9.詰め込み勉強
「行くとなると、冬の半ばじゃろう」
「そうなのですか?新年祭が終わってからかと」
ヘレン院長とメレイさんの会話はまだ続いている。
オレはこの場から逃げ出したい気持ちで一杯だがヘレアが離してくれない。
「そこまでは待てんよ、この領地は。支援系魔法の使い手はいくらでも必要じゃ」
「あっ…」
必要である内容に気づいて、メレイさんの顔色がまた悪くなった。
忘れてはいけない。この領地はアリレハ村を含む破棄された元領地が、つまり魔物が蔓延る一帯が真横にあるのだ。
「まあ、あとひと月は猶予があるじゃろう。シスターが何たるかは私が教えるからの」
ヘレン院長は「アレラが生き残るために」と呟き、それを聞いたメレイさんが諦めたようにため息を吐いた。
「はぁ…ひと月で詰め込むのね…。私が知る限りの魔法を教えるから、アレラがんばりなさい」
どうやら猛勉強が始まるようだ。オレはヘレアに拘束されたまま「はい」と答えるしかなかった。
「何、覚えれなくても問題ない。誰も聞いては来ぬよ」
ヘレン院長のその言葉から、取りあえず試験は無さそうなので一安心だ。
ほっと息をついたのも束の間。
「何せ、教会内では常識じゃからの」
にやりと笑うヘレン院長を前にして一安心とか言っていられなかった。
猛勉強しないといけないようだ。
「私は、もっとアレラちゃんを愛でるね」
だからヘレアサンはどうしてそうなるんですか。そろそろ愛が重い。
…数日後には教会から正式にオレ自身へ話が来た。
決定事項だと話す司祭にメレイさんが猛抗議をしていた。
そして授業は開始されてしまった。
髪や瞳の色、そして魔法の開花からそうだとは思っていたが、オレことアレラの身体はチートキャラに違いない。
潜在能力はあるのだ、チートに目覚めるんだ、誰かそう言ってくれ!
願いも空しくオレは今、孤児院から少し進んだところにある町の広場でへたばっていた。
ヘレアに連れられてお使いに出かけたのだが、まだ目的地にすら着いていなかった。
体力的にも増幅魔法を持続する魔力的にも保たないというのに何故お使いに出ているのかというと。
オレことアレラが、お金の使い方をあまり分かっていなかったからだ。
思い起こせばアリレハ村は都会から離れた自給自足の村だったため、子供のお使いは基本お隣さんとの物々交換だけだった。
そのことが露見したため、勉強の一環としてお使いに連れ出されたのだ。いや、拉致されたのだ。
「アレラちゃん大丈夫?もう少し休んで行こう、ね?」
そんなわけで、この広場にあるベンチでヘレアに膝枕されていた。
可愛い女の子の膝枕とか役得すぎるわけだが、こちらを覗き込んでくるヘレアの瞳は何故か艶めかしい。何故か息も荒い。
可愛い女の子が興奮してくるとか嬉しいシーンのはずが、どうにも大切な何かを散らされてしまいそうで、怖い。
「は、早くお使い済まさなきゃ!」
オレは起きようとしたがヘレアに額を押さえつけられた。
やめてくださいヘレアサン、衆目に晒されています!
ほら、あそこの人もそちらの人もこちらの人も…皆んな微笑ましい目で見て…ってまじか…誰かタスケテ。
教会のアイドルことヘレアの、その妹分としてオレは町の人達には知れ渡っているらしい。
何しろヘレアは、マレルちゃん含め年下に対して名前を呼び捨てにするにも関わらず、オレに対してだけはちゃん付けで呼んでくる。
その話を知った時、マレルちゃんからは哀れみの視線で「アレラおねーちゃんすごいね」と言われた。
オルカには「さすがドM姫」と言われた。
もしかしてヘレアサン嫌われてませんか?
まあ、マレルちゃんは何かあるとヘレアに抱きつくし。
からかう少年は…ヘレアから逃げてるな。うん、大丈夫。
とにかく。
オレがヘレアからどれだけ可愛がられても、仲睦まじい姉妹風に見えてしまうようだった。つまり助けはこない。
…夕日がまぶしい。
アレラ成分をたっぷり補充した満足顔のヘレアと共に帰ってきたのは既に日暮れ時だった。幸い大切な何かは無事だった。
しかし日中に出来なかった知識の詰め込みがヘレン院長から行われ、オレの頭はオーバーヒート寸前となってしまった。
いや、実際にオーバーヒートしたらしい。
気づいたら数日寝込んでいた。
不幸中の幸いで寝込んでいる間に頭の中で勉強内容の整理が行われたようだ。
神話の基礎を理解したオレが聖典を覚えるのは早かった。
精神的に余裕が出来たオレは、そんな勉強の合間に空太の学校生活を思い出していた。
小学の友人や中学の友人を思い浮かべながら、色々馬鹿なことやっていたんだなあ、と懐かしくなる。
中学の剣道部でしごきが辛かったことも思い出す。確実に強くなってはいたはずだが、あがり症から剣道の成績は振るわなかった。
高校生活は始まったばかりだったので同じ中学の奴以外の友人はまだいなかった。
今までは友人や幼なじみという単語を思い浮かべると、強く意識しないと空太とアレラの記憶が混ざってしまっていた。
しかし最近は強く意識しなくても、空太とアレラの記憶から必要な記憶だけを引き出せるようになってきた。
どうにも今までの記憶は全部思い出になってしまったのではと考えてしまい、そうならば寂しい気もしてしまう。
尚、空太の記憶にあるはずの女の子は全部ヘレアに塗り替えられていて顔がうまく思い出せないので、ヘレアサンまじ怖い。
…意外と知識の吸収は早く、勉強の時間を魔法の訓練に割くようになってきた。
これは空太とアレラの二人分の力に違いない。一人一人は決して賢くなかったが、二人なら天才だったのだ。今のオレはスーパーアレラなのだ!
だから、腕に金槌を叩き付けても痛くない…痛くない…痛い…。
メレイさんの魔法講座は、あまりにもドM街道まっしぐらであった。
まずは回復魔法の強化ということで自傷の度合いが日ごとに酷くなっていった。
さらには救治魔法を練習するために敢えて毒物を、お腹を壊す程度に抑えつつも食事に混ぜさせられた。
救治魔法も一応呪文を覚えさせられたが、発動のキーワードだけの方がオレの成功率は高かった。
発動のキーワードは言わずと知れた、キュア、である。
非情にも症状毎にイメージが異なることから、救治魔法の練習は複数種類の実践を行わされた。
つまり摂取する毒物は複数種類あることになる。
オレが目を白黒させながらキュアと唱えているのを見て、どん引きする少年がいた。
そんなオレを優しく介抱する役はヘレアである。
今日も救治魔法が失敗して具合の悪いオレを抱きかかえていた。いい笑顔で。
しかしオレは知っている。
町の薬師からこれらの毒物を買ってくるのもヘレアなのを…。なにせ二人で行く時のお使い先だから…。
あれ?オレも買いに行っている?おかしいなドMじゃないのに…。
…そして増幅魔法の練習も始まった。
発動のキーワードは、ブースト、である。
魔法は呪文どころか発動のキーワードすら本来要らないとのことだが、発動のキーワードを使う方が成功しやすいらしい。
「私は結局習得出来なかったけど、最初から使えていたアレラは流石ね」
メレイさんが感心したように言う。
増幅魔法自体を使える者は多いそうだが、他者に掛けるとなると難易度が跳ね上がり、それが出来る者は少ないらしい。
メレイさんは自身に掛けるのも習得出来なかったそうだが、他者に掛けるための教育方法だけは知っていたのだった。
他者に掛けるとなると練習相手が必要だ。
メレイさんは仕事があるため他の誰かを練習相手に選ぶ必要があった。
「うおおおおお!はえええええ!風みてえええええ、あっ…ぐはあああああ!」
そんなわけでオレは増幅魔法をオルカに掛けていた。
俊足の少年は嬉しそうに走り回り、そして盛大に転んだ。
盛大に擦り剥いた健気な少年にオレは近づき、ついでに回復魔法の練習台にした。この瞬間、オレはドS姫の称号を得た。
目覚めてしまった少年からオレはSM姫の称号を授けられかけたが、マレルちゃんが泣いて止めてきたので事なきを得た。
…支援系魔法はあと、保護魔法、防御魔法、反射魔法があるらしい。
それぞれ発動のキーワードは、プロテクト、シールド、リフレクト、である。
呪文も教えて貰ったが、メレイさんも使えないだけあってオレはこの三種を習得することが出来なかった。
それもそうだ。この世界の魔法は所有する魔力量だけ多くても簡単に習得出来るものでは無いからだ。
身体がある程度覚えるまでは、誰かに先生役として実演してもらうことで魔法毎の魔力が流れるパターンを肌で感じる必要がある。
この際に適性が低い魔法は上手く魔力を感じられず、習得率が著しく下がる。
さらに適性を調べる方法は無いため、先生役が手当たり次第に発動を教える必要があるのだ。
結果として都市から離れた人口の少ない地方は魔法を教える先生役が少なくなり、魔法を使える者が少なくなってしまう。
一般的に聖霊様の加護を持つ者は魔力量が多いとされるが、先生役が居なければ魔法を習得出来ない点は普通の者と同じである。
アリレハ村の場合は風魔法の使い手しか居なかった。
そのためアレラは今まで魔法を使えなかったのである。
唯一増幅魔法のみ使えていた可能性はあったが、自覚出来ていなかったのでアリレハ村時代で使えていたかはもう分からなかった。
そんなこんなで、メレイさんが教えられる魔法は無くなり、魔法については自主練習となった。
…ヘレン院長の残る授業も終わりが見えてきた頃。
今日もオレはオルカで増幅魔法の練習をしていた。
大分他者に掛ける場合の制御の調整が出来る様になって、少年の足がもつれない出力を見極めて掛けられるようになってきた。
「なあ、ドS姫。ここで急に魔法が切れるんだけど」
オルカが少し離れた位置で振り向いてオレに話しかけてきた。
あそこが恐らくオレの魔法効果範囲の限界なのだろう。目測で三十メートルくらいか?
魔法には効果の及ぶ範囲があり、どんな魔法でもこの範囲を超えると消失してしまい、それ以上は届かない。
これを魔法効果範囲と言い、魔法により遠距離攻撃をする場合には魔法射程距離とも呼ばれている。
魔法効果範囲には個人差があるものの、一般的に範囲の限界は曖昧で魔法の威力が徐々に減衰する場合が多いとされている。
オレの魔法はどうも魔法効果範囲の端まであまり減衰しないらしい。
これはチートなのか?チートだな?多分チートだろう。
気を取り直して。増幅魔法も例に漏れず魔法効果範囲内しか掛からない。
メレイさんが一般的な魔法効果範囲の限界を知らなかった為、教われなかったオレも自分の魔法効果範囲が広いか狭いかは分からなかった。
「ワタシの魔法効果範囲の限界みたいだから、そこまでしか届かないみたい」
オレはオルカに返事をした。少年は「こんなものか」と呟いた。
コイツめ、いつか見返してやる。
そういえば、増幅魔法は発動の維持を止めない限り一定時間内で対象者が魔法効果範囲内に戻ってくれば再び掛かった状態になるのだった。
オレは増幅魔法の出力をちょっとだけ増やしてやったので、魔法効果範囲内に戻ってきた生意気な少年は見事に転んだのだった。
説明回です。この世界は基本無詠唱と周知されていました。
なんと呪文と発動のキーワードはイメージを助けるモノでしかありません。
そして魔法効果範囲という概念が出てきました。
縛りプレイですね、違いますか。
2019年10月22日、追記
改行位置を変更致しました。誤字訂正以外に本文の変更はございません。