81.王都への帰路
軽い揺れを感じてオレの意識は浮上した。
薄らと目を開けると淡い金色の髪が前方に見える。
ということはケリカ王女は無事か……ならばもう少し寝ようと思ってオレは再び目を瞑った。
それにしてもこの枕、何だか懐かしい気持ちに浸れる。
どんな枕なのか少し気になり、オレは手を伸ばして枕の手触りを確認した。
「待つのじゃ……やめい!」
真上から降ってきたムリホ王女の声に、オレは上を向く。
目を開けるとムリホ王女の顔が驚くほど近くにあった。
「起きたか、アレラよ」
「あ、はい。おはようございます……えっ」
枕はムリホ王女の膝だった。
「寝心地はどうじゃったかえ?」
「あ、えーと、その……」
見下ろしてくるムリホ王女はいい笑顔だ。
ごめんなさいすぐ起きます、だからオレを逃がすまいと額に手を置かないで!
「のう?」
「えーっと……良い夢見れまし……た? 見れました!」
迫ってくるムリホ王女の顔が怖いです。王女様の膝枕とか今生の喜びです。
「まあ、それは置いといて、じゃ」
「あ、はい」
ムリホ王女は迫ってきた割りにはあっさりと解放してくれた。
取りあえず起き上がったオレは現状を把握しようと周りを見回す。
どうやら馬車の中である。
オレとムリホ王女の座っている座席が進行方向とは反対を向いている事に違和感を覚えたが、対面の座席を見てすぐに納得した。
進行方向を向く座席には布の塊が載っている。もとい、毛布に包まれたケリカ王女が寝かされている。
そしてコリス司祭が床に直接座ってこちらを見ていた。
「おはようございます、アレラさん」
「あ、おはようございます、コリス様」
思わず返事をしたが、元村娘のオレが座席かつ王女様の膝枕で公爵令嬢のコリス司祭が床というのは良いのだろうか。
慌ててオレも床に降りてコリス司祭の横に並んだ。そうすると寝かされたケリカ王女に自然と対面するかたちとなった。
どうやらコリス司祭はケリカ王女を見ていた――いや、看ていたらしい。
「アレラさん、ケリカ王女の具合は分かりますか?」
「えっと、もしかして一度も目覚めたりとかは……」
「ええ、一日経ちましたけど全くお目覚めになっておりません」
オレも一日寝ていたという事実に気付かされたが、それはさておき。
コリス司祭の言葉を受けてオレはケリカ王女を観察した。
ケリカ王女の容態は安定しているようである。
心配していた魂の方はというと、しっかりと定着していた。
とはいえ、魂のまとう魔力はまだ薄い。
「わたくしが診られる範囲では問題ないのですけれど……」
魂の見分け方を知らないコリス司祭には魂の状態は分からない様子であった。
「時間が経てば起きると思います。もう一度蘇生魔法を掛けた方が良いのかもしれませんけど……」
心配そうなコリス司祭にオレの分かるケリカ王女の現状を伝える。
蘇生魔法の際に手応えは感じたのでこのまま自然回復するとは思うが、魂のまとう魔力量から目覚めるまで数日掛かりそうな気もした。
数日の間に衰弱されても困るので魂に魔力を供給した方が良いだろう。
ならば、もう一度蘇生魔法を掛けても良いのかもしれないとオレは考えたのである。
「出来ぬのか?」
「ワタシの魔力がまだ貯まっていないので」
ムリホ王女の質問に対しオレは素直に答えておく。
オレが蘇生魔法を使うには、身体の中の魔力が空っぽの状態から最低でも一日は魔力を貯蓄する必要があった。
魔力の貯蓄は今のところ意識があるときにしかしていない。
魔力制御を自動で行い貯めるようになったら、それはそれでどこまで溜め込むか分からなくて怖いのだ。
「その、リザレクトという魔法でないと無理なのでしょうか」
「えーと……。正確には魔力の供給だけでも良いんですけど……。ワタシがその方法を蘇生魔法でしか知らないんです」
「その魔法はわたくしでも使えますか?」
コリス司祭と会話していて、オレはリザレクトという単語で彼女が蘇生の魔法であるというのに気付いていないと理解した。
しかしオレは説明するのに語彙力の不足を予感したので、取りあえず事実だけ伝えることにした。
「残念ですけど……魔力量が足りないと思います」
「ほう? もしやあのド派手な魔法かえ?」
オレの残念なお知らせにムリホ王女がコリス司祭よりも早く反応した。
「そうです」
「あれは……あの魔法はその、もしかして、蘇生魔法ですか?」
「……そうです」
オレが頷くとコリス司祭は息を呑んだ。目も大きく見開いている。
「あれが! あれがそうなのですね! 天まで届くあの光は間違いなく……ああ、まさかアレラさんが聖女の中の聖女だったなんて。聖王様、この出会いに感謝申し上げます」
「そうじゃ、あの男じゃ! アレラよ、あの男と何を話しておった。説明せい」
コリス司祭が歓喜の余韻に浸る間もなく、言葉を被せるようにムリホ王女がオレに質問を飛ばしてきた。
まあ聖女の中の聖女なんて称号は要らないので、ムリホ王女の話題転換はありがたい。
取りあえずオレはあのケラクとの会話内容を伝えると共に、オレが意識を失ってからの経緯を確認したのであった。
まず、ケリカ王女への蘇生魔法が成功した後に意識を手放したオレが倒れた。
蘇生魔法に気を取られていたムリホ王女達が気付いたときには、森の動物達が集まっていたらしい。
妖精は見当たらなかったというのが少し残念ではあった。
集まった動物達は遺体や遺品を口に咥えて森の外に運び出してくれたそうだ。
とはいえ手助けしてくれたというよりは、オレ達を森から外に追い出したいような雰囲気だったという。
しかしムリホ王女はユニコーンの背に乗せてもらいご満悦だったそうだ。
一方でコリス司祭は何時ユニコーンに襲われるか気が気でなかったそうである。
一泊した村ではケラク賢王国の歩兵部隊と一時的に合流したらしい。
しかし今はケリカ王女の移送を優先して、ムリホ王女の馬車と数騎の騎馬だけで王都に向かって移動しているとのことであった。
他の人員は全て後から来るようにと、村に置いてきたとのことであった。
その間ずっと眠りこけていたオレは疲れて寝ているということになっていた。
「姫さまはお怪我はありませんでしたか?」
「わらわはな。一発食らったがこの通り、問題ないぞ」
ふと思い出したオレの質問に、ムリホ王女は答えてくれた。
まあ、怪我があったとしてもコリス司祭に治してもらったのだろう。
「姫様は保護魔法の掛かった装備を身に着けております。今回は籠手で防がれていたのです」
「うむ。まあこの通り壊れてしもうたがな」
コリス司祭の言葉にムリホ王女は頷いて砕けた籠手を見せてくれた。
これはひどい。覚悟の上で熱水を浴びたのも頷ける砕けっぷりである。
「そういえば……。アレラさん、ケラクさんが使ってきたあの魔法は絶対に使わないでください」
「どうしてですか?」
コリス司祭の真剣なお願いに、オレは疑問を垂れ流す。
「使えば魔王になってしまいます」
「ほう? アレラよ面白いから使ってみい」
「姫様。冗談ではないのです」
「……それほどか」
コリス司祭の表情を見て、嗤っていたムリホ王女の顔付きが真剣になった。
「ええ、危険です。アレラさんも、分かりましたか?」
「あ、はい。分かりました」
有無を言わさぬコリス司祭の真剣な表情に、オレは頷くしかなかった。
頷いたところでオレは気付いた。
目覚めてから結構経っている。目覚めたらすることというと一つしかない。
「あの、休憩に……」
オレの表情から発言の意図を読み取ったコリス司祭が窓を開けて騎士を呼んだ。
馬車に近寄ってきたのはケラク賢王国の騎士であった。
二言三言会話した後、コリス司祭がムリホ王女を見た。
「もう少しで次の村に着くそうです」
「うむ。休憩はそこでしようぞ。替え馬もあると良いのじゃがな」
「あ、あの……トイレ……」
「アレラさん、もう少し我慢してください」
ムリホ王女の判断によりオレの懇願は黙殺された。コリス司祭のお願いを受け入れるしかなかった。
オレは漏らし姫の称号を授与しないよう、村に着くまでひたすら耐えるしかなかったのであった。
村に入ってすぐ、オレは村長の家のトイレを借りて事なきを得た。
「うん? 替え馬がおらぬようじゃが」
「申し訳ありません。先触れが遅く準備が間に合っていない様でして」
オレは軽食が用意されたテーブルに着き、ムリホ王女と騎士の会話をぼんやりと聞きながら、お昼を食べる。
「わらわは構わぬが……」
ムリホ王女は窓の向こう、未だ眠るケリカ王女が乗ったままの馬車を見遣った。
しばし考えた後、ムリホ王女は顔をしかめながらコリス司祭を見る。
「仕方がない、コリス。あれをやるぞ」
「仕方がありませんけれど……。とはいえ申し訳ありません、わたくしの魔力はまだ万全ではありません」
「むむ。そうか。ならば」
ムリホ王女はコリス司祭からオレに向き直った。
一体何をするつもりなのだろうか。
「アレラよ。コリスの代わりに、馬に魔法を掛けてくれぬか」
「魔法の程度によりますけど……」
今のオレは普通の回復魔法くらいならいくら使おうが支障はない。
本当に、一体何をするつもりなのだろうか。
コリス司祭が頼んできたのは、回復魔法の応用“疲労回復”だった。
これを使うということは不吉な予感しかしない。
「かわいそう……」
馬達に最大限の“疲労回復”を掛けたオレは呟く。
オレの呟きに馬が返事をするかのようにブルブルと震えた。
「まあ、ここからが問題なのですが……」
ケリカ王女をロープで座席に固定しているコリス司祭の声は沈んでいた。
確かに、馬の身体から疲れを取れば良いという問題ではない。
いくら馬車用の馬とはいえ、字面通り馬車馬の様に働かされれば馬も精神が保たないだろう。
精神的に疲れた馬は何処かで立ち止まってしまい、そのまま休憩になってしまうだろうと思われた。
馬車自体は御者台との戸板が外されていた。カーテンも取り払われていた。
そして何と、御者が馬車に乗り込んできた。
「出発の準備は出来たかえ?」
御者台に座るムリホ王女がオレ達に声を掛けてくる。
コリス司祭と御者が座席に座り、頷いた。オレも床に座り頷く。
「おぬしらもう少し寄せよ。うむ、そこで良い」
ムリホ王女は周りの騎士達にも指示を出した。
「何をするんですか?」
「まあ、見ておれ」
そう言うや否や、ムリホ王女が支配系魔法“場の支配”を発動した。
そしてゆっくりと馬車が動き出した。
御者が身を乗り出してムリホ王女に行き先を指示する。
戸板が外されているだけに視界は良好である。
オレはムリホ王女を見て、彼女が手綱を握っていないことに気付いた。
まさか……ではなく確実に、馬達は“場の支配”で操られている。
ムリホ王女は追従する騎士達の馬も操っているらしい。
騎士は流石である。乗っている馬がムリホ王女に操られようともバランスを崩すことは無いようだ。
街道に出て先程よりも速く馬車が走り始めた。
「うわあ……かわいそう」
「こうでもしないと夜までに次の村に着けないのです」
オレの感想に、感情を押し殺したような声でコリス司祭が答えてくれた。
「仕方がなかろう。次の村で休ませられれば良いんじゃがな」
ムリホ王女の嘆息にオレは閃く。
「せめて増幅魔法を掛けてあげれたらいいんですけど」
「掛けられるのかえ?」
ムリホ王女の質問にオレは頷く。しかし彼女からオレは見えていない。
オレは続けて返事をする。
「魔法自体は。魔法効果範囲が……」
「どこが外れておる? もっと寄せられるぞ?」
ムリホ王女がオレの方を向いた。慌ててコリス司祭が声を上げる。
「姫様は前を向いてください。わたくしが確認して伝えます」
オレはコリス司祭にムリホ王女への指示を出してもらい、馬達に増幅魔法を掛けた。
ついでに魔力が回復するようにと、ムリホ王女とコリス司祭にも掛けておいた。
「お? これはもう少し速く出来そうじゃぞ」
ムリホ王女の嬉しそうな声と共に、馬車の移動速度が上がった。
しまった。馬達がもっとかわいそうなことになってしまった。
その様子にコリス司祭が呟いた。
「かわいそう……」
同意します。
こんばんは。
アレラサン自重してください。
いいえ不可抗力なのです。