73.エピソード 顔をしかめて
…アラルア聖都。
アラルア神聖王国=アラルア聖都=聖女候補・セリカは窓の外を眺めていた。
次代の聖女たる彼女は降臨魔法の反動により命を蝕まれている。
しかし類い稀な回復魔法の使い手である彼女は、自己回復により今もその命を繋いでいるのであった。
今日は体調が良いのか発作も起きず、彼女はベッドから起き上がり考え事に集中出来ていたのである。
「覇王の子が義妹かあ…」
セリカはそう呟くとベッド脇の机を見やる。
その机には複数の書類が置かれている。それらの書類は全てアレラに関するものであった。
セラエ司教の一人娘である彼女は兄弟姉妹が欲しかった。
それ故に父からの手紙で義妹が出来ると知るや否や、嬉しさのあまりアレラに関する書類や資料をかき集めたのである。次代の聖女という権威を振りかざして枢機卿どころか教皇まで脅してかき集めてしまったのである。
おかげで今や彼女は聖王教会でセラエ司教以上にアレラを知る人物となってしまったのであった。
その資料の中にはアレラの出生に立ち会った司祭の手記も含まれている。
そこにはメラロム都聖王教会に保管されているアレラの出生記録にも書かれていない記述があった。
「手記によると普通の茶色の髪…なのに今は純粋な灰色の髪」
彼女はその記述を思い起こし、知らず知らずのうちに呟いていた。
出生記録とその附記には髪の色の記述が無かった。
おそらく生まれた直後の産毛では髪の色がよく分からなかったのだろう。もしかしたらほとんど生えていなかったのかもしれない。
アレラは出生時、その淡い金色の瞳と支配系魔法の発現が注目されてはいた。
しかしながら経過観察を報告する附記には能力の成長が見られないことしか書かれていなかったのである。
それ故に司祭の任期が終わり交替した際に観察対象から外れてしまっていた。
結果、アリレハ村でのアレラに関する報告はそこまでになっていたのだ。
また、現在のアレラが邪王の冥護を受けた容姿をしていることからセリカは覇王に関する資料も集めていた。
それは聖王教会の資料だけではない。覇王教や魔族に伝わる資料も入手できる限りを集めていたのだ。
聖王教では覇王のことを邪王と呼んでいるが、そもそも彼の者は聖王の兄であった。これは聖王教会の古い文献にも書かれている事実である。
全てを統べる力を持つ者が聖王となる。覇王は聖王の座を狙うものの力が足りなかったのだ。
結果として覇王は人族を支配下に置けなかった。支配下には無い人族は聖地より追い出され、それ故に覇王は人族からは邪王と呼ばれることになったのである。
つまり、覇王の加護を持つ者が生まれたといっても育て方さえ誤らなければ人族にとっても聖王に匹敵する聖人になるということだ。
「神託通りなら、アレラは覇王になるのよね…」
覇王の容姿を持つ者を魔族は”覇王の子”と呼んでいた。
魔族の伝承によると”覇王の子”は大成すると覇王に至るとされていた。
「『次に生まれし魔王は邪王と同等の力を得るに至る。時は満ちた。今こそ星の力が集いし時である。覇王が生まれ世界は混ざり合うであろう』」
彼女は神託の全文を呟く。
降臨魔法の暴走を終息させた彼女のみが神託の全文を聞いていた。
しかし彼女が死の淵から意識を取り戻したとき、既に神託を得られたこと自体に箝口令が敷かれていた。
それ故に彼女は誰にも神託の全文を告げていなかった。そもそも彼女は、神託の全文を彼女しか知らないとは思い至らなかったのであった。
彼女は神託の内容については考察していない。聖女は神託を得るのみであり、政治的な対応を行う立場ではない。
そもそも神託は未来における現実である。どうあがいても回避することは出来ない。故に嘆くことも悩むことも無意味であった。
だから彼女は神託の内容について考察しようともしなかった。
神託を一部しか知らない首脳陣が今も苦悩していることなど知らず、彼女は義妹のことのみを考えていた。
アレラは今、ムリホ王女の従者となっている。
アラルア神聖王国の王都と聖都の距離は近い。王都に来るならば会うことが出来るであろう。
「早く会いたいな」
セリカは再び窓の外を見た。
知らぬ間に空が曇っていた。
幸先が思いやられ次代の聖女は顔をしかめたのであった。
「兄上に謀反の動きあり、じゃと!?」
アラルア神聖王国=現王アリツの子・ムリホ第三王女はその報告に思わず叫んでいた。
「姫様、声が大きいです」
此処は他国の宿屋である。アラルア神聖王国にアレラを連れて帰りたいが故にムリホ王女は帰国せず、未だに公務と称して周辺国を漫遊しているのである。
コリス司祭の注意を受けたムリホ王女は声を潜め、改めて問い直した。
「うむ、すまぬ。それでその情報は確かなのか?」
「はい。ですが計画に加担した第二騎士団長を始め主要な貴族は既に拘束しております」
「何じゃ、もう終わった話じゃったか」
銀色の鎧をまとう護衛騎士が報告の続きを話し、その内容にムリホ王女は安堵の息を吐くと座っている椅子の背もたれに身を預けた。
「ですが、首謀者であるメラヘ伯爵は第二騎士団第四隊と共に逃走。収穫のあるこの時期は商隊も多くその中に紛れて移動しているものと思われます。現在捜索中ですがケラク賢王国に向かったと推測されております」
「ケラク賢王国か…兄上の目的は何じゃ?魔族の国への亡命か?」
「流石にそれは無いかと思います、姫様」
護衛騎士が淡々と報告する内容にムリホ王女は茶々を入れる。その冗談とも取れる発言にコリス司祭が冷静に突っ込みを入れていた。
「メラヘ伯爵は聖霊様の情報を集めていた事が判明しております。おそらくはケラク賢王国にある精霊の森に向かったのではないかと」
「力を得るだけならば問題はないじゃろ。もし兄上が聖霊様と契約を結べれるのなら、いっそ王位を譲っても良かろうに」
報告を重ねる護衛騎士に対しムリホ王女は何気なく呟いた。
アラルア神聖王国の王位継承権は力のある者ほど順位が高い。一見ムリホ王女の発言は正しいようにも取れる。
しかしムリホ王女のその発言を聞いたコリス司祭が呆れて口を開いた。
「姫様、王配の子でしかないメラヘ伯爵に王位継承権はありません。故に今回の件も王位の争いでは無く簒奪の動き、つまり謀反となってしまいます」
「そうじゃったな。なら次代の王配にしてしまえばよい。王位継承権のある者と結婚すれば良かろう」
ムリホ王女が兄上と呼ぶメラヘ伯爵は、彼女と半分しか血が繋がっていない。
アラルア神聖王国の王族直系はムリホ王女の母であるアリツ女王である。
メラヘ伯爵はあくまで女王の王配が抱える愛人から生まれた子なのであった。
しかし王配の子を無下にする訳にも行かず、メラヘには伯爵位が与えられていたのである。
王配の愛人はアリツ女王と旧知であり彼女達の関係は良好である。それはもう、アリツ女王がメラヘ伯爵を息子と呼んで可愛がっているくらい仲が良かった。
その為、ムリホ王女は幼い頃よりメラヘ伯爵と親交を結んでいた。こちらも、義兄とは呼ばず兄と呼ぶくらいには慕っているのである。
それ故この謀反の話にムリホ王女は驚きを禁じ得なかったのであった。
「姫様、現在の王位継承権第一位は姫様です。よろしいのですか?」
「…そうじゃな。聖霊様を二柱も抱えた国主の誕生など面白いとは思ったんじゃがなあ」
「そんな事で結婚相手を選ばれるのですか?」
「コリスは結婚に夢を見すぎじゃ。とはいえ、兄上とは性格が合わんな…まともな夫婦生活が想像出来ぬ」
アラルア神聖王国の法で禁止されている兄妹婚についても、王家の盤石を固める為に特例を設け執り行うことも不可能ではない。
しかし破天荒なムリホ王女と気の合う貴族が居るのかという問題については、まず居ないと言うことが分かりきっている。そのことを身にしみて分かっている此処に居る者達がムリホ王女に突っ込みを入れることはない。
ムリホ王女とコリス司祭の無駄話が一息吐いたのを見計らって、護衛騎士が声を掛けた。
「報告を続けます。メラヘ伯爵の邸宅に残された計画書には王族の暗殺も記されておりました。暗殺対象には姫様も上がっております」
「何じゃ、最初から振られておったか」
「姫様、真面目にお聞き下さい」
「分かっておる」
コリス司祭の注意も何のその。ムリホ王女の発言に護衛騎士がため息を吐く。
「メラヘ伯爵はケラハ王と接触するのでは無いかと情報部は考えております」
「そう言えば…公爵家は噛んでおりませんよね?」
護衛騎士の発言にふと思い出しコリス司祭が質問を入れる。
その質問に護衛騎士が肯定したことで、コリス司祭は安堵の息を吐いた。
アラルア神聖王国女王の王配、コリス司祭の父である公爵、そしてケラク賢王国ケラハ王の正妃。この三人は兄妹である。
もっとも、彼らから生まれた甥姪がやんちゃな為にケラハ王の眉間のシワが年々増えていくのはまた別の話であった。
兎に角、コリス司祭は自身の父が謀反に加担していないか気に掛けたのである。
一方で王配はというと、既に故人であるため今回の件に関わってはいない。
しかし謀反を起こした者達が旧王配派であるのは拘束した貴族達から確定的であった。
「他国への周知はされておるのか?」
「いえ。事は国の情勢に影響を与えます。謀反の処理は内々に行えとの事です」
「そうか。それでこの母上の手紙というわけか」
「手紙ではありません勅命です。姫様、早く読んでください」
「どうせ大したことなど書いてないじゃろ。ほれ」
一通り報告が終わったところでムリホ王女は始めに渡された封書を取り出す。
まだ開封されていなかったそれを開き、ムリホ王女は中に入っていた書面を護衛騎士とコリス司祭に見せた。
そこには一文のみ書かれていた。
『アホ娘へ。馬鹿息子を火の聖霊様で一発殴ってくるのじゃ』
「始末せよということですね」
「拘束しなさいということですね」
護衛騎士とコリス司祭は意見が合わず、二人は顔を見合わせた。
しかしこの場合は、伯母にあたる女王との付き合いが長いコリス司祭の方が文意をよく理解出来るのである。
つまりムリホ王女に与えられた勅命は、メラヘ伯爵の拘束ということになる。
「そうじゃな…アレラも呼びつけるのじゃ。直接向かわせい」
「よろしいのですか?今は特別な修行中と報告を受けておりますが」
ムリホ王女の指示にコリス司祭は反対の姿勢を示す。
彼女達はエレヌのパーティがアレラを見つけてから定期的に連絡を取っていた。
アレラ自身があずかり知らないところでその状況を逐一把握していたのである。
「流石に支配の制御くらい出来とるじゃろ。出来てなくともアレで動ける奴などおらぬ。いざという時の保険としては十分じゃ」
アレラが使う『場の支配』は、勇者候補として最強に近いムリホ王女の動きをも抑えられるのである。アレラは味方として頼もしいことこの上なかった。
「しかし、アレラさんが間に合わない場合は」
「その時はその時じゃ」
とはいえムリホ王女達とは行動を共にしていないアレラが現地に到着できる保証は無かった。アレラはあくまでも戦力としては保険なのである。
「そう言えばコリス、兄上の支配ならば耐えれたはずじゃな?」
「姫様より弱ければ何とか」
「ならば、いざという時は頼んだぞ」
「承知致しました」
メラヘ伯爵は支配系魔法の適性があった。その為に拘束に抵抗された場合はムリホ王女達が支配系魔法による反撃を受ける可能性がある。そして抵抗される可能性は非常に高い。
一方でコリス司祭とて王家の血を引く公爵令嬢である。コリス司祭自身は支配系魔法を使えないものの、耐性は持っているのだ。
それ故にムリホ王女はコリス司祭に確認したのであった。
「とはいえ、まずはケラハ王と話をせねばならぬな。何か嫌な予感がするのじゃ」
ムリホ王女はそう言うと、窓の方を向く。
窓の外を見るつもりだったのであるが、残念ながらカーテンがしっかり引かれていて外を覗うことは適わなかった。
何とも締まらない。ムリホ王女は顔をしかめたのであった。
…夕闇のバルコニー。
ケラク賢王国=十二代=現王・ケラハ五世の気は重い。
メラロム侯爵領の魔王候補は討伐された。
しかし今度は魔王の領域との境界にある砦から、ここ一ヶ月で魔物の襲来回数が急激に増えているという報告を受けていたのである。
魔物達は統率されているという訳でも無いため、今のところの襲来は砦の人員で十分対応出来ている。
とはいえ、このまま襲来を受け続けると砦の兵士達が疲弊してしまう。
国内の各領地からの派兵を行い、王都からも騎士団を出発させた。
後学の為、第一王子と第二王子も騎士団と共に行動させた。
一方、第一王女のケリカはというと相変わらず百合百合しい妄想を繰り広げ日々を過ごしている。ケラハ五世はもはや見て見ぬ振りをするしかなかった。
やはりケリカ王女にムリホ王女を会わせるべきではなかった。とはいえ従姉妹との交流が無いというのも問題な為、会わせるしかなかったのだ。
バルコニーから城下を眺め、ケラハ五世はため息を吐いた。
そんなケラク賢王国の王城には今、ケラハ五世の甥が訪問していた。
その甥の名前は、メラヘ。
アラルア神聖王国のメラヘ伯爵その人であった。
ケラハ五世の脳裏にはそんな甥を交えた夕食時の会話が蘇っていた。
「ケリカ姫、ムリホ姫に会いたくはありませんか?」
「メラヘ様!ムリホお姉様も近くに来られているのですか!?」
「ええ。もうすぐこちらに来ますよ。折角ですから迎えに出られませんか?」
メラヘ伯爵にケリカ王女は満面の笑みを見せる。
折角愛娘が笑顔を見せているのだ。敢えてその笑顔を曇らせることもあるまい。
そう考えたケラハ五世は渋面を作りながらも、会話に口を挟むことは控えた。
ケラハ五世としてはケリカ王女にムリホ王女を二度と会わせたくはないが、既にケリカ王女の状態は手遅れでもある。
ケラハ五世自身はムリホ王女に会いたくない。しかし愛娘と従兄弟達との交流の邪魔はしないよう考え直し、ケラハ五世はケリカ王女の外出を許可した。
ケラハ五世には打算もあった。
アラルア神聖王国との繋がりは強化しておいた方が良い。
そもそもムリホ王女を信奉するケリカ王女の嫁ぎ先はもはやアラルア神聖王国にしかないのである。
現在、アラルア神聖王国に王子は居ない。王家に最も近く、ケリカ王女と歳も近い男子はメラヘ伯爵なのである。
親類であるが故にケリカ王女が無碍に扱われる事も無いだろう。
そう考え、ケラハ五世は空を見上げた。
曇天で星は見えない。ケラハ五世は顔をしかめたのであった。
こんばんは。
前回から一ヶ月の間が開き更新を楽しみにしていた皆さん、申し訳ありませんでした。
エピソードを挟む前にいくつか日常の挿話を予定してみたのですが思いつかず、構想当初の内容へ移ることにしました。
怒濤の巻き返しが図れるかは分かりませんが、今後とも本作をよろしくお願い致します。




