58.災厄の国境門
残酷描写があります。ご注意下さい。
トルクが膝を付いた。
「え?」
何が起きたのか理解出来ずオレは声を上げていた。
トルクの腹部に一番前の兵士が振るう槍の石突きがまともに入ったのだ。
すぐに他の兵士が追いついてきて合わせて五人でトルクを槍の柄で滅多打ちにし始めた。
剣も抜けずトルクが地面に膝を付いていたのだ。
「あの…トルクさん?」
トルクの醜態に思わずオレは呆れ果ててしまった。
そして声を掛けたわけだがすぐに気づいた。
彼は不敵な笑みを浮かべているのだ。剣の柄にもまだ手を掛けている。
槍の柄で滅多打ちにされながら何かを企んでいる。
だがその内容を考え始めたオレに声が掛けられた。
「眠ってもらうぜお嬢さん!」
「ひゃあ!?」
声掛けと同時に視界へ飛び込んできた槍の石突きをオレは声を上げながら転がって避ける。兵士が一人オレに向かってきていたのだ。
槍の石突きを突き込んだその兵士がさらに一歩踏み込んだ。今度は振り回した槍の穂先がオレに迫ってきた。
「あ」
兵士が口を開けた。
どうやら彼はこの一連の攻撃が身体に染み込んでいたらしい。
彼は槍の勢いを止めようとするがこのままではオレの身体に刃が届いてしまう。
捕らえろと言われた相手を傷付けかねなくて焦っている彼の表情が読み取れた。
「シールド!」
だがこれだけの時間さえあればオレには十分である。
オレの右手は身体を支えるために地面につけたままだ。しかしオレは左手を振り上げて手の甲を中心に防御魔法を展開させた。
ガンッと音を立てて槍の穂先が防御魔法にぶつかる。
展開された防御魔法はいつもの直径一メートル程の円盤ではなかった。首輪の魔法封じの影響か直径四十センチメートル程しかなかったのだ。
「んなろ!」
兵士が声を上げて槍を引いた。
突きが来る!オレはそう思い防御魔法ごと左手を彼の方に向けて気づいた。
彼は槍を引きながら腕を上げていた。
オレがしまったと思った瞬間彼は槍を袈裟懸けに振り下ろしてきた。
防御魔法を上に向かせるべくオレは左手を掲げようとしたが間に合わない。
槍の柄がそのまま防御魔法の縁にぶつかった。
ぱりんっと防御魔法が砕けて霧散する。ガランッと音を立てて何かが地面に転がった。
槍の柄が途中で切り落とされて穂先側が地面に転がっていた。
切り落とされた長さを見るに彼はオレに槍の柄を叩き付ける気だったらしい。
「へ?」
目の前で起きた光景に兵士が口を開けて固まった。
一方でオレは理解していた。防御魔法の鋭い縁が叩き込まれた槍の柄を切断してしまったのだ。
「このおおおおお!」
頭に血が上ったらしい兵士が叫んだ。彼は槍の切れ端を捨て腰の剣を抜いた。
オレは再び防御魔法を展開しようとして…。
視界が真っ赤に染まった。
「やれやれ。アレラ様に斬りかかるとは死罪ものですよ」
呑気なトルクの声が聞こえてくる。
オレは目に入った異物を落とすべく救治魔法の応用を顔に掛けた。
兵士が剣を振り上げた体勢で胸から血飛沫を上げているのが目に映った。
そのまま胸のところで水平に真っ二つとなり崩れ落ちた。オレの上に。
「うひゃあああああ!」
オレは悲鳴を上げるもあまりのことに反応出来ず押し潰された。
そしてむせかえる血の臭いに耐えきれなかった。
「う゛っ」
地面が吐瀉物と血でおかしな色に染まる。
何故トルクがオレの前にいるのか。
身体を起こして周りを見回したオレは後悔した。
先程トルクが滅多打ちにされていたところで五人の兵士が切り刻まれていた。
その内の一人の生首がこちらを向いていた。それと目が合ってしまったのだ。
ゲロ姫という称号はオレの胃液がなくなるまで授与され続けたのであった。
「正当防衛ですよ、正当防衛」
トルクは平然とそう言ってのけた。
だが彼のしたことは明らかに正当防衛の範疇を超えている。
トルクはもう悪魔というしかない。あ、そうか魔族だこいつ。
「さて…増援の兵士が尻込みしている今がチャンスです。立てますか?アレラ様」
そう言って彼はオレを小脇に抱えた。立てるか聞いた意味ありませんよね。
「どうする…つもりですか?」
「そうですね。我が姫に剣を向けたこと、後悔して頂きましょう」
オレの質問にトルクはそう答えると嗤った。
そして彼は『場の支配』を発動した。
抱えられているオレはそうはっきりと分かった。
ゆらりと国境門に向かって歩く彼に十数人の兵士達が身構える。
「ファイアボール!」
「うらあああああ!」
一人の兵士が放った魔法の火球を追うように別の兵士が一人突っ込んできた。
「ストーム」
トルクが前に突き出した剣先から渦を巻いた風魔法が放たれ火球をかき消して真後ろの兵士をも吹き飛ばした。
吹き飛んだ兵士は腹部に穴が開いて転がっていた。
「うわ!?」
別方向から斬り込もうと駆け込んできた兵士は『場の支配』の魔法効果範囲に入ったらしい。彼は声を上げると体勢を崩して転んだ。
トルクが剣を一閃すると風魔法が放たれる。
その兵士は真っ二つになった。
「アレラ様。私の支配は完全には動きを止められません。どうか敵の動きにお気を付け下さい」
トルクはそう言ってオレに微笑みかける。
しかしオレは彼に抱えられているのだから気を付けようがない。
兵士達はトルクの力量を把握したらしい。攻めあぐねている様子だ。
だが彼らはオレ達の動きをうかがいつつも回り込もうと広がり始めていた。
この状況はマズい。
トルクは明らかに兵士達を殺しながら国境を渡る気だ。
何故彼は人を躊躇せず殺せるのかなどど考えたところでオレは気づいた。
彼はやはり人族ではない。姿が同じだけで別の生物なのだ。
人族が魔物を殺すのと同じ。彼が人族を殺すのにためらうことなど何もない。
相容れない。
オレはそう思わざるを得なかった。
そして彼を止めるにはあの方法しかない。だからオレは決意した。
「トルクさん。下ろしてください」
オレからは何時もより低い声が出たのかもしれない。
何かを感じ取ったのかトルクはオレをそっと地面に立たせてくれた。
「アレラ様?」
彼は怪訝な顔をしてオレに問いかけてきた。
「トルクさん。ワタシは人族を簡単に殺すあなたに付いていくつもりはありません」
決意したオレは静かに告げた。
オレ達の周りでは様子をうかがいつつ兵士達が近づいてきている。
トルクがオレに向き直り、剣を鞘に収めた。
その瞬間を狙って兵士達がトルクの『場の支配』に抗い一斉にオレ達へと突っ込んでくる。
だがトルクを止めることと同時にオレはこの会話を誰にも邪魔させるつもりなどない。
トルクが目を細めた。彼もオレのすることが分かっているのだろう。
オレは、『場の支配』を発動した。
「アレラ様」
トルクがオレの名前を呼んで跪いている。
いや違う、オレが跪かざるを得なくした。
「もう一度言います。ワタシはあなたに付いていくつもりはありません」
動けない彼にオレは先程と同じ台詞を言った。
「帰って下さい」
「…畏まりました」
オレの拒否に返事をして、何とか顔を上げた彼は苦渋の色を浮かべていた。
「アレラ様に嫌われたくありませんので、この場は失礼致します」
そして彼は立ち上がろうと…立ち上がれなかった。
「アレラ様。支配をお解き願えますか」
「あっ」
「あっ?」
しまった。
ついその場の勢いで『場の支配』を発動したがやはり止め方が分からなかった。
オレの呟きにトルクが怪訝な顔をしていた。
だが段々と苦悶の表情に変わっていく。
「アレラ様。これ以上はご勘弁願います…」
オレの真正面にいるトルクは一番『場の支配』を受けているのだ。
彼はその魔法効果で今にも地面に崩れ落ちそうだった。
そういえば兵士達はどうなったのか。
思い出したオレは周りを見回した。
オレの魔法効果範囲に入っている兵士達が物の見事に倒れ伏していた。
ピクリとも動かない。
そして魔法効果範囲に入っていない兵士が呆気にとられてこちらを見ていた。
オレの首元からピキッと何かがひび割れる音がした。
首輪の魔法封じが弱まったのかトルクが遂に倒れ伏した。
オレはもう一度周りを見回す。
国境門とは反対側から町の人達が様子をうかがっていた。
あっ…兵士が一人魔法効果範囲に踏み込んできて倒れた。
「ご…」
「ご?」
オレの呟きにトルクが反応を返す。
「ごめんなさあああああい!!」
オレはこの場から逃げ出すべく駆け出した。
目指すは国境門。
こんな場面を見られてこの町に、この国に居られ続けるわけがない。
「どいてえええええ!!」
オレは叫ぶしかない。
国境門の向こう側を塞いでいた隣国の兵士達がオレの魔法効果範囲に入って倒れ伏していく。
国境を越えたら先程の戦闘など何も知らないのどかな町だった。
出店に町の人達に旅人にとこの街道には沢山の人が歩いていた。
道ばたで会話をしていた女性達がひっくり返って気絶した。
走って遊んでいた子供達が倒れて痙攣し始めた。
商人が商品棚に倒れ込んで呻きだした。
冒険者が地面に倒れ伏して何が起きたのか理解出来ずに目を見開いていた。
大失敗だがもう立ち止まれない。
「もうやだあああああ」
情けない悲鳴を上げながらオレは初めて入った国の人達をなぎ倒しながら駆け抜けていく。
「アレラ様!流石にこれは見ていられません!」
先程の約束も何のその。オレから離れてトルクが追いかけてきた。
「止まらないんですうううあああああ!」
オレは人通りの多い街道から逸れて脇道に入った。
なるべく魔法効果範囲に入っているのが短時間で済めば巻き込んだ人達のダメージは少ないだろう。
そう思いつつ住民の方々をなぎ倒しながらオレは足に増幅魔法を掛けて町から出ようとひた走る。
首元でパンッと音がした。遂に首輪の魔法封じが壊れた。
先程よりオレの危険度が上がった。
「ど、ど、どうぢよおおおおお」
オレは泣きながら走り続ける。
そして行き止まりにぶち当たってしまった。
「アレラ様。ようやく追いつきました」
「う゛うう…ドルグざあん…」
情けないことだが今のオレが頼れるのはこの男しかいない。
近づいてきた彼はオレの魔法効果範囲に踏み込んでしまい、すぐに飛び退いた。
「酷いお顔です…」
「うう…『場の支配』が自力で止められないんです…」
オレの魔法効果範囲に入らないよう立ち止まったトルクがオレに話しかける。
袖で顔を拭ったオレは彼に訴えた。
「その魔法が止められないなど聞いたことはございません」
「…殴れば止まります…」
「無理です。これ以上近づけません」
彼の言う通りだ。
「ごめんなさい…何とかなりませんか…」
オレの訴えに彼は少し悩んだ。
そうこうしているうちに喧噪が近づいてきている。恐らく騒ぎを聞いた兵士達だろう。
「仕方ありません。多少痛くても我慢なさって下さい」
そう言って彼は腰からナイフを抜いた。
うん、投げる気ですね。痛そうです。
「アレラ様、増幅魔法をお解き願います。当たっても弾いてしまっては意味がございません」
「うわあ…凄く痛そう…」
トルクの要求にオレは思わず呟いたが背に腹は代えられない。
オレは増幅魔法が消えるように強く意識した。増幅魔法の自動発動とかいうチートはこんな時に困る。
オレの視界の端に街角を曲がる兵士達が見えた。
「いきます」
「はい…」
次の瞬間、オレの胸にナイフが突き刺さった。
辛うじて心臓は避けていた。トルクの馬鹿!殺す気か!
だが『場の支配』は止まったようだ。
オレは回復魔法を自分に掛けながらナイフを抜いた。
そしてオレの胸から一瞬だけ血が噴き出すもすぐに止まる。
トルクが駆け寄りながら目を剥いた。うん、我ながら人外の回復力だしね。
駆け寄った彼は即座にオレを抱き上げて行き止まりの壁を飛び越えた。
「ありがとうございます…けど死ぬかと思いました」
「死ぬくらいの怪我を与えないと止まらないかと思いまして」
お礼と文句を言うオレを見ながらトルクは嗤っていた。
こいつわざと狙ったな。きっと帰れと言われたうっぷんを晴らしたのだ。
「死んだらどうするんですか」
「我が姫がそれで死ぬとは思っていませんでしたよ」
口を尖らすオレに彼はしれっと返事をした。
というかオレのことを『姫』と呼んでやがる。
「姫って…」
「さてアレラ様。約束通り私は一旦退きましょう。ですがその前に貴女を何処かに預けようと考えております」
オレの抗議を遮って彼は本題を切り出した。
壁の反対側で兵士達が回り込むように指示を飛ばしているのが聞こえる。
それにオレは目がかすんできた。そろそろ魔力切れで気を失いそうだ。
「はい、すみません…でしたら」
オレは少し考える。取りあえずこの町は無理だ。
だが今までいた国に戻ると兵士達を殺した嫌疑がオレに掛かってくる。
いやオレはどう考えても共犯扱いだよね…。
「じゃあ、この国の何処かの聖王教会へ」
「畏まりました」
オレの返事を受けて彼は風魔法を駆使した跳躍移動を開始した。
もちろんオレはすぐに意識を手放したのだった。
こんばんは。
主人公の方がよっぽど非道なのはきっと気のせいです。




