4. 砂と岩の大地
■ 5.4.1
眼下を荒涼とした大地がゆっくりと後ろに流れていく。
HMDに表示されているのは高度計、速度計、水平儀などの通常の表示がまるで空中に浮いているかのように頭の向きを追従してくるだけで、敵の存在を示すターゲットマーカはどこにもない。
聞こえるのは、タービンファンが回る甲高い機械音と、機体が切り裂いていく風の音、そしてごく稀にレシーバの中でかすかに鳴るデータ更新の電子音。
巡廻偵察中なので、ジェットエンジンへの燃料供給はカットしており、核融合炉からのパワーだけでタービンを回す巡航モードで飛行している。
雲一つない空には、レーザー通信を阻害するものなど何もなく、250km後方にいるAWACSからの索敵情報が定期的に届く。
AWACSのGDDは、戦闘機に搭載されているものよりも遥かに探知精度が高い。
僅か百km程度でしか敵戦闘機を個体認識出来ないこのワイヴァーンのGDDに較べ、AWACSダムセルフライが搭載するGDDは個体認識探知精度500km以上と聞いている。
その鋭い探知能力で収集した索敵情報を、ダムセルフライと対である局ユニット、メイフライがレーザーやラジオ波を使って付近を飛行している部隊に送信する。
AWACSの支援や敵を探知する手段をもたず、まるで暗闇の中を手探りで進むようにして、敵がいると「思われる」場所に息を殺し雲間に身を隠して接近していき、見えない敵の遠距離狙撃に怯えながらキャノピ越しに辺りを必死で見回して目視で敵影を探していた頃に較べると、隔世の感がある。
ファラゾア来襲以前に人類同士で戦っていた頃のパイロットは、命の危険のないこれほどまでにも恵まれた環境を整えられていたのかと、達也は自分が知らない人類同士の「戦争」を戦っていたパイロット達の作戦行動に思いを馳せて、少し羨ましく思った。
例え接敵したとしても、敵機の存在は遙か彼方にいる時点から警告されており、ミサイルや機関砲の攻撃も眼に見える。レーダーで捉えられる。
そもそも、敵の射程はこちらの射程とさほど違わない。
AWACSの指示に従い、敵弾が飛来するよりもずっと前に、敵弾が届かない距離からミサイルを撃ち、ミサイルを放り出したら後はくるりと向きを変えて逃げ出せば良い。
自分達が住む惑星上である筈なのに、何が潜むか分からない不気味な未知の領域の深部に向かって、目隠しされた状態で手探りで這い進むような侵攻作戦。
自分よりも遙かに眼の良い、手の長い敵が、遙か彼方から常にこちらを見ているという恐怖。
魔法のようなハイテクの塊の敵機に較べ、目視索敵という馬鹿馬鹿しく原始的極まりない方法でしか敵を探知できない自分達。
ごく稀にAWACSから送られてくるお話にならない精度のレーダー索敵情報など全く当てにならず、敵がいるかどうかは自分達が攻撃されるかどうかで身体を張って確認するしか無いと云う、極めつけに乱暴な索敵行動。
恐怖という名の冷たい手に常に心臓を掴まれ徐々に握り潰されるような、あの感覚から解放されて空を飛ぶのは、どれ程爽快で自由なことだろうと思った。
「なあファル、お前この辺出身だって言ってなかったか?」
小隊内の二番機、達也の左後ろに着けるシェルヴィーンが言った。
編隊内の通信は、弱いレーザー波を使用するレーザー通信なので、敵に捕らわれることはまず無い。
編隊内の各機は、搭載されているオプティカルシーカーでお互いを認識しており、僚機をターゲットにして通信レーザーを飛ばすため、レーザー光が他に漏れることは殆ど無いのだ。
「そうよ。ビールジャンドからちょっと南の方にある、山間の小さな村。」
「なんて村?」
「ソルラーヤ。地図にも載らない様な、昔のオアシスがそのまま残った人口数百人の小さな村よ。」
「家族は皆元気してるのか?」
「元気よ? 母親から時々手紙が来るわ。」
「兄弟は?」
「上に兄が二人と姉が二人。下に妹が一人。」
「皆村に?」
「兄は二人ともテヘランに出て軍に入ったわ。姉はもう結婚して村を出てる。妹は村で両親と一緒に住んでるわね。」
「村のその位置だと、ファラゾアの制空圏内、だよな?」
「そうね。だからいつも早く避難しろって言ってるんだけどね。土地を捨てられないって。こっちは気が気じゃないのに。」
「まあ、小さな村ならやられることもないだろうし。」
「それでも上空で戦闘は発生するわ。この間もCRAR(近接武装巡廻偵察)のコースの真下に入ってたし。たまに手紙で、敵が撃ち墜とされるのを見た、とか嬉しげに書いてくるし。流れ弾のミサイルでも落ちたら、あんな小さな村なんて一発で終わりよ。」
達也はコンソールと、AWACSから送られてくるタクティカル・マップ表示を眺めながら、二人の会話を聞くともなく聞いていた。
指揮官によっては任務中の無駄口を毛嫌いする者もいるが、達也は気にしない質だった。
少し肩の力が抜けているくらいがちょうど良い。厳しい上官に縛られガチガチに緊張されて、いざというときに動けなくなるより遥かにマシだ。
タクティカル・マップには敵を示すマーカーは一切表示されていない。
コンソールを、AWACSからの情報を含めて、フライトレコーダに記録するログがさらさらと流れていく。
AWACSからの信号を受信した微かな電子音と、ファラゾアが発しているバラージジャミングのレベルが一定値を超えた時に発せられる小さな警告音が、静かにレシーバの中で鳴るだけで、あとは二人の会話が聞こえるのみだった。
平和なものだった。
ペルシャ湾方面への敵の圧力が上がっているという理由でイスファハンへ転戦することになったのだが、移動して以来敵機と本格的な交戦になった事がなく、肩透かしを食らわされた気持ちだった。
本格的な大攻勢を掛ける前の準備段階だと言う者もいれば、ペルシャ湾方面に部隊を集めるための敵の陽動だったのだと言う者もいた。
いずれにしても、アフガニスタン南部に広がる砂漠に置かれた敵の降下地点付近に大規模な部隊が駐留し、いつでも大攻勢に出られる状態にあることは確かなのだ。
ペルシャ湾方面に進出してくるのであろうが、カスピ海方面であろうが、とにかくいつでも対応出来る態勢を構築しておく必要があった。
例えそれが、どれ程抗おうとも止めることさえ能わない、ただ飲み込まれるだけの結末に終わろうとも、何もせず手を拱いて座視することだけはあり得なかった。
少し大きな音の長い電子音が鳴る。
達也は自分達がCRARコースの進路変更ポイントに到達していることをHMD内のマーカーと、モニタのタクティカル・マップ上で確認した。
「Alays A2, Point Gamma. Heading to one niner.」
(アラーイスA2(小隊)、ポイントγに到達。方位19に転針)
「One three copy.」(13番機、コピー)
「One four copy.」(14番機、コピー)
達也は機体を軽く右バンクさせてゆっくりと転針する。
後方左右に追従しているファルナーズ機とシェルヴィーン機がそれに続く。
遅延無く追従し、隊型を乱さず旋回していくその様は、まるで一枚の紙の上に書かれた三角形が風に乗って舞っている様にも見える。
進路が変わり、それに連動して表示される範囲が変わっても、タクティカル・マップには敵のシンボルは表示されない。
平和だった。
達也達がイスファハンに移動しなければならなくなった理由である、敵攻勢圧力の増大など何かの間違いだったのではないかと思えるほどに、敵影は確認されなかった。
「敵、居ねえなあ。」
どうやらその思いはシェルヴィーンも同じであったらしく、転針を終えてしばらく経ってから、シェルヴィーンがぽつりと呟く。
「なんだ。居て欲しいのか。」
左後ろを見ると、追従しているワイヴァーンのコクピットの中、キャノピー越しにシェルヴィーンの被るHMDヘルメットが左右を見回して動いているのが分かる。
気の抜けた台詞を吐いていても、本当に気を抜いているわけでは無いと分かり、達也は口許に少し笑みを浮かべながら満足する。
「いや、そんな事はねえけどさ。なーんか、俺達何しにイスファハンくんだりまで来たんだろ、ってね。」
イスファハンへの移動を告げられ、激戦区に投入されることを知って恐怖の余り泣きべそをかいていた小僧の台詞とは思えなかった。
思わず笑みが漏れるのを達也は自覚した。
「上がる度に交戦するのも考えものだけれど、力を溜め込んで一気に解放されるのもどうかと思うのよ。」
ファルナーズが話に加わってきた。
確かにファルナーズが言うのにも一理ある。
戦闘の頻度が落ちて弛緩した雰囲気が漂い始めたところで大攻勢をかけられるのが一番怖いのは確かだった。
「ま、幾ら嫌がっても、多分敵はそうしてくるだろうな。こっちが一番嫌な事をやってくる。そういうもんだ。」
当然のことだった。
一番やって欲しくないことをする。一番来て欲しくないだろうところを突く。
戦術的な話だけでは無く、達也達現場パイロットの戦技レベルでもそれが敵を攻めるセオリーであり、そして一般的に最適解だった。
達也達いわゆるエースパイロット達は、それをさらに逆読みして、次に敵がどこに移動してくるのかを予想し、その予想に基づいてあらかじめ迎撃行動を取ることで、まるで敵がどこに現れるか分かっていたかのような行動を取る事が出来る。
その様な予想と対処を、瞬時にそして立て続けに、さらに同時に幾つもの目標に対して常に戦闘中行い続けることが出来て初めて、敵に墜とされずに生き延びることが出来る。敵を次々と墜とすことが出来る。
それはエースになる条件と言うよりも、最前線で生き延びるためには程度の差こそあれ絶対に必要な能力だった。
それは長く戦場を経験し、何度も死線をかいくぐった経験で身に付く部分もあれば、達也の様に先天的に感覚として持っており、パイロットとなると同時に才能が花開くことで得られる部分もあった。
そのどちらがより優れているかなど、調査が行われた訳でもないので明確にデータとして存在する訳ではないが、天性の才能を持っている者の方が新兵の期間での生存率が当然高く、その意味で有利である事に間違いは無かった。
新兵としてバクリウ基地に配属されたものの、配属先への移動時に敵に急襲され、丸腰の機体で敵とやり合っても生き延びたという達也の経験は、まさにそのことを指している。
軽い電子音がして、AWACS情報が更新される。
敵影無し。
このままあと30分ほど、幾度かの進路変更を経ながら南に向けて飛び、南ホラーサーン州とシスターン・バルチスタン州の州境手前でペルシャ湾方面に転進、その後国道84号沿いに針路31でイスファハンに向けて帰還する。それが今日のCRARのコース設定だった。
これだけAWACSが精度の高い情報を送ってくるようになり、地上の基地に設置されている大型のGDDでも遠距離の探知が出来る様になった今、そう遠くないうちにRAR(武装巡廻偵察)は廃止されるかも知れないな、と達也は思った。
RARとは、戦線上空、あるいは敵の制空圏に入り込んで、身体を張って敵の反応を見ることで敵の配備状態や迎撃ラインを推察するための情報を集めようとする一種の威力偵察である。
従来の威力偵察と大きく異なる所は、そもそもどれ程の敵がいるのか、どの様に配備されているのか全く分からない状況下で実施されるという点であり、当然その分だけ偵察隊の被害率も桁違いに跳ね上がるのだ。
大型のGDDにて敵降下地点の大凡の配備状態が分かり、AWACS情報で戦線付近の詳細な情報が収集出来るようになった今、徒に損耗の激しいRARを敢えて実施する必要は無い様に達也には思われた。
もっとも、最高マッハ10近い速度を叩き出し、1000kmという距離を最短僅か数分で飛び越えて飛来してくる敵機に備えて、基地周辺を遊弋する直援任務だけは辞める訳にはいかないのだろうが。
ふと、前方の地上で何かが動いた様な気がして、達也は目を凝らした。
ファラゾアか?
いや、そんなはずはない。GDDには何も探知されていない。
HMDには何も表示されておらず、一瞬目を走らせたタクティカル・マップも同様だった。
戦線より少しファラゾア領域に入っただけのこの辺りであれば、まだ誰かが住んでいて、地上で車を運転していてもおかしくはなかった。
実際、ファルナーズの家族はこの辺りに住んでいると、彼女は言っていた。
ただそれだけの事なのだが、妙に気になった。
達也は何かが動いたと思われる辺りに注視しつつ、機体は徐々にその辺りに近付いていく。
何もおかしなものは無いし、地上を走る車も見当たらなかった。
どうやら気のせいだったようだ。
疲れているのか、と軽い溜息を吐いて達也が地上から視線を外した次の瞬間。
鋭い電子警告音がレシーバの中で鳴りっぱなしになり、一瞬にして前方に大量のマーカーが湧き出した。
それはまるで、地上に敷かれた紫色のカーペットを見ているかのよう。
小さな銀色の針のような物体が、無数に飛び上がってくるのが見えた。
これは、あの時と同じだ。
「Alays A2, engage. Ambushed. Break left and dive. Follow me. Keep close.」
(アラーイスA2、敵と接触。待ち伏せされた。左に降下する。付いて来い。離れるな)
瞬時にスロットル上のダイアルを回してラジオをオンにし、接敵を宣言してAWACSに知らせ、同時に二人に指示を出した。
達也の機体がまるでコインを返すように一瞬で背面になり、機首を下に向けて急激に背面降下を始めた。
ファルナーズとシェルヴィーンの機体が全く同じ動きをして、達也機の後を追って岩と砂だらけの荒れ果てた大地に向けて吸い込まれるように降下していった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
少し前の話の事ですが、イランでは原則的に男女の恋愛は禁止だそうです。(たぶん、男と男の恋愛はもっとダメだと思います。念のためw)
シェルヴィーンが学生時代に色々とお楽しみであった話をしていましたが、本来あり得ない事です。
同様に、厳格なイスラム教国家であるイランでは、飲酒などもっての外です。
が。
闇市や、街中の出店なんかでも、知り合いが頼むと店の奥からウィスキーが出てきたりするそうです。
「いやあ、ヨーロッパから友人の家族が遊びに来てねえ。酒が飲みたい、ってうるさいんだよ。」
とか言って、ウィスキーのボトルを嬉しげに買って帰るそうです。
ま、キリスト教の坊さんも尼さんも、修道院で蒸留酒作ってちびちびやってたみたいですし。
仏教にも般若湯という素晴らしい飲み物がある様ですし。
そういやどことは言いませんが、スペゼ市のモデルになった某都市で一緒に飲んだタイ南部出身のお姉さんは、イスラム教徒と公言しつつ、ひとのウィスキーを横から奪ってガブガブ飲んでたっけな。ロアナプラに似た街です。何年か住んでました。