78.王女誘拐犯の追跡
「名実ともに魔王じゃな、アレラ」
「勘弁してください!」
魔王などと呼ばれるのは心外なのでオレは即座に拒絶した。
それにムリホ王女が指差した地獄の釜の様相は、流れ込む血の量が多いからか既に収まっている。
もはやただの血の池に過ぎないのだ。地獄ではないのだ。
血の池という時点で地獄だという突っ込みは無しでお願いします。
「心配はいりません。魔物に命令する魔法は“場の支配”とはまた別にあります。アレラさんはまだ魔王ではありません」
コリス司祭がオレを慰めてくれたが、まだって何ですかまだって。
「ところであの人はどうしたんですか?」
話題を変えるべくオレは座り込んだまま震えている騎士に目を向けた。
彼はオレの視線に気付くや否や、ヒッ、と声を上げてずりずりと後ずさる。こんな可憐なシスターを怖がるなんて、解せぬ。
「うむ。斥候に出したらおぬしの支配にあてられたのじゃ。自害しようとしたので引きずり出したのじゃが、気付いたらああなってしもうた。可哀相にの」
ムリホ王女の答えから察するに、オレは話題を変えることに失敗したようだ。
「あの、アレラさん。お願いがあるのですが……」
ここでコリス司祭による話題の転換である。
オレは一も二もなく引き受けるべく頷いた。
ムリホ王女達はメラヘ伯爵という人物を追跡しているそうだ。
だが馬車の痕跡を追い精霊の森へ向かって平原を突き進んでいたところで、魔物達の襲撃を受けたとのことである。
オレが乱入したこともあり、戦闘は既に終了している。
しかし追跡は急を要するとのことで、休憩を取っている時間はないらしい。
当然オレへの詳しい説明も後回しである。
ここで問題となるのは騎士達の疲労だった。
怪我は回復魔法で治せるとはいえ、疲労は普通の回復魔法では治せない。
そして今、騎士達は明らかに休憩を必要としていたのだ。
「なので、回復魔法の応用“疲労回復”を使うしかありません。ですが……」
使い手であるコリス司祭は魔力が回復していないとのことだった。
だからオレにやり方を教えるので代わりに掛けて欲しいとのことである。
早速教わったのだが、回復魔法の応用“疲労回復”は魔力消費量の割に得られる効果が薄くまだまだ未完成らしい。
説明の歯切れが悪かったのはそういうことだったのか。
取りあえず、“疲労回復”は傷付いている筋繊維を治すというイメージだった。
つまり精神的な疲れは取れないのだが、取らない方が良いそうだ。
「精神的な疲れの回復をイメージして掛けた場合、直近の記憶が曖昧になってしまうのです」
疲労には未知の要因があると考えコリス司祭は色々と試行錯誤したのだが、一先ず今のやり方に落ち着いたとのことであった。
「“疲労回復”の乱用は掛けられた方の気が狂いそうになります。注意して下さい」
コリス司祭……何をやらかしたのかお友達に詳しく教えてもらえませんか? ダメですかそうですか。
ポンっと疲労以外の何かまで飛んでいくのとは違うが、心身のバランスを崩すようなのでとても多用は出来そうにない。
というか、結局気が狂うのならアウトではないだろうか。だけど使えというのなら使います、はい。
オレはメイド達を“疲労回復”の練習台にしてコリス司祭のお墨付きを得た。
そして騎士達にも順に掛けようとしたところ、別の問題が発生した。
何人かの騎士にご丁寧なお断りをされたのだ。
まあ無理もない、とムリホ王女が呟くのは耳に入らなかったことにした。
「ケリカ王女様がさらわれたんですか!?」
馬車が走り出し、オレはようやく追跡の意図を聞くことが出来た。
ケリカ王女とは、ケラク賢王国の第一王女である。
ケラハ王の末子で緑色の瞳に淡い金色の長い髪をした少女。コリス司祭の姉妹と思うくらいそっくりな容姿で、御年は……まだ十一歳だったはずだ。
会ったことはあるのだが年下だというのに身長はオレよりも高い。少し悔しい。
しかもオレの事を魔王さまと慕うかなりアブナイ子である。勘弁して欲しい。
「兄上共々さらわれたという話じゃが、わらわ達は兄上の策略ではないかと考えておる」
ムリホ王女が話しコリス司祭が補足説明するところによると。
ムリホ王女にはメラヘ伯爵という腹違いの兄がいる。
ただし、メラヘ伯爵は王配の子である故に王位継承権はないとのことだ。
どういうことかというと、アラルア神聖王国のアリツ女王は性格がアレ……いや個性的なために王配となった夫には心のケアをする公認の愛人がいたのである。
何て言うかうらやましいと言えるのか、本当にいいのかそれは。
王配が亡くなっても愛人の子であるメラヘ伯爵に対しアリツ女王は息子の様に接し、ムリホ王女も兄として慕っていた。
それなのに、メラヘ伯爵は謀反を起こしたということであった。
とはいえ謀反は大事にはならず内々に処理されたそうだ。
しかし逃亡したメラヘ伯爵はケリカ王女を言葉巧みに連れ出したあげく、護衛騎士達を置き去り失踪したとのことであった。
謀反の件は内々の処理故に、ムリホ王女がケラク賢王国への特使を務めている。
ケリカ王女の誘拐を防げなかったので後々の対策が必要とはなるものの、今は救出が先決であった。
道無き平原で王族専用だというのに乗り心地が最悪な馬車の中、オレに対する説明は続けられる。
とある村でメラヘ伯爵とケリカ王女の二人だけが姿を消してしまった。
その際、メラヘ伯爵の護衛騎士達は全く事情を知らなかった。
そんな彼らの人数はアラルア神聖王国から逃亡した人員よりも少なかった。
逃亡の際に合流出来なかったという護衛騎士達の言い分であったが、メラヘ伯爵が護衛騎士達にも告げず秘密裏に人員を分けたのだとコリス司祭は考えている。
護衛騎士達を捨て駒にしてでも時間を稼ぎたいのだろう、という推測である。
ちょっとアホ……いや頭が足りない……いや賢いムリホ王女はより賢いコリス司祭に作戦を任せているようだった。ムリホ王女の視線が怖いので続きを聞こう。
複数の方向に分かれた不審な馬車の情報を得たことで、ムリホ王女達は一番可能性の高い馬車を追跡しているとのことであった。
「取りあえずわらわが借りれた馬でここまで来たわけじゃ」
ケラク賢王国によるケリカ王女の捜索隊は他にも組まれているそうで、騎馬の数が足りていないらしい。
歩兵を連れた部隊は後から追いつく予定とのことであった。
ちなみにメラヘ伯爵の護衛騎士達は、ケラク賢王国側に謀反の話が伝わるまでは互いに協力して必死に捜索していたらしい。
だが今は、表向きはケラク賢王国への入国の際に身分を偽称したとして拘束されているとのことであった。
「誘拐については、表向き盗賊団の仕業としております」
コリス司祭が口裏を合わせるようお願いしてきたので、オレは頷いた。
「上空から大きな湖が見えました。あとその岸辺に怪しげな集団がいました」
「なんじゃと」
「アレラさん、詳しく教えて下さい」
何か情報が無いかと聞かれたので答えたオレに、ムリホ王女とコリス司祭が食い付いた。
しかしいくら物覚えが良くなったとはいえ、オレの語彙力は相変わらず仕事をしていなかった。
オレは四苦八苦しながらも湖畔の集団について説明する。
「その湖畔の魔法陣。間違いないでしょう」
コリス司祭の推測によると、オレが目撃した魔法陣は水の聖霊様と契約する為の魔法陣とのことである。
ムリホ王女が火の聖霊カラロムとの契約に使用した魔法陣と似ていることから、術者の他に三人の補佐が要るだろうとのことであった。
補佐とは魔法陣に魔力を供給する人員だそうで、ムリホ王女の言葉を借りると縛って転がしておいても構わない人員だそうだ。まさか実際にやったんですか?
ともかく、魔力量の多いケリカ王女が補佐という名の生け贄に使われる危険があったのだ。
「やはり急がねばの」
「少なくとも契約が成功するか諦めるまでは留まっているでしょう」
ムリホ王女とコリス司祭はオレを置いてきぼりで会話を始めてしまった。
手持ち無沙汰になったオレは、隣に座る銀色の鎧を着た護衛騎士を見遣る。
しかし彼はオレを一瞥しただけでムリホ王女達の会話へ加わり始めた。
どうやら現地での具体的な作戦を立て始めたようであった。
そうこうしている間にも精霊の森が目前に迫ってきていた。
精霊は魔物と敵対しているらしく、精霊の森に魔物が入ることはないらしい。
あの戦闘以来魔物を見かけなかったので、森に入れば一先ず安心である。
「あそこに馬車が見えます」
手持ち無沙汰で辺りを見回していたオレは進行方向にある幌馬車に気付いた。
とはいえ同行する騎士達も既に気付いている様であった。
オレ達はそのまま不審な幌馬車へと近づいていく。
「冒険者でしょうか、馬車の護衛のようですね。話を聞いてみましょう」
「不用意に近づいても大丈夫なんですか?」
「国の騎士に攻撃すると思うかの」
コリス司祭の提案に対するオレの質問はムリホ王女に秒で否定されてしまった。
取りあえずコリス司祭に全てお任せすることにしよう、うん。
結果、その冒険者達は馬車を守るよう言われただけだった。
しかし冒険者達に指示をした男はメラヘ伯爵の特徴と一致していたのである。
冒険者達から少し離れ、銀色の騎士とコリス司祭が打ち合わせを開始した。
「想定よりも同行者が少ないですね。撹乱に人員を割きすぎたのでしょう」
「かもしれません。ですが魔法使いのいる冒険者パーティが付いていったのですね……召喚の補佐を無理強いされていなければ良いのですが」
「何にせよ――」
その瞬間、ドンッと衝撃が身体を突き抜ける。
物理的に吹き飛ばされたわけではない。
いきなり強大な魔力を感知したことによる錯覚だった。
「もしや、召喚に成功したのか?」
「いいえ、この力は……まさか聖霊様の暴走!?」
ムリホ王女の質問に答えるコリス司祭は狼狽えていた。
オレも周りを見てその異様な力を理解した。
冒険者達が膝を付いている。いや、騎士達も膝を付いている。
まさか、これは……支配系魔法“場の支配”なのか!?
「動ける者は何人おる」
ムリホ王女の質問に立ち上がれる騎士は半数にも満たなかった。
そして土魔法の使い手であるメイド達は誰一人立ち上がれなかった。
その様子にムリホ王女は顔をしかめた。
何故なら、火の聖霊カラロムの召喚魔法陣は直径六十メートル程もあるのだ。
魔法陣は正確に描けなければ発動出来ないどころか、暴走すらあり得る。
今の場所のように草が生い茂っていると魔法陣を描くのに適さない。
だからこそムリホ王女は広く地面を均すためにメイド達を連れてきていた。
しかし、支配系魔法“場の支配”でメイド達が動けない中、召喚魔法陣は描けそうになかったのである。
ドラゴン族によると、支配系魔法とは対象者の魂に干渉して操る魔法である。
複数の術者から相反する命令をすると、対象者が矛盾する命令に従おうと苦しむだけで命令の相殺は出来ない。
最悪、魂よりも先に精神が耐えきれず対象者は狂ってしまう。
しかも他の術者が解除を試みると対象者の魂を破壊しかねないそうである。
とはいえ通常の魔法と同じく、支配系魔法にも魔法効果範囲がある。
解除による死のリスクを背負わずとも、術者から離すだけで効果は消えるのだ。
戦場で術者を発見した場合、支配系魔法に耐性がない者は撤退するよう指示するとのことであった。
では撤退出来ない状況で敵対する術者が“場の支配”を掛けてきた場合はどうするのかというと、操られた味方を物理的に拘束するのである。
対抗して“場の支配”を掛ける場合でも、足止めの命令を出す程度に留めるとのことであった。
何にせよ、今の状況でメイド達にこちらから“場の支配”で魔法の使用を強要するなど御法度である。
「カラロムなしか。なかなかに難易度が高いの」
ムリホ王女も強要出来ないことは知っているようである。
火の聖霊カラロムという強力な助っ人の召喚は出来ない。
それでも不敵に笑う彼女は、流石であった。
即座に人選をして精霊の森に入ったものの、足並みは揃わなかった。
オレとムリホ王女とコリス司祭の三人だけが突出している。
他の者はまるで足に鉛でも付けているかのような動きだった。
「置き去りにしてますけど、いいんですか?」
「仕方あるまい、肉の壁なぞわらわは望まぬ」
オレの質問に対するムリホ王女の回答は、如何にも彼女らしいものであった。
ちなみに森の外へ置いてきた人達を守る足しにと、馬車にはトルクから預かったままの魔物除けの魔法具を置いてきている。
「そういえば、魔力の高い魔法騎士も動けていなかったんですけど……」
竜王ゴロドから修行を受ける際、オレはドラゴン族に伝わることを人族へ開示するのは控えるようにと言われている。
支配系魔法による攻撃を受けている現状、うかつなオレは人族の知らないことを話しかねない。
それに先程オレが“場の支配”を暴走させた原因について、オレ自身が皆目見当も付かなかったのだ。
だから人族がどれだけ知っているのかコリス司祭へそれとなく質問を投げてみたのである。
「支配系魔法は精神系魔法とは完全に別物ではないかという学説があります」
オレの質問に隠れる意図に気付いていないのか、コリス司祭が説明を始めた。
「精神系魔法は術者よりも魔力が高ければ逆らえますし解除も出来ます。一方で支配系魔法は魔力量で耐性が決まる通常の魔法とは異なるのです」
こうして話している間も、足は止めない。
かなり森を進んでいるというのに、今のところオレ達以外に動く気配は見当たらない。
「どれだけ支配系魔法に耐性が高くとも使えない者はいますので、支配系魔法は適性と耐性が別個であると考えられています」
学説に留まっているとはいえ人族もドラゴン族と似たような認識があるらしい。
しかしオレは魂の存在についてまで踏み込んで質問をすることは控えた。
一方でオレの暴走について質問をしたところ、コリス司祭は少し考えた後、分かりません、と答えたのであった。
「普通は教わらねば使えないのだがの」
会話に割り込んできたムリホ王女がオレをじと目で見つめる。
オレの“場の支配”はケリカ王女の魔力パターンを読み取って覚えたので教わったのと変わらないんですけど。
木々の隙間から光る水面が垣間見えた。
オレ達三人は木々に隠れながら湖畔にある広場の様子を窺った。
騎士達はかなり後ろに置いてきてしまった。
広場の向こうには魔法陣の描かれた石畳が湖に突き出すような形となっている。
その直径六十メートル程はある魔法陣の外周へ沿うように、薄い光の膜が立ち上がり揺らめいていた。
魔法陣の中心、目測で三十メートル程の高さに人ひとり入れそうな水球がある。
魔力を受ける方向から“場の支配”を放っているのはあの水球で間違いない。
しかし半径三十メートル程しかないオレの魔法効果範囲では、魔法陣の中心に行かなければ“場の支配”による反撃はかすりもしなさそうである。
視線を下に落とすと魔法陣の中に見て取れる人影は四つだった。
そのうち左右の人影は倒れている。
こちらから見て奥となる湖側の人影も、光の膜で見えにくいものの倒れているようであった。
背を向けて立っていた手前の人影が木々に隠れるオレ達に気付いたようだ。
こちらに向き直り両手を大きく広げた。
それなりに若い男だ。
「兄上!!」
ムリホ王女の声が森に響き渡った。
こんばんは。
魔法の説明を交えつつ少しずつ進んでいきます。
不運要素が足りない……いえ何でもありません。




