91.ここは何処ワタシは誰
「あ、アレラちゃん起きた?」
聞き覚えのある声にオレは薄らと目を開けた。
清潔そうな白い天蓋と見覚えのある焦げ茶色の髪が視界に入る。
「あれ……ヘレア!? っくぁ!!」
慌てて起き上がろうとした瞬間痛みが走りオレは再びベッドに転がった。
大人二人は余裕で寝られそうなベッドがオレをふんわりと受け止めた。
「アレラちゃん大丈夫?」
「う、うん……な、何とか」
椅子から立ち上がったヘレアが身を乗りだしオレを覗き込んできた。
痛みに耐えながら返事をしつつ、オレは体内の魔力を動かして原因を探る。
肋骨と右腕の骨にヒビが入っているようだ。
他に打撲などがないか調べようと試みるも胸の痛みが邪魔で分かりにくい。
とはいえ気を失っていた間に弱まっていた魔法による自己回復が活性化し始めたので、このまましばらく横になっていれば治るだろう。
しかしここは何処でオレの隣に何故ヘレアがいるのだろうか。
現状を早く把握したい。
だからオレは一気に怪我を治すことにした。
「う……リカバー」
王城での戦闘から目覚めたばかりなので、オレの体内に貯蓄していた魔力は全く残っていない。
それでもオレは復元魔法を強引に発動した。
「えう……」
「アレラちゃん!?」
当然の如く魔力切れを起こしたオレは、あっさりと意識を手放したのであった。
「あ、アレラちゃん起きた?」
聞き覚えのある声にオレは薄らと目を開けた。
清潔そうな白い天蓋とヘレアの顔が視界に入る。
「あれ……ヘレア?」
何故ヘレアがいるのだろうか。
ぼんやりと記憶を辿ってオレは思い出した。
そうだ。
それを知りたかったのに魔力切れで気を失ってしまったのである。
怪我を完全に治せるとはいえ復元魔法は魔力を使いすぎるのだと、痛感してしまった。
使いどころは後で考え直すとして、取りあえず現状を把握しよう。
「ヘレア……なんでここに?」
「アレラちゃんに会いに来たの」
「……ここはどこ?」
「宿屋だけど?」
ヘレアから聞き出そうとするも、質問した内容以外の答えは返ってこない。
そうだった。
言葉足らずなところがあるヘレアから色々と聞き出すには、繰り返し質問をしなければならないのである。
試されるオレの語彙力。
「ワタシは、どれくらい気を失ってたの?」
「どれくらいかな? トルクさんがアレラちゃんを運んできたとき、もう気を失ってたから」
役立たないオレの語彙力。
「えっと……」
「なに? アレラちゃん」
オレが言葉に詰まるとヘレアは青色の瞳を細めて微笑んだ。
ヘレアは人と会話をするときにしっかりと待ってくれる。
なのでオレはぽんこつなおつむを働かせて何を聞くか考えることにした。
取りあえずヘレアは殺したいほど毛嫌いしていたはずのトルクに、さん付けをしている。
しかもどうやら行動を共にしているようだ。
わけがわからない。
質問をしたはずなのに疑問が増えてしまった。
こんな時は一度別のことをして頭を落ち着かせよう。
オレは体内の魔力を動かして身体の状態を再確認しておく。
ああ、斬り落とされた髪も復元魔法ですっかり元通りである。
髪は女の命なのだ。取り戻せたので一安心である。
次の質問を考えていたところで、オレは右腕に違和感を覚えた。
左手で掛け布団をめくると、右腕は副え木で固定されていた。
「あれ?」
「……トルクさんがアレラちゃんに回復魔法を掛けたんだけど骨折は治せなかったみたい。だからアレラちゃんが目を覚ますまでそのままにしておいたの」
オレの視線に気付いたヘレアが副え木について説明をしてくれた。
疑問は的確に見抜くのに、質問には中途半端にしか答えてくれないとか、ヘレアは全くもって面倒な子である。
「んー……ワタシと別れた後、ヘレアはどうしてたの?」
結局ぽんこつなオレのおつむは語彙力を期待できないので、曖昧な質問を出すことにした。
差し迫った危険がなければ長い説明をしてくれるとヘレアに期待してみたのだ。
それに、オレの身に危険があるならばヘレアならすぐに行動してくれるという謎の信頼もあるのだ。
「アレラちゃんの居場所を聞いたらこっちに行った方が良いって言われて、向かったところにトルクさんが居たの」
何時どこで誰に聞いたかがさっぱり分からない。
とはいえヘレアのことだから誰に聞いたのかを質問したらきっと神様と答えるだろう。
「トルクさんと話し合ったけど、アレラちゃんの居場所が分かるって言ったら協力してくれるって言うから、馬車を出してもらったの」
話し合いって間違いなく戦闘――オハナシアイなんだろうなあ。
「それで王都に入って、ここで待ってたの」
ヘレアの説明は色々と抜けているので、オレは後からトルクに聞こうと考えた。
まあ、最低限は聞けたので良しとしよう。
どうやら、さん付けする程度にはヘレアとトルクの関係は良好になったようだ。
次はこの宿屋についてである。
「随分高級そうな宿屋だよね」
「一番良い部屋なんだって」
「ここは王都のどこなの?」
「窓から王城が見えるよ」
窓の外を見て確認しようと思ったところで、立ち上がるには右腕の副え木が邪魔であることにオレは気付いた。
肋骨を固定するための包帯が巻かれているのか胸にも圧迫感がある。
まずは目に付くところにある副え木を外そうと考え、オレは縛られた布の結び目に左手を伸ばした。
「あ、外すね。包帯も外しちゃうから服を脱いで」
ヘレアの瞳に妖しい光が一瞬走った気がするものの、きっと気のせいである。
気のせいで間違いないはずである。
先程までオレが着ていた服はヘレアが貸してくれた予備のチュニックだった。
本来は膝上丈なのだがオレが着ると余裕で膝下丈のワンピースと化していた。
成人女性としては背が低いヘレアの服だというのにオレには大きかったのが少し……かなり悔しい。
オレは一張羅であるシスター服に着替える。
シスター服はまだらに焦げ跡が付いていて、一部は辛うじて破れていないだけでうっすらと向こう側が透けて見える始末である。
一時的に着られないこともないが、新しい服を仕立てた方が良い状態だった。
シスター用の頭巾は首元のところで半分近く切断されていて修繕が必要である。
これでは使いようが無いので身に着けるのは止めておく。
一方で下着は保護魔法で守り切れたらしく、傷みも少なく十分使えそうだった。
そこまで考えてオレはムリホ王女に荷物を全て預けていることに思い至った。
とはいえ王城に取りに行くことはもう叶わない。
諦めるしかないか……。
カーテンを薄く開けて外の様子を覗っていると、部屋の扉がノックされた。
ノックの音でヘレアが扉の前に向かい、応対して扉を開ける。
トルクがバスケットを持って室内に入ってきた。
バスケットから仄かに漂うパンの匂いにオレの気分は高まる。
「おお、我が姫。起きられましたか。お加減は如何でしょうか」
「……最悪ですね」
だがトルクの胡散臭い笑顔を見てオレの気分は急下降である。
とはいえ彼はオレの命の恩人、御礼はしっかり言っておかねばならないだろう。
「トルクさん……助けてくれてありがとうございます」
「お気になさらず。無事お救い出来て何よりでした」
トルクはバスケットを机に置くと、近付いてきてオレの右腕を手に取った。
「失礼します……お怪我は回復なさったようですね」
オレの右腕を少し揉んで確認した後、トルクはにっこりと微笑んだ。
このロリコンめっ、と一瞬思うもこれは診察、そう診察に違いない。
「……ここは?」
「協力者が運営する王都の宿屋です。アレラ様をお救いしてから一日が経過致しましたが、今のところアレラ様の捜索などは行われていない模様です。同志と連絡を取るついでに街を軽く見て回りましたが、警備も通常通りでした」
トルクの手を振りほどき質問をしたオレに、彼はオレがヘレアから聞き出したかった情報を一度に教えてくれた。
「目を覚まされたらお腹が空かれると思い、軽食をお持ち致しました。馬車の手配をして参りますので、お食事をされては如何でしょう」
そのまま立ち去ろうとするトルクにオレは慌てて質問する。
「あ、あの。馬車って?」
「ここを何時までも使うわけには参りません。アレラ様が動けるようになりましたので、この国にある拠点まで移動致します」
「拠点って?」
続けざまに疑問を垂れ流したオレに曖昧な笑みを返し、トルクは一礼すると部屋を出て行ってしまった。
「アレラちゃん、食べよっか」
ヘレアの声に振り向くといつの間にか机の上に軽食の用意が出来ていた。
オレとトルクが会話をしている間にヘレアは黙々と用意をしていたようである。
お洒落なティーカップからは湯気が立ち、優美なお皿の上にはサンドイッチが綺麗に並べられている。
優雅な部屋の中、優雅な食事を前にしてオレの無作法なお腹がぐうっと鳴いた。
宿屋の裏口から馬車に乗り、気が付けばトルクの言っていた拠点に着いていた。
どうやら車中でオレは眠ってしまったらしく、辺りは日が暮れようとしていた。
拠点は塀に囲まれた倉庫のようなところだった。
詳しく知りたくて辺りを見回そうとするも、借りたローブが大きすぎてフード越しの視界がほとんど確保出来ない。
「ここはどこですか?」
「拠点になります」
オレの垂れ流す疑問にトルクが曖昧に返事をする。
どうやら明確な場所は言いたくないらしい。
一方ヘレアは辺りを見回しトルクに問いかけ始めた。
「何の匂い?」
「ああ、港からですね」
「海?」
「はい。取りあえずお話は中で致しましょう」
ヘレアの質問にも曖昧に答えつつトルクはオレ達を建屋の中へ案内してくれた。
意外にも中は普通の建物だった。
「報告をしてきますのでしばしお待ち願います」
入口近くの客間にオレ達を案内すると、トルクは一礼して部屋を出て行ってしまった。
「失礼致します」
入れ替わりにメイド服に身を包んだ女性がワゴンを押しながら入ってきた。
ただ、メイドというには服の上から分かるほど体格がごつい。
彼女はオレ達に席を勧め、紅茶を淹れると入口の脇に控えた。
「あの、トルクさんはどれくらいで戻ってきますか?」
ヘレアがメイドに声を掛けてみるも、首を傾げるだけで返事をしてくれない。
何だか監視をされているみたいに感じてオレは緊張してしまった。
とてもヘレアと雑談をしながら待つような雰囲気ではない。
トルクさん早く帰ってきて。あっ、お茶菓子美味しい。
紅茶を飲んでいるとシスター服の焦げた袖口が視界に入る。
否応なしにオレは玉座の間での戦闘を思い返してしまう。
まずはアリツ女王が言った精神操作系の魔法である“魅了”について考えてみる。
もしかすると何らかの魔法をオレは無自覚に発動している可能性がある。
しかし自分ではさっぱり分からない。
これは魔法に詳しそうなトルクに質問をした方が早いだろう。
アリツ女王の攻撃魔法に対する防御と回避については一考の余地がある。
とはいえ何よりも考えなければいけないのは“束縛”の魔法への対抗策だろう。
あの時、騎士達による風魔法の“風の束縛”から脱出が出来ていれば状況は全く変わっていたのだ。
そう、少なくとも青年とソラタとは戦わずに済んだのかも知れない。
青年が振るう光の剣は厄介だった。
防御魔法を斬られたと認識出来なかっただけかと思っていたが、よく考えると髪を切り落とされたということは保護魔法も斬られていたということである。
どちらの魔法も同時に斬られるというのはオレにとって初めてのことである。
何らかの対抗策は……すぐには思いつかない。
保護魔法といえば、オレはソラタの攻撃で右腕を折られている。
だがこちらの対抗策はすでに決まっている。
何故ならオレの保護魔法は衝撃吸収の面で成長の余地がまだまだあるのだ。
うん、防御魔法を破壊するような打撃とか普通に痛いから。
修行あるのみなのだ。
問題はむしろソラタという存在だ。
外見も話し方も動きの癖も草凪・空太だった。
瞳の色の違いなど些細なことだ。
あれは誰だ。
誰かが空太に似せてソラタを創った?
何処にでも居るような男子高校生を?
もっとこの世界に適した人間はごまんといるはずなのに?
本当は、あれは誰かをオレ自身が理解している。
あれは自分だとアレラの中で空太の精神が叫んでいるのだ。
ならば。
オレは誰だ。
見た目はアレラ、思考は空太、記憶はアレラの全てと空太の大半。
記憶にあるアレラの言動は、空太の転生者と考えても違和感がないものだ。
しかし空太が実在するのならば転生者など存在しない。
そうなるとオレはアレラを乗っ取っているのかもしれない。
いや、たとえオレがアレラを乗っ取っていたとしても。
実際にソラタが空太なのだとしたら。
ソラタではないオレは誰だ。
「アレラちゃん?」
「ヘレア……」
真横から聞こえる声にオレは顔を上げた。
気が付くとオレはヘレアの膝の上に座らされていた。
「大丈夫だから、泣かないで」
「……」
気が付かないうちにオレは泣いていたらしい。
ヘレアに優しく頭を撫でられ、オレは頭の中のモヤモヤを全てぶちまけてしまいそうになる。
「大丈夫、大丈夫だから、ね、アレラちゃん」
「……ヘレア」
「なに?」
しかしヘレアが宥める言葉は、アレラへの呼び掛けでしかない。
「ワタシが、もし……アレラじゃないとしたら……どう、思う?」
「アレラちゃんはアレラちゃんだよ」
言葉を濁して問いかけるオレに即答するところは如何にもヘレアらしい。
「だから、本当はオ……」
「お?」
オレは自分の一人称を「オレ」と言うのに思った以上に抵抗があった。
「オ……オ……」
「おお?」
オレの言葉に合わせてヘレアは頭に疑問符を浮かべたのか首を傾げる。
「オ……ワタシは……」
「アレラちゃんだよ」
断定してくれるヘレアの傍は心地よかった。
アレラには申し訳ないけれど、今はまだ。
居場所がないオレはもう少しこの身体で居たかった。
「ところでヘレア。いつの間にワタシを抱き上げてたの?」
「だってアレラちゃんだもの」
「それ、答えになってないってば」
とぼけるヘレアの顔は卑怯なほど可愛かった。
全肯定ヘレアサンは貴重な存在です。
アレラの葛藤の表現には悩みに悩みましたが如何でしょうか。




