19.エピソード 初春の頃
…メラロム都聖王教会。
司教は悩んでいた。今この教会には司祭候補がいる。
見た目はともかく、彼の娘と同じ年頃の少女だ。
長い間寝込んでいたためにひ弱であると聞いていた。
実際彼女が教会内でふらふらと歩いては休んでいるのをよく見かける。
その一方で彼女は、切り落とされた腕を完全に繋げてしまうような、聖王教会全体で見てもなかなか居ない回復魔法の使い手である。
侯爵領たるこの領都でさえも、そこまでの回復魔法の使い手は司教自身と老司祭しか居なかった。
そんな司教や老司祭と比べてしまうからか、彼女は支援系魔法全般で非凡な才能がありながら余りにもそのことに無自覚である。
彼女をこのまま司祭にしてしまえば、間違いなく魔物達との戦いの最前線にある地域へと赴任させられるだろう。
別に戦闘に放り込まれるわけでは無い。むしろ逆だ。
最前線にある教会へ幽閉されることが想像に難くない。
何しろ他者に増幅魔法を掛けられるのだ。
他者に増幅魔法を掛ける場合、掛け方によっては他者の魔法すら増幅させることが出来る。
彼女がそこに居るだけで周りに居る回復魔法の使い手達の能力が上昇することと同義になるのだ。
独学で得たという増幅魔法は元々適性が高いのだろう。
他者に増幅魔法を掛けられる者自体希有な存在だと言うのに、彼女は増幅魔法に関して異常なほど高い才能を示していた。
彼女が自身に増幅魔法を掛けた場合はあまりのひ弱さからか息切れするかのごとく魔力切れを起こしているようだった。
しかし他者に掛けた場合は魔力を消耗している素振りすら見せずに十数人に掛けられたり、意識せずとも発動を持続出来たりする。
これは畏怖の念すら抱くほどの才能であった。
ともかく、非常に有益な彼女を手放そうとするところは無いだろう。
それだけではない。
支援系魔法の高い才能を持っていると言うことは、教会内で高い地位を持てる可能性があると言うことだ。
教会は決して綺麗事ばかりの組織ではない。
彼女が野心を持った他の司祭から利用されたり命を狙われたりという可能性は十分考えられる。
才能に無自覚な彼女は良い鴨と言えよう。
そして彼女は見目も決して悪くはない。
成長すればその才能も含め彼女を手に入れようと貴族達が自らの一族と婚姻を結ぶべく画策することもあり得る。
王家の者に匹敵する淡い金色の瞳を持つだけに悪いようには扱われないだろうが、逆にその瞳の色が貴族間の争奪戦を過熱させるだろう。
そうなると身を守るという名目でやはり幽閉されることが想像に難くない。
結果どうあがいても彼女は自由を奪われる。
彼女に、彼の娘のようにはなって欲しく無かった。
なまじ回復魔法の能力が高すぎたために、聖都で幽閉されている彼の娘のようには。
聖王教会の方策により、支援系魔法の使い手を司祭とすることに関しては司教の一存で決まる。
今、彼女を司祭にすれば様々なところから目を付けられる。
あっという間に彼女の人生が鳥籠の中へと確定されてしまう。
まだまだ彼女は若い。
少し、少しだけでもいい。
彼の娘には与えられなかった自由な時間を、せめて彼女には与えてあげたい。
司教はそこまで考えて、一つの結論を出したのであった。
…アラルア聖都。
主神たる聖王アラルアの名を冠したこの都市は人族史上最も古い都市である。
そしてアラルア神聖王国の中にあって聖王教会が自治権を持つことから聖都と名付けられていた。
聖都はかつて王都であり、当時は国王が教皇を兼任していた。
その名残から聖都の聖王教会は今でも都内にある城を使っていた。
「うっ…くっ…あっ…」
その城のかつては王族が居住していた区画の一室から、少女の呻き声が聞こえる。
「調子はどうだい?」
白髪の老女が部屋に入ってきて声を掛けた。
そして麦藁色の長い髪を乱しのたうつ少女が目に入るや否やベッドの横へ駆け寄った。
「いっ…あっ…聖女…さま…」
少女が身を起こそうとするのをその聖女と呼ばれた老女が押しとどめた。
そして少女の痛みを和らげるべく救治魔法を掛ける。
とはいえ当代の聖女である老女を以てしても少女を治せない以上、救治魔法を応用した麻酔はその場凌ぎに過ぎなかった。
神託。
こちらの望む事柄について神託が得られるわけでは無い。
しかし、どんな事柄であろうとも神託の内容は必ず現実となる。
それは聖女にのみ聞こえる神の声。当代の聖女が最後に行う奇跡。
一般にはそう知られていた。
だが真実は少し違っていた。
神託はある魔法による副次効果に過ぎない。
降臨魔法と言う名で伝承されているこの魔法は、召喚系魔法の最上位に位置する秘匿された魔法である。
だが過去一度も成功したことがない。
神との対話すら成功したことがない。
しかし誰かの声を聞き取ることは出来た。それが神託なのである。
聖都の城の最奥部には聖玉と呼ばれる魔力を込めた宝石をふんだんに使った降臨魔法専用の魔法陣が敷かれている。
その魔法陣を用いて行われる降臨魔法は、使用される魔力量の多さから術者の補佐として適性を持つ者を複数人必要としていた。
そして降臨魔法は召喚系魔法にも関わらず、一番適性が高いのは回復魔法の使い手であると分かっていた。
降臨魔法の術者となり得るのは聖女と呼ばれるほど強い力を持つ回復魔法の使い手だけである。
しかし制御を失敗した際の反動も凄まじい魔法である。
成功したことがない魔法であることから、術者は必ずと言ってよいほど致命傷を負っていた。
つまり神託は、聖女を犠牲にして得られていた。
そのため当代の聖女がその座を譲る時、望む者だけが降臨魔法を執り行っていたのだ。
「まったく。こんな老婆を庇うもんじゃないよ。次代の聖女ともあろう者がなんてことをしたんだい」
老女の言葉に少女は力なく微笑んだ。
老女の言葉通り、この少女は次代の聖女としてすでに周知されていた。
当代の聖女である老女は引退を決意し降臨魔法を執り行った。
少女はその際に老女の反対を押し切り後学のためにと補佐として参加した。
今から考えると少女の目的は明白であった。
少女は最初から老女の身代わりになるつもりで降臨魔法に臨んだのだ。
神託が語られる最中、降臨魔法は暴走を開始した。
補佐の者達が次々と気を失っていく中、老女から制御を奪った少女は暴走の終息に成功した。
しかし暴走を終息したことで降臨魔法の反動を一身に受けた少女の致命傷は避けられなかった。
少女は一命こそ取り留めたものの、不治とも言えるほどの神経痛の発作が残ってしまっている。
結果的に次代の聖女を犠牲にして得られた今回の神託は、人族に恐怖と混乱をもたらす内容であった。
神託を聞き終える前に降臨魔法の暴走が起きたため、神託の全文を得られなかったことでも混乱をもたらすことが予想された。
幸いというべきか聖女が交代していないため神託が得られたこと自体は秘し隠せていた。
それ故に神託が出てから一年近く経つにも関わらず、未だその内容は教皇とアラルア神聖王国の女王にしか伝えられていない。
発表の時期は女王が決めることになっていた。
その神託の内容とは。
『次に生まれし魔王は邪王と同等の力を得るに至る。時は満ちた。今こそ星の…』
…彼女は司祭とシスターの間に生まれた子である。
聖王教に結婚の制約はない。
彼女の父と母は敬虔な信者同士であることから惹かれ合い、父が赴任地を変える時に結婚したという。
父はとある村の小さな教会を母と共に切り盛りした。
いつしか二人の間に彼女が生まれた。
春の終わりのことであった。
彼女を育てながら父母は清貧な生活を送った。
しかし幸せな生活は突然終わりを告げる。
魔物に襲われて母が亡くなったのだ。
父はまだ幼い彼女のために平和な地域へと転任を希望し、大きな町にある教会で司祭の一人として収まった。
その町は宿場街があり平和故に豊かな農地を持っていた。
平和故に冒険者のような危険な職を持つ者も住み着かない。
流れてきた商人が亡くなりでもしない限り、身寄りの無い子供が遺されることは少なかった。
また、平和な地域と言えど魔物が闊歩する世界で孤児が町に流れ着くことは無かった。
その町の住人に愛されている教会は余裕ある寄付金により孤児院を運営していたが、そんな事情もあり皮肉にも町には孤児が少なかった。
彼女は教会の敷地内にある孤児院で寝泊まりをし、おぼろげな記憶にある母を真似てまわりの者の世話を行っていた。
そしてそんな彼女を見て父が喜ぶので、何時しか誰かの世話を行うことが彼女の喜びへと変わっていった。
彼女の父は魔法の才が無くとも司祭として優秀故に、時々他の町へ後進の教育へと駆り出されていた。
しかしそんな父までもが帰らぬ人となった。
孤児院で留守番をしていた彼女はそのまま孤児として引き取られたのであった。
人恋しさもあったのだろう、父は居なくなったが彼女はまわりの者の世話をこれまで以上に行った。
何時しか献身的な彼女はその容姿も相まって町の教会のアイドルとなっていた。
誕生月毎に歳を取るこの世界において、彼女は珍しくも自身の誕生日を覚えていた。
そんな彼女が成人まであと一年となった月のある日。
彼女の誕生日であるその日に、その子は孤児院に運び込まれて来た。
全く目覚める気配の無いその子に対し彼女は自然と世話を行った。
本当はどんな子なのだろう、仲良くなりたい。
その子が目を開けた時、彼女は凄く喜んだ。
やっと話せると思っていたのに。
意思の光が無いその子の瞳を見て、彼女は凄く悲しんだ。
光の灯らないその子の瞳は淡い金色をしていた。
聖王様の色。その子はきっと神様の子供。
動かないその子に何時しか彼女は奇妙な感情を抱いていた。
私の大切なお人形。命ある大事なお人形。
神様から私への誕生日プレゼント。
でも、このまま目を覚まさないとどうなるのだろう。
答えは分かっている。
日に日にやせ細るその子に残された時間はもう少ない。
彼女は神に祈った。
私はどうなっても構いません、どうかその子を目覚めさせて下さい。
願いは叶った。
その子はか弱く、恥ずかしがり屋で、けれど強い意志を持っていた。
懸命に生きようと輝く淡い金色の瞳を見て、彼女はますますその子のことが好きになった。
しかしその子が目覚めたということは、同時にその子が彼女のお人形では無くなったということを意味していた。
目覚ましい才能を開花させたその子は彼女の側を離れることになってしまった。
彼女の願いの代償は、その子との別離だったのだ。
春の終わりに彼女は成人となる。
成人になれば孤児院を出ることになる。
その子に会うまではこの町のシスターになろうと思っていたけれど。
神様ごめんなさい。私は決めました。
たとえこの身がどうなろうと、あなたの元を離れます。
「待っててアレラちゃん」
彼女は、ヘレアは小さく呟いた。
…夕闇のバルコニー。
ケラク賢王国=十二代=現王・ケラハ五世の気は重い。
昨年の魔物の大襲撃では心配していた飢えた民は出なかった。
だがその理由は決して明るいものでは無かった。
単純な話である。町や村が丸ごと滅んだのだ。
民の総数が減った故に、飢える民が出なかっただけに過ぎない。
せめて、生きている者が苦しまなくて良かったと思うしか無い。
だが予想を超えた魔物の集団行動により国土は手放さざるを得なかった。
領土を失いつつもすぐに対策を講じたあの侯爵領への補填案は、他の貴族がうるさく未だ決められていなかった。
取り急ぎ、国として兵を派遣し、冒険者を手配し、各領地に守備を固めさせる。
国土の放棄を各国に通達し、新たに出来た魔物の領域について隣国と折衝する。
この国は元々魔王が支配する領域と隣接している辺境の国である。
突然魔物の領域が現れた隣国の方が混乱しているのは間違いない。
とはいえ支援を申し出ようにも人族の防衛線となっているこの国に国庫の余裕は無かった。
精々魔物の集団行動に対する国としての防衛方法を助言するくらいしか出来なかった。
諸々の対応に追われていたケラハ五世がようやく一息つけたのは、新年に入ってからであった。
しかし今回の魔物の大襲撃において、聖王教会がこの国に対し沈黙を保っているのは不気味であった。
当代の聖女が高齢なのは知っていた。
そのため次代の聖女を探す名目で聖王教会が支援系魔法の使い手を集めていたのも知っている。
だが次代の聖女が決まったにも関わらず聖王教会は依然支援系魔法の使い手を集め囲い込んでいた。
今の教皇は思ったよりまともで聖王教会内の腐敗は急速に鳴りを潜めつつある。
方策の足並みが揃っていることから、教皇に反発した聖王教会内の一部が暴走しているとも思えない。
聖王教会内で何かが起きている気がしてならない。
だがケラハ五世自身には聖王教会に対する強力な伝手は無く、様子を探ることも出来なかった。
一方、この国の勇者は結局帰還しなかった。
元々魔王討伐の旅はほぼ死出の旅でもあるのだ。
国家間の協定により魔王討伐に軍を動かせない中、多くの者が栄誉を手に入れようと夢見て旅立つ。
しかし彼らは魔王が支配する領域から逃げ帰ってこられることすら少ないのである。
だが今、気が重いのはもっと別のことである。
アラルア神聖王国の使者が来ていた。
この辺境の国に用事があるなど厄介事しか考えられない。
王都到着の時間が遅かったために正式な謁見は明日だが、王家との会食をこれから行うのだ。
非常に気が重い。
なにしろ使者自身が厄介である。
奴とうちの家族を会わせたくない。
幼い頃に初めて顔合わせをした長男に顔面ドロップキックをかまして彼を泣かせたし、次男は奴にほの字である。
末娘は今日初めて会うことになるのだがはっきり言って教育に悪いので近寄って欲しくない。
父としては非常に嫌なのだが国王としてはそうも言っていられない。
第一王子は嫌がるだろうが引きずり出すとして、第一王女を守るために第二王子を矢面に立たせるか。
扉をノックする音が聞こえた。
そうこう考えている間に会食の時間になってしまったようだ。
ケラハ五世が返事をする前に両開きの扉が、バンッと大きく開かれた。
「ケラハ王!腹が減って仕方が無いのじゃ!夕食はまだか!」
奴が居た。
扉を開いた体勢のまま声を張り上げていた。
アラルア神聖王国=現王アリツの子・ムリホ第三王女。
ケラハ五世の目下の悩みの種、アラルア神聖王国の使者、その人であった。
こんばんは。
主人公の出番は今回ありませんでした。
本当は司教の視点のみ考えていたのですが、どうせならと今後登場する人達を出してみました。
なのですが…ヘレアサン、どうしてこうなった。
2019年11月4日、追記
改行位置を変更致しました。誤字訂正以外に本文の変更はございません。
2021年11月1日、追記
人名の誤記訂正のみ致しました。文法等その他の修正には手を付けておりません。




