59.エピソード 悪運娘の爪痕
「報告は以上となります」
「うむ。さて…コリス、どうみる?」
銀色の鎧をまとう護衛騎士から報告を受けたムリホ王女は、コリス司祭に意見を求める。
此処はアレラがさらわれた町にある町長の館である。
町長は王族の同行者が自身の館からさらわれたという負い目により、彼女に対し全面的に協力をしていた。
そのため彼女はアレラがさらわれてから未だにこの館で滞在を続けている。
アレラを誘拐した犯人の痕跡はすぐに見つかった。
ムリホ王女が彼女とコリス司祭の守りを専念するあまりアレラのことまで気が回らなかった騎士達を減給に処した上で、周辺の捜索に当たらせたのだ。
馬車が見つかった地点から逃げるなら隣国であるメリレエ王国へ向かう可能性が一番高かった。幸いにも国境の町はこの町を含め一つの領地であった。
そこでムリホ王女はここの領主に使いを出してアレラを捜索し続けたのである。
そして今し方、国境の町で起きた騒動の報告を受けたのであった。
「はい、姫様。アレラさんで間違いないでしょう」
「やはり…そうか」
コリス司祭の返事にムリホ王女は項垂れた。
騒動の中身は彼女にとって朗報とはほど遠かったのだ。
「全く…人を死なせるなど何をしておる…」
「手引きをしているのは間違いなく魔族でしょう。兵士達は全員剣または風魔法によって殺されております。どちらもアレラさんが使える攻撃手段ではありません」
ムリホ王女が項垂れる一方で、コリス司祭は感情を排して淡々と述べる。
アレラに攻撃手段は何一つないのだが、今の彼女にはコリス司祭にそのことを突っ込む余裕などなかった。
他国の国王であろうと粗野な態度を取るムリホ王女であるが、その態度は平民であろうとも変わらない。つまり彼女は身分に関係なく人と接しているのだ。
そんな彼女にとって自身が関係することで人が死ぬということは気落ちするに十分なことであった。
「分かっておる。あやつに人殺しなど出来ぬ。じゃがな…あれほどの力がありながら人が死ぬような状況を見過ごすなど、アホ以外の何者でもないじゃろ」
そしてムリホ王女は現場にいた関係者、つまりアレラに対する文句を言った。
だがアレラが巻き込まれたのは本人の所為ではない。それが分かっているために彼女はアレラへ怒りを向けたりはしなかった。
「姫様?アレラさんは魔法封じの首輪を着けているのですよ?」
「あ…そうじゃった」
一方でコリス司祭に指摘される程度にはどこか抜けていた。
「姫様」
「何じゃ」
「少しは頭を使われては如何でしょう」
「おぬしに言われたくないわ、この鎧馬鹿!」
だから護衛騎士にも貶されていたりするのである。
「救いなのは民間人に死者が出なかったことと、幸いにも騎士が現場に居らず貴族に負傷者が出なかったことですね」
「…じゃが兵士が死んでおる」
淡々と述べるコリス司祭にムリホ王女は少し向きになって答えた。
他国の貴族から難癖を付けられるのは王族として避けておきたいことである。
だからこそコリス司祭はムリホ王女の側近として意見を言わなければならない。
「姫様。今のアレラさんは姫様の庇護下にあり、側近に相当する扱いとなっております。貴族が負傷すれば国際問題になっておりました」
「分かっておる」
「…はい。ですから」
「分かっておるから、そんな顔をして言うでない」
しかし淡々と述べるコリス司祭の顔色も良くはない。
彼女も身分に関係なく人が傷つくことは嫌いなのだ。
そしてそれを理解しているムリホ王女は彼女の顔色に気づき、向きになったことを少しだけ反省した。
「民を守り切ったのです。兵士の本分を全うした彼らに与えるべきは賞賛ですよ」
「…黙れ、この鎧馬鹿」
「はっ」
そこに口を挟んだ護衛騎士をムリホ王女は即座に黙らせた。
彼女達の付き合いは長い。護衛騎士が彼女達を慰めようと考えて発言したことは彼女にも伝わっている。
ただ単に、戦闘のことに関しては饒舌になる彼がうっとうしいだけなのだ。
改めてムリホ王女も報告内容の分析をし始めた。
「なあ、コリス」
「どうされましたか。姫様」
「やはりアレラの首輪は壊れておらんか?」
そして彼女はあることに気づき、コリス司祭に意見を求めた。
かなり強力な『場の支配』が発動したと思われる形跡から、その魔法を発動した術者はアレラとしか考えられない。
アレラが魔法を使えたということは首輪の魔法封じが効かなくなったと考えるべきだろうと。
「壊れたと見てよろしいかと」
「あのアホラ!」
しれっと答えたコリス司祭の言葉にムリホ王女は声を荒げた。
アレラが魔法を使えたのなら人が死ぬことは避けられたのではないかと考えてしまったのだ。彼女は思わずアレラの名前にアホを混ぜていた。
「いえ…むしろ、アレラさんは被害を最小限に抑えたのでは?」
しかし彼女の態度からその考えを読み取ったコリス司祭は即座に否定した。
「何故そう思うのじゃ?」
「はい。アレラさんの脳天気な性格から、恐らく兵士達が殺されるとは考えていなかったのでしょう。『場の支配』を自力で解除出来ないと分かっていながら使用したのは、兵士達が殺されたことにより使わざるを得なくなったと考えるべきでしょう」
そこまで一気に考えを述べてコリス司祭はムリホ王女の言葉を待った。
ちなみにアレラが馬鹿と言い切っているような発言なのだが、ここにいる全員がそう思っているので、その点に突っ込む者は誰一人いなかった。
「…それほど同行しておる魔族が厄介だということか…どうしたものかの…」
ムリホ王女は少し考え、そして突然頭をかきむしった。
「だあああ!わらわは難しいことを考えるのは嫌いなんじゃ!」
「姫様はアホですから致し方ありません」
ムリホ王女の発言へ即座に辛辣な言葉を放つコリス司祭の態度は側近とはとても思えなかった。
それもそうだろう。ムリホ王女は王族として忙しい兄弟姉妹よりもコリス司祭と共にいる時間の方が多い。
彼女にとってコリス司祭は実の姉よりも姉らしい存在であり、コリス司祭にとって彼女は仕える主でありながら妹のような存在なのだ。
「わらわをアホとか言うでないコリス!アホはあのアホラじゃ!」
「そうですね。国境を越えた先で民間人を昏倒させたのは確かにそう言わざるを得ません。これこそ国際問題となります」
遂に声を荒げたムリホ王女に対して、コリス司祭は再び淡々とした口調で話し始めた。
心の休息のようなじゃれ合いはここまで。
彼女達は真剣に打ち合わせを続けた。
「…では、打ち合わせ通りに全て魔族の所為にするよう仕向けるのじゃ」
「それではすぐに情報の操作に入ります」
「頼んだぞ、コリス」
「承知しております」
打ち合わせを終え退室しようとしたコリス司祭は思い出したように振り返った。
「ちゃんと考えておられましたね、姫様」
そう言って微笑むコリス司祭は姉として妹を褒めるような顔付きであった。
一方ムリホ王女は馬鹿にされていると思い不機嫌な顔付きに変わった。
「コリス」
「はい、姫様」
「久々に髪を梳いてやろうぞ」
ムリホ王女はコリス司祭が彼女に髪を弄られるのを嫌がると理解していた。
だからこれは馬鹿にされた仕返しである。
「お断りします」
当然のようにコリス司祭はにっこりと笑って拒絶したのであった。
…夕闇のバルコニー。
ケラク賢王国=十二代=現王・ケラハ五世の気は重い。
昨年の魔物の大襲撃に端を発する魔物の領域に関する案件はアラルア神聖王国から派遣されたムリホ第三王女の手により解決した。
しかし人族最古の国である彼の国が、勇者候補として最強と名高い王女たる彼女を派遣してきたこと自体が厄介なのであった。
かつて人族は聖地奪還を目指し魔王討伐を掲げていた。
そして魔王達と戦争を繰り返し人族の領域を拡大していったのである。
だが賢者ケラクが生きていた時代に一人の強大な魔王が現れたのだ。
人族は惨敗し数多の国が魔王の領域に飲み込まれることとなったのである。
賢者ケラクは当時中立の立場であった精霊を味方に付けた。
そして人族の領域内で最大となる精霊の森があるメリロハ川を最終防衛線として背水の陣を敷いたのである。
この戦いに勇者としての力を持つ者の大半が投入された。
魔王軍側も魔王としての力を持つ者を多数投入し戦いは苛烈を極めた。
遂に各国の王族達さえも戦いに投入、彼らは犠牲となっていったのである。
最終的に魔王軍を指揮する強大な魔王を打ち倒したものの、多数の勇者と王族を失った人族には魔王の領域に侵攻するだけの力が残っていなかった。
斯くして勢力を失った人族は魔王の領域に対し専守防衛、すなわち魔王討伐を掲げ軍を動かさないこととし国家間の協定を結んだのであった。
そして勇者としての地位を高めた賢者ケラクによりケラク賢王国が建国された。
戦いにより疲弊した周辺国を吸収することで大国となったこの国は、今でも人族の防衛線として機能し続けている。
更にメリロハ川流域にある精霊の森一帯は不可侵領域とされ、今も精霊は人族の味方として魔王の領域から人々を守ってくれているのであった。
だが賢者ケラクの指示により各国の王族達を戦いで犠牲にした上に周辺国を吸収したかたちで生まれたこの国と他国の間に、しこりは残り続けている。
今回の魔物の領域に関する案件においてアラルア神聖王国を除き他国から勇者の派遣がなかったことは、未だにそのしこりが大きいということを示していた。
しかし、各国の王族を束ねる彼の国が重い腰を上げて手を貸してきたということは要求される内容もそれなりに覚悟しなくてはならない。
この国が外交で出せる最大の手札を考えたところで、ケラハ五世は昼間の情景を思い浮かべ頭を抱えた。
彼の末娘であるケリカ第一王女の頭がおかしくなってしまった。
考えるまでもなく原因はあのムリホ王女だ。
ケリカ王女は今も尚ムリホ王女をお姉様と呼び、再会を祈りながらことある毎に褒め称えている。
おまけにあの魔王候補の娘のことを魔王さまと呼び、やはり再会を祈りながらことある毎に虚空を見やってうっとりと…全くもって考えたくもない。
そしてそんなケリカ王女こそ、この国が外交で出せる最大の手札なのだ。
すなわち政略結婚であるが…あの状態で?本当に大丈夫なのか?
さて、ケラハ五世の気が重いのは国政とは別にもう一つの理由がある。
先日彼はメラロム侯爵から聖王教会に対する強力な伝手を紹介されていた。
セラエ司教というその男は、聖王教会内の政争で負け親戚筋であるメラロム侯爵家に目立たないよう身を寄せていたのだという。
しかし今回の魔物の領域に関する案件に一枚噛んでいた彼は、再び表舞台に立つと決意したそうだ。
そうケラハ五世には紹介されていたのだが…。
何故だ。何故あの魔王候補の娘の養親なのだ!
「主様、お目覚めですか?」
積み上げられたガレキの中、横たわった青年は少女の呼びかけに応じ静かに頷いた。
白銀色をしていた青年の髪は全て焼け落ち、身体は煤だらけで真っ黒である。
彼らを取り囲むガレキはただ単に積み上げられたものではない。
少女が時間を掛け、周りに気づかれないようカモフラージュをしながら青年を救出すべく積み上げられたものであった。
「腕はまだ治されないのですか?」
続けて問いかける少女に青年は頷いた。
青年の片腕はまるで体から炭の棒が生えているかのごとく焼け焦げていた。
そしてもう一方の片腕は肩口から失われていた。
「体の修復だけで精一杯だな。今はまだ手を回せない」
ようやく少女に返事をし、青年は目を開けた。
彼のぼろぼろな身体とは対照的に、その金色の瞳は爛々と輝いている。
「まあ、修復に集中するあまり魔物に出していた命令が解けて助かったのだがな」
そう自嘲気味に笑い、未だ横たわったままの青年は少女を見上げた。
「大変でしたよ。館の何処に主様がぶつかっても、ガレキが当たるように崩れる細工をするのは」
大変だと言いながらも少女の表情は何一つ変わっていない。
「そこは当たらないようにと言って欲しかったな」
文句を言いながらも少女に対し青年は目を細めた。
「あの王女様の攻撃を止めさせるには主様をガレキで埋めるしかありませんでしたから」
だが少女の方は淡々と見解のみを述べていた。
「まあ、助かった。あと少しあの攻撃を食らっていたら完全に灰となっていたかもしれん」
「いえ。礼には及びません」
そして少女は青年に肩を貸し立ち上がった。
「しかしあの”盾”は是非とも手に入れたいな」
青年の脳裏には強力な防御魔法を張ったある女の子の姿が焼き付いていた。
青年自らの銃撃を防ぎ続けただけでなく、彼自身を焼き尽くす勢いだった火の精霊による攻撃を事もなげに防いでみせた女の子の姿を。
「アレラ…ちゃん?」
「何か言ったか?」
少女が小さく何かを呟き、聞こえなかった青年は彼女に問いかける。
「あ、いえ。アレラと呼ばれていた灰色の髪をした女の子ですか?」
「ああそうだ」
あの時は遠くに待機していた少女が”盾”の名前を知っていることに少し違和感を感じつつも、青年は頷いた。
あの”盾”は彼の野望を満たすのに必要だろう。
だがそのためにはあの王女と火の精霊が邪魔になる。
しかし今は王女達に勝てる力がないことを青年は痛感していた。
「まあ、まずはあの化け物共に勝てる力をつけなくてはな。いくぞ」
「はい、主様」
少女は青年に答えて頷いた。
肩上で切り揃えた彼女の髪が、頭の動きに合わせて静かに揺れていた。
こんばんは。
主人公の出番はありません。
しかし間違ってはいないと思いますが慕われすぎですね。