48.領都で振り回され
オレは今、ヘレアの膝に座らされている。
メラロム都の冒険者ギルドにあるバーの椅子で。
ヘレアは殺気あふれるこの場所にも関わらずオレを嬉しそうに撫でている。
町娘の格好にエプロンを着けた少女が、ドレスを着たオレを撫でている。
オレの目の前にはコリス司祭がぼんやりとこちらを見て座っていた。
いや、彼女はぼんやりとしているのではなくてこの場の状況についていけず放心しているのだ。
何しろ彼女の目の前にあるジュースは出された時からずっと減っていない。
向こうの方ではクエスト掲示板を見ながらムリホ王女が歓声を上げていた。
銀色の鎧を着た護衛騎士が冷静に説明する声も時々聞こえていた。
そして仕事の邪魔と言わんばかりに、ピンク色の髪をしたギルドの女性職員がカウンターから殺気を放っている。
しかし殺気を向けられているムリホ王女は全く意に介さない様子だった。
一方でケラム王子はというと、ここにはいない。彼は今ギルドマスターの執務室にいるはずだ。ここにいなくて本当に良かったと思う。
むしろこちらのバーのエリアが問題である。
先程まで天使のようなウェイトレスがいる楽園だったはずなのだ。
今はピンク髪悪魔職員の殺気が満ちあふれ、荒くれなはずの冒険者共が隅にあるテーブルに固まって震えている。
バーのマスターは無関心を装ってコップを拭いているのだが、同じコップをずっと拭き続けていることから明らかに動揺していた。
オレは両手で持ったコップに入っているミルクを一口飲んだ。
ちょっと思い返してみよう。一体どうしてこうなった。
…メラロム都に向かう途中、オレは最初に通った町で服を買ってもらった。
流石に何時までも裸に布を巻いただけの少女がケラム王子の横に座っているのを護衛騎士が良しとしなかったのだ。だが冒険者しか来ないような町では平民の服しか売っていなかったのである。
だから王族の馬車に町娘が同乗することとなった。オレのことだが。
それだけなら良かったのだが、ムリホ王女が銀色の騎士に命令したことで途中の町で休憩する度にオレは赤面させられることとなった。
馬車から降りる際に毎回銀色の騎士がオレの手を引いて降ろしてくれるのだ。
王族の馬車から町娘が騎士に引かれて降りてくる。当然注目の的である。
その状況が面白いのかムリホ王女はケラム王子の前にも関わらず腹を抱えて笑っていた。本性をさらけ出し始めたムリホ王女にケラム王子はもう何もかも諦めた様子だった。
もちろんメラロム都に着いてもオレは馬車から手を引かれて降りた。
領主さまの館の玄関前で。沢山の執事とメイドが並んでいる前で。
元村娘の心臓はもう保ちません。当然倒れました。領主さまの館の玄関前で。
…気が付くと見知らぬ…見知らぬ天蓋だった。
「…どこ、ここ」
「あ。アレラさん、気づかれましたか?」
オレの声に気づいてベッドに掛かるカーテンを開けて入ってきたのはコリス司祭だった。
「コリス様…ここは?」
「領主様のお館です。アレラさんは到着と同時に倒れたのですよ。びっくりしました」
そう言ってコリス司祭は微笑んだ。その柔らかい微笑みにオレは安心したと言いたいところだが、町娘イン貴族ベッドである。何かの拷問だろうか。
ちなみにお友達宣言の後で、コリス司祭の呼び方を決める際は苦労した。彼女はオレに呼び捨てを強要してきたのだが、公爵令嬢たる彼女にそんな恐れ多いことは出来ない。
結局ケラム王子が身分差の体裁を説かれたので様付けで落ち着いたのだった。
メラロム都に着くまでだけでオレはオーバーヒートしたのだ。
だから寝室から出たらダンディな領主さまが椅子から立ち上がって目の前にやって来ても、もう…駄目です。
「あの、申し訳ありません。ベッドまで貸して頂いて…」
「何、気にすることは無い。疲れは取れたかね?」
オレの上擦る声によるお礼に、領主さまはダンディなボイスを返してきた。
この人オレを心臓発作でもう一回ベッドに戻したいのかな?むしろ一緒に入る?
待てアレラ。落ち着け生唾を飲み込むんだ。違う飲み込むのは唾でいい。
アレラの嗜好を何とか押さえつけたものの、オレはこの部屋の状況を把握出来なかった。おかしい点がいくつもあるのだ。
「あ、あの…これはどういう状況なのでしょう?」
「見ての通りだ。ムリホ殿下が休んでおられるので、静かにしなさい」
「はい…」
一点目。ムリホ王女はソファで寝ていた。オレがベッドで王女様がソファって状況はどうなのだろうか。不敬にもほどがある?でもまあ、あの王女様だし?
二点目。彼女の枕はケラム王子の膝である。王女様を誰もベッドに移さなかった理由が王子様の膝枕だったからだろう。肝心の王子様は放心されているけど。
「君を寝室に寝かした後にこの客間で今後について話し合っていたのだが…どうやらムリホ殿下はお疲れのご様子でね。最初はケラム殿下の肩に身を預けておられたのだが、今やご覧の有様だ」
領主さまがオレにダンディなボイスで状況を説明してくれた。領主さまが。
「君に関することも聞かされた。まあ、立ち話も何だ。座ろうか」
「ひゃい」
領主さまはオレのことも聞いたらしい。
椅子に座ったら、心臓が保たなくて放心しそうだけど座らさせて頂きます。
コリス司祭も来て、オレにお茶を出してくれた。
公爵令嬢からのお茶です。飲まさせて頂きます。もうお腹いっぱいです。
三点目。執事もメイドもいない。まあこれは密談だからとのことだ。あと、王族のあらぬ噂を流されないようにとのことだった。国際問題だ。同意します。
「取りあえず今後の移動ですが、王子と別行動になります。わたくし達は王都まで船を使います」
「船、ですか?」
「ムリホ殿下の説得には失敗したのでな」
「失敗、ですか?」
「こちらが川上故に船旅は馬車より王都に早く着く。とは言え決して良いものではない。日数も左程変わらない上、馬車に比べると危険もあるのだよ」
コリス司祭の発言に対して疑問を垂れ流すオレに、領主さまがダンディなボイスで説明してくれた。
大分状況には慣れてきたが領主さまのダンディなボイスはいちいちオレのというかアレラの心臓に突き刺さる。乙女パワーに空太の精神が駆逐されていく。
この領都と王都の間にはメリロハ川という水路がある。
しかし水路を通る船は基本的に貨物船だ。
人が乗れる船もあるにはあるのだが、川の魔物を狩るための冒険者用とのことだった。そして川の魔物を狩るには熟練が必要なため、専属に雇った冒険者が定期的に狩っているとのことだった。
つまり旅客船はないし、旅客用に整備された休憩所もないとのことである。
護衛騎士では対処出来ない魔物に襲われる危険までもある。
貨物船の船員は戦闘出来るとは言え、貴族の護衛を務めるのは酷な話だ。
おまけに専属冒険者を乗せようにも定員が少ない。狭い船上で数日間の旅。慣れていない者ならすぐに音を上げるだろうとのことだ。
本当に貴族向けではないのである。
ましてや他国の王族だ。責任重大で船員が過労死してしまいそうだ。
ムリホ王女は駄々をこねたあげくふて寝を決め込んだところで本当に寝てしまったらしい。疲れたとか関係なかった。酷い理由でした。
魔王討伐が終わるまでは他人がいると猫の皮を被っていたのだが、どうした。
そういう意味ではオレは彼女の中ではもう身内に数えられてしまったらしい。
しかし、この部屋に入った瞬間にムリホ王女は「いい加減疲れた」とのたまっていたそうだが、誠にフリーダムである。
「しかし、まさか彼女の髪にそんな秘密があったとはな」
「王族だけの秘密だったのですが…うちの姫様が申し訳ありません」
「何、口は堅い方なので安心めされよ」
領主さまとコリス司祭の会話はオレのことに移ってきた。領主さまに見つめられたオレことアレラの心臓はそろそろ保たない。
ムリホ王女を倣って寝た方がいいかもしれない。ちょうど領主さまの膝が空いているし。待てアレラ、自分から止めを刺しに行くのはダメだ。違うそうじゃない。
「む…うむ?何じゃこの枕。おおっ」
「お目覚めですか、姫様」
目が覚めたらしいムリホ王女にコリス司祭が話しかけた。いい笑顔で。
…場所は移ってメラロム都聖王教会。
町娘は貴族子女にグレードアップ中である。
「こちらの服の方がよいのではないかね?」
「いやいや、こっちじゃろ」
「これなんか良いと思いますぞ」
「わたくしはこちらの方が可愛らしくて似合うと思います」
セラエ司教様にムリホ王女が反論して、ニレバ司祭とコリス司祭がフリーダムにオレの服を選んでいる。
もちろんオレはさっきから着せ替え人形だ。
それから、無言で物色しているケラム王子も怖いです。
ムリホ王女がオレの着替えに別室へ往復する時間すら惜しんで、男性もいるこの部屋に衝立を置いてオレを着替えさせ始めた。時々シスターに混じって襲いかかるもとい着替えさせようとしてくるのをコリス司祭が止めている。
まさに地獄の時間である。
そこに聖王教会のお抱え商人であるキルガ男爵こと筋肉ダルマが服を次々と追加していく。商魂たくましいことこの上ないが、一体どれだけの服をかき集めてきたというのだろうか。
「面倒だから全部買ってしまおうかの」
「やめてください!」
「そんなに積めません」
とんでもないことを言い始めたムリホ王女にコリス司祭が冷静に突っ込む。もちろん叫んだのはオレだ。
「あの、シスター服はないのでしょうか?」
「アレラのシスター服はオーダーメイドじゃろう」
「あ、はい」
「そうじゃの、作っておる時間はないぞ」
オレのせめてもの抵抗はニレバ司祭に抑えられ、ムリホ王女に止めを刺された。
誰かこの人達を止めて、と思っていたら司教様が助け船を出してきた。
「厳選することに価値があるとは思いませんか、殿下」
「そうじゃの!」
いや、地獄の時間が伸びただけでした。
…さて、ようやく冒険者ギルドだ。
オレが魔法剣のことを思い出したのが良くなかった。そのまま忘れていればこんなことにならなかったのだ。
ケラム王子が「折角だからギルドマスターに挨拶していこう」なんてことを言い始めて王族が連れ立って荒くれ冒険者共がたむろする場所に足を踏み入れることになったのだ。
「かっけえ!騎士だ!」
「おねーさんすげえ高そうな装備!」
「姫だ!姫がいる!」
冒険者見習いの少年達に銀色の騎士は人気者である。
おねーさん扱いされているムリホ王女は嬉しそうだ。
ちなみに姫扱いされているのはオレだ。ドレス姿で連れ込まれた。タスケテ。
てか少年達、怖じ気づかないのか。流石毎日荒くれ冒険者共に揉まれているだけのことはある。
見事な胆力だと言いたいところだが、不敬で処分される前に最低限のマナーは覚えた方がいいと思う、なんて見た目十歳のお姉さんは思います。
「取りあえず王子が戻ってくるまで休憩しましょう」
「わらわはクエストとやらを読んでみたいぞ」
「ギルドに迷惑が掛かります」
コリス司祭は相変わらずムリホ王女のストッパー役だった。
だがギルド職員を捕まえてあれこれ質問し始めたムリホ王女は止まらない。
そう言えば銀色の騎士って護衛騎士なのにストッパー役じゃないんですね。
それなりに王女をたしなめるかと思いきや彼は戦闘系以外のアドバイスをしないようである。
むしろムリホ王女を差し置いてクエスト掲示板の前に行っているので彼女と同類かもしれない。
「と、取りあえずバーに行きませんか?」
「バー、とは何じゃ?」
「そこの酒場みたいなところです」
「ほほう、酒場では無いのか。どこが違うか知りたいの」
オレはカウンターにいるギルド職員の殺気が籠もりだした視線に気づいたので、ムリホ王女を休憩に誘った。
何しろ今日のカウンター担当はあのピンク髪のゆるふわ悪魔もといお優しい女性職員なのだ。オレの思考を読んだかのように殺気を投げかけられた。危なかった。
意外なことにバーという単語にムリホ王女は興味をもったようである。
だがオレはバーエリアを見て不思議なことに気づいた。
普段は閑散としている時間のはずなのに冒険者の数がやけに多いのだ。
よく見るとバーカウンターと往復している少女がいる。
どうやら原因は彼女のようだ。ウェイトレスでも雇ったのだろうか。
焦げ茶色のふんわり波打った髪を揺らすその少女は何処か見覚えがあるような。
ふと顔を上げたその少女はこちらに気づいて青色の目を大きく見開いた。
「アレラちゃん!」
「…ヘレア?」
「何じゃ知り合いか?」
そこにはヘレアがいた。教会の天使である。
いやおかしい。彼女はレラロチ町にいるはずだ。何故ここ領都にいる。
「アレラちゃん!見つけた!」
「うお!」
一瞬のうちに彼女はオレの目の前に居た。
そして勢いよくオレの手を握って胸元に引き寄せてきた。
いつぞやの再現である。当然オレとヘレアはもつれて倒れ込んだ。
ムリホ王女も驚きの声を上げる速度だ。コリス司祭などは驚きのあまり瞬きしている。
「アレラちゃん!アレラちゃん!」
喰い付いたヘレアは離れない。
この辺りからコリス司祭が状況についていけなくなったのだろう。
そして冷静さを取り戻したムリホ王女はコリス司祭を椅子にそっと座らせると、嬉しそうにクエスト掲示板へと向かったのだ。
取りあえず、オレの用事を済ましたかった。
だけど、まあ一服しよう。そう思ったオレの席にバーのマスターが近寄ってきた。
「まあ、ミルク飲みな」
ヘレアが此処に居る理由はもういいや。
彼女の膝の上に座らされたオレは、ミルクの入ったコップを両手で持ち上げたのだった。
おはようございます。
困った時のヘレアさん。彼女はネタの錬金術師です。




