12. Take you back to the Earth (地球へ帰ろう)
BGMは David Bowie / Space Oddity で。
■ 4.12.1
化学スラスタの噴射物というのは、二液混合による燃焼反応の生成物、即ち燃えかすだ。
燃えかすはそれ以上燃えることはない。
当たり前だ。灰に火を点けても炎が上がることはない。
だが、数百万度、数千万度にも達する核融合プラズマと混合されたらどうなる?
燃えかすと言える化学物質は超高温にさらされて原子へと分解する。
この時、体積が何倍にも増加する。
つまり、スラスタ推力は、核融合ジェットによる推力と、化学ロケットによる推力を足したものに、さらに化学スラスタ噴射物の分解による体積増加分の推力を追加する事が出来る。
推力は噴射する物質の運動エネルギーに対する反作用だ。
運動エネルギーは質量と速度から出来ており、物質の質量を変えることは出来ない。
なら、速度を上げてやれば良い。
速度を上げる為には噴射圧を上げるのが手っ取り早く、噴射圧を上げるには噴射物の体積を爆発的に増加させれば良い。
つまり、化学スラスタの燃焼生成物をさらに分解して、爆発的に体積を増加させればいいわけだ。
問題は、そんな想定外の爆発の圧力にさらされるスラスタノズルがどれだけ保ってくれるかだが。
あと二機、或いは最大四機撃墜する間だけ保ってくれれば良い。
とんでもなく推力の上がったスラスタの噴射に振り回される。
それでも何度かランダム機動をする内に、暴力的な推力にも慣れてきた。
左に敵機。
右ラダーを蹴り込み、右旋回。
敵が逃げる。
同時に、他の敵の位置を確認する。
下方に別の敵。
機首下げ。
敵が逃げる位置は、多分右後方。そこが空いている。
敵位置を確認するより先に右旋回を始める。
だが追いつけない。
敵はさらに右後方に回り込む。
上方と下方に一機ずつ。
さらに右旋回。
まだ追いつけない。
だが、それで良い。
急激に左旋回して針路を戻す。
先の敵が移動して空きとなった空間に、上方にいた奴が移動してくる。
もらった。
さらに左に針路を振り、僅かに機首を上げる。
紫のマーカーがレーザー可動範囲内に入った。
一瞬で反応し、敵マーカーを追尾するガンサイト。
針路を微調整して、ガンサイトが合った瞬間トリガーを引く。
ビンゴ。
星々の煌めく暗黒の宇宙空間に咲く、小さな炎。
残り三。まだ引かないか。
数が少なくなって敵の自由度が増し、追いかけづらくなる。
その分スラスタを噴射する時間も長くなる。
スラスタノズルへの負荷が心配だ。
右下に敵機。
マーカーを睨み付け、機首を回す。
敵が消える。
さらに右下に移動した。
機首を回して追う。
追い付く寸前で再び敵が消える。
今度は上方に移動。
操縦桿を引いて機首を上げる。
もう少しで敵のマーカーが正面に入るという所で敵が消える。
さらに機首を上げ、左に旋回して、敵がいない空間に機首を向ける。
しかしガンサイトは、敵がいない空間を彷徨うだけ。
予想を外した。
敵が三機になり、空いた空間が増えたことで敵の動きの予想が付けにくい。
だが、従来のファラゾアの行動パターンからすると、連中の残機数がこちら機数の三倍を割ると撤退する可能性が高い。
それに望みを掛ける。
左に出現したマーカーを追う。
消えた。
左上方。
さらに左旋回しながら機首上げ。
再び消えた
上方に別の敵が現れた。
いける。
操縦桿を握る手に力が入る。
次の瞬間、破裂音と共に大きな振動が起こり、機首上げの速度が鈍って機体が左に回転し始めた。
耳元で長い電子音が鳴り、HMDに赤い反転文字が明滅する。
THRUSTER; #02 FRONT-LEFT-BOTTOM; DAMAGED
THRUSTER #02 DISABLED;
(スラスタNo.2 機首左舷下部 損傷、スラスタNo.2 使用不可)
恐れていたスラスタノズルの破壊が発生した。
機首上げが出来なくなった。
機体を回転させて別のスラスタを使う事で同じ動作をする事は出来るが、まず機体を回転し、回転の停止、方向転換と2ステップ余計に必要になる。
要するに、戦闘中には無理だ。
機首上げを封じられた状態で、それでもランダム機動は続ける。
続けなければ、墜とされる。
左に敵。
ラダーを蹴り、機体を左に向ける。
勿論向いた時にはもういない。
左下。
機首下げなら出来る。
左。
後の二機は後ろ上方と下方だ。
つまり次は右だ。
左のラダーを思い切り蹴りつける。
左に押しつけられる加速。
機体が右旋回をし始めて少しで、右に敵機が現れる。
今だ。
このまま右旋回すれば、奴が再び移動する前には追いつける。
あと少し。
そう思った瞬間、衝撃と大きな音が機体を突き抜けた。
THRUSTER; #16 REAR-RIGHT-OUTER; DAMAGED
爆発の衝撃で機首が大きく動いた。
紫のマーカーがレーザー砲可動範囲内に入ったのは僅か一瞬のことだったが、俺なんぞより遙かに優秀なこの機体のターゲティングシステムは、僅かその一瞬でファラゾア機に狙いを定め、そして撃墜してのけた。
残り二機。
そして奴等は自らの戦技ドクトリンに忠実だった。
味方の機体数が敵の機体数の三倍を割った途端に、戦闘に見切りを付けて同時に離脱した。
・・・生き延びた。
信じられない思いだった。
劣る機動性、お話にならない加速力、多勢に無勢、そして宇宙空間という敵のホームグラウンド。
幾つも重なる不利な条件の中で何とか生き延びた。
まだ敵の射程内だろう。
ランダム機動を行う手を少し緩めながらも、止めることはしない。
しかし力を入れ緊張し続けていた背中や肩の力を抜き、シートに背中を預ける。
強張った身体の緊張が徐々に抜けていき、深い溜息を吐いた。
「ミノリ。生き延びたぞ。辛い思いをさせてしまったな。済まない。」
俺の肩に頭を預けたような形で力なく固定されているミノリのヘルメットに顔を寄せて呟く。
コンソールのモニタ表面に映る、ミノリの耐Gスーツの胸の部分にあるヴァイタルモニタの色は随分赤みを帯びてきているがまだ黄色い。
生きている。だが返事はないだろう。
「帰ろう。地球へ。な。」
L2ポイントが月地平線の上に出た後、月周回軌道を回る減速噴射を止めていた。
今や俺の機体は地球から60万km、月から30万km近く離れてしまっている。
戦いを終えたなら、出来るだけ早く減速し、地球に帰る軌道に機体を乗せなければならない。
燃料も有り余るほどある訳ではないのだ。そもそも余り時間を掛けてしまっては呼吸用の酸素が保たない。
現在位置から最高の効率で地球に帰る軌道計算を行おうと、コンソールに左手を伸ばしかけた俺は、コンソール画面左下に表示されている情報を見て絶句し、動きを止めた。
残燃料26.9L、予想継続燃焼時間0.91hr。
そんなバカな。
先ほど被弾した直後に確認したときには、まだ二時間分ほど、地球に帰るために十分以上の量の燃料が残っていた。
燃料タンク#1が破壊されて大量の燃料漏れを起こした後、#1と#2の間の燃料移送管バルブは閉じた筈だ。
まだ燃料漏れがあるというのか。
とにかく燃料漏れ箇所を特定して、すぐに穴を塞がなければ拙い。
俺はすぐにジェット噴射をカットし、融合炉出力をアイドリングにまで落とした。
コクピットを減圧してキャノピを開ける。
「すぐ戻る。少しここで良い子にして待っていてくれ。」
ミノリの身体をシートに固定した後で、俺はロープのフックをシートに引っかけ、長時間の戦闘による緊張で身体の節々から感じる痛みに顔を顰めつつ、毎度おなじみになってしまった工具ボックスを引っ掴んでコクピットの外に泳ぎ出した。
機体との接続を切ったためにHMD表示の消えたバイザーのスクリーンに赤文字の警告が明滅し、電子音が鳴った。
!!!WARNING!!!
HIGH RADIATION;
TOTAL RADIATION EXPOSURE; 98985 x 10E-06 Sv
CURRENT RADIATION; 132359 x 10E-06 Sv/h
どうやら地球から余りに離れすぎたため、太陽からの放射線による被曝量がなかなか酷いことになっているようだった。
燃料漏れを修理するために船外活動を行えば、被曝量はさらに急上昇するが仕方ない。
被爆しようがどうしようが、燃料漏れを直さなければ地球に帰ることさえ出来なくなってしまうのだ。
俺は機体の凹凸を掴んで機体後部に移動する。
機体の表面はあちこちに穴が開き、ささくれ立ち、ところどころには融け落ちたような跡もあった。
あれだけの戦いを行ったのだ。
コクピットの少し後ろには、#1燃料タンクを破壊した原因であると思われる巨大な穴が開いている。
破壊孔の周りには燃料であった水が凍り付いているところがある。
燃料が不足している今、この氷も勿体なく思えるが、一度タンクから出てしまった水は不純物が混ざってしまっている為にもう使い物にならないのだと習った。
機体上面は色々と酷い状態ではあるが、どうやら燃料の漏洩源はこちらではないようだ。
あちこちささくれ立った機体外装の破壊断面で耐Gスーツを引っかけて破らないよう気を遣いながら、機体の表面の凹凸を頼りに足場を確保しながら、機体下面に回った。
その少し先、機体後部に不思議な光景が広がる。
機体の一部が白くもやに包まれており、もやは太陽光を反射してキラキラと輝いている。
漏洩箇所だ。
漏れた水の一部が霧のような氷になって、太陽光を受けて輝いているのだろう。
!!!WARNING!!!
HIGH RADIATION;
TOTAL RADIATION EXPOSURE; 105328 x 10E-06 Sv
CURRENT RADIATION; 1265 x 10E-03 Sv/h
機体後部に向かって移動すると、鋭く長い警告音が鳴り、放射線被曝量の赤い表示が明滅する。
機体の後部には核融合炉がある。
核分裂炉のように大量の放射性物質を格納している訳ではないが、今現在運転中のリアクタに近付けば、当然強烈な放射線を発しているのは当たり前だった。
しかしリアクタを止める訳にはいかなかった。
このボロボロになった機体で、止めたリアクタを再起動できる保証はどこにも無い。
ならば放射線被曝が危険だろうが、燃料を食い続けようが、リアクタを動かしたまま修理を行うしかない。
被曝量100mSvを超えた為にずっと鳴り続ける警告音を無視して、俺は今も霧を吹き上げ続ける破砕孔まで移動した。
破壊孔のすぐ脇に運良く点検用パネルがあるが、破壊され変形し熔着していてとても開けられそうにはない。
試しにレバーを引いてみるが、ビクとも動かなかった。
確かシート後ろのサバイバルキットの下にバールやジャッキが入った大型工具箱もあった筈だ、と思い出し、一旦コクピットに工具を取りに戻った。
再び霧に包まれた破壊孔まで戻り、手近な固定ポイントに船外作業用ワイヤハーネスを固定した後、バールを破壊孔に突き立てて外装を無理矢理引き剥がす。
外装パネルは、破壊され変形していたからか、思いの外簡単に引き剥がすことが出来た。
パネルを外すと、漏洩箇所は簡単に見つかった。
炉内に燃料を供給する燃料気化注入器と呼ばれる部品に向けて、燃料タンクからポンプ圧力で水を送り込む部分の配管が歪んで、インジェクタ直前の接続部分から水が漏れ続けていた。
これでは燃料漏洩警告も、圧力低下警告も発生しないのも理解出来る。
漏洩箇所は歪んでしまっていて、増し締めでは漏れが止まらない。
工具箱から銀色のダクトテープを取出し、漏れがなくなるまでぐるぐる巻きにしてしまう事にした。
テープを巻き終わり、軽く叩いて水漏れが起こらないことを確認してから辺りを見回す。
他に漏洩箇所は無さそうだった。
工具箱を抱えてコクピットに戻る。
TOTAL RADIATION EXPOSURE; 669438 x 10E-06 Sv
作業している間に放射線被曝量が凄まじく増えている。
生き延びる為に仕方の無いことだったのだが、これは地球に帰れたとしても余り長生きは出来なさそうだ。
口元を歪めた皮肉な嗤いが顔に浮かぶのを自覚する。
それでも地球に帰る。
彼女を地球に連れて帰る。
工具箱を収納しワイヤハーネスを戻して、俺がシートに座る為、作業の間シートに固定していたミノリの耐Gスーツを固定具から外す。
機体が回転して太陽光の影になり、色が薄くなったバイザーを透かして彼女の顔が見えた。
彼女はいかにも辛そうに薄く眼を開けてこちらを見ていた。
意識が戻ったのだろうか。
自分のバイザーを彼女のバイザーにくっつける。
「ちょっとしたトラブルだ。修理は終わった。帰ろう。」
心配をさせないよう、努めて明るく笑いながら言う。
本当ならとっくに地球の周回軌道に戻って回収されている時間だ。
「・・・・が・・と。」
殆ど聞き取れない声で彼女は呟き、再び眼を閉じた。
REACTOR FUEL; 13.3L
ESTIMATED RUNNING TIME; 0.75 hr
どう計算したって燃料が足りないのは分かっている。
数百通りものコースを計算した航法システムがそう言っている。
普通に加速したのでは、減速用の燃料が足りない。
減速用の燃料を残そうとすると、時間がかかりすぎてやはり燃料が足りない。
途中でリアクタをカットして燃料節約すると、呼吸用の酸素が足りない。
そもそもリアクタ再起動が可能かどうか怪しい。
ああ、放射線被曝量の問題もあったっけな。
ミノリの耐Gスーツを固定しながら考えていた。
・・・せめて、生きて地球に辿り着きたいかな。
俺はあの瞬間、間違いなく俺を見て微笑みながら感謝の言葉を述べた天使の笑顔を思い出しながら、スロットルを開けた。
■ 4.12.1
OPERATION 'MOONBREAK'
作戦行動参加将兵数; 345名
参加艦艇数;
軌道戦艦; 10隻
軌道空母; 15隻
軌道回収艦; 3隻
戦闘機; 225機
作戦目標; L1ポイントに駐留するファラゾア艦隊への直接的攻撃
本作戦は、初めての地球人類によるファラゾア艦隊に対する直接的攻撃作戦行動、初めての宇宙空間での攻撃作戦、初めての宇宙空母の運用、初めての宇宙戦闘機の運用など、多くの未経験の事柄の中で進められた。
結果として、目標は未達、作戦は失敗した。
攻撃艦隊はL1ポイントに到達する前に敵艦隊からの超々距離艦砲射撃を受けて半壊。
混乱を脱して再編された機動戦艦二隻と戦闘機百四機による敵艦隊への攻撃が実施されたが、敵艦隊へ与えた損害は軽微、攻撃後の再編艦隊は戦闘機三十二機のみ生存(内、大破十一、中破十二、小破五)という結果となった。
L1艦隊攻撃にて生存した三十二機の戦闘機は、攻撃後当初の予定通り月軌道にて減速、地球への帰還軌道に乗ったが、月の裏側にてL2ポイントに停泊する敵艦隊に遭遇、攻撃を受けた。
最終的に地球周回軌道上の回収予定ポイントに到達した戦闘機は皆無であった。
作戦結果;
作戦行動参加将兵の内
生存将兵数; 21名
死亡将兵数; 18名
作戦行動時行方不明者(MIA)数; 306名
帰還艦艇数;
軌道戦艦; 0隻
軌道空母; 0隻
軌道回収艦; 3隻
戦闘機; 0機
作戦目標; 未達
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
更新遅くなりました。申し訳ありません。
ダクトテープは万能補修材です。