69.温泉王都
オレの眼下には盆地が広がっていた。
盆地と呼称するには少し広いのかもしれないが、向かい側も山、左右も山。オレ達が立っている丘も半日程かけて緩やかな傾斜を歩いてきただけに山と言って差し支えがないだろう。だから盆地のはずである。
その盆地の中央に城塞都市がある。あれがこの国の王都なのだろうか。
「あそこが…」
「そう、メリレエ王国の王都にして学問の都市。ゼラロデ都よ」
「え!?ゼラロデ…?」
オレの呟きにエレヌさんが答えてくれる。
予想通りに眼下の城塞都市は王都だった。しかしオレはその名前に驚きを隠せなかった。
「ええ。天の竜王ゼラロデ。アレラなら神話でこの名前を知っているわよね」
「し、知ってますけど…知ってます…けど」
ゼラロデ。前にトルクの名乗りでも出てきた名称である。
あの魔族は確か『クラルク共和国=ゼラロデ県』の所属だと名乗った。
地名は被ってもおかしくないとはいえ、最近聞いただけにどうしても関連性を疑ってしまう。
「あの山の向こうは竜の土地よ。かつて人族はあの山を越えようとして竜と戦い、撤退した歴史があるわ。以降、竜とは不可侵の盟約を結びこの地を人族の領土として認めてもらったのよ」
「認めて、もらった」
エレヌさんはオレの動揺を説明の催促と勘違いしたのか、この地の由来を話してくれた。
しかし竜に”認めてもらう”とか何だか曰く付きの土地に感じる。
「ええ。今でも竜がこの都市に降りてくるわ。この国のちょっとした名物になっているわね」
「ええ!?」
「運が良ければ会えるわよ」
まさかの現代でも竜とお隣さんな土地である。
開いた口が塞がらないオレにエレヌさんはこの国の歴史を話してくれた。
この地は竜に屈した土地とも言われ、聖地奪還を目指す聖王教会と折り合いが付かなくなって孤立したそうだ。
だが同時に竜に守られた土地でもあり、聖王教会とそりが合わない宗教団体が逃げ込んだ多宗教都市となっていったらしい。
それゆえか聖王教会による圧力が掛かりそうな学問を行うには格好の地となり、学問の都市としての側面が生まれていったそうである。
その結果、智の聖王女メリレエの名を冠した国を興すに至ったそうだ。
だからこの都市に至るまでの町は全て人族の他国から防衛する砦から発展した城塞都市だったのだ。
この国が戦う相手は魔王でも魔族でもなく、人族だったのだ。
とはいえ専守防衛のお国柄なので今は戦争もなく平和ということらしい。
どうりで国境の町に国境門を敷いたり両国の兵隊を配置したりするわけだ。
ちなみに聖王女とは、聖王教における女性使徒の呼び名である。
変な呼び名だとオレは思ってしまうのだが、一神教ゆえに女神と呼べない結果生まれた呼び名なのだろう。聖王の親戚とこじつける辺りも信仰の分散を恐れた故かとついつい邪推してしまう。
尚、此処にはメリレエを女神として信奉するメリレエ教なる宗教もあるという。
「じゃあ、この都市には邪王…覇王教も?」
「まあそうなんだけどね。けど用事があるのは覇王教ではないわ」
オレはエレヌさんの答えに首を傾げた。
「あれ?覇王の回復魔法を教えてもらうんじゃ…」
「最初はそのつもりだったんだけどね。けどあの魔族、トルクと言ったわね。彼がアレラに教えた魔法が、私が教えたい覇王の回復魔法そのものだったのよ」
「あれが…そうだったんですか」
なんと、トルクによって元々の目的はすでに果たされていたらしい。
あんな簡易的としか言えないような呪文が、まさか正解だとはオレは思っていなかった。
そうなると…何と言うことだ。オレは邪王もとい覇王の冥護を受けているというのに、覇王には頼れないということになってしまう。
「だから別の伝手を頼ることにしたわ。これも気乗りがしない伝手なんだけどね」
「なんか、すみません」
流石エレヌさん。頼れる年増もとい姉御、もとい優秀な魔法使いである。
元々の目的とは違う手段を考えてオレを此処に連れてきてくれたようだ。
「気にしないで。旧友にも会う口実になるしね」
「え?」
オレは再び首を傾げた。
いや、伝手というからには旧友でも不思議ではないのであった。
「エレヌはの、この国の出身なのじゃよ」
「ちょっとザラス。人の個人情報を勝手に漏らさないで」
「おっとすまん」
「まあいいわ。アレラには秘密にしても仕方がないしね」
ザラスさんの横槍とエレヌさんの物言いから、どうやらこのパーティメンバーは全員エレヌさんの出身地を知っているということになる。
もしかしたら彼らは此処にも足を運んだことがあるのかもしれない。
「取りあえずまずは温泉宿に泊まるんだろ?」
「そうね、ソルフ」
やっぱり彼らは此処に来たことがあるらしい。ん?
「温泉!?」
オレが疑問を垂れ流すよりも早く、ヘレアが話題に喰い付いた。
「ああ、ヘレアにも話してなかったわね。この都市は温泉でも有名なのよ」
「温泉楽しみだね、アレラちゃん」
「う、うん…」
エレヌさんの返事を聞いてヘレアが嬉しそうに微笑む。
とはいえオレには、ヘレアサンの青色の瞳が猛獣の瞳にしか見えません。
「そうそう、チレハは入っちゃダメよ」
「姐さん酷いですー。わたしも温泉楽しみなんですー」
一方エレヌさんはヘレアを放っておいてチレハさんと軽口を叩き始めた。
手を握ってくるヘレアの艶めかしい視線を避けるため、オレは辺りを見回す。
「あれ?」
オレは空中にいる何かに気づき、目に掛かる増幅魔法を意図的に強化した。
「あれは…ドラゴン?」
ワニの手足を長くしたような姿形、背中には恐竜の翼竜のような翼。
オレの目には白っぽいドラゴンが城壁の中に降りていくのが見えていた。
ちなみに竜とドラゴンの違いだが、竜の一類がドラゴンとなる。
例えばヒトがサルと同じく霊長類に分類されるように、ドラゴンは竜の一類として分類されているわけだ。
つまり竜には人語を解せるほど賢いのもいるし、チンパンジーみたいに小さくすばしっこいのもいるし、ゴリラみたいにマッチョなのまでいるということになるのだろう。
何だ、竜も筋肉か。
違う、そうじゃない。
全員がオレの呟きに気付いて王都の方を見ている。
もっとも、此処からだと遠くてドラゴンの形がはっきりと見えないのだろう。
みんなが手で庇をつくり眺めている中、エレヌさんだけそのドラゴンが何者なのか分かったらしい。
「運が良いのか悪いのか…どっちかしらね」
あちゃあ…と言わんばかりにエレヌさんが額に手を当てて頭を振っていた。
「あの、もしかしてお知り合いですか?」
「そんなわけ…あるから困るのよね…」
「えっ」
オレの質問にエレヌさんはまさかの肯定をしてきた。
ドラゴンと知り合いとは、エレヌさんの素性が気になる。
気になるが冒険者の個人情報を突っ込んで聞き出すわけにはいかないのだ。
「温泉…アレラちゃんと温泉…」
「うへへー…温泉ー、温泉ー…」
一方、オレ達が真面目な話をしている横ではヘレアサンとチレハさんがアブナイ妄想にふけっていたのだった。
…王都にはすんなりと入れた。
当然である。他国と戦争状態でもないので、冒険者のドッグタグがあれば普通に通行できるのだ。
もっともオレだけはミニチュアホイールキャップもとい太陽紋章で身分証明をしたのだが。服装だけではなくちゃんとシスターなのをこの国でも知らしめないといけないのだ。たぶん。
「…アレラ、聖王教の威光はかざせないから注意しなさい」
「かざす気ありませんけど…」
一旦ドッグタグを取り出そうとして仕舞ったオレを、エレヌさんが冷ややかな目で見てきた。
「まあ、人さらいが出るとも限らないしねー」
「え?流石に街中で殺人は出来ないよ…」
チレハさんが不吉なことを言ってきたのだが…ヘレアサン何言ってるの!?
「街中じゃなくてもダメ!」
「大丈夫。アレラちゃんは私が守るから」
「大丈夫じゃないよそれ!」
オレとヘレアはよく分からない言い合いを始める。
そうして雑談をしていたのだが、オレは誰かが近づいてくる気配を感じた。
ここまではっきりと気配を感じられるということは、相当な魔力の持ち主がオレの魔法効果範囲に入ってきたということになる。
オレが振り向くと、そこに居たのは青白い長い髪と長いひげを蓄えた男性の老人だった。彼は金色の目を細め、オレを面白そうに眺めてきた。
そして彼が口を開いた瞬間、彼とオレの間にエレヌさんが割り込んできた。
「まさか貴方から会いに来るとは思わなかったわ」
「まあそういうな。町に来る途中にお前を見かけたのでな」
どうやら彼はエレヌさんの知り合いだったようだ。それにしてはエレヌさんの態度が険悪な雰囲気である。
「そうかしら?私なんて気にも留めてなかったはずよ」
「まさか。ちゃんと覚えているから会いに来たというのに。それで、面白い子を連れているが…その子がそうなのか?」
「私の弟子に、近寄らないで」
「まあそう邪険にするな。灰色髪の子よ、名は何と言う?」
喧嘩腰のエレヌさんをかわして、その老人がオレの真正面に立った。
「え。あ、アレラ、です」
「そうか。儂はゴラドだ」
「アレラ、この露出狂には気を付けなさい」
「ろ…ろしゅつきょう!?」
オレとゴラドさんが名乗り合ったと同時に、エレヌさんがとんでもない台詞を挟んできた。
「誰が露出狂だ」
「貴方よ。相変わらずその外套の下は何も着けてないんでしょ」
「当たり前だ。服などという身体を締め付けるもの、誰が着けるか」
「うわー…」
エレヌさんの指摘を肯定してくるゴラドさんからオレは思わず一歩後ずさる。
そしてオレの前にナックルダスターを装備したヘレアが立った。殺る気だ。
「そんなことより、恒例の買い出しに来たんじゃないの?野菜市場は向こうよ」
「おおそうだった。早く行かねば良い物が無くなってしまう」
ヘレアを手で制止しながらエレヌさんがゴラドさんと会話を続ける。
「朝市じゃなきゃ良い物は無いわよ」
「なら今更慌てても仕方ないな」
「いいから行きなさい」
シッシッとばかりにエレヌさんがゴラドさんを追い払い始めた。
「まあよい。アレラよ。また会おう」
ゴラドさんはそう言うと踵を返した。
「私が居ないときに会わないようにね」
「どうかの」
その背中にエレヌさんが警告すると、彼は手を振って去って行ったのだった。
女風呂。そこは男子の憧れ。決して入れない聖域。そこに今、オレは合法的に居る!!
いや、だってオレ今女の子だしね。今浸かっているお湯の効能に美肌成分と書いてあるのを嬉しく思っちゃうくらいに女の子だからね。
とはいえ、相変わらずオレの身体ことアレラの身体に成長は感じられなかった。
というか肉付きすら変わっていない気がする。
尚、自分の身体で興奮するとかそんなことはない。出るところも出ずくびれるところもくびれず。寸胴じゃない!マッチ棒だからな!
自分で意識して悲しくなった。むなしい。何もかも隣に居るエレヌさんの所為である。惜しげも無くナイスバディを晒している彼女の所為である。
「アレラって…時々そんな目してるわね」
「えっ」
やばい。変なこと考えていたとか見抜かれた!?
でもエレヌさんの身体を見ても興奮してないよ?うらやましいだけで…。
すっかりオレも乙女になったものだ。もう少し男子の精神を維持しなくては。
いや、そろそろテンションを下げよう。このままでは興奮しすぎてのぼせてしまいかねない。
「大丈夫、アレラも大きくなるわ、きっと。そう、たぶん…おそらく…」
落ち着くべく深呼吸をするオレに、エレヌさんが追撃してきた。
尻すぼみに言わないでください。凹みます。
「まあ、あっちみたいな目をしてるよりは全然いいけどね」
その言葉にオレは顔をあげた。
彼女の視線を追いかけてあちらを見ると、なんだか凄く興奮した目で周りを見ていらっしゃる女性がいらっしゃる。いらっしゃる。
あれはチレハさんだ。うひょー、とか、たまらん、とか聞こえてくる。
うん、あの人も変態だったのか。
どうりでエレヌさんから温泉禁止を言い渡されるわけである。
ああそうか、女性だからって別に女性に興奮してはならないなんて決まりはなかった。無差別だとちょっと変態に見られるだけなのだ。
変態に見られるのはちょっとどころでは無いなと思ったところで、いきなり後ろから抱きすくめられてオレの思考は中断した。
「私のアレラちゃん…今日も可愛い…一緒にお風呂入れるなんて…幸せ…」
あ、ここにもあまりの偏愛っぷりで変態に見える人がいるんだった。忘れてた。
「ヘレア、ちょっと放してって。ちょ!どこさわ!おい!やめ!やめて!!」
ヘレアサンに奪われる!大切な何かが散らされる!
エレヌさん笑ってないでタスケテ!!
「相変わらず仲が良いのね。このまま結婚しちゃう?」
ヘレアの拘束から逃れようと必死にもがくオレを見つつ、エレヌさんがヘレアサンという火に油を注いできた。
「はい!仲人宜しくお願いします!!」
ヘレアサン仲人とか頼まないで。というか放して!襲わないで!その手を…なんだ、くらくらする…。意識が…。
…気づくとベッドに寝かされていた。
ヘレアは隣に居た。ちゃんと椅子に座っている。
「ごめんなさい…アレラちゃん、のぼせちゃうなんて思わなくて…」
しおらしくしたって可愛いなんて思わないから…いや。ヘレアサン可愛い。
顔が良いのはずるい。
これで赦してなんて言われたら赦さざるをえないじゃないか。
「責任とって結婚するから…ね?」
ね?じゃありません!
こんばんは。
唐突な温泉回でした。
年末サービス?はて。
来年も本作をよろしくお願い致します。
それではよいお年を。




