた。
「はぁぁぁ・・・生き延びたぁ。奇跡だ。絶対ダメだと思ったぁ。」
機体の異常を知らせる警告音に混ざった気の抜けたようなシェルヴィーンの声が聞こえる。
達也の機体も、コンソールにはさらに増加した警告表示が大量に表示され、レシーバの中では常に数種類の警告音が混ざり合って鳴り続けていた。
今では機体を水平飛行で真っ直ぐに安定させることさえ難しく、モーターファン推進にまで速度を落としても機体全体が小刻みに揺れて、ガタガタという異音が機体のあちこちから聞こえてくる。
「B1、クルブ、助かった。礼を言う。あのまま戦っていたら、そろそろ空中分解していた。」
高度4500mで達也機のすぐ隣に並ぶ様に速度を合わせたB1小隊の隊長、クルバンムハメド・ベルディエフ大尉に礼を言った。
「水臭ぇ事言うな。お互い様だろ・・・しっかし、派手にやられたな。傍から見てもズタズタなのが分かるぞ。何やった?」
「大量のヘッジホッグの待ち伏せに遭ってな。ミサイルを叩き落として誘爆させたのまでは良かったが、三機とも爆風にモロに突っ込んだ。」
「うは、そりゃゾッとしねえな。で、嬢ちゃんは無事なのか?」
「大丈夫だろう。立って歩いているのを見た。」
「おう、なら大丈夫か。戻って来たら歓迎してやらんとな。」
「アラーイスA2、B1。こちらチュオープト04。状況を知らせろ。」
戦闘後の気の抜けた状態で雑談に興じているところに、AWACSからの通信が入った。
「チュオープト04、こちらアラーイス13。戦闘は終了。敵は引き上げた。針路29で帰投中。B1同航中。」
「アラーイスB1、被害は?」
「チュオープト04、アラーイスB1。被害なし。任務続行可能。」
「諒解。アラーイスA2、任務中断、帰投を許可する。針路29、速度高度任意にて帰投せよ。アラーイスB1、針路08、高度25、速度M1.0にてRAR原任務に復帰せよ。以上。」
「アラーイスB1、コピー。」
「アラーイス13、コピー。」
「じゃあな、タツヤ。仕事に戻るわ。」
「ああ。助かった。地上のヘッジホッグに気をつけろ。」
右に並んでいたB1小隊長機が、コクピットの中で軽く敬礼すると機体を翻して東の空に向けて離れていった。2番機、3番機もその後を追う。
達也は三機のデルタ編隊が徐々に小さくなり、水色の空に溶け込むのを見送った。
「さて、基地まで機体が保てば良いがな。」
警告音をリセットした為、電子音の多重演奏は終わりはしたものの、いまだコンソールのあちこちに赤く表示され、ものによっては激しく点滅することで危機的状況である事を知らせる警告サインに目を走らせ、溜息を吐きながら達也は独り言ちた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
ちょっと長くなってしまいましたが、変なところで切ると中途半端なことになってしまうので一気に最後まで行きました。