82.牢屋へようこそ
夕闇の中、平原の彼方に突如立ち上がった光は天まで届いた。
ある者は世界を救う聖王の降臨を示す兆しであると聖王様に歓喜の祈りを捧げ、ある者は邪王の降臨の予兆であると聖王様に救済を願う祈りを捧げた――。
「――ということじゃ。いやあ、実に壮観じゃった」
オレが目覚めた後にムリホ王女から聞かされたその内容は、オレがケリカ王女に掛けた二度目の蘇生魔法を遠目に見た王都の人々の反応についてであった。
すでに昨日のこととなるが、馬を酷使した馬車の移動によりオレ達は予定よりも早く進みすぎた。
いくつかの村を通り過ぎて夕方には王都手前の村にまでたどり着けてしまったのである。
たしか、そこで一泊して今日に王都へ入ろうということになったはずだ。
オレは蘇生魔法を発動出来るほどの魔力を貯めるには一日掛かると思っていたのだが、不思議なことに半日で貯めることが出来た。
しかしよく考えれば、修行中は毎日竜王ゴロドの戦闘訓練にも魔力を割いていたのだ。別に不思議ではなかったのである。
ということは一日二回発動出来るのかというとそうでもない。
蘇生魔法は発動すると術者の魔力を完全に使い切る魔法なのである。
おまけにオレは毎回気を失うので使い勝手があまり変わるとは思えなかった。
折角発動出来るのだからと、オレはムリホ王女の勧めるままにケリカ王女へ二度目となる蘇生魔法を使用した。
その際ムリホ王女が詳しく見たいと言い出した上にコリス司祭まで賛同した為、ケリカ王女への蘇生魔法は村の広場で行われた。
ベッドが広場に用意されケリカ王女は晒し者となってしまったわけだが、本人には言えないよね、うん。
まあ、当然気を失ったオレは目覚めたらこの部屋にいたわけである。
最初に目に入った天蓋と思しき布は、よく見ると天井を一面覆っていた。
オレは鎖の音を鳴らしつつ起き上がり周りを見回し、壁に真新しい布が掛けられていて床のカーペットも真新しいことに気付いた。
オレの寝ている布団のシーツも真新しいのだが、ベッドや家具は異様に古ぼけていて手入れがされていないように感じた。
そして目に入れたくないモノも視界に飛び込んできた。
オレは鎖の音を鳴らして額に手を当てる。うん、あれは鉄格子。
鉄格子の向こうの壁も布が掛けられている。そう、この部屋本来の壁や天井は全て布で覆われて見えないのである。
「起きたかアレラ」
「……おはようございます」
そして真横にはムリホ王女である。
決して目に入れたくないモノだから見えていないふりをしていたわけではない。
「姫さま。ここはどこですか?」
「うむ、牢屋じゃ」
「……どこの、ですか?」
「ケラク賢王国の王城じゃ」
オレの質問に堂々と答えるムリホ王女は相変わらず正直者である。
そんな彼女はなけなしの肘掛けが付いた木の椅子に腰掛けていた。
どう見ても王族が座る椅子ではない。
「それで、どうして姫さまも牢屋の中に?」
「それがの。わらわとコリスのどちらが付き添うかで話し合ったところ、ケラハ王がケリカのところにコリスを要望したのじゃ。じゃからわらわがアレラに付き添うことになったのじゃ」
どうやらオレを看る為にわざわざ牢屋の中まで付き添ってくれたらしい。
勿論オレはケラハ王がコリス司祭を指名する理由も分かる。
何故ならムリホ王女の体験談はケリカ王女の教育に悪いからである。
「ならあの鉄格子の鍵は……」
「閉まっておるぞ?」
平然と答えるムリホ王女は流石である。
ではなくて。
何故ムリホ王女という他国の王女も巻き込んで鉄格子が閉まっているのか。
まあそれはおいて置いてまずは……。
「なんでワタシは手足に鎖がついているんですか?」
「安心せい、首枷もついておるぞ」
ムリホ王女の返事は全く安心出来ない。
首元に手をやると確かに南京錠のような物があった。
どうやらこれは、前にムリホ王女に付けさせられた魔法封じの首枷と同じ品のようである。
そこでオレは手枷と足枷も魔法封じの魔法具なのだろうと思い、手枷をじっくりと観察してみる。
しかし金属製で鍵穴と鎖がついた至って普通の手枷にしか見えなかった。
いや枷とか知らないから。至って普通って何だ。
「ああ、魔法封じの魔石は鎖の先じゃぞ」
「え?」
ムリホ王女に指摘され鎖をたぐり寄せると、魔石の埋め込まれた丸い重しが繋がっていた。ご丁寧に両手両足一つずつ、合計四つである。
なるほど納得である、いや納得出来ない。
「怪力かと見まがうような引っ張り方をするでない。それにしてもここまで魔法封じが意味を成さないとは、おぬし本当に魔王なのじゃな」
「魔王じゃないです!」
ムリホ王女が指摘する通り、これでもかと魔法封じが付けられているにも関わらずオレは増幅魔法が使えている。更には魔力を貯めることも出来ているのだ。
これでは確かに魔王である。いや、オレは勇者になりたいので即刻却下である。
「あの、どうして壁に布があるのですか?」
牢屋は殺風景と相場が決まっているはずなのだ。壁に布など要らないだろう。
つまり、わざわざ壁に布を掛ける理由があるとオレは考えたのだ。
「まあ、壁と床と天井に魔法封じの魔法陣が描かれておるのでな」
「そんなに徹底的な魔法封じが要るんですか、ワタシ」
「うむ。まあ、そのうちケラハ王が説明してくれる。しばし待て」
「あ、はい」
待てと言われたのでムリホ王女の側近であるオレは待ちます。
首輪がついているので、オレは犬なのである。いや落ち着け。
オレのぽんこつなおつむは状況に思考が追いつかずおかしかったのであった。
ムリホ王女がオレの使った蘇生魔法をひたすら褒め称えるので穴を掘りたくなって来た頃、扉の開く音が聞こえた。
この牢屋は鉄格子の向こうに通路があり、さらに鍵付きの扉で区切っているという厳重な造りらしい。
その扉を開けて誰かが近づいてきたのである。
「おお。起きたか、アレラ嬢」
「……おはようございます、陛下」
近づいてきたのはケラハ王だった。
前回オレが登城した時は散々オレのことを魔王候補呼ばわりしていただけに、名前を呼んでもらえたのは少し驚きである。
驚いている場合ではない。返事をしなければ、と何とかオレは挨拶をする。
ケラハ王は鉄格子の向こうでオレに向き直り、そして跪いた。
元村娘のオレに国王が跪いた。え??
「アレラ嬢。此度は娘を助けて頂き、感謝いたす」
「あ、いえ。あ。えっと」
跪いたまま御礼を言うケラハ王にどう対処すれば良いか分からず、焦ったオレは何を言えばいいのか分からなくなってしまった。
「ほれ、アレラ……まずはこう言うが良い」
「え? えっと。楽にせよ……え?」
姫さま何て事言わせるんですかオレに!!
「はっ」
陛下もノリノリで答えないで!!
「とにかく。ケリカを助けてくれて本当に感謝する」
改めてオレに御礼を言い、ケラハ王は立ち上がった。
「それからムリホ王女。何て事を言わせているのだお前は」
「構わぬじゃろ。アレラはそれくらいの事をしておるのじゃから」
「確かにな。幸い此処には我々しかいない。内々とするように」
軽くムリホ王女に文句を言った後、ケラハ王はため息を吐いた。
「公式の場ではどうするのじゃケラハ王よ」
「……少し考えさせてくれ」
「あ、あの……」
ムリホ王女のその一言に、ケラハ王は深いため息を吐いた。
一方、オレは今の状況を説明して欲しかったのだが、一国の王にどう声掛けをすれば良いのか分からず小さな声を上げることしか出来ない。
「ああ。この場は非公式だ。何でも聞いて構わぬぞ」
オレの意を汲んですぐに返事をするケラハ王は流石である。
「あ、はい。何故ワタシ達は牢屋に?」
「すまぬな。城の貴族共がアレラ嬢を王都に入れるのを拒みおったのだ。何とか折り合いを付けた結果がこの牢屋に入れる事であった」
「はあ……」
どうしてそうなった。
「この牢屋は、かつて王都が要塞だった頃に造られたものだ。魔王を無力化するために魔法封じを全体に施してあるのだ」
「あ、はい」
「少しでもまともに過ごせるよう、布だけは変えさせたがな」
ケラハ王の答えから考えるまでもなく、今のオレは王城の貴族達から魔王認定されているということである。
邪王の冥護により純然たる灰色の髪を持つオレは、前回ケラハ王から魔王候補と散々呼ばれていたのだ。仕方がないのかもしれない。
「流石魔王アレラさまじゃの」
何処かのケリカ王女みたいな事を言うムリホ王女はスルーしよう、うん。
「そうだ、ムリホ王女」
「なんじゃ」
「ケリカの誘拐を手引きしたのはセルツ商会だと判明した。奴らめ、堂々と王都を抜けおって」
ケラハ王の言うセルツ商会が何なのかをオレは全く知らない。
言われてみれば、確かにムリホ王女の兄にこの国の伝手がなければケリカ王女の誘拐は成立しなかっただろう。
何しろケリカ王女を見失った村は、王都を挟んで精霊の森と逆方向だったということである。
「そうか……潰すのじゃろ?」
「当然だ」
どうやらケラハ王は、ケリカ王女がお気に入りなムリホ王女を非公式ながら報復に一枚噛ませるらしい。
オレという少女の教育に悪い物騒な会話が飛び交い始めた。
あーあー聞こえない。一族郎党皆殺しの方法とか聞こえない。
「まあ、直ぐに説き伏せてくる。もう少し辛抱して欲しい」
物騒な話は終わったらしい。いつの間にか話題は牢屋の件に移っていた。
牢屋から出してもらえるらしいのでオレは素直に返事をしておく。
「はい。畏まりました」
「ではアレラも起きたことじゃし、わらわはそろそろ出ようかの」
そしてムリホ王女は裏切り者である。
彼女はしれっと立ち上がり鉄格子の扉に歩み寄った。
オレはというとベッドに座ったままである。
折角牢屋から出してもらえるのだし、魔法封じの重しを軽々と持てることをケラハ王に主張する必要はないのである。
魔王の証拠を見せつける必要はないのだ。何か違う気もするが、ないのだ。
一方、ムリホ王女に対するケラハ王の返事は無情であった。
「鍵は持っていないぞ?」
「なんじゃと!?」
「お前ももう少しそこにいろ」
「いや待つのじゃ、待て!」
ムリホ王女の静止も何のその、ケラハ王は出て行ってしまった。
「さてと、アレラよ」
扉が完全に閉まった音を聞き届け、振り向いたムリホ王女は嗤っていた。
嫌な予感しかしない。
「脱獄するぞ!」
予想通りの答えにオレは苦笑いを浮かべる。さてどう宥めようか。
「わらわは腹が減ったのじゃ!」
「!!」
ムリホ王女の宣言にどこからともなく、ぐうっと鳴く音がした。
空腹を訴えるゴングが鳴ったのだ。ならば仕方がない。
ご飯が待っているのだ。牢獄などさっさと抜け出そうではないか。
「行きましょう!」
そう言ってオレは立ち上がり、ベッド脇の机に畳んで置かれていたシスターの頭巾を手に取る。何をするにしても身だしなみからである。
「まあ、まずはその魔法封じを壊さねばな」
「あ……」
「構わん、やるのじゃ。時間はないぞ」
明らかに高価な魔法封じの魔法具の破壊を躊躇ったオレに、ムリホ王女が発破をかけてきた。
ならば応えようではないか。
まずは一番馴染みのある首枷からにしよう。
オレはかつて魔族の男が壊してくれたように、首枷についた南京錠のような物を握り魔力を叩き込んだ。
その瞬間、パンッと音がした。速攻壊れた。
首枷は忘れずに外しておく。趣味ではないので!
「あまりにもあっさり過ぎて、恐ろしいのお」
ムリホ王女の呟きはスルーである。
手枷と足枷は、まずは鎖を切ることにした。
そうすれば魔法封じは解けるだろう。
オレは鎖を手に取った。
「お? 引き千切るのかえ?」
ムリホ王女の呟きはスルーである。
防御魔法の応用“シールドカッター”の出番なのだ。
なるべく小さくなるように防御魔法を出す。
直径十センチメートル程の円盤を両手で張った鎖に当てる簡単なお仕事である。
しかしここで問題が発生した。
魔法封じは解けたのだが、手枷と足枷は鎖を切断しても鍵が外れなかったのだ。
つまり枷の部分が腕と足から抜けない。
「新しいファッションじゃの」
ムリホ王女の呟きはスルーである。
やはり枷を切るしかないだろう。
しかしオレの“シールドカッター”は脆い。当たってから砕け散るまでの僅かな時間で枷を切る必要があるのだ。
故に勢いよく“シールドカッター”を動かす必要があるのだが、枷だけに当てるような緻密さはオレ自身にない。
そしてオレの身体に常時掛けている保護魔法は、出来る限り硬くした“シールドカッター”を防げず切り裂かれる運命である。
つまりオレは手足を一旦犠牲にする必要があるのだ。
覚悟を決めてオレは袖をまくった。
保護魔法に復元魔法の効果をしっかりと混ぜ込んだ後、“シールドカッター”を発動する。
「いきます」
「うむ」
次の瞬間、右手首から先が盛大に裂けた。勢い余った“シールドカッター”がカーペットを抉って消滅した。
復元魔法の便利なところは、傷口の保定が適当でも治せるところだ。
裂けたところは動画の逆再生のように元通りになっていった。
「まず一つ」
「……何がまず一つじゃ!」
時間がないのだ。ムリホ王女の突っ込みはスルーである。
カーペットは先程抉って交換が決定したも同然である。
だが、カーペットは交換出来ても床は交換出来ないのである。
なので切断方法を変えることにしよう。
左手の手枷は手首を斬り落として外そう。
オレは再度“シールドカッター”を発動した。左手は床に落ちた。
そして復元魔法の不便なところが露呈した。
失った左手の代わりに新たな左手が生えてしまった……手首の手枷を外す前に。
「……要りません?」
「要らぬ!」
床に落ちて余った左手だったモノをムリホ王女に差し出してみたが即座に拒絶されてしまった。
まあ当然か。
改めて“シールドカッター”を発動して左手の手枷は無事に切断出来た。
「二つ目」
「のう、アレラ。痛くないのか?」
「もちろん痛いです。もの凄く痛いです」
ムリホ王女の質問はスルーせず、オレは答えた。
修行中に麻酔などという気の利いた芸当は身につけられなかったのだ。
痛いに決まっている。だが枷は切らなければならない。
決してドMだから斬るわけではないのだ。
さて、足枷は……靴下を犠牲にするか悩ましいところである。
しかし靴下はガーターベルトに繋がっているので脱ぐのが非常に面倒くさい。
とはいえ足枷はブーツを履くのに邪魔なため、切る以外の選択肢はなかった。
そこでオレは気付いた。ブーツはどこだ。
「あの、姫さま。ワタシのブーツを知りませんか?」
「ん? おお、そう言えばブーツは……うむ、知らぬ!」
正直者なムリホ王女の返事に脱力したオレは、足枷を切る気力がなくなってしまった。
取りあえずブーツを手に入れるまでは靴下で歩くしかないだろう。
足枷のことはブーツを手に入れてから考えよう。
「分かりました……もう出ましょう」
「そ、そうじゃな」
戸惑いの声を上げるムリホ王女をスルーして、オレは鉄格子の扉の前に立つ。
脱獄したいだけで闇雲に破壊したいわけではないのだ。出来るだけ修理が簡単な方法で破壊したいところである。
錠前に狙いを定めて“シールドカッター”を叩き込み、オレは鉄格子の扉をあっさりと突破した。
「姫さま、行きますよ……え」
ムリホ王女の方に振り返ったオレは、牢屋の中が血塗れなことにようやく気付いたのであった。
カーペットだけでなく天井の布も壁の布も飛び散った血で汚れていた。
そして床に残されたオレの左手だったモノ。うん、見なかったことにしよう。
気を取り直したムリホ王女に背中を押されオレは部屋を出る扉の前に立った。
扉をどう攻略しようかと考えていると、扉が開いて誰かが飛び出してきた。
「貴族共を説き伏せてき――ごふっ」
飛び出してきたケラハ王はオレにぶつかり扉の向こうに押し戻された。
普通に考えると王様とぶつかった少女の方が倒れたり支えられたり抱きかかえられたりするのが定番なのだろう。
だが、ムリホ王女という支柱が背中にあり保護魔法をまとうオレが吹き飛ぶという選択肢はなかったのだ。
おまけに段差と身長差の関係でケラハ王のみぞおちにオレの頭突きが入ったかたちになってしまった。
ケラハ王が崩れ落ちたため扉の向こうが見える。
騎士と宰相らしき人が目を見開いていた。
さて、どうしよう……。
おはようございます。
取りあえず拘束してみました。が、全く効いていないのはきっとドMチートの所為ですね。