56.トルクという男
共和国、知らない。人族の国は全て王制のはずだ。
クラルク、あり得ない。クラルクは邪王の名だ。
邪王の名を冠した国名など知らない。知りたくない。
この男は危険だ。
考えるまでもなくオレはそう判断した。
二人分の遺体が視界に入っている。でも彼からは目を逸らせない。
目の前で人が死んでいる。だがオレの心は揺らせられない。
隙を見せてはいけないのだ。
妖しく光る灰色の瞳がオレを見つめている。彼も邪王の冥護を受けているのか。
「ほう…やはり私の支配程度は全く意に介さないのですね」
トルクは目を細めた。
オレは彼の言うことを無視し、疑問を垂れ流すことにした。
「何で…何でこんなことをしたんですか?」
「簡単なことです。貴女をお救いしたかったのですよ」
「違います!」
オレが今気にしているところはそこではない。
「どうして彼らを殺したのかってことです!」
オレの言葉を聞いて彼は大きく目を見開くと、笑い出した。
「ははははは…いや失礼致しました。まさか無理矢理連れてこられたことよりも、連れてきた男共のことでお心を悩まされるとは。何とお優しい」
しかもオレのことを優しいとか言い始めた。
だがオレは自分のことが優しいとか思ったことはない。聖女じゃないからね!
どちらかというと甘ちゃんだろう。あまあまの甘ちゃんである。舐めればきっと甘い味がする。オレことアレラは女の子だから。違うそうじゃない。
あ、本当に舐めたらお巡りさんを呼ぶのでそのつもりで。
「うー…」
結局、変なことを考えたオレは返事が思いつかず、唸ることしか出来なかった。
オレのおつむのぽんこつ具合は絶好調である。
「お目汚し失礼致しました。掃除を致しますので少々お待ちください」
「へ?」
「盛れ火よ、渦巻け風よ…ファイアスワール!」
「ひゃ!」
トルクは掃除と言い始めたかと思ったらいきなり魔法の複合を発動した。
男達の遺体が渦巻く炎に包まれた。辺りの空気を吸い込んで炎は高く上がる。
炎の柱はそのまま男達の遺灰までも吸い込んでいってしまった。
炎が消えると遺体は跡形もなく消えていて、そこには焼けた地面のみ残っていた。
炎の柱で起きた風に吹かれたことで、オレの身体は少し冷えたらしい。
オレはクシュンっと可愛らしいくしゃみをしてしまった。
まあ、今のオレは見た目十歳の少女だから問題はないだろう。
それよりも問題は身体を震わしたことで、尿意を感じたことだ。
オレは未だに薄手のネグリジェ一枚で手足を縛られたままである。
縄を解いてくれないと漏らし姫が再誕してしまう。
「これは失礼致しました。少々お待ちください」
くしゃみに気づいたらしいトルクは、オレに断りを入れると馬車に向かって歩いていった。
オレが連れてこられた馬車には、彼の放った剣で御者台へ磔にされた御者の遺体と、繋がれたままの一頭の馬が残されていた。
彼が近づいていっても馬は大人しかった。その馬はどう見ても色々と諦めたような目をしていた。
彼は御者から剣を引き抜くと、そのまま軽く振った。
一瞬、馬の首が長くなったのかと錯覚した。
次の瞬間、吹き上がった血しぶきで馬の頭部が宙を舞った。
オレは驚いてしまい、ビクッと震えた。
それにより漏らし姫の称号を再授与してしまった。
幸い、馬車の中に入っていった彼には惨事の水音が聞こえなかったようだ。
しばらくして彼は馬車から何かの装飾が描かれた石を持って戻ってきた。
「魔物避けの魔法具でございます。我が国では幼子を守るために必須の魔法具となっております」
そう教えてくれた彼は、椅子の下にある小さな水たまりを一瞥すると、その魔法具を濡れないところに置いた。
そしてオレに向かって微笑んだ。
「すぐにお召し物を獲って参りますので、もうしばらくお待ち願います」
「獲る…?」
オレが疑問を垂れ流すよりも早く、彼はその場から消えた。
…一人残されたオレは、ゆっくりと状況を整理していた。
まず今のオレの状態は…お漏らし緊縛放置プレイ…アウトです!
早速心を乱してしまった。冷静に状況を整理しなくては。
トルクに逆らうことは下策である。
首輪で魔法を封じられていても支配系魔法はオレに効かないようだった。
しかし、物理的に攻撃されたらあっけなく死ねると思う。
そもそも縄を解いてもらえない限り動くことすら出来ない。
今のオレに出来るのは彼に従うことである。
死ぬと言えば、人が死ぬところを見せられたのにオレは意外と冷静である。
人死にに慣れたわけでもない。修羅場を潜って心を鍛えられたとも思えない。
ただ単に恐怖を感じないほど麻痺しているだけだろう。
セレサが死んだあの日もそうだった。
あの日、身体からは色々垂れ流してしまったがオレの精神については錯乱するほどではなかった。
ということはあの日の夜みたいに安心したら一気に心を乱すのだろう。
それを考えると少し気が重いものの、今は冷静に振る舞える方が都合は良い。
取りあえず寒い。薄手のネグリジェ一枚に濡れた下半身。
季節は夏に向かっているとはいえ、時刻は朝方に向かう一番寒い時間帯だ。
このまま放置されているといい加減風邪を引いてしまう。
寒さで震えていると、人の気配がした。
「お待たせ致しました。こちらにお召し替えください」
「…」
その服を一目見て分かった。トルクは服を盗んできたのだ。
もしかしたら、奪ってきたのかもしれない。
奪ってきた場合その家の人達は死…いや考えるのは止そう。彼は服を盗んできたのだ。そういうことにしよう。
「ああ、これは失礼致しました」
腰からナイフを取り出した彼は、オレの縄を切ってくれた。
全く違うことを考えていたのだが、彼の解釈はオレにとって好都合である。
「…ありがとうございます」
「どう致しまして」
「…」
「どうなされましたか?」
一応お礼を言って服を受け取ったが、見つめる彼にオレは戸惑ってしまった。
まさか女の子に、寒風吹きすさぶ野外で男に見られながら着替えろ、というのだろうか。
「何処か着替えれるところが…」
「うっかりしておりました。そうですね、馬車までご案内致します」
仕方がないのでオレは聞いてみる。
一方トルクは何も考えていなかったらしい。案外抜けているのか?
彼は一度馬車に乗り込むとオレの手を掴んで引き上げてくれた。
「では、着替え終わりましたらお呼びください」
そう言って彼は馬車から降りていってしまった。
外で火柱が二本上がった。御者と馬の分だろう。
渡された服はブラウスとエプロンスカートだった。よくある村娘の服装である。
だが下着はない。今着ているオレの下着は、粗相で濡れている。
足も濡れているのでまだ渡された服を着るわけにはいかない。
馬車の中を見回すと簡単な生活道具が置かれていた。
毛布が見つかったので、オレは裸になってその毛布にくるまった。
「キュア…やっぱり、発動しないかあ…」
オレは脱いだパンツに向かって救治魔法の応用で汚れを落とそうと試みた。
しかし予想通り首輪の魔法封じによりオレの救治魔法の応用は発動しなかった。
何かないかと少し探してみれば手桶が見つかった。これに水を入れることさえ出来れば、軽く洗えるだろう。さて、そうなると。
「あの、すみません」
「着替えられましたか?」
「…下着、を。洗いたいのですけど…」
オレは馬車から身を乗り出してトルクに話しかけた。
靴がないオレは水場まで歩けない。だから彼に頼むしかない。
流石オレの身体は女の子である。恐怖は感じない癖に羞恥は嫌という程感じた。
「お任せ下さい」
そう微笑んで彼はオレのネグリジェと下着を受け取った。
和やかに少女の汚れたパンツを受け取る男。字面にすると犯罪以外の何物でもない。お巡りさんこっちです。いやこの男ならお巡りさんなど即死だ。お巡りさん逃げて。
オレが相変わらず変なことを考えている間に、彼は空中で器用に水魔法を起こして下着を水洗いしてくれた。さらには火魔法と風魔法の複合と思える温風を起こして乾かしてくれた。
「軽く洗って乾かした程度となりますことをお許しください。町に着き次第すぐに新たなお召し物をご用意致します」
「あ、いえ。ありがとうございます…」
「それと、そちらの手桶を取って頂けませんか。水を入れておきますのでお身体を拭かれるとよろしいかと」
手桶と下着を受け取ったオレは再び馬車の中に引っ込む。
馬車の中には手拭いもあったのでオレはそれを水に濡らして簡単に身体を拭く。
服を着てみたが、やはりパンツはあるだけで安心感がある。
ブラウスの下に何もないというのも不安なので、ネグリジェも着込んでおいた。
幸いエプロンスカートの丈が長くて裾は見えていない。
「…お待たせしました」
オレがそう言うと、トルクが馬車に乗り込んできた。
「外は冷え込むので馬車の中で少しだけお話を致しましょう」
「あ、はい」
「まずは私のことを説明しなくてはならないでしょうから」
「あ、はい」
どうやら彼はオレに色々と教えてくれるようだ。
ならばオレを何故さらったかについても教えてもらわねばならないだろう。
「まず私は、人族で言うところの魔族です」
「あ、やっぱり」
予想は付いていたがやはりか。
「人族は我らを魔族と呼びますが、我が国の言語ではもちろん魔族という単語はございません」
「はあ」
「しかし我らは本来人族とは関わりがありませんので、魔族という単語を否定して新しい訳語を作る必要性はありません。ですのでアレラ様も我らを魔族と呼んでくださって構いません」
「あ、はい」
早速オレは首を縦に振るだけになってしまった。
働けオレのぽんこつなおつむ。補習は受けられないだろうからちゃんと聞いておかなければ。
「ただし覇王様のことだけは別です。邪王などという単語は許されません」
「はおう、さま?」
「ええ。覇王クラルク様です。我らの信奉する主神。我らを導く神です」
「あ、はい」
オレは少しだけ驚いた。どうやら魔族は主神を邪悪と言われて喜ぶような歪んだ心を持っていないらしい。
もしかしたら人族とは主義主張が違うだけなのかもしれない。
少なくとも彼の前でオレは決して『邪王』という単語を使ってはいけないことだけは理解出来た。
…そしてトルクは今までの経緯を簡単に説明してくれた。
彼は魔族の国から人族の国に潜入しているスパイである。
その人族に近い容姿から、市井に潜り込み人族に関する情報を魔族の国に持ち帰るのが任務とのことである。
最初にオレを見かけたのは、魔王候補討伐戦の時だそうである。
彼は新たに生まれた魔王候補と接触するために、冒険者に扮して潜伏していたとのことだ。
「どうしてあの魔王候補を助けなかったのですか?」
「あの男は我らの言うことに耳を貸しませんでした。人族の領域で孤立するように魔物の領域を作っても維持出来るはずがありません。例え力があろうとも共に歩もうとしない者など我らには不要です」
うん、ならオレも不要と思ってそっとしておいて欲しかったな。
でも今それを彼に言えばオレの命はない。だから黙っておこう。
「そこで私は見たのです。伝承にある覇王様の色をまとう少女を。その美しい姿に私は心を打たれました。ええ、アレラ様。貴女です」
ロリコンが此処にいます。タスケテ。
「あの町での戦いで貴女はその力の片鱗を見せて下さった。しかしそれだけではありません。王城に潜んでいた同志と連絡を取って確信したのです。ケリカ王女からお忍びの魔王と呼ばれ、ムリホ王女という最強と名高い勇者候補を怯ませる御力。この方こそ我らの指導者に相応しいと」
熱く語る彼の目は狂気をはらんでいる。
ロリコンじゃなかった。狂人だ。
そして彼を狂わせたのはオレがケラク賢王国の王城でやらかした『場の支配』の暴走だった。
つまりオレは魔族に目を付けられるような自爆をしていたのだ。
「そして私は貴女が乗せられた馬車を追いました」
トルクはストーカーでした。タスケテ。
「貴女が戦いでムリホ王女にご協力されていたこともあり、最初は御身自らついていかれていると思っていたのですが」
「はい…」
「ところが次に馬車を降りられたら、魔法封じの首枷をされているではありませんか。急ぎ救出せねばと思い、機会をうかがっておりました」
つまり原因は首輪を強要したムリホ王女にあると。
オレは悪くない。うん、悪くない。たぶん。
「ですのでまずはその首枷を壊しましょう。よろしいでしょうか」
「あ、はい」
死にたくなければ彼に逆らうわけにはいかない。
オレに拒否権はないのである。
彼がオレの首輪に付いている南京錠のような魔法具を握る。
程なくして何かが割れる音がした。
しかし彼は魔法具から手を離すと困ったように微笑んだ。
「参りました。これ以上の力を加えますと、貴女の首を折りかねません」
彼のその言葉にオレはそっと南京錠のような魔法具に触れる。
魔法具の魔石にヒビが入っていると分かった。しかし魔石は依然魔法具にしっかりとはまっている。
オレは少しほっとした。
これならうっかり『場の支配』を暴走させずに済みそうである。
しかし彼から逃げられる可能性は減ってしまった。
「魔法具に詳しい同志がおります。その者に解除させましょう」
そう言うと彼は立ち上がった。
「しばらく進めば町があります。今から移動すれば昼前には着けるでしょう」
「あ、はい」
もちろんオレに拒否権はない。
今は彼に逆らわないよう従っておくしかないのだ。
「申し訳ありません。靴を獲ってくるのを忘れておりました」
「あ、いえ」
彼は本当に申し訳なさそうに目を伏せる。
しかし次の瞬間、少し嬉しそうな顔をしていた。
「ですが今から獲ってくれば人目に付きます。ですので失礼致します」
「ひゃあ!」
そして有無を言わさずオレを抱き上げた。
もしかしてこの男、オレを抱えるために靴を獲ってきてなかったのではないか?
馬を殺したのもそのためか?
オレは少し疑ってしまった。
やはり、この男は危険だ。
「お疲れでしたら一眠りされることをお勧め致します」
こんな男の腕の中で眠れるか!とオレは思ったが口には出さない。
そしてオレは…あっさりと眠ってしまった。
こんばんは。
危険な男が仲間に引き込もうとこちらを見ています。
だが主人公に拒否権はありません。




