57.誘拐犯と二人旅
風を切る音でオレは目を覚ました。
「え?」
何気なくオレは口を開く。
オレは空を飛んでいた。違う、これは落下だ。
誰かに抱えられたまま、二人で自由落下していたのだ。
「おや。起きられましたか、アレラ様」
「あ」
間近にある誰かの顔を見てオレは思い出した。
そうだった。オレはこの男、トルクの指示でさらわれていたのだ。
そして抱き上げられて…よりにもよって一瞬で寝てしまっていたのだ。
だが今はそれどころではない。
「落ちるううううう」
オレは思わず声を上げた。
眼前に森が迫ってきている。このままでは木に激突してしまう。
あわや激突かと思った瞬間、後ろから風が吹いた。
トルクがつま先で木の先端を踏んだかと思うと、また跳び上がった。
木を軽く揺らす程度しか踏み込んでいないのに随分と高く跳び上がっている。
そうではない。後ろから風に押されて、彼は空高く飛んでいるのだ。
そしてまた落下をし始め、次の木の先端を蹴った。
これはおそらく風魔法を駆使した移動方法だ。
自身を後ろから風で押しジャンプを繰り返す高速移動だ。
つまり空中を飛び続けることはせずに上昇と下降をひたすら繰り返すのだ。
その問題点は、抱えられたオレについて考慮していないことだろう。
「ひゃあああああ!」
もうちょっと女の子らしい黄色い悲鳴でも上げられたら良いのだろうが、空太という少年の精神はそれを許さない。
ジェットコースターの方がマシと言えるほどの移動にオレは情けない悲鳴を上げ続けるしかなかった。
「アレラ様、間もなく町に到着致します」
出発前に聞いたトルクの話が正しければ、今はお昼前ということになる。
どうやら結構な時間眠っていたらしい。
そしてこの移動速度である。
ムリホ王女と共に泊まっていた町からは、かなり離れた町へと着くのだろう。
さらにトルクは街道を使わない一直線の移動をしていたのだろう。
オレにはこの先にある町が、どの国の町か全く見当が付かない。
もっとも、町のことなど今はどうでも良かった。
「…はうっ」
オレはこの移動方法に耐えきれず意識を手放したのだった。
「彼女の靴が手の届かないところに落ちてしまってね」
「おやまあ、それは災難だったねえ」
トルクは服屋の店員に息をするように嘘を吐いていた。
今はオレの靴を選んでいるところだ。
そしてオレの格好はこの服屋で彼に買ってもらった町民の服である。
特に着せ替え人形となることもなく、自分で選んだ地味な服を買ってもらえたのはよかった。
むしろ目立たない地味な服を選んだことで褒められる始末だ。
ちょっと嬉しく思ったが、素直に嬉しいと言うのも癪なので黙っておいた。
「おや?綺麗な瞳だね。もしかしてあんた達、貴族様かい?」
「口外はしないでもらえるかな」
オレの淡い金色の瞳を見た店員にトルクが口止めをする。
彼がオレに貴族を詐称する罪を犯させないところは助かった。
「あれ?」
「どうかしたのかい?」
「あ、いえ。何でもないです」
思わず声を出したオレは店員に訝しまれてしまった。
そうだった。オレはセラエ司教様の養女なのだった。だから今のオレは子爵令嬢だ。無駄に貴族なのだった。
「次はこちらのお店に参りましょう」
「冒険者向けの服屋?」
「アレラ様の旅装を買います」
町民として溶け込んだオレがトルクに連れてこられたのは、冒険者向けの服屋である。
「どうしてわざわざ町民の服と靴を買ってくれたのですか?」
二度手間になるのでは、と不思議に思ってオレは彼に聞いてみた。
「先程までのアレラ様の格好は明らかに不自然でした。暗に貴族と匂わせればあの店の店員は黙るでしょう。しかし今から入る店は別です。冒険者に調査されると面倒なことになります」
「…そうですか」
彼が淡々と語るその理由にオレは納得した。
ともかく彼がお金に困っていないのなら別に構わない。
彼の手により寝間着のままさらわれた所為でオレは無一文なのだ。
つまり、オレがお金を持ち歩いていないのは彼の所為なので少しぐらい集っても良いと思う。
だから、お腹が鳴ったオレは悪くない。
「…服を選びましたらお昼に致しましょう」
「よろしくお願いします…」
旅装も無難な格好を選んだ。
丈夫そうな木綿のシャツと膝より少し長い丈のスカートにハイソックス、ブーツは脛の中程な丈の編み上げ靴である。
さらに防寒着と雨具を兼用するポンチョを被り、腰に小さな鞄と水筒を下げて旅装は完成した。
しかし背負い鞄は買ってもらえなかった。
ほとんどの荷物は彼が持ち歩くという。脱走防止の為か?
「ああ…串焼き、肉団子、唐揚げ…」
「アレラ様、肉ばかり食べられるようでは健康に良くありませんよ」
「あ、あっちに珍品魔物肉って書いてある!」
「アレラ様…」
町の広場にはお肉の屋台がいっぱいである。
お肉お肉。お財布が何かしゃべっているが今のオレはお肉しか視界に入らない。
「しかし見てばかりで買われないのですね」
「どれかに絞らないと食べきれないので…ということであの串焼きにします」
食べるものが決まったところでお財布もといトルクにオレは返事をした。
「畏まりました」
オレにそう返事をする彼は微笑ましいモノを見るように目を細めていた。
良いじゃないか。オレは成長期なのだからお肉を食べないといけないのだ。
そっぽを向くオレに一礼をして彼は屋台に向かった。
「こうして歩いているとデートみたいですね」
「はい?」
唐突にとんでもないことを言い始めるこの男はやはり危険だと思う。
何しろ彼の見た目とオレの見た目の年齢差は親子ほど離れてはいないし、兄妹にしては離れているのだ。
「どう見ても…人さらいと、仕方なく連れられる少女ですけど」
「これは手厳しい。しかしここまで人さらいに懐いている子供はそうそうおりませんよ」
「うぐっ…」
「おや、詰まりましたか?飲み物をどうぞ」
なんということだ。オレは今や普通に彼と会話をしている。
オレは当初の危機感がなくなっているどころか、親しげに会話をしているのだ。
何故だ。何故ここまで懐柔されているのだろうか?
「デザートは別腹とよく聞きますが、如何でしょうか」
「あ、食べます」
分かった。オレ今、餌付けされている。
「このまま街道を進んでメリレエ王国に入り、王都に向かいます」
「そうですか」
どうやらこの町はメリレエ王国との国境に向かう街道沿いの町だったようだ。
「今から出発すれば次の町に入れるでしょう」
「…走るのですか?」
「仰る通りです」
街道沿いの町から町が人の歩く速度で半日以下の距離とは思えない。
明らかにまたあの飛び跳ねる移動方法だろう。勘弁して欲しい。
オレのげんなりした顔を見て、トルクは微笑んだ。
「お疲れですか?移動中は一眠りされては如何でしょう」
「…あれは気絶と言います…」
目を細めてそう提案する彼に、オレはそっぽを向いて反論しておいた。
もしかして背負い鞄を買ってもらえなかった本当の理由は、移動で常にオレを抱き上げるためか?
…気絶をしていたらいつの間にか夜である。
夜と言えば宿屋である。宿屋と言えば部屋割りである。
「何で同室なんですか?」
「護衛をする上で必要だからです」
「一応ワタシ女の子ですよ?」
「ですから、私は貴女を護衛しなくてはなりません」
彼はオレの質問に悪びれず答えている。
ここは客室毎にトイレが付いているような貴族向けの宿ではない。
部屋の外にある共同トイレへ行くためにブーツをいちいち履くのは大変なので、持ち運びに便利な薄い皮のスリッパを買ってもらった。
寝間着も無防備な服では困る。しかし馬車ではなく身一つで移動するのに荷物を多く持ち歩くわけにはいかない。そしてなるべくなら自分で持ち歩きたい。
だから部屋着として買ってもらったのは、魔物の皮で出来た軽くて薄くそして透けないワンピースである。お値段なんて気にしない。
これは腰の鞄に入るほど小さく畳めるが、汗を吸収することは出来ない。
何が言いたいのかというと、寝間着はない。
寝る時は下着一枚である。
今オレが身に着けているカップ付きのタンクトップではパンツを隠せない。
ちなみにカップが付いてるのは何故だと言ってはいけない。服の上から分かると困るし擦れると困るからだ。何がとは言えない。そして決してバストサイズの詐称をするためではないのだ。
取りあえず旅装でベッドに入るのは身体が休まるとは思えない。
仕方がない。どうせ目の前の男はオレの着替えに配慮する気などない。
布団を被って着替えることにしよう。
取りあえず彼の鞄からオレの下着を出してもらい受け取る。
うん、最初からオレという乙女のプライバシーは破綻していたね。
「あれ?」
「どうされましたか」
「…何でもないです」
「そうですか」
トルクには生返事をしておく。
オレは気づいたのだ。ここ数日よりも股間の筋力が少し頼もしく感じると。
もしかしてと思い無詠唱で増幅魔法の発動を試みた。すると、弱々しいながらも確かに発動した。
これはつまり、トルクが魔法具の魔石にヒビを入れたことで首輪の魔法具による魔法封じが壊れてきているということだろう。
魔法の出力にまだ制限が掛かっている感じはするものの、無意識による局所的な増幅魔法の発動については十分な出力を得られていた。
これならば漏らし姫の称号を連続で授与することは避けられそうである。
しかし首輪が壊れてきているということは、支配系魔法の暴走に注意しなければならないということだ。
『場の支配』の暴走は危険である。オレの命もそうだが、周りへの被害が甚大になるあの魔法は絶対に発動させてはいけない。だから発動のイメージをしては…。
そんなことを考えただけで、オレのぽんこつなおつむは勝手に『場の支配』を発動するためのイメージを作り上げていた。
マズい、と思う暇もなかった。『場の支配』は発動…に失敗した。
オレはほっとため息を吐いた。
練習もしていない魔法だから成功率が低いのだろう。取りあえず助かった。
ふと顔を上げると、トルクがこちらを見て微笑んでいた。
間違いなくオレの魔法に気づいていたのだろう。失敗したところまで含めて。
オレは彼に枕を投げつけたのだった。
…あっという間に国境の町である。
ここは二国の町が繋がって、町の中心を横切るように国境の塀があるような造りになっていた。
国境門には国境線を挟んでそれぞれの国の兵士が立ち、通行人を監視している。
いや、監視だけではない。
この国境は通行税がかかっているようで、通行人がそれぞれの国へ入国する際にお金を支払っているのが見て取れた。
とはいえ町の外は塀のようにさえぎるものなどない。
町の外からなら国境は通り放題である…と思ったら少し浅いが国境線に掘が造られていた。
つまり商人の荷馬車に通行税をかけられれば良いということか?
改めて町を見ると、それぞれの町に物見台が建てられている。
国境門を通らないような怪しい奴には騎兵で駆けつけるつもりなのだろう。
「どうやって通るのですか?」
オレは一応トルクに聞いてみた。
「普通に身分証を見せて通行税を支払いますよ。貴女も太陽紋章で通れますしね」
「確かに…」
彼の言う通り全く問題はないはずだ。
特にオレの太陽紋章は聖王教会所属を示す身分証となる。
世界各国で国教となっている宗教団体の後ろ盾は最強と言えるだろう。
見た目はミニチュアのホイールキャップだが、効果は絶大なのだ。
国境門に近づくと、兵士達がオレ達を見てきた。
親子にも兄妹にも見えないから怪しんでいるのかと思ったが、トルクではなくオレに対する視線だけが痛い。
オレの隣にいるトルクが少し緊張しているのを感じた。
兵士達は何やら頷き合うと、その中の一人が前に出た。
「そこの娘」
「ひゃい!?」
兵士に話しかけられて思わずオレは上擦った声で返事をした。
「その返事の仕方、間違いないな」
「えっ…何のことですか?」
「領主様から、淡い金色の瞳で灰色の長い髪をした少女を捕らえるようにと言われている。抵抗しなければ手荒なことはしない。大人しく従ってもらおうか」
そう言うと兵士は槍を構えた。
間違いない、領主に手を回したのはムリホ王女だろう。
こともあろうに彼女はオレを”捕らえる”ように指示を出したのだ。保護をしろよ保護を。
おまけに『ひゃい』と答えたら確定とか、何だその判別方法は。
オレはそっと隣に立つトルクの様子をうかがう。
彼の跳躍と移動速度ならこんな国境など簡単に突破出来るだろう。
だが、彼は不敵な笑みを浮かべていた。
「敵意を向けられればそれ相応の対応をするしかありませんね。ここは押し通させてもらいましょう」
「えー…」
剣の柄に手をかける彼は明らかに戦う気でいるようだ。
オレは呆れてものが言えなかった。
だが同時に少し安心した。彼が本気を出せば兵士達は既に死んでいる。
兵士を軽くあしらって遊ぶつもりのようだ。
彼は兵士に嗤いかけた。
「抵抗すると見て良いのだな。かかれ!」
兵士達がオレ達に突っ込んできた。
こんばんは。
何とも良いところですが戦闘シーンを考えるために区切ります。
しかしデート…デート?困った事態です。




