39.エピソード 王女と銃
馬車の中は静かだった。
男女五人が乗るこの六人乗りの馬車は、魔物の大襲撃により生まれた魔物の領域を現在移動中である。
彼らは騎士百名と共に進軍中だった。
この馬車は騎士に守られている馬車二台の内の一台なのである。
防衛線の砦を出発した時、車内の女性二人は談笑する余裕を見せていた。
しかし幾度かの騎士達と魔物の戦闘を経て次第に無口になっていったのである。
進行方向を向く座席の中央には女性の一人、赤色のロングヘアの少女が座っている。
革で出来た上着の上から金属の胸当てを付け、膝丈のスカートとロングブーツの間に黒のハイソックスが見え隠れしていた。
下を向いて暇を持て余すかのように自身の髪の毛を弄びながら、彼女の淡い金色の瞳は毛先を見つめていた。
「なんじゃ?」
隣に座る若い青年からの視線が気になり、少女が下を向いたまま疑問の声を上げる。
やはり軽装の鎧をまとう彼はその茶色の瞳を慌てて逸らした。
首の動きに合わせ耳を覆う程度に伸びた金色の髪が軽く揺れる。
少女の声が耳に入ったのか、彼とは少女を挟んで反対側に座る女性が窓から視線を移し、彼をその緑色の瞳で見つめる。
淡い金色のロングヘアを揺らしたその女性は、司祭服をまとっていた。
女性司祭に見つめられた若い青年は観念して口を開いた。
「国家間の協定では、魔王討伐に軍を動かせないはずです。何故王女は今回、我が国の軍を率いようとお考えになったのですか?」
若い青年の言葉に、少女ことアラルア神聖王国=現王アリツの子・ムリホ第三王女は、少し考えてから答える。
「その事か。此処は魔物の領域としては飛び地じゃ。このまま人族の領域の中に魔王の領域を作らせるわけには行かぬ。それに奴はまだ魔王候補であって魔王では無い。ならば討伐しても構わんじゃろ?」
顔を上げて不敵に微笑むムリホ王女に、若い青年の顔は一瞬強張った。
「詭弁ですが…確かにその通りですね」
しかし彼女の言葉に納得したのか彼は微笑みを浮かべた。
「…すまんな」
「何がですか?」
突然の王女の言葉に彼は疑問の声を上げた。
「わらわの国の軍ではなく、おぬしの国の軍を動かした事じゃ。そしておぬしまで巻き込んでしまった」
彼を巻き込んだことは不本意だったらしく、彼女は軽く首を下げて謝意を示す。
「いえ、元々我が国の問題ですから。王女の手を煩わせてしまいこちらこそ申し訳ありません。それに我が国の軍を動かす以上、我が国として指揮官が必要です」
彼は彼女に柔らかく微笑みかけた。
「そうじゃが、わざわざ第一王子が出る事ではなかろう?」
王女は苦笑していた。
その言葉に、若い青年ことケラク賢王国=現王ケラハ五世の子・ケラム第一王子は毅然と答えた。
「その点でも私が出る必要がありました。何しろ相手は魔王候補です。いざ相対した時に動けるのが王女のみというのはあまりにも危険です。見ての通り私はこの程度の力しかありませんが、成人した王族では一番力が強いのです」
ケラム王子の言う通り、彼の持つ力は勇者候補にすら届かない。
そして勇者候補と呼べるほど力を持つムリホ王女は、出発前から彼の力量を一目で見抜いていたのだ。
「そうじゃの。じゃが流石にあの姫君を戦地に連れ出すのはわらわも忍びない」
出発前、気丈にもケラク賢王国の第一王女は兄の代わりにと出陣の名乗りを上げていた。
そして未成年の彼女は確かにケラム王子よりも力が強かった。
だがムリホ王女とて自身よりも年下で幼気な彼女を連れてくる気は無かったのだった。
「王子、姫様、間も無く目的地です」
再び窓の外を見ていた女性司祭は落ち着いた声で到着を予告する。
彼らの向かいに座る護衛騎士二人も静かに頷いて肯定した。
「指揮は任せる」
顔を引き締めたムリホ王女はケラム王子に告げる。
「しかし」
「わらわは指揮官向きでは無くての」
困惑した彼に対し、彼女は苦笑して見せたのだった。
「魔法陣を準備せよ!」
ムリホ王女の命令により、王女達とは別の馬車からメイド服を着た五人の女性が下りてきた。
彼女達は街道沿いに散らばり土魔法で地面を均し始めた。
そして均し終わると今度は各々分担して魔法陣を描き始めた。
「メイドというだけではなかったのですね」
感嘆したケラム王子が隣に立つムリホ王女に話しかける。
「当たり前じゃ。全員土属性に適性がある魔法師じゃ」
ムリホ王女は胸を張って答える。
「一体何を召喚されるおつもりで」
ケラム王子が見る限り、魔法陣は精霊を召喚する術式だった。
だが彼の知る召喚魔法陣よりも複雑であり、その内容を読み解くことは出来なかった。
「カラロムじゃ」
「は?」
ムリホ王女の思いがけない返事に、彼は目を瞬いた。
「じゃから、火の聖霊カラロムじゃ」
今度こそ彼は開いた口が塞がらなかった。
聖霊とは精霊を超越した存在である。
その力は精霊とは一線を画す神の眷属そのものであり、精霊王すら及ばないとされているのだ。
そしてその存在を召喚するということは彼の理解を超えていたのである。
「姫様…火の聖霊様に呑まれないようお気を付け下さい」
馬車に同席していた女性司祭が心配そうにムリホ王女を見つめる。
「分かっておる、コリス」
ムリホ王女は彼女の名前を呼び、力強く頷いた。
「殿下、司祭様、こちらへ」
魔法陣を描き終えたメイド達が戻ってきて、ケラム王子とコリス司祭をムリホ王女の側から引き離した。
騎士達が魔法陣を取り囲み警護する中、ムリホ王女が魔法陣の縁に立つ。
周囲に魔物は見当たらない。
快晴の空の下、遠くには魔王候補に占拠された町が見えていた。
「破邪を司る火の聖霊カラロムよ、我が呼びかけに応えよ」
赤く光り始めた魔法陣から風が吹き出し、ムリホ王女の赤色の髪が揺れる。
赤い光に照らされた彼女の髪は、その光の色に反して金色に輝き始めた。
「天は慈愛に満ち大地は実りに溢れし時。災厄を討ち滅ぼし楽園を守護しめ」
一瞬、赤い光の中を何かがよぎった。
「ぐぁ!」
直後にムリホ王女が叫び、膝をついた。
遅れて彼女の肩から血が噴き出した。
詠唱が中断されたことで魔法陣の光は消え、王女の髪も赤色に戻った。
「どこからだ!」
ケラム王子が声を張り上げて辺りを見回す。
目に増幅魔法を掛けて見回すコリス司祭が何かに気づく。
「あそこです!」
声を上げる彼女が指差した先には町の物見台があった。
「まさか…一キロメートルはあるぞ!」
護衛騎士が声を上げた通り、その物見台はここからだとあまりにも小さく見える距離だ。
「なんだ…あれは…」
しかしよく見ると、物見台から斜め上方に緑色に光る直線が引かれていた。
その二百メートルはある光る直線は、棒のようにゆらゆらと揺れていた。
「銃身じゃ…あの長さならここまで届いて当然じゃな」
肩を抑えてムリホ王女が顔を上げた。
しかし抑えた手の隙間からは血が噴き出し続けていた。
「銃身をあそこまで展開出来るなどと聞いたことがありません!」
驚愕のあまりケラム王子が思わず叫ぶ。
この世界の銃は物理的な銃身が無い。
その代わり内部に組み込まれた補助魔法に支えられつつ風の魔法で銃身を作り上げるのだ。
そのため銃の威力は使用者の魔法に左右されていた。
緑色の光は風の魔法が可視化した時に光る色だった。
彼らは予め魔物達の手に一挺の銃が渡っていると知らされていた。
だからこそ想定される射程距離よりも離れたこの場所で召喚を行うつもりだったのだ。
「姫様。こちらに狙いを付けていないうちに早く回復を」
ムリホ王女に呼びかけながらコリス司祭が駆け寄った。
「王女様!再び狙われております!」
増幅魔法を使える騎士が物見台を観察し、報告する。
「盾隊前へ!王女を守れ!」
ケラム王子が命令を飛ばす。
既に魔法陣を気に掛ける余裕は無く、彼らは魔法陣を踏みにじりムリホ王女とコリス司祭を覆うように盾を構えた。
「あぐっ」
しかし盾に囲まれた中、コリス司祭が声を上げる。
「コリス!?」
「司祭様!?」
彼女の声が聞こえたムリホ王女と護衛騎士が声を上げた。
盾に穴が開き陽光が差し込む。
盾に囲まれて薄暗い中、胸を貫かれたコリス司祭が倒れ伏していた。
「おのれ…フレイムウォール!」
怒りの形相でムリホ王女が立ち上がり、片腕で宙を薙ぐ。
彼女の腕の動きに合わせて五十メートル程先の空中に炎のカーテンが広がった。
だがその炎のカーテンを何かが穴を開けた。
威力を無くしたそれは盾に当たり甲高い音を立てて地に転がる。
それはまさしく銃弾であった。
炎のカーテンの穴が開いた場所は再生し、炎は静かに揺れていた。
「くっ。まさか、あの距離から撃ってくるとはの…」
再び肩を抑えてうずくまるムリホ王女が悪態を吐いた。
「想定した威力を遙かに超えています。対銃撃に用意した盾をこうも簡単に貫かれるとは」
彼女の横に屈み、悔しげな顔でケラム王子が答えた。
そしてムリホ王女の肩に自身の出来る最大出力で回復魔法を掛ける。
しかし適性の無い彼では止血にすらならなかった。
「こちらも撃ち返しますか?」
「届くのならそうすればいいんじゃが…無理なのじゃろ?」
それでも回復魔法を掛けながら問う彼に、ムリホ王女が顔を上げて苦笑する。
「残念ながら」
彼は首を横に振った。
銃を持ってきてはいるが、あのような長距離を撃ち返せる魔法師は彼らの中に居ない。
「コリスの容態は」
依然肩を抑えてムリホ王女が問う。
だがコリス司祭は全く動いていない。
ケラム王子は静かに首を横に振る。
「だい…ぐっ」
その時コリス司祭が声を上げた。
「しゃべるな、コリス。自己回復に集中するんじゃ」
明らかに心臓の辺りにこぶし大の穴が開いているにも関わらず、コリス司祭は息をしていた。
その傷穴から淡い金色の光が漏れ出してはいるが、傷穴が埋まる気配はなかった。
コリス司祭を心配そうに見つめつつも安堵の息を吐いたムリホ王女を見て、ケラム王子も一息吐いた。
「狙撃手はどうだ?」
そして彼は護衛騎士に敵の様子について問いかけた。
護衛騎士は、炎のカーテンから身を乗り出して観察する騎士に対し伝達する。
「依然銃身を展開中」
報告を受け、護衛騎士は短く返答した。
「こちらの出方を待っておるか」
ムリホ王女が痛みに顔を歪めながら思案する。
「カラロムさえ召喚出来れば何とでもなる…と言いたいところじゃが…あれを解除すれば再び撃ってくるじゃろう…じゃがっ」
炎のカーテンを一瞬見上げ、そして彼女は不敵に微笑んだ。
「その怪我で無茶をしないでください!」
思わずケラム王子は彼女を叱咤する。
「冗談じゃ。致し方ない。撤退するぞ!」
「はっ」
彼女の命令に騎士達が返事をする。
「王女。肩を貸します」
ケラム王子がムリホ王女に手を差し伸べた。
「すまんの」
「いえ、このくらいは」
ケラム王子に礼を言いながら、彼女は彼の手が掛かる位置を見下ろした。
「役得かえ?」
そして彼の顔を見上げ微笑む。
両手が使えない彼女を支えるケラム王子の手は、彼女の胸に掛かっていたのだ。
「鎧が無ければ」
ケラム王子は軽口を叩いた。
「ならば帰ったらダンスでも踊るかえ?一曲付き合おうぞ」
ムリホ王女も軽口を叩く。
「お戯れを。まずは生きて帰りましょう」
「そうじゃな」
国軍は左程戦果を上げることも出来ず、王女と司祭の負傷により帰還を余儀なくされたのであった。
こんばんは。
この世界の銃の威力についてやっと書くことが出来ました。
実は王女の胸は無…なんでもありません。
2019年11月17日、追記
改行位置を変更致しました。誤記修正以外に本文の変更はございません。