79.荒ぶる聖霊様
ムリホ王女はすでに広場へと姿をさらしていた。
兄上ということは、あの男がメラヘ伯爵なのだろう。
ムリホ王女を守るべくオレとコリス司祭も広場へと出る。
男は何かを述べているようだ。
だが声は聞こえない。
次第に興奮してきたのか男は腕を大きく動かし、大声を上げているようだ。
だが声は聞こえない。
「何をしゃべってるんでしょう?」
「発動した魔法陣が声を遮っているようです。姫様が火の聖霊様と契約した際にも同じ現象が起きました」
説明してくれたコリス司祭にオレは率直な感想をもらす。
「何だか滑稽ですね」
「あの状態、わらわも経験があるぞ」
隣に並んだムリホ王女のいい笑顔がオレに突き刺さった。
「それよりも……早く救出しなければなりません」
コリス司祭の視線の先には魔法陣の中で倒れるローブ姿の人がいた。
うつ伏せで顔は分からないものの艶やかな淡い金色の髪ははっきりと分かる。
おそらくはケリカ王女である。
急いで駆け寄ろうとして、オレは周囲の確認を忘れていることに気付いた。
駆けつける間に襲われる危険を忘れていた。
慌てて周囲を見回すと、十人ほどローブ姿の人が倒れ伏していた。
ローブの膨らみ方から鎧を着けているのが見て取れる。おそらくメラヘ伯爵側の騎士なのだろう。
身を起こしているのはローブを着けていない男の戦士が一人だけ。おそらく同行した冒険者パーティの一員なのだろう。
ガサガサと音がしたのでオレは後ろを振り返った。
騎士達がようやく追いついたらしい。
鎧の音を盛大に鳴らし銀色の騎士が姿を現した。その音から手足をぶつけ合い、ふらついているのがよく分かる。
再び魔法陣の方へ目を向けると男の戦士が振り向いていた。
オレ達を、正確には騎士達を見て目を見開いていた。
ムリホ王女の声は聞こえていたはずである。
今更振り向くということは、女子供に用はないってことですか?
確かにオレは戦力にならなさそうな見た目ですよね、はい。
「助けてくれ!! シレダが! 仲間があの中にいるんだ!!」
声を上げる戦士の身体が向く先には、魔法陣の中で倒れる女性がいた。
彼女の傍には魔法使いが好んで付ける帽子が転がっている。
視界の片隅でメラヘ伯爵が倒れた。
まさかと思いオレは隣のムリホ王女を見る。
「わらわはまだ何もしとらんぞ」
弁解するムリホ王女の頭上には火魔法の青白い高温の玉が浮かんでいる。
それは人にぶつけるものじゃありません。
「姫様、お気をつけ下さい!!」
コリス司祭が声を上げた。
空中に浮かぶ水球の表面がぐねぐねとうごめいている。
オレは歪な水球の中に人影が形作られていることに気付いた。
次の瞬間、水球が弾けた。
青色に光る全身鎧の騎士が両手両足を広げ、姿を現したのであった。
空中に浮かんでいる騎士の顔はフルフェイスの兜で分からない。
意匠は違えど綺麗に細工の施された鎧や身にまとう雰囲気は、火の聖霊カラロムと同様である。
やはり水の聖霊様としか思えない。
ケラク賢王国の初代国王である賢者ケラクが契約していた、水の聖霊ミリロアで間違いないだろう。
魔法陣を取り囲んでいた光の膜が、霧が晴れるかのように消えていった。
それに合わせたかのようにミリロアの発する支配系魔法“場の支配”の出力が増大していくのをオレは感じた。
オレの後ろで呻き声が上がり、金属鎧の鳴る音が聞こえた。
後ろを振り向かなくとも銀色の騎士が倒れたのだろうと分かった。
「……姫様、申し訳……」
ムリホ王女の側にいるコリス司祭が膝を折った。
「残るは、わらわとおぬしだけか」
そう言いながらオレを見るムリホ王女の顔色も悪い。青白い高温の玉も放たれることなく消え去っていた。
ミリロアの周囲に人が収まりそうな大きさの水球が次々と出現していく。
次に何が起こるのか予想出来たのでオレは空中に防御魔法を複数枚展開した。
ミリロアはオレ達など意にも介さないらしい。
水球は全方位に撃ち出された。
息を継ぐ間もなく次々と水球が出現して撃ち出され続ける。
湖に水柱が上がる。木々が吹き飛ぶ。広場の土が抉れる。
オレの防御魔法に直撃する水球の数は少ないとはいえ、一撃で一枚が割られる威力だ。
「どうするんですか、あれ!!」
何度も防御魔法を張り直しながら、オレはムリホ王女に問いかけた。
本当はコリス司祭に聞きたいところであるが、彼女は辛うじて意識を保っている状態なので返事は期待出来ない。
「術者は既におらぬ。心配せずとも魔力を使い切れば勝手に去るじゃろう」
「何時なんですか!」
「知らぬ!!」
案の定、ムリホ王女の回答は当てにならなかった。
せめてミリロアの魔力量を推し量ることが出来れば、残り時間を推測出来る。
だが魔力量を推し量るには、魔法効果範囲にミリロアを収める必要があるのだ。
魔法効果範囲がそれほど広くないムリホ王女は推し量れていないようだ。
当然ムリホ王女よりも狭いオレの魔法効果範囲はミリロアに届いていない。
届いていないという意味ではケリカ王女にも届いていない。
そもそも魔法陣の中にいる人で一番近いメラヘ伯爵にすら届いていないのだ。
ケリカ王女に水球が直撃しないことを祈るしかなかった。
祈った途端に水球がケリカ王女に向かう。
オレが息を呑んだ瞬間、真横を何かが突き抜けた。
水球が弾ける。
オレの横には一直線に伸びる緑の螺旋が浮かんでいた。
風魔法による銃身だ。ムリホ王女が銃を撃ったのだ。
「ケリカを覆えぬか」
銃身を消して構えを解き、ムリホ王女がオレに問いかけた。
オレはチラリと後ろを見遣る。
「無理です……守り切れなくなります」
オレの回答にムリホ王女が苦々しい顔をする。
側で倒れ伏すコリス司祭だけならばどうにでもなる。
問題は、オレ達の後ろに倒れる騎士達である。
水球の射線を考えると、ケリカ王女のところまでオレが動けば防御魔法で彼らを守り切れなくなってしまう。
「ならば少しでも近づいてくれぬか。せめてわらわの魔法がケリカに届くまで」
銃に弾を込めながらムリホ王女が聞いてきた。
単発銃である故に、水球が連続でケリカ王女に襲いかかると守り切れなくなる。
その上、何でも火魔法で解決しようとするムリホ王女は銃弾を少ししか持ち歩いていないのだ。
「分かりました。あれを目安に」
オレは魔法効果範囲の限界すれすれに小さな防御魔法を展開する。
「頼んだぞ!」
そう言うとムリホ王女は“場の支配”に抗い歩き始めた。
「……行きます」
オレはコリス司祭に声を掛け、肩を貸して立ち上がらせる。
そしてミリロアの射線を意識しながら一歩ずつ前進したのであった。
ムリホ王女が火魔法の炎の槍を一発だけ、真上を横切る水球に放った。
だが水球の勢いは落ちなかった。オレの防御魔法に当たり水球は弾ける。
ムリホ王女が一発の水球に向かい今度は複数の炎の槍を放った。
水球は弾けたものの、地面に落ちた水がシュウシュウと音を立てる。
熱水をまき散らす結果になったようであった。
「火魔法は使えぬか。ならば……ウインドカッター!」
ムリホ王女が風魔法の風の刃を放った。
彼女が火属性以外の魔法を使ったことにオレは驚いた。
風の刃は水球を完全に切り裂いていたが、発動のキーワードが必要らしく連発も出来ないようであった。
ムリホ王女はどうすれば魔法でケリカ王女を守れるのか試しているらしい。
その間にオレも一歩ずつ進んでいるが、ムリホ王女の魔法効果範囲はまだケリカ王女に届いていないようだ。
ムリホ王女は再び銃を撃った。
「あと少しじゃ! 頼むぞアレラ!!」
「ここが限界です!」
「あと少しなのに――の!」
オレの答えに文句を言いつつ、向かってきた水球をムリホ王女が風魔法の銃身でたたき切った。縁を叩かれた防御魔法も霧散したので危ないことこの上ない。
「これじゃ!」
「姫さま!?」
風魔法の銃身で水球を割ることが出来ると分かった途端、ムリホ王女がオレの魔法効果範囲から飛び出した。
ムリホ王女は風魔法の銃身を振り回しながらケリカ王女に近寄る。
仕方なくオレが追いかけようとしたところで、魔法効果範囲の端すれすれに展開している防御魔法が割れた。
慌ててオレは後ろを見遣る。
既に騎士達はオレの魔法効果範囲から外れており、水球の射線を考えると彼らを守る防御魔法はもはや端の一部だけである。
ボンッと音がしたと同時にムリホ王女が、ぬおっ、と声を上げた。
オレがムリホ王女を見遣ると、彼女は風魔法の銃身が消えた銃を見つめていた。
魔力を流しすぎて銃を壊したのだとオレは理解した。
まずい。ムリホ王女の身を守る手段がなくなったということだ。
突然オレは腕に抵抗を感じた。それと同時に身が軽くなった。
コリス司祭だった。肩を貸すオレの手を振りほどき再び膝を折る彼女は頷いた。
ムリホ王女に駆け寄れという意思表示で間違いない。
前を向いたオレは目を見開く。
ムリホ王女が炎の槍を連発していた。
水球が直撃するくらいなら熱水を浴びることを選んだようである。
当然足下のケリカ王女にも熱水が降り注ぐ。無謀もいいところだ。
ミリロアはオレとムリホ王女に気付いたらしい。
広場に向けて今まで以上に水球を放ってきた。
ムリホ王女は炎の槍を連発し続け辛うじて水球を防いでいる。
オレの魔法効果範囲はムリホ王女にまだ届かない。
それどころかミリロアの集中砲火によりオレは防御魔法を連続で展開するのに手一杯で足が止まりかけている。
一歩一歩進みようやく防御魔法がムリホ王女に届いた。
すぐに彼女を守るべく複数枚展開する。
一息吐いた途端、オレ自身を守っていた防御魔法が割れた。
あっ、と思う間もなかった。
続けざまに放たれた水球が何発もオレに直撃した。
ムリホ王女を守ることに意識が向いて、オレ自身を守ることがおろそかになっていたのだ。保護魔法をまとっていなければどうなっていたことか。
吹き飛ばされて転がるオレの目に、ムリホ王女へ殺到する複数の水球が映る。
ムリホ王女は明らかに捌ききれていない。彼女をかすめた水球が地面を抉る。
炎の槍が展開した位置で射出されることなく水球に当たる。
湯煙でムリホ王女の姿が見えなくなった。
水球に何度も転がされながらも、再びオレは魔法効果範囲にムリホ王女を収めることに成功した。その直後。
ドーンッと音が響く。
水球の追撃が止みオレは異変に気付いた。
ミリロアの“場の支配”が消えた。
慌てて見上げる。多数の水球が浮かぶ中、ミリロアはぐらりと傾いでいた。
次の瞬間、水球が次々と消し飛んでいく。
ムリホ王女を包んでいた湯煙が晴れていく。
そこには、赤色の騎士がいた。
「カラロム!!」
ムリホ王女の喜色に溢れる声が響く。
彼女の隣に立つのは全身に赤く光る金属鎧をまとった騎士だ。
相変わらずフルフェイスの兜で顔が分からないものの、間違いない。
火の聖霊カラロムである。
「勝負はついたようじゃの、ミリロアよ」
ムリホ王女は不敵な笑みを浮かべた。
そして彼女の髪の色は、根元から光が走り一瞬で淡い金色に変わった。
ムリホ王女の言う通り勝負はついていた。
同格の聖霊様といえど、正気を失ったミリロアと契約者のいるカラロムでは勝負にならないのだ。
ミリロアの水球は出現する端から蒸発していく。
そればかりか何度もドーンッと音が響きミリロアの鎧から煙が上がる。
「いいぞカラロム! そのまま奴の魔力を削りきってしまうのじゃ!!」
オレの魔法効果範囲は相変わらずミリロアに届いていないのだが、鎧から煙が上がるたびにミリロアの姿自体が歪んでいるように見て取れた。
ムリホ王女は髪を通じてカラロムへ魔力を供給しているようである。
彼女が消費する魔力量を見て取るに、どうやら聖霊様は顕現を維持するのにも魔力を消費しているようであった。
ムリホ王女の魔力残量はまだ十分に余裕があるとはいえ、減りが早い。
ここからは彼女とミリロアのどちらが先に魔力を使い切るかの勝負となる。
オレがムリホ王女の側に向かおうとした時、呻き声が聞こえてきた。
この声はコリス司祭だ。オレは振り返った。
彼女は水球に吹き飛ばされたのか元いた場所にはいなかった。
どこだろう。あっ、いた。うわあ。
呻いていることからコリス司祭が生きているのは間違いない。
だが、彼女の足は変な方向に折れ曲がり右腕は失われていた。
これで生きているのが不思議なくらいだ。
心臓を一突きされても死なぬ女、とムリホ王女から言われていただけのことはある。流石である。
感心している場合ではない。
依然うつ伏せで転がるケリカ王女を見遣る。
ぱっと見コリス司祭ほどの怪我はなさそうだ。それに、そこらの平民より十分に多い魔力残量もある。
気を失っているだけだとオレは判断した。
ムリホ王女がカラロムの召喚を維持出来なくなる前にオレは周囲の怪我人を助けることにした。
すぐさまコリス司祭に駆け寄り復元魔法を掛ける。吹き飛んだ右腕も元通りである。
「ありがとうございます」
オレに御礼を言うや否や、コリス司祭はケリカ王女の元へと向かった。
ケリカ王女の治療は彼女に任せよう。
オレはまず味方である騎士達の方に向かう。
彼らは水球の直撃を免れていたらしい。
精々数カ所骨が折れた程度だったので、さくっと治しておく。
次に騎士達の近くから、つまり広場の端から順に見て回ったのだが……散々たるものであった。
“場の支配”により広場に縫い止められていたのだ。逃げられるわけがない。
メラヘ伯爵側の生存者は僅かに二人。当然虫の息だ。
逃げられると困るので、死なない程度までしか治さなかった。
オレの側にきた騎士に搬送をお願いする。
それからあの戦士は……死んでいる。うん、死んでいる。
残るは魔法陣の中。
頭上には依然ミリロアが浮かんでいる。
正直オレが魔法陣に踏み入ることで影響を及ぼさないか怖いのだが、人命には代えられない。
魔法使いの女性は干からびて死んでいた。えっ?
ケリカ王女を見遣る。コリス司祭が回復魔法を掛けていた。
ムリホ王女を見遣る。魔力が乏しいのか膝を付いているが、カラロムはまだ健在である。
オレは仰向けに倒れるメラヘ伯爵に近づいて見下ろした。
メラヘ伯爵は干からびて死んでいた。ええっ!?
驚きで立ち止まったオレの耳は、小さな呻き声を拾った。
一番向こう、湖側。
魔法陣に残る最後の一人からと思われた。まだ生きている!
オレはミリロアの真下を通ろうが構わないと走り出す。
魔法陣の中心を突っ切った瞬間、魔法陣の外周が一瞬光った気がしてオレはそのまま立ち止まってしまった。
次の瞬間、オレは頭から水を浴びた。文字通りぐっしょりだ。
見上げると水の聖霊ミリロアの姿はなかった。
気を取り直してオレは湖側の人に近づこうと一歩踏み出す。
その瞬間、バサッと茂みを揺らす音を立て人影が飛び出してきた。
その人影はまるで何かに突き飛ばされたかのように宙を舞い、石畳に叩き付けられオレの前に転がり込んできた。
「大丈夫ですか!?」
思わず声を掛けたは良いものの、オレのおつむはめまぐるしく変わる状況についていけない。
オレの足が止まっている間に、ローブ姿のその人はゆらりと立ち上がった。
「まったく。人をなんだと思っているのですかあの馬は」
その人は悪態を吐いて、顔にまとわりつくフードを下ろした。
現れたのは金色のボブカットに赤色の瞳をした少女の顔だった。
その声、その顔付きは――。
「セレサ!?」
オレは記憶の中にある彼女の名前を呼んでいたのであった。
こんばんは。
遂に出てきました二人目の聖霊様。
そしてアレラサンってばすっかり怪我に対する感覚が麻痺しています。




