90.ソラタとの戦闘
「なんだ? この状況」
「おお、良いところに来たの!」
青年が声を漏らしたと同時に、嬉しそうなアリツ女王の声が響いた。
「ソラタ、お前は陛下を守れ」
「あ、うん」
オレを一瞥した青年が出した指示に少年は頷いた。
少年の髪は黒色で、瞳は淡い金色である。
顔付きや背丈こそ草凪・空太にそっくりなのだが瞳の色は違う。
でもソラタと呼ばれていた。本当に空太なのか?
声で確かめようにも、空太の記憶は当てにならなかった。
自分から出ている声と他人に聞こえる声は比較しようがない。
そして空太は地声を録音して記憶に残るほど聞いたことなどなかったのだ。
そもそも、今の一言では判断材料が少なすぎた。
ソラタはオレを大きく回り込むように走って行く。
床に座り込んだままのオレは彼を目で追いかけて振り向く。
彼はそのままアリツ女王とオレの間に、玉座の真正面で立ち止まった。
思考は混乱していても、自分の魔法効果範囲内を動く気配にオレは気が付いた。
急いで振り返りざまに防御魔法を展開する。
振り返った視界に映る青年は扉の前から動いていない。
しかし剣を右手で水平に構えていた。
床に置いたオレの左手に何かが降り注ぐ。
手触りだけでなく目で確認しようにも、首に突きつけられた光る何かでオレの視界は遮られている。
その光る何かは青年の手に握られた剣の柄から生えていた。
光の剣身が伸びる剣といったところだろうか。
防御魔法が光の剣身を防ぎきれず砕けたような感触はなかった。
光の剣身の向こうを見遣ると、防御魔法は一直線の筋が入ったまま展開を維持出来ていた。
いや、筋ではない。斬られている。
斬られているとオレが認識したことで、ようやく防御魔法は砕け散った。
オレが自覚出来ないほど鋭く光の剣身は振られていたのだ。
もしかしたらオレの首も既に斬られているのではないだろうか。
寸止めされている光の剣身の位置からしてあり得ないとはいえ、オレは気になって右手でぺたぺたと首を触る。
大丈夫、繋がってる。オレ、生きてる。
生きていると認識した途端、オレの視界がぼやける。
落ち着け、まだ戦闘中だ。感情を乱すな。
首に光の剣身を突きつけられているのだ。
泣いている場合ではないのである。
「辞めだ辞め!」
青年が声を上げた途端、光の剣身が消失した。
意外なことに彼の持つ柄には金属で出来た剣身も付いている。
青年はそのまま剣を鞘に納めた。
身の危険が一旦収まり、オレの涙腺は決壊しそうである。
そして光の剣身が消えたことで、オレの左手が視界の端に映った。
「えっ!?」
その光景が衝撃的でオレの涙は即座に引っ込み、代わりに声が漏れ出した。
左手の上どころか周りの床に大量の髪の毛が散らばっていたのだ。
純然たる灰色の長い髪は明らかにアレラの髪の毛である。
どうやら先程光の剣身を首に突きつけられた時に斬られていたようである。
ていうか待って。
この量、後ろ髪の三分の一はあるんじゃない!?
「ソラタ! 俺はここで逃げないように見張る。後はお前に任せた」
「ええっ!?」
青年の発言にソラタが驚いたような声を上げた。
「全く。一思いにそのまま首を落とせば良いものを」
「わりい、陛下。俺にはガキを斬る趣味なんて無いんでな」
「難儀な奴め」
アリツ女王との会話でも青年の言葉遣いは雑である。
オレが失った女の命もとい髪の毛に嘆いている間にも、事態は動いていた。
というかシスター服の頭巾も斬られているよね……って現実逃避をしている場合ではない。
「えっと。君……名前は?」
後ろから声を掛けられたので、オレは床に散らばる髪の毛から視線を外しソラタの方に振り向いた。
「ソラタよ、聞くでない。相手を知れば知るほど剣が鈍るじゃろ、其方は」
「あ、いえ。せめて何でここに居るのかくらいは……」
おろおろとしているソラタは如何にも空太らしい。
オレ、ドッペルゲンガーを見ているのかな?
いや、今のオレはアレラだから違う。
となると、今思考しているオレは誰?
「よいか。そのような形でも魔王じゃ。人族の敵じゃぞ」
「うっ……かしこまりました」
アリツ女王の言葉に観念したのか、ソラタが剣を抜いて正眼に構えた。
両刃で八十センチメートルほどの剣身をもつ両手剣である。
混乱している場合ではない。
明らかにソラタは戦闘態勢なのだ。
いつまでも座り込んでいる場合でもない。
オレは立ち上がってソラタと正対した。
「ごめん、戦わなきゃいけないみたいなんだ」
ここで謝ってくるあたりも空太らしい。
一礼したソラタの足がスッと動いた。あ、すり足。
オレは咄嗟に右側面を守るよう防御魔法を展開する。
次の瞬間ソラタの剣が水平に振られ防御魔法にぶつかった。
胴。
一旦引いたソラタの剣が続けざまに右側を攻めてきた。
少し斜めに振られた剣で防御魔法が砕ける。
籠手。
一歩下がりオレはすぐさま頭上に防御魔法を展開する。
吸い込まれるように振られたソラタの剣が防御魔法を打ち砕いた。
面。
即座にオレは三歩下がる。
右手を離したソラタの剣がオレの鼻先を掠めた。
左片手半面。
やはり。
予備動作がそっくりである。
この動きはオレ、いや空太の剣道の動きだ。
中学生の頃、空太は左片手半面を使ってみたくて練習をした記憶がある。
結局剣道部の試合で使えたものではなかったが、今のソラタの剣筋なら十分使えるのではないだろうか。
というか、顔面に来る剣をぎりぎり避けるって怖っ。
オレに攻撃を見切られていると気付いたソラタが正眼に構えて立ち止まった。
どうやらオレが見た目通りの十歳の少女ではないと気付いたようだ。
いや、十歳ではないけど。ちなみに年齢一桁ではないから!
「君は一体……」
「何をしておる、ソラタ!」
「はい!!」
「ひゃい!!」
ソラタが悩んだ素振りを見せた瞬間、アリツ女王から檄が飛んだ。
思わず声を上げるソラタに釣られてオレも裏返った声を上げてしまった。
空太の記憶を掘り返していただけに、今のアレラの自意識は空太に偏っている。
名前を呼ばれたって思うよね。
しかしソラタの攻撃を見切れるとはいえ状況は甘くない。
彼はあの青年と一緒に現れ、アリツ女王を守るように指示を受けていた。
ということは単独で女王様の護衛を任されるくらいには強いはずである。
それなのにオレが余裕を持って反応出来た。
つまり、先程の攻撃は様子見でしかない。
次のソラタの攻撃はさらに鋭くなるに違いないだろう。
そうオレが思った瞬間、ソラタの身体がブレて見えた。
咄嗟に防御魔法を展開して一気に魔力を注ぎ込む。
「っく――あぐっ!」
強化したはずの防御魔法が霧散していく。
展開した位置は正解だったが、ソラタの剣に防御魔法が耐えられなかった。
保護魔法は斬られなかったとはいえオレの右腕は折れていた。
「あっ。だ、大丈夫?」
ソラタが此の期に及んで心配そうな声を掛けてきた。
改めて空太の思考回路は我ながら間抜けだと思えた。
動き止まってるじゃん、ソラタ。
じっくりとソラタを見てオレはようやく気付いた。
彼が構えている両手剣の片刃は刃付けがされていなかったのだ。
どうやら彼は最初からオレを斬るつもりなどなかったようである。
でも、金属の棒ではあるから撲殺することは容易だろう。
そもそもソラタがどう考えていようとも関係ない。
オレとの戦闘をソラタに任せているだけで、アリツ女王も青年もいるのだ。
今の状況はアリツ女王との戦闘よりも明らかに不利である。
そして折れた右腕の痛みが思考の邪魔をする。
とはいえ右腕に復元魔法を掛ければ隙が生じてしまう。
時間を稼ぐためにオレは支配系魔法“場の支配”を発動した。
だが、それは悪手だった。
オレの“場の支配”を敵意と感じたのか、ソラタが剣を握り替えたのだ。
次の攻撃は刃のある方。確実に斬られる。
冷や汗がオレの頬を伝う。
その時、何処からともなく砂塵が舞い込んできた。
砂塵はソラタの真横に集まり人の形をとると、淡い金色に光り輝いた。
光が収まると、そこには赤褐色に光る全身鎧の騎士が立っていた。
フルフェイスの兜に隠れどのような顔かは分からない。
装飾が施され淡く光る甲冑の赤褐色は、まさしく純銅の色である。
オレは理解した。
あの騎士、聖霊様。
しかもソラタと契約している。
オレの命は消滅が確定してしまった。
だが、ソラタは完全に動きを止めていた。
彼は赤褐色の騎士と見つめ合い、そして頷き合った。
ソラタが再びオレに向き直った。
その動きは“場の支配”の影響を少しも感じさせない。
来る。
オレはそう判断して頭を守るよう防御魔法を展開した。
ソラタの剣が振り下ろされる。
斬られる――と思ったが意外なことに防御魔法はソラタの剣を受け止めていた。
いや、ソラタは手を抜いている。
「チリロイが君に伝えたいことがあるって」
「え?」
ソラタがオレに向かって小声で話しかけてきた。
チリロイ、それは土の聖霊様の名前である。
つまり赤褐色の騎士は、土の聖霊チリロイということなのだろう。
ソラタが再び剣を振った。
オレは左の腰に防御魔法を展開する。
「新年に、星の聖都で巫女に会って欲しいって」
「え??」
再びソラタはオレに向かって小声で話しかけてきた。
オレが理解する間もなく、ソラタはさらに剣を振る。
オレは右肩に防御魔法を展開した。
袈裟懸けに振ったソラタの剣が防御魔法に当たって止まる。
そしてソラタが小声でオレに話しかけてくる。
「チリロイが君を脱出させるって。次はお腹を守って」
「何をしておる! はよカタを付けい!!」
アリツ女王から檄が飛ぶのと同時に、ソラタは飛び退いた。
ソラタと入れ替わりにチリロイが一歩前に出る。
オレは慌てて前面に防御魔法を展開する。
次の瞬間、赤い絨毯を突き破って岩の拳が飛び出してきた。
お腹を守るって、このアッパーから!?
ソラタの発言からオレはチリロイが近接戦闘で攻撃してくると考えてしまった。
そして咄嗟に防御魔法をチリロイの本体に向けて展開してしまった。
うかつもいいところだ。
土の聖霊様なのだから大理石の床なんて手足も同然ではないか。
岩の拳が縁に当たった防御魔法はあっさりと砕け散る。
オレの腹に岩の拳が直撃した。
保護魔法で辛うじて腹を突き破られなかったと感じるような衝撃だ。
口から虹色の何かが飛び出す気がした。
いや、飛んでるよね、吐瀉物。
そしてオレの身体も飛んでいる。天井に向かって。
そのまま背中で何かを突き破った衝撃を感じた。
陽光に照らされたオレの視界にキラキラと光る破片が映る。
外だ。
岩の拳で打ち上げられたオレは天窓を突き破ったのだ。
視界に映る王城が小さくなっていく。
どこまで飛ぶのかと思ったが放物線を描いたオレの身体はすぐに落下し始めた。
視界に映る町並みが大きくなってきた。
オレのぽんこつなおつむは混乱して次の手を打てない。
というか、全身が痛くて良い案が思い浮かばない。
自己回復が効いているはずなのに未だに痛い。
マズい、せめて防御魔法だけでも展開しないと。
でも痛みが激しくて集中出来ない。
地面に激突する未来しか見えない。
絶望により暗くなる視界の端で何かが上下に動いた。
そちらを見ると人影が屋根伝いに跳びはねながら一気に近づいてきていた。
次の瞬間、飛び跳ねた人影がオレを受け止めた。
一瞬で落下から上昇へ転じた事でオレの身体は悲鳴をあげる。
オレの口から飛び出した液体が陽光に照らされてきらきらと宙を舞った。
「何とか間に合いました。お怪我はありませんか、我が姫」
聞き覚えのある声だった。
ひっくり返されお姫様抱っことなったオレの視界に、久しぶりに見る顔が映る。
茶色の髪に灰色の瞳をした青年だ。
彼の名前はトルク。
瞳に妖しい光を灯した彼は、人族が魔族と呼んでいる人種である。
トルクは、にっこりと微笑んだ。
そういえばこの男、オレに傾倒しているロリコンだった。
だが紳士でもある。
だから身の危険はないだろう。
うん、ないといいな。
もう限界だった。
オレは意識を手放したのであった。
やっとアレラちゃんらしい回です!
読者にはバレバレでもアレラちゃんには他者の心情がちんぷんかんぷんです。