86.アラルア聖都到着
「港だ!」
「アレラよ、はしゃぎすぎじゃ」
どうやらオレはムリホ王女にたしなめられる程に、はしゃぎ過ぎていたらしい。
少しは落ち着くとするか。
とはいえオレ自身、仕方がないと思っている。
何しろメリロハ川を抜け出てからは何日も代わり映えのない外洋を眺め続けてきたのだ。
しかも洋上で期待していた大型海洋生物とのちょっぴりハプニングもある戦闘みたいなファンタジー要素がなくて暇を持て余していたのだ。
しかもしかも昨日の夕方にようやく目的の港に近づいたというのに、日没だからと接岸せずに海上で停泊したのだ。
一応、航海中に岬とかの陸地を見たことはある。
しかし外交はしないという方針により一度も港に立ち寄ることはなかったのだ。
だから実に三週間ぶりにオレは大地を踏みしめることになるのだ!
ちなみに港を含むこの辺り一帯はコリス司祭の実家が治めている領地である。
そこでオレは接岸までの時間を利用して目に映るあれやこれやを片っ端からコリス司祭に聞いている。
今は船員が接岸作業をしていて、船首にも船尾にも近づけない。
だからオレはコリス司祭を半ば引きずって右舷と左舷を行ったり来たりしているのである。
「その、なっ? コリスを振り回すでない」
「あっ」
オレはムリホ王女の言葉でコリス司祭が真っ青な顔でふらついていることに気付いた。
船酔いでふらふらなコリス司祭を振り回して症状を悪化させていることにようやく気付いたのである。
「コリス様、ごめんなさい。気分が悪いのでしたら救治魔法を掛けます」
「いいえ、アレラさん。ご心配、には、およびません、ので」
今もそうだが、コリス司祭は航海の間ずっとオレの救治魔法を断り続けていた。
そう、航海の間ずっと、である。
彼女は海の女だというのに船酔いが酷い体質だった。おまけにかなづちである。
何というか生まれる土地を間違えている気がするくらい気の毒な話なのである。
とはいえコリス司祭自身も船酔いを治す救治魔法が使える。
実際かつてオレが落水してユニコーンに助けられた時、つまりメリロハ川の川下りをした際も密かに使っていたらしい。
あの緩やかな川下りで船酔い対策が必要だったというのも驚きではあるが、外洋航海中に船酔いを治す救治魔法を使わない方が驚きである。
理由を聞いてみたところ、これもまた修練です、とのことだった。
実際のところ症状が酷すぎてコリス司祭の魔力量では夕食前後にしか船酔いを抑えられなかったのであるが。
確かに魔法の修練にはなるだろうが、それにしてもドMではなかろうか。
え? もしかして支援系魔法使いは皆ドM? いやそんな馬鹿な。
「予定では公爵家の本邸で一泊したのちに王城へ向かいます」
「あれじゃ、コリスはもう少し実家で休めばよいじゃろ。それにわらわはアレラに観光させたいのじゃ」
接岸して揺れも落ち着き、顔色の良くなってきたコリス司祭がムリホ王女と今後の予定を話し始めた。
予定と言いつつ決定なのは気のせいである。
「まずは陛下へのご報告が先です。アレラさんは観光など何時でも出来るではありませんか」
「わらわは?」
「そんな時間はありません」
むくれるムリホ王女と対照的に、コリス司祭はいい笑顔である。
やはりコリス司祭はムリホ王女のストッパーとしてこうでなくては。
「あれ? あの馬車は……」
「わらわの馬車じゃの」
船から下りてようやくオレは迎えに来た馬車がムリホ王女の馬車そのものであることに気付いた。
そう、どう見てもケラク賢王国で使っていた馬車である。
見覚えのある御者がこの場にいるので見間違いではないのである。
「り……陸路の方が、船よりも早く着いたんですね……」
オレの口からは思ったことがそのまま漏れ出していた。
陸路が早いのなら何のために船に乗ったんだっけ。
ああ、早さのためではなかった。外交回避と遺体搬送のためだった。
先程まで乗っていた船は、王族専用船なだけに王族や貴族の長期航海用にと食品の冷凍と冷蔵をするための水魔法使いが数名常勤しているのだ。
冷凍室と霊安室? 勿論分かれていた……よね?
この場には他にも何台か馬車が来ていた。
きっとあの内の一台はムリホ王女の兄上である何とか伯爵の遺体を搬送するのだろう。彼の名前は……ごめんなさい忘れました。
そういえば。
「船酔いしてまで外交を避けたかったのですか?」
「当然です」
疑問を垂れ流すオレにコリス司祭が即答した。
何かとやらかすムリホ王女を支えるコリス司祭にとっては、自らの船酔いを厭うことなどあり得ないらしい。
そこまでの決意をコリス司祭にさせるムリホ王女、流石である。
「おや、シラセ卿ではないか」
「お久しぶりにございます、ムリホ殿下」
「コラム卿はまあ、当然じゃが……何故おぬしがここにおる」
「アレラ嬢をお迎えに参りました」
オレ達から一歩前に出たムリホ王女が出迎えた白髪の老紳士に声を掛けた。
話し始めたのは良いのだが、オレの名前が出てきたので驚いてしまった。
オレが目を丸くして硬直していると、出迎えに来ていた人達から金色の髪をした若い男性が出てきて立ちはだかった。
「お初にお目に掛かります、アレラ嬢。アラルア神聖王国=イラルオ公爵領=次期領主・コラムと申します」
そう挨拶をしながら青色の瞳が優しげに細められる。
顔立ちからコリス司祭のお兄様と思われるその人は、未来の公爵様だった。
同時にムリホ王女と会話していた老紳士がオレに向き直った。
金色の瞳を細める彼の顔付きから、オレは明らかに値踏みされていると感じた。
「お初にお目に掛かります。聖王教会=司教枢機卿・シラセと申します」
というか何でこの二人、オレの名前知ってるの!?
落ち着け。疑問より先に挨拶である。
「あ、はい……えっと。ケラク賢王国……アリレハ村=シスター・アレラ……と申します」
男爵と名乗るのも気が引けてオレはいつも通りシスターを名乗ることにした。
というよりも男爵での名乗りを全く考えていなかったのである。
そうだ。聖王教会の服装ではないので気付かなかった。
この老紳士、司教枢機卿である!
そう名乗れるのは数人しかいない。
教皇に次ぐ聖王教会のトップツーである!
余所のお偉いさんではないのだ。
シスターであるオレにとっては直属のお偉いさんである。
どうしよう、今後も付き合いがあるに違いないのに早速目を付けられている。
久々の人見知り発動でオレはオーバーヒートしそうである。
「これから昼食ですか」
「そうしようと思っておったがの――」
気付いたら馬車の中だった。
昼食の記憶がおぼろげなのはショックである。
新鮮なお野菜たっぷりの海鮮料理だったよね?
馬車の中はムリホ王女と司教枢機卿、銀色の護衛騎士にオレの四人だけである。
随伴する馬車もなく、数人の騎馬が護衛しているだけであった。
「あれ? コリス様は?」
コリス司祭が見当たらず、オレは思わず呟いてしまった。
呟いたことでオレに視線が集まった。
「おや、お目覚めなさいましたか」
「おお、起きたかアレラ」
「え、いえ、あ、え?」
司教枢機卿とムリホ王女に話しかけられ、オレは挙動不審に返事をした。
というか、マズい。
意識が飛んでいただけに、司教枢機卿の名前を覚えていなかったのだ。
だが挙動不審になったオレの返事を二人は良い方向に解釈してくれたらしい。
ムリホ王女が嬉々としてオレに状況の説明をしてくれた。
まず、コリス司祭は船旅の休養も兼ねて実家への短い帰省だそうだ。
お疲れ様です、コリス司祭。ゆっくりと休んでください。
ああでも、ムリホ王女が野放しとか危険すぎる。オレの責任重大である。
司教枢機卿が来たのは自称暇だから、であった。
だがムリホ王女が突っ込みを入れたことで明かされた本当の理由は、次代の聖女にオレの出迎えを頼まれたから、であった。
次代の聖女はセリカ様という名前らしいが、正直誰?
教会のトップツーを出迎えに寄越してくるとか怖いんですけど。
次代の聖女が聖女候補ならば自身の階位――例えば司祭やシスター――でお願いするかたちなので司教枢機卿が動くのは驚くべき話である。
一方で次代の聖女が既に聖女として扱われているのならおかしな話ではない。
聖女に認定されると聖王教会という宗教団体から分離するのである。
これは聖王教会から分離して“聖女という宗教団体”の教祖になるという例えで間違いないらしい。
つまり他の宗教団体のトップが依頼を掛けることと等しいのである。
でも聖女の住処が聖王教会の本部内にあるあたり建前でしかないよね……。
結局なんのこっちゃと言いたいが、オレの解釈は一つしかない。
“聖王教会という事務所”が“聖女というアイドル”をプロデュースするのである。
一気に俗世じみて笑える例えな気がしたが間違いじゃないよね、うん。
どちらにせよ、聖王教会のトップツーをメッセンジャーに出来てしまうセリカ様は、オレを夕食にご招待したいとのことである。
オレ何やらかしたの? 魔王だと思われてる?
いや魔王を聖王教会の本部に招待とかダメだろ!
あ、でもオレは聖王教会のシスターで司祭候補だから良いのか……良いのか?
そうじゃない。
オレは魔王ではないので問題はないのである。ないのである。
オレの思考が迷子なうちにアラルア聖都の街区に入ったらしい。
馬車の周囲が喧噪に包まれたのでオレは窓の外を見た。
「アレラよ、あの聖女饅頭は美味いんじゃ!」
などとムリホ王女が指差して言ってますけど、存命の人を饅頭にしちゃうの?
あと、他にも色々と指差してあれこれ言ってますけど明らかに市井の露店を食べ歩いていますよね。姫さまどれだけうろついているんですか。
とにかくムリホ王女ははしゃぎ過ぎである。
「明日のご予定がないのでしたら、ご案内致しますよ。ああ、あそこの店舗は最近出来ましてね――」
シラセ枢機卿もムリホ王女にノリノリでお店を紹介している。
この人も今の格好とかを見るにどうやらお忍びでうろつく常習犯らしい。
あ、名前はムリホ王女が何度か呼んでいたので覚えました。
オレ達を乗せた馬車は大通りを抜け大きな長い橋を渡った。
聖王教会の本部は湖の中心にある小島に建っているのだ。
小島といってもかなり大きい。
聖王教会の本部に所属する者が全員生活出来るだけの小さな街がすっぽり収まっているのである。
馬車はそのまま聖王教会の本部に入り正面玄関で止まった。
シラセ枢機卿にエスコートされてオレは馬車から降りた。
オレの後ろから普通にムリホ王女が降りてきた。
こんな場面でも大人しくエスコートを待たないムリホ王女、流石である。
誰にも止められることもなくシラセ枢機卿は廊下を先導してくれた。
廊下を行き交う司祭達とも彼は気さくに挨拶を交わしていた。
どうやら彼の格好は公認も同然らしい。全く忍んでいなかったのだ。
「まるで、王城ですね」
「ええ、アレラ嬢。ここは旧時代の王城を利用しております」
「アレラよ……知らんかったのか」
周りを見回すオレの垂れ流した疑問にシラセ枢機卿が答えてくれた。
そしてムリホ王女は直球な突っ込みである。無知なオレに突き刺さる……。
しかしシラセ枢機卿は終始オレに敬語を使っている。実に不気味である。
まさかこの人はオレのことを魔王と思って……いやもう考えないぞ。
そのまま廊下を進んでいると、オレ達を追いかけてくる者がいる。
振り向くと若そうな男性だった。
まるで相撲取りの親方のような引き締まった巨躯に青色の短髪と青色の瞳をした青年である。
そして彼を見た瞬間、ムリホ王女がもの凄く嫌そうな顔をした。
「げっ」
「げっ、ではありません。ご無沙汰しております、ムリホ姫」
挨拶するや否や、彼は手を伸ばし一歩後ずさったムリホ王女の腕を掴んだ。
姫と呼んだし堂々と人前で手を取るとか二人は随分親しい間柄なようである。
いや、これはどう見ても捕獲である。
「シラセ卿、先日はどうも」
「ああ。相変わらず仲が良いな」
「特に他意はございません。こうでもしませんと姫はお逃げになられますので」
「……そうだな」
青年はどうやらシラセ枢機卿とも親しい間柄なようだ。
そしてやはり捕獲で間違いなかった。
二人が話している間も、離せー、と言いながら腕を振るムリホ王女であるが、傍目には嫌がっているというよりも駄々をこねる子供そのものでしかなかった。
「それで、そちらの可愛らしい御方が?」
「ああ」
青年がシラセ枢機卿に尋ねた可愛らしい御方って誰だろう? あ、オレか。
そうか、可愛いのか。女の子として嬉しい限りである。
「お初にお目に掛かります。アラルア神聖王国=イリレオ伯爵領=領主・ドライと申します」
「何しに来たのじゃ。コリスはおらぬぞ」
「そうですか……。いえ、そうではなく。姫をお迎えに参りました」
オレが挨拶を返す間もなくムリホ王女が茶々を入れる。
一瞬ドライ伯爵の顔が曇るも、此処にいる理由を話してくれた。
「いやじゃ! わらわは聖都を観光するのじゃ!」
「まずは陛下へのご報告が先です」
「むう……仕方ない。アレラよ、王城で待っておるぞ。シラセ卿、また会おうぞ」
「それでは失礼致します」
そのままドライ伯爵はムリホ王女を連れ去っていった。
オレ、挨拶してない……。
「コリス嬢の許嫁ですよ」
「えっ!?」
状況を説明して欲しいと思っていると、オレの横に立ったシラセ枢機卿が話しかけてきた。
え? あの人が、豚!? コリス司祭がそう呼んで毛嫌いする豚なの!?
落ち着こう、全然そんな人には見えなかった。何なら普通の筋肉である。
思わずシラセ枢機卿を見上げると、彼は何処となく遠い目をして語り始めた。
「可哀相な子でしてね。幼い頃からコリス嬢に付き添ってよくここに来ていたのです。ですが彼は支援系魔法に適性がなくて暇そうにしていましてね、よく街に連れ出したものです。よく食べる子でしてね、今では料理が趣味だそうですよ」
「かわいそう、って?」
少し気になる情報も出たが、オレの口は既に疑問を垂れ流していた。
「許嫁として顔合わせをした際コリス嬢に一目惚れをしたのだ、と聞きましたが何分コリス嬢が優秀でしてね。幼い頃から比較され続けて一時期は心が折れて一目で分かるくらい食に走っていたのですよ。持ち直した今でも彼女には下手に出てしまうそうで、その所為で彼女から嫌われているので相談に乗って欲しい、とのことで今でも時々話を聞いているのですよ」
取りあえず今の話で分かったことがある。
シラセ枢機卿が幼い頃のドライ伯爵に餌を与えて太らせたのがコリス司祭から豚と言われる原因の一つだろう。確かにかわいそうである。
それでもドライ伯爵はコリス司祭の側に居たかったのだろう。
ならばムリホ王女との付き合いも長いはずである。親しい理由がよく分かった。
取りあえずムリホ王女のストッパーがこの国にはもう一人居たのである。
オレの負担が減るので少し安心した。
「此処からは男子禁制なのですよ。案内は呼んでおりますので私はこれにて失礼致します」
オレが考え事をしている間にシラセ枢機卿の目的地に着いたらしい。
オレの返事を待たずに彼は立ち去っていってしまった。
廊下の端にある扉の前で彼を呆然と見送るオレに、真横から声が掛かった。
「そんなに心配されなくても大丈夫ですよ、直ぐに案内の者が来ますので」
振り向くと屈んでいる女性と目が合った。
彼女はシスター服と似たデザインの動きやすそうなチュニックに胸当てを付け、そして帯剣していた。
どうやら聖王教会直属の警備兵らしい。
二人一組らしく同じ格好の女性がもう一人、扉の横に控えていた。
ここでオレはようやく気付いた。気付いてしまった。
アウェイでひとりぼっちであることに。
遅ればせながらあけましておめでとうございます。
セリカの登場まで書く予定が全く文章が短くなりませんでした。
本年も拙作をどうぞよろしくお願い致します。




