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A CRISIS (接触戦争)  作者: 松由実行
第五章 LOSTHORIZON
104/405

2. アラーイス(・アル・ニール)隊


■ 5.2.1

 

 

「それでさ、俺は奴に言ってやったんだよ。『彼女が欲しけりゃ、まずはそのガチガチの原理主義を何とかしろよ』ってな。そしたら奴はなんて言ったと思う?」

 

 そう言ってシェルヴィーンが右手のフォークに突き刺したシークケバブを口に運んだ。

 ファルナーズは何も言わず、ただ笑みを深くしてその先を促した。

 達也は特に反応せず、皿に盛られたレモンライスをせっせと口に運んでいる。

 

「『原理主義の女がいれば問題無い』ってさ。そんな女、彼女になってくれる訳ねえよ。てか、そもそも男がいるところに出てこねえし。」

 

 夕食時の話題として、シェルヴィーンが学生時代の同級生達の恋愛模様について面白おかしく語っていた。

 「進歩的」な考えを持つファルナーズは、自分の過去の経験を織り交ぜながらその話題に乗り、2687A2小隊の三名が夕食を摂るテーブルは終始和やかな雰囲気を保っていた。

 

 シンガポールに住んでいた頃、周りに幾らかムスリムが居たため、達也はそれなりにはイスラム教徒達の常識とマナーについて知っているつもりでいた。

 だが、イスラム世界の中心部に近い西アジアに存在するこのクルザン基地に配属され、アラブ様式と折衷した彼等の生活は、自分が知っているものとは少々異なっているのだと理解した。

 

 そもそも、ファルナーズのようにヒジャブさえ着用しない女が存在することを知らなかった。そしてその様な女が、特に咎められることなく普通に皆と共に生活していることも。

 ヒジャブもチャドルもブルカも本来強制され着用するものでは無く、イスラムの教えに基づいて各個人の判断で着用するものだという事を、この基地に配属されて初めて達也は知った。

 イスラムの教義はただ単に「女性の美しい部分を隠せ」と言っているだけなのだと、ファルナーズから教わった。

 その教義は実のところ、女をチャドルの中に押し込める為のものでは無く、粗野で直情的で簡単に性犯罪に走りかねない血の気の多いアラブの男達から、美しく大切な女達を守る為のものなのだ、と。

 

 まあ私は隠さなくちゃいけない程美しくないからね、と笑ったファルナーズは、達也の感覚からすると充分以上に美人であり、その黒く艶やかな髪や、常に悪戯っぽく輝いている魅惑的なエメラルドグリーンの眼など、それを美しいと言わずして一体何を美しいと言えば良いのか、隠すならまさにそこだろう、と思わず心の中で盛大に突っ込みを入れる程の美貌の持ち主であった。

 その彼女が、他の男性兵士達と同じパイロットスーツや作業服のみを着用し、ヒジャブやコートを身につけることなく基地内を歩き回っていても、それに対して何か言ってくるような者は居なかった。少なくとも、表面的には。

 

 イスラム圏では、この対ファラゾア戦においても、女性兵士という存在を認めること、そしてその女性兵士を戦場に送り込むことに根強い抵抗があったと聞いていた。

 戦いは男がするもの、という考えが一般的であり、さらに女性が軍の中に入り込むことで巻き起こされると考えられた混乱や、性犯罪が発生する事を軍や政府の高官が恐れていたためだった。

 女性兵士の本格的戦線投入は、比較的緩めに戒律を適用する中央アジアの国々やトルコから始められ、徐々に他のアラブ世界へと広がって行った。

 

 「女は戦いに向かない」という常識は彼等がこれまで戦ってきた地上白兵戦での話であり、冷静に機器を操り、敵を発見し、そしてやはりあくまで冷静に敵に向かってトリガーを引く航空戦では、男と女の生物的身体的特徴の差はそれほど大きなものでは無かったのだ。

 女性兵士の戦場への投入は徐々にアラブ世界にも浸透していき、今や最も戒律が厳しいとされていたイランやサウジアラビアにても、航空基地内を闊歩する女性兵士を普通に見かけることが出来る。

 くだらない理由で人類の半分を非戦闘員と決めつけ、実はそこに眠っている多くの才能をただ無駄に埋もれさせておくだけにしておくことの愚に、今や誰もが気付いたのだった。

 

 もっとも、ムスリマであると公言しつつもスカーフやマントさえ羽織らず、ただ一般のフライトスーツを着ただけで、髪の毛や身体の線を辺りにさらして基地内を歩き回る彼女もどうかと思うが、と、達也は、シェルヴィーンが提供する馬鹿話に楽しそうに笑うファルナーズを見ながら思った。

 流石に旧西側諸国の女性兵士達のように、彼女がタンクトップを着ていたりショートパンツをはいているところを見かけたことはないが。

 そこまで行くとイスラムの戒律的に、鞭打ちされても文句は言えないはずだった。

 

 二人の会話に適当に相づちを打ちつつ、達也は皿の上の料理を片付けていく。

 ラム肉に齧り付きながら、これだけファラゾアに侵略されながらもまだ地上では、基地の食事としてラム肉が供給できるほどに牧畜が行われているのだなと、妙なことに感心していた。

 人口数百人以下の村や、広い草原のただ中で少人数の集団で牧畜を営む農場などは、ファラゾアの降下地点から僅か数百kmしか離れていなくとも、何の問題も無く安全に従来通りの生活を営んでいくことが出来るのは、もはや誰もが知る事実であった。

 ファラゾアが積極的に攻撃を仕掛けるのは、空中を飛ぶ航空機や地上の軍事施設に対してのみであり、その様な少人数の集落に対して攻撃を加えて虐殺を行うような事例は、これまで人類が確認できた限りにおいて一度も発生したことが無かった。

 

 ではファラゾアは地上の民間人に対して全く興味を持っていないのかと言えば、住民大脱出が発生したとは言えどもまだ数万人が残留して生活を営んでいたはずの街が、一夜にして人っ子一人いないゴーストタウンに変貌するなど、ファラゾアの仕業としか思えない大量失踪が発生することもあり、今だ連中の行動原理と目的はよく分かっていなかった。

 その様な現象を見て、昔流行ったSF映画のストーリーの様にファラゾアは捕獲した地球人を食料として貯蔵しているのだなどと、荒唐無稽と無視するべきなのか、或いは有り得る可能性として戦慄し恐怖すれば良いのか判断の付かないブラックすぎるジョークを言う者も存在したが、いずれにしても遙か未来に進んだ異星人の考えていることがよく分からない事に変わりは無かった。

 

 フォークに突き刺したラム肉でひよこ豆の煮物を掬い、それを口に運んだ達也の視野に、一人の男が自分達の方に向かって歩いてくるのが見えた。

 口に入れた料理を咀嚼しながら視線を上げると、達也達が所属する2687TFSのA中隊長であるイシク大尉と視線が合った。

 大尉はそのまま三人が食事をするテーブル脇にまでやってきた。

 

「A2小隊全員居るな。メシ食ったら1830時から2687TFS全体でミーティングだ。飛行隊詰所に集合。」

 

「諒解。」

 

 達也はフォークを持った左手を少し上げて返答した。

 旧大英帝国仕込みの食事マナーも、何年も続く最前線暮らしで無惨に破壊されつつあった。

 

「急遽明日非番になるとか?」

 

 シェルヴィーンが嬉しげな顔で言う。

 

「阿呆。そんなんなる訳ねえだろ。ホサインから降りて来た話だ。多分出元はもっと上だな。てことは、碌な話じゃ無いのは、確かだ。」

 

 大尉がちょうど良い高さにあったシェルビーンの頭を軽く小突きながら笑った。

 ホサインとは、飛行隊長のホサイン・ママドフ少佐のことだった。

 

「ちえ。ケチ。」

 

「俺に言うなよ。いつまでもひとん()に居座り続けるあいつらに言うか、飽きもせず毎日見回りに行けと言う上に言ってくれ。」

 

 ファラゾアが来襲して十年近い年月が流れた。

 その十年の間に国連軍は、ファラゾア以前の平和維持軍的な有り様から、全世界の軍隊を取り纏めてファラゾアと直接対決する強力な組織へと徐々に様変わりしてきた。

 同時に、当初は色々と偏りを見せていた兵士達の国籍も、様々な国籍が入り交じった本当の意味での多国籍軍の様相を呈してきていた。

 

 当初はその様な国籍も習慣もバラバラの兵士達を、厳しい規律と組織化で何とかまとめ上げようとしていた国連軍であったが、言葉の壁や古くからある民族的対立を乗り越えるのは容易ではなく、特に明日をも知れぬ激しい戦いの日々を過ごす最前線のパイロット達の間では、幾ら口やかましく上官が規律を求めようとも、公式な場以外ではまともにまもられることが無かった。

 そもそも部下を律する役割にある上官が、そのさらに上官の目の届かぬ所では適当にやっているのだから、末端にまで規律が行き届こう筈が無かった。

 

 ファラゾア来襲前の平和な時代の軍高官が見たら卒倒するか発狂するかどちらかの末路を辿りそうな国連軍の組織は、しかし瓦解することは無かった。

 皆が同じ目的を共有していた。家族を、友人を、恋人を、或いは同胞を思い、失われた命の仇を討ち果たさんとし、そしてまだなお生き延びて逃げ惑う彼等を身を挺して護ろうとしていた。

 皆が生き延びたいと渇望していた。少しでも戦場経験の長い兵士から、或いは技量の高い兵士から、生き延びるための技術を学び、情報を得ようとした。

 その様な経験の長い技量の高い身近な兵士は大概の場合は組織上自らの上官であり、その上下関係は階級や地位に依るものでは無く、互いに命を預け共に戦場を駆け回る事に依る強固な個人的人間関係によって確固たるものとなっていった。

 そして皆が、一機でも多く敵を叩き落とし敵の戦力を削り、歓迎され得ぬ侵略者をどうにかしてこの星の上から追い出したいと思っていた。

 その為には自分だけが生き残るのでは無く、一機でも多くの味方が生き残り、次の作戦にも参加し、数においても質においても僅かずつながらでも戦力を増やしていかなければならないことを、誰もが理解していた。

 

 それら共通の目的と想いを共有し、そして確かに共有しているという事を理解し合う事で、これまで無数の佐官将官が身を削り頭を痛めながらも達成しようとしてきた組織化が、当初の計画とは多少異なる形ながらも、驚くほど円滑に進みそして定着した。

 その結果、公式な場ではともかく戦場や格納庫の中において、飛行隊はまるで家族のようなひとまとまりの組織となり、その中では上官と言うよりも少しばかり経験が長く色々なことを知っている年上の兄姉が、経験の浅い兄弟達を厳しくも丁寧に指導し率いるような人間関係を形作っていた。

 一度敵の前面に出て、強大且つ圧倒的な敵の脅威にさらされれば、どれ程偉ぶろうと死ぬ時は同じ、生き残りたければ互いに協力し合わねば帰って来れない、という過酷な戦場の現実が、より現実的且つ効率的な組織の自発的形成と維持の強力な推進力となっていた。

 

 2687A2小隊の達也達三人は食事を終え、再び飛行隊格納庫に戻ってきた。

 エプロン側から入って入口のすぐ脇にプレハブ住宅のような飛行隊事務所があるのは、多くの国連空軍基地の飛行隊格納庫で同じ構造だった。

 達也が先頭に立ち、ドアを開けて詰所に入った。詰所の中には既に2687TFSの殆どの兵士が集まっており、後は飛行隊長と中隊長二名の合わせて三名が加われば十五人全員が揃う様だった。

 達也達三人が着席してすぐに隊長達が部屋に入ってきた。

 ママドフ少佐は一人、全員の正面に立った。

 隊長が皆の前に立った時点で無駄口を叩く者は皆無だった。

 それは本当に実力のある隊長に対して自然と沸き起こる敬意や信頼の表れでもあったが、自分が生き残るために重要な情報を一言一句も聞き漏らすまいとする、隊員皆の生き延びるための意志でもあった。

 

 丸顔に口ひげを生やし余り背が高くない、どこか愛嬌のある風采のママドフ少佐が口を開いた。

 

「諸君。飯時を邪魔して済まなかった。早めに伝えておくべき指令を受けたので集まってもらった。明日が我がアラーイス隊にとってこの基地で活動する最後の日となる。明日の午前中に組まれている武装巡廻偵察と直援任務を終えた後、我が隊はイスファハン東方のシャヒード・ベヘシュティ空港に移動する。今夜の内に荷物をまとめておくように。連絡は以上だ。質問があるか?」

 

 少佐は特に感情を浮かべることも無く皆を見回した。

 パラパラと手が上がる。

 少佐は顎を少し上げ、発言を促した。

 

「イスファハン、補給は大丈夫なのか? 部品供給は?」

 

「大丈夫だ。その辺は抜かりない。現在うちの部隊で使ってるのはスコーピオンとワイヴァーンだが、どちらも既にイスファハンに投入されている。」

 

「行った先の仕事は? いつもの見回りか?」

 

「基本的にそうだ。現在、ルードバール降下地点から、ペルシャ湾、オマーン湾方面に敵の圧力が上がっている。先日ルードバールへの増援約五千機も確認されている。ここクルザン基地はアクタウとルードバールの両敵拠点に対応できる中間地点にあるが、ルードバール拠点の活発化に対応して、幾つかの部隊をルードバール対応に回すことになった。それでウチの隊が目出度く当選した、と言う訳だ。状況からして、定期武装巡廻以外の作戦行動も発生するものと思われる。俺も知らされていないから、詳しくは知らん。」

 

「増援五千? 今、ルードバールに一体何機居るんだ?」

 

「約八千と聞いている。」

 

 ここ何年かでのGDD(重力波変位探知機:Gravitational wave Displacement Detector)の性能向上は目覚ましく、地上設置型のものであれば千km彼方のファラゾア部隊について、個体認識は無理でも大凡の数を把握できるほどにまでなっていた。

 

「八千? 飽和攻撃するのに充分じゃねえか。やべえな、おい。」

 

「かーっ。そんなこったろうと思ったぜ。いきなり激戦区投入かよ。参ったなこりゃ。」

 

「俺遺書書いとくわ。」

 

「ここに戻って来れたら、俺ファーティマにプロポーズするんだ。」

 

「おい止めろバカ。」

 

 人類側の基地に対して、ある日突然ファラゾアが万を超える戦力を投入して飽和攻撃を行い殲滅するという戦法を採ることは、既に一般兵士までにも良く知られていた。

 その作戦行動のトリガーとなる事象や、どういう理由でその様な極端な作戦を採るのか未だ解明されておらず、軍上層部では幾つもの憶測が飛び交い、基地を防衛することも敵を押し返すことも不可能なこの突然の圧倒的攻勢に対して、いつどこで起こるのか常に戦々恐々としている状態であった。

 まるでやる気がないかの如く、普段は明らかに手を抜いた温い攻撃を繰り返しながらも、ある時突然抗うことも止めることも出来ない様な大規模攻撃を仕掛けてくる。

 数百人規模の村や街はまるで存在しないかのように無視しておきながら、人口が数十万を超えるような都市の住人を丸ごとあっという間にどこかに連れ去ってしまい、後には人っ子一人居なくなった不気味なゴーストタウンが残るのみ。

 その意図や戦略理論がまるで理解出来ず、国連軍、あるいは各国軍やその情報機関にとってファラゾアとは未だに理解不能な不気味な敵であった。

 

 絶望的とも言える状況に自分達の未来が限りなく暗いことを教えられ、2687TFSの兵士達の間に諦めと苦笑が混ざり合ったような雰囲気が漂い始めた。

 

「他に質問が無ければ、解散だ。ゆっくり休んでおけよ。明日から忙しいぞ。」

 

 兵士達の気のない返事を背中に聞きながら、ママドフ少佐は詰所から出て行った。

 

「やべえ。俺、そんなヤバいとこ行ったことねえ。やべえよ。超こええ。」

 

 シェルビーンが両手を膝について握り締め、俯いて呟く声が達也の耳に届いた。

 振り向くと、その音に気付いて顔を上げたシェルビーンと眼が合った。

 今にも泣きそうな、普段明るく振る舞っているシェルビーンからは考えられない眼の表情だった。

 

「タツヤ。あんたヤバい戦場を一杯渡り歩いて来たんだろ? 俺は大丈夫そうか? 生き残れそうか?」

 

 喰い付くようにしてシェルビーンが達也に問う。

 

「大丈夫だ。俺に付いて来い。生き延びられるようにしてやる。」

 

 随分偉そうなことを言っているじゃないか俺は、と思いながらも、達也は他にかける言葉を持たなかった。


 いつも拙作お読み戴きありがとうございます。


 最近は日本でもヒジャブをしている女の人を結構見かけるようになってきました。ブルカやチャドルを街中で見かけることは滅多にありませんが。

 いつも思うのは、彼女たち(彼等)は、どうやってメシ食ってるんだろう? です。

 日本では食品のハラルマークがまだ普及しておらず、自分達が食べられるものかどうか、どうにも判断が付かないと思うのですが。

 味の素の原料に豚の出汁を使用していて大騒ぎになった、なんて事もありましたし。


 

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[良い点] 序盤の死にまくりが効いて、ハラハラドキドキ。 [気になる点] どこで中盤が始まり、反撃が始まるのか。
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