4.はじめての脱臼
「んごおおおおお…」
オレは今、痛みを堪えて呻いている。
とっさに左手で右肩を押さえたが。右腕は動かない。だらんと垂れ下がっていて、肩が外れているような感じだ。
硬直した子供達の中で最初に動き始めたのは男児だった。
「んあああああ!!」
男児はへレアの腕の中で突然泣き出した。
「あ!!ちょっと、大丈夫!?ああっ、もう。エルケ、泣かないのっ」
へレアの硬直が解けた、直後。
「びゃあああああ!」
男児に釣られて小さな女の子まで泣き出した。
「ああっ、マレルも泣かないでっ」
ヘレアが焦って小さな女の子にも声を掛ける。
「お、おれは知らないぞ!」
少年は逃げ出した!
「あ!ちょっと!」
「へレアおねえじゃあああああん」
へレアは動けない!
阿鼻叫喚と化した室内で痛みを堪えていると、部屋の向こうから声が聞こえてくる。
「メレイ!メレイ!早く!」
「ちょっと、引っ張らないで!」
部屋の向こうから少年と若い女性の声が近づいてきた。
逃げ出したのかと思ったらメレイさんを連れてきてくれたらしい。
ちょっと見直したぞ少年。
「全くなんなの…アレラ!」
メレイさんはオレが視界に入った瞬間、顔色を変えてシスター服を翻し駆け寄ってきてくれた。
「へレアは他の子をお願い。これは…」
メレイさんに声を掛けられてへレアは頷き、男児をあやしつつ小さい女の子を連れて少し離れた。
「メレイが来たからもう大丈夫だぞ」
謝りもしない少年から声が掛かる。
痛みで涙を流しながらも、オレは少年を睨んだ。
その間にも、メレイさんはオレの左手を払って右肩を診てくれている。
「少し痛いけど、我慢してね」
声が掛けられたので、メレイさんに顔を向けた瞬間。
ゴキッ!
「ぎゃあああああ!」
強引に肩をはめられた!整復なんて話じゃない、ただ単に押し込まれた!
オレの左手の抗議を払いのけ、メレイさんは両手で右肩を掴み力を込めた。
「あまねく世界を統べる聖王よ、我が祈りを聞き届け、彼の者を癒やしたまえ。
その慈愛なる手を我が手に重ね、彼の者に祝福在らんことを…ヒール!」
メレイさんが呪文を唱えた。いや呪ってはいない、回復魔法だ。
真昼の明るさの中でも、彼女の両掌が光ったと分かった。右肩が暖かな光に包まれた感触と共に、痛みが消えていく。
「…どう?痛みは無くなった?」
メレイさんは自身の額の汗を拭いながら、声を掛けてきた。心持ち疲れている様に見える。
オレは怖々と右腕を持ち上げてみる。
「痛みは、大丈夫みたいです」
オレの言葉にメレイさんの脇から小さな女の子が飛びついてきた。
「よかっだよおおう゛あああああ!」
「んあああああ!」
あ、今度は女の子に釣られて男児が泣き出した。
手慣れたようにへレアが男児を再びあやし始め、メレイさんが女の子を抱きしめて落ち着かせる。
「よし!遊びに行こうぜ!」
懲りない少年が今度はオレの左腕を掴んできた。
オレは涙の乾いていない目のまま、少年を無言で睨んでやった。
「そういえば、誰がやったの?」
メレイさんが少年を見ながらオレの怪我について問いかけた。
聞くまでもないって感じだ。彼女が目を細めた、その時。
「あんたたち、お昼よ!居ない子を呼んで来て…あら、全員そろってるわね」
そこにタイミング良くハレアさんが入ってきた。命拾いしたな、少年。
「よし!食堂まで競走だ!」
少年は逃げ出した!
「あ!まってえー」
小さな女の子が走って出て行った。
「…アレラちゃん、立てる?」
ヘレアがオレに声を掛けてきた。
オレは足をベッドから降ろそうと腰に力を入れて…気づいた。
お尻が湿っている。
思わず股間を右手で押さえたが、分厚い下着に覆われてよく分からない。
オレの動きに周りの三人が注目した。
オレは意識を逸らすべく、咄嗟にヘレアが抱いている男児を指さした。
三人は一瞬男児に目をやるが、ヘレアの髪で遊んでいるだけと分かるとオレを真顔で見てきた。
これは、ばれた。漏らしたのがばれた。
「仕方ないわね」
メレイさんは、苦笑した。
「あらあら」
ハレアさんは、微笑んだ。
「アレラちゃん、替えたげる」
ヘレアは、いい笑顔だ。
「あの、ちょ、えっ」
逃げ場は、無かった。
下着は、布おむつだった。
忘れよう。
…食堂は人数の割に広かった。
両肩を支えられ、生まれたての子鹿のように震える足で何とか着いたものの、オレは食事どころではなかった。
「まあまあ、あんな怪我をもらっちゃ、仕方ないわ」
オレの口にスプーンを運びながら、隣に座ったメレイさんが慰めてくれる。
衰弱したオレは筋力が足りなくて、スプーンが震えすぎて自分では食べられなかったのだ。
「大丈夫大丈夫っ、アレラが運ばれた時からずっとヘレアが面倒みてたしね」
ハレアさんはこの食事中、先ほどの事から遡って今までのオレの介護事情を見事に暴露してくれていた。
オレが廃人同然の間、手取り足取り身体の隅々までヘレアが世話をしてくれていたそうだ。
「私、慣れてますから」
メレイさんとは反対側のオレの隣に座ったヘレアは、オレの世話をしたそうに先程からスプーンを凝視している。
メレイさんが苦笑しつつヘレアにスプーンを渡すと、ヘレアはうれしそうにオレの食事の世話を始めた。
彼女はオレの世話を病的な程に欲しているような気がした。もうそれ世話好きって言わないよね?
「なんだ、おしっこもらしたんだな」
少年が会話に参加してきた。堂々と核心を突いてくる。
「オルカおにーちゃん、しー」
小さな女の子も会話に加わってきた。
「そうだなマレル、こういうのは秘密にするんだぞ」
少年は小さな女の子に口を噤むよう言ってからこちらを向いたが、その目は笑っていた。
「クローバー!安心しろ!おしっことは!もらすためにあるんだ!!」
謎理論を展開してオレを貶しているのか慰めているのか分からないが、オレはひっそりとして居たかったんだよなあ。
結局、忘れられなかった。羞恥に染まった頬は元に戻らなかった。恥辱に折れた精神は立ち直らなかった。
むしろ今、止めを刺されていた。
食事中の会話の主題がお漏らしって何だよ!
「あー」
「あらエルケ、美味しい?うれしいねえ」
男児を膝に乗せ、スープを与えながらにこにこしているヘレン院長が会話に乗ってこないのが幸いだ。
「おむつの補充が必要だったら言うんだよ」
乗ってきた!ここに味方は居なかった!
不運にも主人公はお漏らししてしまった!
こんばんは。
あんまりだと思うけどまあ、はい。いい笑顔で交換してあげましょう。
2019年10月22日、追記
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