83.左手と叙勲
「陛下!」
流石宰相、忠臣である。
硬直が解けたと同時に彼は自らの身も顧みずケラハ王に駆け寄った。
そう、ケラハ王を悶絶させた魔王がすぐ側にいるにも関わらず、である。
あ、はい。その魔王、オレのことです。
怪我人に駆け寄らないのはシスターの名折れなので。
あれ? 魔王って誰ですか? ワタシはか弱いシスターですよ?
とまあ、震える宰相は放っておいてオレはケラハ王に回復魔法を掛けた。
オレの場合回復魔法と復元魔法にほとんど違いはないのだが、その時の気分で掛ける魔法の呼び名を変えているので違うということで良いと思う、うん。
「う、ううむ。むむ!? アレラ嬢、何故ここに!」
「あ、えーと、その」
「脱獄したのじゃ!」
気が付いたケラハ王の質問にオレは言葉を濁したが、流石ムリホ王女は正直者であった。
「アレラがの!」
全く正直者ではなかった。この裏切り者!
まあ、出てきてしまったのはオレも同じである。というより魔法具も牢屋の扉も壊したのはオレなのだから、実際オレが脱獄したことで間違いは……ない。
「どうせお前が唆したのだろう……まあ、よい。皆の同意は得たのでな」
「全く良くありませぬ! このような危険な者、今すぐにでも拘束すべきです!」
折角出られたしケラハ王のお墨付きをもらったと思ったところで、宰相が猛反対し始めた。
「しかしだな、宰相。ケリカを救った命の恩人をこれ以上不当に拘束する訳には行かぬだろう。そもそもここを出られるのなら、拘束出来る場所はなかろう」
「ですが、改めて私は反対を申し上げます。それに、捕らえておくことが出来ないのならいっそ一思いに処――」
「モラド卿!」
何か言いかけた宰相をケラハ王が止めた。処刑と聞こえたのは気のせいだろう。
それと宰相はモラド卿という名前らしい。しかしオレのおつむなら明日には間違いなく名前を忘れている。だから覚える必要はない、うん。
取りあえずお腹が空いているオレは早く何か食べたかったのだが、前で立ち塞がるように彼らが会話をしているので抜け出せそうにはなかった。
「宰相よ。アレラはわらわの側近じゃぞ。そのような態度をとり続けるとわらわはアラルア神聖王国の王女として動かねばならぬぞ?」
「しかし、お言葉ですが魔王を側近とは極めて危険でございます。他国の事に口出しすべきではありませんが、ムリホ王女もご一考されては如何でしょう」
「おぬしは気付いておらぬのか? アレラが本気を出せばここら一帯灰燼に帰すことさえ出来るのじゃぞ? それをしないというだけで無害と思わぬのか」
ムリホ王女と宰相が掛け合っているのだが、オレはそんな危険人物ではないと思う。酷い評価である。
あ、でもムリホ王女は嗤っているから冗談か。いやでも宰相には通じていないみたいだし。
ともかくオレは王都を灰燼に帰すつもりなどないし、そもそもそのような手段をもっていない。
だが宰相はムリホ王女の言葉を鵜呑みにしたのか黙り込んでしまった。
いやオレそんな危険人物じゃないってば。あと魔王じゃないから。
誰か何とかして欲しいというオレの願いが叶ったのか、新手が現れた。
「魔王アレラさま!!」
あっ、一番来てはいけない人が来た……。
オレを魔王アレラさまと呼んで駆け込んできたのはケリカ王女だった。
というよりもオレのことをそう呼ぶのは彼女しかいない。
ともかく、自国を滅ぼすことになろうともオレを守る、と宣言したケリカ王女の鶴の一声により宰相は口を噤んだ。オレは助かったが発言内容は実にアブナイ。
話は終わり、オレは無事食事に……ありつけていない。
オレの腕をがっちりと取ったまま、御礼から始まり次々と賛辞を述べ始めたケリカ王女は妄想の世界に旅立っていたのだ。
オレも御礼は素直に受け取ったのだが、流石にその後は聞き流すしかなかった。
元々アブナイ子だったのに拍車が掛かってしまっていた。どうしてこうなった。
結局収拾がつかないままのこの場を何とかして欲しいと思ったオレの前に神の救いもといコリス司祭が王城のメイド達と共に現れた。
「コリス様、助けてください」
「ああ、聖女アレラ様。ようやく牢から出していただけたのですね」
直球で助けを求めるオレに対してコリス司祭の返事は暴走していた。
救いはなかった。もうダメ、何とかして。
「おぬしら、取りあえずわらわは腹が減ったのじゃ。何かないかの?」
「あ! 申し訳ありませんムリホお姉様。私としたことがすっかり忘れておりました。すぐに用意させます」
ムリホ王女の要望でようやくケリカ王女が妄想の世界から帰ってきた。
ついでに解放されたオレは誰よりも早くこの場を離れた。
どうやら牢屋のある建屋は城とは独立しているらしい。
戸口を飛び出すと城の中庭のようなところに出た。
外である。自由である。
「アレラ嬢、後ほど正式に御礼を伝える。それまでは寛いでいて欲しい」
ケラハ王がそう言って宰相を連れて去っていく。
オレが目を向けると宰相がヒッとか小さい悲鳴をあげていた。解せぬ。
護衛の騎士にメイドと、あの場にいた人達が続々と出てきた。
背伸びをしてオレは久々に感じる外の空気を味わう。娑婆の空気はうまい。
走って行ったメイドは何時厨房に辿り着くのだろうか。
「やっと自由じゃ」
「あら? ケリカ王女はどちらに?」
オレの横に並んだムリホ王女も深呼吸をしている。
一方でコリス司祭は周りを見回していた。
確かに見当たらない。
そう思ったところでケリカ王女が何かを大事そうに抱えながら出てきた。
「ケリカよ。それは何じゃ?」
「あ、いえ、ムリホお姉様。何でもありません」
そう言ってケリカ王女は手に持っていたモノを後ろに隠したが、何となく不吉な予感がした。というかケリカ王女の胸元が真っ赤だ。
「おぬしは……よいから出さぬか」
「はい……」
観念したケリカ王女が差し出してきたのは、オレの左手だったモノである。
「捨てましょう」
「そんなご無体な!」
オレの無慈悲な一言にケリカ王女の泣きが入った。
「まあ、よいではないか」
「よくありません!」
「家宝に致します! ですからどうか捨てろなどとおっしゃらないでください」
「ここはひとつわたくしが」
嗤うムリホ王女にオレの拒否、ケリカ王女の懇願にコリス司祭まで参戦してオレの左手だったモノを巡る攻防が繰り広げられた。
オレとコリス司祭でケリカ王女からオレの左手だったモノを奪おうとするが、何一つ連携出来ていないのでケリカ王女の周りをくるくると回るだけになっている。
ムリホ王女は参戦する気がないのか大笑いしているし、もう滅茶苦茶だ。
しばらくしてムリホ王女は収拾がつかないと思い始めたようで、近くに控えたままのメイドへ何やら指示を与え始めた。
オレがケリカ王女の目を引き付けていると、音もなく近寄ってきたメイドが彼女の隙を突いてオレの左手だったモノをひょいっと取り上げた。
飛び付こうとする彼女をメイドがひらりひらりとかわす。
飛び跳ねる十一歳の王女が微笑ましいとはいえ、モノが物騒なので早く諦めて欲しい。
「よいぞ! 投げよ!」
ムリホ王女の掛け声を受け、メイドは慌ててオレの左手だったモノを空へ放り投げた。
次の瞬間、青白い高温の玉が突き抜けていった。
オレの左手だったモノはジュッと音を立てて消滅した。
満足げに頷くムリホ王女と対照的にケリカ王女は呆然と宙を見つめていた。
オレはため息を一つ吐いて周りを見回し、目を剥いた。
全員あちこちが血で汚れている。
オレの左手だったモノは血抜きをしたわけではないので当然の結果であった。
オレは全員にそっと救治魔法の応用“綺麗になあれ”を掛ける。
地面に落ちた血も“綺麗になあれ”でそのまま一箇所に集めておいた。集めた場所は血が染み込んで赤く染まったが見なかったことにする。
「か……」
ケリカ王女が口を開いた。
「家宝に……ドレスを家宝にしようと思っておりましたのに……」
そのまま彼女は崩れ落ちた。
いや、血塗れのドレスを家宝にされても困るのですけど。
数日が過ぎ、騒がしかったオレの周囲もようやく落ち着いた。
ムリホ王女専属の魔法メイド達も王都に帰還し、ケリカ王女誘拐事件も後処理に入り始めたらしい。
つまりオレに構っていられなくなったから、オレの周囲が静かになったわけである。
オレが後処理に参加しないのは軟禁されているからというか、危険だから出ないで欲しい、と宰相に懇願されたからである。
オレの身が危険なのではなくオレが危険という意味なのは分かっていたが、寛大なオレは敢えて指摘せず大人しく室内に留まっているのだ。
ともかく、オレの居る客間が誰も来ないとこんなにも静かだとは思わなかった。
壁際に立つメイドはオレと目を合わそうともしないし、微妙に人見知りを発動したオレも話しかけようとは思わない。
結果、今日のオレは朝の挨拶しか喋っていなかったのである。
ちなみにオレの服装は相変わらずシスター服である。
誰もオレに着せ替えを勧めなかったしオレも“綺麗になあれ”で洗濯要らずなところをメイドに見せているので特に文句を言われることはなかったのだ。
オレを崇拝するケリカ王女でさえ勧めてこなかったあたり、どうやらオレの格好はシスター服のイメージで固定されているらしかった。
とはいえドレスというかコルセットで窮屈な思いをせずにいられるので、オレとしても一安心である。
さらに数日が過ぎた。
今日もオレは魔法の自主練をしている。
使わなければいざという時に鈍ってしまいかねない。
そう、魔法の腕は筋肉と同じく使わなければ落ちてしまうのだ!
ということで筋力トレーニングと称して暇に飽かしてオレは室内を延々と歩き回ったりもしている。
だがシスターたるオレの本懐は支援系の魔法にあるので魔法の訓練には特に時間を割いていた。
今日も借りた金槌を振るい脚を叩いていると、扉をノックする音が聞こえた。
「お待たせ致しましたアレラ様。こちらにお越し下さい」
「あ、はい。ちょっと待ってください」
オレは急いで復元魔法を身体に掛けて起き上がる。
どうやら今回の軟禁生活もようやく終わりを告げたようだ。
ということはこの後に何が待ち構えているかオレには容易に想像が付いた。
「ここでドレスにお召し替えをさせて頂きます」
「はい……」
衣装部屋に連れてこられ覚悟はしていたが、コルセットを見たオレの顔は間違いなく引きつっているに違いない。
覚悟はしていたけれどやっぱり言わせてください。あのコルセット、相当細くないですか?
「アラルア神聖王国=アラルア聖都=セラエ子爵の子・アレラ子爵令嬢のご入場です」
薄く開いた重厚な扉の向こうからオレの名前が聞こえてくる。
如何にも謁見の間に相応しい、高さが数メートルはある両開きの扉を二人の騎士が開いてくれた。
今オレが着ているのは紺色でプリンセスラインのワンピースである。
脛の中程な丈で裾からは勿論白いパニエのレースが見えている。
当然というかソックスも白で靴はローヒールなので歩きやすい。
ワンピースはノースリーブなので肩口から袖までは控えめな刺繍をあしらった白いブラウスが見えていた。
レースをふんだんに使った胸元まであるつけ襟を付けているのだが、丸い形状からまるで涎掛けと思ったのは秘密である。
オレの純然たる灰色の髪は例の如く三つ編みハーフアップにされていた。
ファッションテーマは可愛らしいシスターだそうだ。しかしオレには違和感しかなかった。
赤い絨毯が扉から真っ直ぐに玉座へと敷かれていた。
沢山の貴族達が並んでいるが、国中には連絡が行き届かなかったのかオレの見知った顔ぶれはムリホ王女とコリス司祭しかいなかった。
当然というべきかオレと同じくらいの年齢の者はいない。
つまりオレひとりだけまるで卒園式のような格好なのだ。
いや、考えちゃダメだ。そもそもオレは幼女じゃない!
年齢のアイデンティティが崩壊しかけたが、何とか立て直す。
ここからは台本もとい作法に則り行動しなければならない。
直前に軽くレクチャーを受けたが、果たして上手くこなせるかオレは不安でたまらなかった。
赤い絨毯を見つめながら歩き、玉座の手前で所定の位置に立ち止まる。
ゆっくりと跪いてオレはそのままケラハ王の言葉を待った。
「面をあげよ」
その言葉にオレは一呼吸待つ。
「構わぬ」
顔を上げたオレに、ケラハ王が目を細めた。
「アレラ嬢、我が娘の命を救ってくれたことに感謝する」
ケラハ王の感謝の言葉に周りの貴族がざわついた。
静粛に、とケラハ王の隣に控える宰相が貴族達に声を掛ける。
「我が国の王女を救ってくれたことに感謝の意を表し、アレラ嬢に一代男爵の位を与える」
ケラハ王の言葉を聞いたオレは顔を伏せる。
再びざわついた貴族達に、静粛に、と宰相が声を上げた。
「褒美を取らす」
オレの前に侍従が歩み寄ってきた。
彼が持つお盆の上に今回の褒美となる品が載っているのだ。
「受け取るがよい」
その言葉にオレは両手でお盆ごと受け取った。
そっとお盆を引き寄せたオレは褒美の品を見て顔が強張った。
レース編みの手袋だった。
手の甲の部分に造花が付き、小さな宝石が随所にちりばめられている。
問題は造花の中心に直径一センチメートルほどの聖玉が付いていることだ。
聖玉が付いているということは当然魔法具でもある。何これ。絶対お高い。
「立たれよ。身に着けて皆に見せるとよい」
ケラハ王の言葉にオレは立ち上がった。
ここで言葉通り身に着けるのが正解なのだろう。
しかし、オレは身に着けるのを辞退しなければならなかった。そうしないといけない理由があったのだ。
「えっと……申し訳ありません。身に着けるのはご勘弁願います」
仕方がないのでオレは声を上げる。
相変わらず語彙力がなく直球な発言をしたオレにあちこちから、無礼者、という声が上がった。
「何故だ」
一方でケラハ王は落ち着いてオレに発言を促した。
「……申し訳ありません。魔力補助の魔法具だと壊してしまいます」
そう、今のオレは魔力の塊である。
魔力の増幅をする聖玉にオレの魔力が流れ込んでしまえば、聖玉の方が耐えられないだろう。
ムリホ王女が魔力測定の魔法具を壊して回った逸話がオレの頭をよぎる。
今ここで付けてしまえば間違いなく聖玉がパンッと弾け飛ぶに違いない。
ざわついた貴族達の声音には恐怖の色が浮かんでいると分かった。
でも仕方がない。事実なのだから。
不穏な空気を押し流したのは、ケラハ王の笑い声だった。
「はっはっは。そうか。流石は魔……聖女よ」
いやケラハ王、今魔王って言いかけませんでしたか? あと聖女と公言するのはご勘弁願います。
静粛に、と何度も声を上げる宰相にオレは心の中でごめんなさいと呟き無事にこの場を切り抜けたのであった。
「アレラさん、叙勲おめでとうございます」
与えられた客間に戻ったオレに声を掛けてくれたのはコリス司祭である。
数日の間に正気に戻ってくれたらしい。コリス司祭はオレを様付けではなくいつも通りさん付けで呼んでくれていた。
いつも通りの司祭服をゆったりと身に着けた彼女を、未だにコルセットで苦しいオレは羨ましくて睨み付けそうになった。
「ありがとうございます。でも、叙勲とか……あとコレとか要りませんでした」
何とか御礼は言ってみるもののオレは素直に不満を垂れ流した。
本当に、魔力補助の魔法具とかもらっても使えないのだから困る。
それに元村娘に貴族のやり取りは胃が痛くなるだろう。
出来る事なら爵位も辞退したかったのだ。
「いいえ、もらっておくべきです。むしろここで叙勲を受けない方が後々問題となります」
そのままコリス司祭が理由を説明してくれた。
どうやら今回の叙勲はオレがこの国の王に従うことを、つまりこの国にとってオレは脅威にならないと貴族達に知らしめるという意味があるらしかった。
「しかし、付けられぬとは難儀なものよの」
深紅のドレスをまとったムリホ王女が手袋を見て嘆息している。
ちなみに手袋はオレの身の回りを担当しているメイドに持って貰っている。
「そういえば、おぬしに預けていた手枷があったの」
ムリホ王女が思い出さなくて良いことを思い出してしまった。
マズい。
ムリホ王女から預かっていた魔力補助の魔法具であるブレスレットは、竜王ゴロドとの修行の際に壊してしまっていたのだ。
「えっと……その……申し訳ありません!」
「やっぱりか」
オレの謝罪にムリホ王女が嗤った。
取りあえず忘れる前に返そうとオレは室内に持ち込んだ私物の背負い鞄からブレスレットを取り出した。
二つの聖玉が見事に割れているのを見て、ムリホ王女とコリス司祭は硬直した。
当然ブレスレットが目に入っているであろうメイドは流石接客のプロである。表情は変わっていない……いや、身を退いている。無理だったようだ。
「聖女というより、やはり魔王じゃの」
ムリホ王女の感想にオレは同意したくなった。
いや、魔王じゃないから!
左手が疼いた結果長文になってしまいました。
作者もアレラが叙勲するとは思いもしませんでした。
いつの間にか魔王と認知されているのも気のせいです。